57話 毒を喰らわば
「クァアアアアアアアアアアッ―――――――!」
ペントーサが吠えると魔力の触手が体内へと収縮していく。
それに応じてペントーサ自身の力はより膨張し、周囲を圧迫した。
ヤディカとインユゥの視線が僅かに交錯した。
それだけでお互いの意図が通じ合う。
相手のことは好きではないが、その力は認めている。そんなお互いの認識の一致が、この意思の疎通を可能としていた。
ヤディカが再び気配を消し、インユゥがペントーサと向かい合う。
「いくぜ、蛇野郎」
「――――ッはぁ……、もう来なくてもいい。決着はついた」
「あァ? 決着がついただァ? 馬鹿言ってんな、これからだろうが!」
「もうお前たちの負けだ。これからはお仕置きの時間だ」
「負けてねぇ!」
「お前たちはそこで見ていろ。ここの村人たちが、お前たちを見守ってくれていた者達が私に殺されいくのを」
「ふざけんな、おらァ!」
インユゥが取り込んだ魔力を身体強化に注ぎ込み、弾丸のように加速する。
ただの漠然とした全身強化ではない。
ヤディカとの喧嘩の時には見せなかった、一極集中。速度に特化した脚部強化である。
ペントーサの顔面を打ち抜いた魔力加速よりも更に速く鋭い。
ドゴォ、と激しい音が響いた。
金属と金属を打ち合わせた甲高い音にも似た、魔力の衝突音ではない。
もっと重く低い音だった。
肉が何かにぶつかるような……。
「ぐ……!?」
飛び出したはずのインユゥがその場に崩れ落ちる。
何かに凭れ掛かるように、目の前にずるずると。
「どう、したの……!」
「ッカ、くそ……、んだァ? この壁……」
倒れたインユゥに駆け寄ろうとしたヤディカも、その異変に気付いた。
彼女たちを覆うように、見えないほど薄く破れないほど頑強な魔力の壁が張られていたのだ。
「何、これ……?」
「魔法の展開さえ目で追えなかっただろう? これが私の力だ。人間となり、真の力を解放した私の能力なのだ」
ゆっくりと二人に近付いたペントーサは、自分が作り上げた檻の強度を確かめるように数度叩くと、満足げに頷いた。
「お前達は貴重なサンプルだ、殺しはしない。必要な時が来るまでは。その代わり、この私の怒りは奴等で晴らさせてもらおう」
「そんなこと、させない……」
ヤディカが毒を生み出そうと構えるが、その体からは一向に毒が染み出てこない。
インユゥも魔力を治癒力に変換させようとしているが、上手くいかない様子だった。
ヤディカは眉をひそめ、もう一度慣れ親しんだ『毒生成』を行うが、血よりも濃く体の中を流れる毒を、一滴たりとも作り出すことが出来ない。
インユゥもおかしいと思ったのだろう、問うようにヤディカを見上げてくるが、ヤディカにも分からないのだ。
「どう、して……?」
「私がただ固いだけの檻を作ると思うかな? それは『強奪する檻』。お前達の能力と特性を奪う特別製だ」
「だったら、殴って、壊す……!」
「止めておけ、そこで倒れているお友達のようになりたいのかな? 物理攻撃は全てお前達の自身に跳ね返る。お前達が動けなくなるまで、な」
「そんなの関係あるかァ!」
インユゥがふらつきながら立ち上がり、強化されていない拳で見えない壁を殴り付けた。
壁は衝撃で僅かに震える。
だが、一瞬後、細腕からは血が吹き出し、インユゥの口から苦痛の悲鳴が漏れた。
「くっ、ァあ!」
「無駄だ。もう諦めろ、そしてそこで見ているがいい。お前達の集落の終わりを」
少女たちは焦り、自分達の後ろを振り返った。
そこには、自分達だけで戦うというワガママを何も言わないままに許してくれた大人達の姿があった。
決して自分達でなければ勝てないなどと自惚れていた訳ではない。
亜人の制限を突破したというペントーサ相手に力試しをしてやろうなどという傲慢があった訳でもない。
ただ、カサンドラという遥か高みにいる人に追い付くために自分を高めたかっただけだったのだ。
その為に全力を尽くしていたつもりだった。
ただ、ペントーサに対する見通しが甘かった。自分が想定していた以上に、自分はペントーサの実力を下に見てしまっていたのだ。
最初の奇襲が上手くいった。
ただそれだけのことで。
「もう、見ているのは終わりでいいであーるな……エルカの族長殿」
「あぁ、本来ならば俺たちネビ族の手で灌がねばならなかった恥。今度は俺たちにやらせてくれ」
「ペントーサ様、今、解放して差し上げます」
ククロバ、ウォマ、ジューガイトの三人が、ペントーサの前に立ちはだかる。
実力の差は明白。
ヤディカとインユゥに勝てない三人に、今のペントーサの相手が勤まるとは思えなかった。
ペントーサは戦意を露にする三人を見て、僅かに目を細めた。
「……かつての同胞に今一度だけ機会をやろう。人化し、カエル達を殺せ。この少女達の前で、出来るだけ惨く。そうすれば再び私の手足となることを許そう」
じろり、とペントーサの視線が三人を射抜いた。
強者に対する本能的な恐怖感、人間に対して刻まれた本能的な忠誠心。
思わず膝を付き、頭を下げて許しを乞いたくなる衝動に襲われる。
「ジューガイト、貴様は人化しているようだが、貴様に渡したのは時間経過で効果の切れる粗悪品。強化率も私よりも遥かに悪い。もう心は亜人であった頃に戻っているのではないか?」
ペントーサの言葉に、ジューガイトは俯いた。
人の身となった高揚感は忘れようにも忘れられない。
個人の身には余りある多幸感と優越感。それらがまるで薬物のように全身を駆け回るのだ。
体はまだ人間に近くとも、心は既に薬の効果が抜け、亜人の感覚を取り戻していた。
しかし、あの幸福を永遠のものにできるのなら……。
その思いは、もはや渇望じみている。
闇魔法で心の働きを鈍らされていた時ならば、きっと抗えなかっただろう。
「……そうですね。私はもうとっくに亜人の頃の感性を取り戻しています……。ですが、だからこそ言えます。亜人である方が余程幸せであると」
だが、今は違うのだ。
本当に大切なものは何か、取り戻している。自分は人間の薬の呪縛から解き放たれた。
後は、敬愛する族長を助けるだけだ。
バチリ、と辺りに電流が走る。
「ククロバ、ウォマ、呆けるな! 行くぞ!」
「うむ、奥義を尽くすのであーる!」
「行きますぞ、ペントーサ様!」
「ビルカートと同じ……。お前たちも私には着いてきてくれぬのだな」
ネビ族と、ネビ族であった者の間で魔力がぶつかり合う。
しかし、それは拮抗し合うものではない。
巨大な荒波に対して、バケツに汲まれた水で対抗するような頼りなさ。やる前から結果の見えている勝負だ。
「魔力の押し合いでは敵わない。ならばやり方を変えるまでよ!」
ゆらり、とウォマの姿が掻き消える。風魔法である『風絹布』を応用した『変圧偏光』を使用したのだ。
ただ姿を隠すだけでなく、魔力圧を僅かに反らす効果もある優れものだ。
魔力圧の中をすり抜けるように進んでいく姿は、まるで川を遡る蛇のようだ。
「我輩も行くであーる!」
ウォマが絡め手で行くのならば、ククロバは力尽くでの正面突破を選択した。
だが、ただ無策に突っ込むのではない。
彼の持つ半ばから噛み折られた剣に、炎が集まり渦を巻いていく。収束した炎は回転しながら剣に沿い、その切っ先に熱エネルギーを溜めていく。
真っ赤な炎はいつしか白熱する力の塊となり、直視出来ないほどの光を放った。
剣を持つククロバの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
溶鉱炉のようなエネルギーを放つ剣を持っている彼も決して無事では済まない。この技は、自爆覚悟の最終奥義なのだから。
「我輩の全身全霊、全力全開を見よ!『焦熱覇翼』!!」
二人に気合いをいれたジューガイトもただ指を加えて見ているだけではない。
片や搦め手、片や正面突破を選択するというのならば自分が行うことはただ一つ。彼らのサポートだ。
「『雷槍嵐域・追加効果・電花斉禀』!!」
ペントーサが行った精妙なる魔力操作の極み『追加効果』を、同じく人化を果たしたジューガイトならば使うことができる。
精度、威力、ともに比べ物になるレベルではない。だが、ただでさえ強力な攻撃魔法に他の効果を重ねるなど、熟達した人間の魔術師でさえ叶わぬ境地である。ペントーサとえど、無視できるものではない。
追加された効果は雷光と雷鳴。
単純だが、それゆえに撹乱効果は高い。
「行くぞ! これで目を覚まされよ! ペントーサ様!」
ジューガイトの魔法に掻き乱され、ペントーサの魔力に乱れが生じる。
そこへ赤い陽炎の翼をまとったククロバが突撃し、タイミングを合わせて背後からウォマが強襲した。
風が炎を巻き上げ、炎が雷と絡み合い、雷は風を飲み込んだ。
本来ならばここに“氷華”の魔法も加わり、逃れることも防ぐことも出来ない『四将奥義』となる筈であったのだが、彼は人間の魔術師に心を壊され、エルカ族との戦いで果てたという。
今はこれが彼らの出せる最高の一撃だった。
ペントーサは目を閉じ、魔力を渦巻かせたまま三将の複合魔法の前に立っていた。
この程度の魔法攻撃など防御に値しないというように。
「……ッ駄目だ、あれじゃあ効かねぇよ!」
透明な檻を叩きながら、インユゥは悔しそうに叫んだ。
彼女は魔法を取り込み、自分の力とすることができる。だからこそ、見た魔法の威力を感じとることが出来る。そしてペントーサと向かい合ったからこそ、ペントーサがあの魔法でもダメージを負わないだろうということが分かってしまうのだった。
「このままじゃあマジで皆やられちまうぞ! おい、青赤女! なんか手はねぇのか!?」
「……青赤って言うな、銀色。毒さえ、出せれば……」
「くそっ、それはアタシだって同じだよ! この檻に歯さえ立てばよ!」
ククロバの剛剣を噛み砕くインユゥの歯も、特性と魔力強化が無ければ年令(外見)相応の可愛らしい歯でしかない。
噛めないもの、飲み込めない物が食べられる筈もない。
四方だけでなく上下をも覆う透明の檻は、逃げ場など決して与えない。ペントーサの魔法とは甘いものではない。
「他のエルカの人達にゃ頼れねぇのか?」
「体の強さなら……。でも、魔法じゃ、きっと、駄目」
エルカ族にも魔法に秀でたオババがいるが、それもエルカ族の中でのこと、ネビ族であり、人化を果たしたペントーサの魔法とは比べるべくもない。
「分かった。やっぱアタシ等でどうにかするしかないってことだ」
「…………ん」
爆音が轟いた。
ククロバ達の複合魔法が炸裂したのだろう。辺りは凄まじい土煙に覆われているが、その中心に立つ影は身震いさえしていない。鬱陶しげに煙を払っただけだ。
「儂等の番じゃな」
エルカ族の族長が組んでいた腕をほどき、立ち上がった。
既に筋肉がはち切れんばかりであり、臨戦体勢であることは明らかだった。
彼も感じ取っていたのだ。ネビ族三人の敗北を。
土煙が晴れた跡には、魔法で抉られた地面に三人が倒れ付していた。
生きているかどうかも分からない。生きているとするならば一刻も早い治療が必要だろう。
助けられるならば助けてやろう。
村長は宴会の様子を思い出して小さく笑った。
あそこにはエルカ族もネビ族もゼクト族も無かった。ただ美味い飯と酒、それと喧騒があっただけだった。カサンドラはきっとあの光景を夢想していたのだろう。
きっとこれからこの森ではあの光景がよく見られるようになるのだ。
彼らはその大事な礎になれる。こんな所で死なせはしない。
「魔法が相手ならこのババも出ねばならんじゃろうなぁ」
魔術師のようなローブに身を包んだオオガマのババが人混みを掻き分けて現れる。その顔にはにんまりと笑みを浮かべ、実に魔女らしい。
節くれだった杖を構え、既に魔法の準備に入っていた。
「ネビ族には恨み骨髄じゃわい。エルカ族のジジィババァは、あの蛇の頭に一発入れることをなんど夢見たか……」
カサンドラの魔改造レッスンで筋骨隆々となったエルカの老人たちが、皆瞳をギラつかせ、戦意を放つ。
「カサンドラ殿の手前、亜人同士手を取り合うことに賛成はしたが、あの蛇頭どもと仲良しこよしだけはどうにも納得できんかったんじゃ。いやはや、向こうから殴られに来てくれるとは、粋な計らいじゃわい」
族長を筆頭に合計して10人程の老人たちが、筋肉を唸らせてペントーサへと向かう。
ネビ族と向かい合っていた時は僅かに感傷めいた表情が見えていたペントーサだったが、元より蔑んでいたエルカ族を前にしてその顔は酷薄に固まっていた。
「……銀色! 協力して!」
「あァ? ……何か策があるのかよ」
「ある……。カサンドラは言ってた。れっすんわん、まずは死んでみよう、って」
ヤディカの言葉にインユゥの顔が奇妙なまま固まる。
何言ってんだコイツ? と表情筋の全てで語っていた。
「死ぬ勇気、ある?」
しかし、インユゥを見詰めるヤディカの視線は本気の一色だった。
彼女が言うことは突拍子もない。だが、そこには彼女なりの誠意があった。
ここで応えなければ女が廃る。インユゥは歯を剥き出して笑った。
「……へっ、何でも来いよ、毒でも皿でも食らってやらぁ」
「うん良かった。じゃあ、毒を食べて」
ヤディカが自分の腕をインユゥに向かって差し出す。これに噛みつけというのだろうか?
わざわざ言葉に“毒でも皿でも”なんて付けたことをちょっぴり後悔するインユゥだった。




