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47話 村長VS炎刃




 時は少し遡り、カサンドラが度を越えたエクストラ鬼ごっこで修行希望者達を恐怖のドン底に突き落としている頃。

 エルカ族の村長とインユゥは二人で食卓を囲んでいた。


「美味い! 美味いよジッチャン! 今まで食べた料理の中で一番美味い! ジッチャン大好き!」


 全身から幸せオーラを溢れさせ、インユゥは輝くような笑顔で村長に笑いかけた。


 食卓に並べられた料理は、気の遠くなるような昔、家族と一緒に食べた料理とは見た目も味付けも違うが、それでも涙が出るほどに美味しい。


 湖に棲息する沢山の魚の干物を焼いた物。

 黄色い粒々の野菜や、肉厚でとろけるような食感の葉、橙色の太い根っこなどを塩ゆでにしたシンプルな温野菜のサラダ。ドレッシングは甘いような酸っぱいような不思議な味だった。

 ぷりぷりの内臓と豆が入っていて、少しスパイシーな赤い煮込みスープ。

 付け合わせに固めに焼いた黒パンが籠いっぱい。


 これを全部インユゥが食べていいのだ。 


「ほっほっほ、嬉しいことを言ってくれるわい。それではとことん喜ばせてやろうかのぉ」


 孫のように小さな可愛い女の子に手放しで誉められ、大好きと言われた村長の顔はちょっと人には見せられないくらいだらしなく緩んでいた。


 自分の分を食べ終わり、食後のお茶で一服していた村長は、再び厨房へと向かう。

 この分ではインユゥはまだまだ食べそうだ。

 カサンドラのおかげで短い間にかなり豊かになったエルカ族の集落では、食料の備蓄が沢山ある。

 銀色の少女が満足するまでいくらでも付き合ってあげようと村長は微笑むのだった。



 筋骨隆々の老人がいそいそと料理をする姿は中々凄いものがあるが、美味い料理を次々と平らげるインユゥはそんなこと気にしない。

 目の前の料理を口に運びながらも、次の料理が気になって仕方がなかった。


 “濡れ銀”という底無しの胃袋を持つ巨大モンスターの屍肉から自分の体を構成したインユゥは、その特性を引き継いでいる。

 つまり、とんでもない大食いなのだ。

 しかも食べた分だけ『エネルギー変換』のスキルによって即座にエネルギーに変えられる為、際限なく食べ続けることが出来る。


 数百年ぶりにまともな食事を摂ったインユゥは止まるところを知らない。

 事情を知っているカサンドラも今は修行希望者達を見ている。

 このままではインユゥは充分に蓄えてあった筈の村の備蓄を全て食い尽くす恐れがあった。


 しかし、そのことについてはまだ村長も、インユゥ自身でさえ知らないのである。


「さぁインユゥちゃんよ、お代わりを持って来たぞい。突進猪チャージボアのあばら肉を焼いて塩を振っただけのものじゃが、油がたっぷりで、美味いぞ」


 幸せそうに食べるインユゥが可愛くて、村長も少々羽目を外していた。

 その証拠に、持ってきた骨付き肉は大皿に山盛りになっている。一人の少女に提供する量ではない。

 インユゥにはまったく問題ないのだが。


「キャホーー! いい匂い! 美味しそう!」

「ほっほっほ、火傷せんようにな」


 インユゥがさっそく最初のあばら肉にかぶり付こうとした、その時だった。


「我らはネビ族の者であーる! エルカ族に告ぐ! 我らの軍門に下れ! さすれば命だけは助けるのであーる!」


 唐突な叫び声と、爆音。そして衝撃。

 頑丈な作りの村長の家がビリビリと震え、骨付き肉を満載した大皿が宙を舞った。


「何事じゃ!」


 村長はあわてて家を飛び出す。

 村の入り口に、派手な装飾の鎧マントを着込んだネビ族の男が胸を張り、ふんぞり返っていた。


「我輩はネビ族が戦士長、四将が一人、“炎刃”のククロバ・ラサブであーる! 貴様らエルカ族の増長甚だしく、亜人の長たる我らネビ族を前にその過ぎた不遜なる態度、実に許しがたい! これはネビ族の総意であーる! 故にこの我輩直々に粛清に参ったのだ! さぁ、大人しく我が剣の前に平伏するであーる!」


 これまた装飾のゴテゴテとついた剣を振りかざすククロバなる男。

 芝居がかった自分の台詞に酔っているのか、うっとりと目を閉じ、恍惚の笑みを浮かべている。


 その配下らしきネビ族の者達も主人に合わせてか妙にキラキラとした鎧で身を固めていた。

 魔法主体で戦うネビ族にしては珍しい装いだが、そんなことよりも今ここにネビ族が攻め入っていることの方が問題だった。


 問題、と言うよりは、面倒なのだが。


(まったく、他の連中め、儂のためにわざとコヤツを足止めせんかったな……。いらぬ気遣いを)


 エルカ族の精鋭がネビ族の蛮行を止めようと森を駆けずり回っている今、エルカの集落にネビ族がやってくるのはおかしい。

 自分達の縄張りに近づく敵影があれば、即座に対応している筈だからだ。

 カサンドラに鍛え上げられている自分達がこんなキラキラしたうるさい奴を見逃すとは思えない。

 つまりこれは、エルカ族の仲間達からの気遣いなのだ。


 溜め込まないで、吐き出しちゃいなよ、という。



 他の亜人族に辛く当たることが多々あったネビ族が、最も標的にしたのがエルカ族だ。

 長年村長を務めてきた村長は、その分だけ彼らの悪意に曝されていた。


 今回の件では、その溜まりに溜まった恨み辛みから判断を誤ってはいけないと身を引いたが、内心思うところはあった。


 家族同然のエルカ族の仲間達には、そんな村長の気持ちなどバレバレだったのだ。

 だからこその、コイツなのだろう。

 有り難いような、恥ずかしいような。


「ふぅむ、仕方がない。心遣いを受け取っておこうかのぉ」


 村長は筋肉を隆起させ、大地を踏みしめながら派手な鎧のネビ族の前に出た。

 強靭な肉体から闘気と獣臭が立ち上ぼり、周囲の風景がぐにゃりと歪む。


 村長は普段、後進を育てる為もあり、なるべく前線には出ないよう自重している。

 狩りなども、最近では一人息子のルマダが指揮を執っていた。

 修練を怠ったことはないが、この荒ぶる筋肉の発散場所を探していたのは確かだ。


 四将と名乗るからにはこの男はさぞかし強いのだろう。久しぶりの闘争の気配が鼻腔をくすぐり、思わず笑みが浮かんだ。


「儂がエルカ族の長じゃ、ネビ族の方よ」

「ぬぉ!? 貴殿がエルカの族長であるか! その見事な筋肉! 余程の実力と見た! いざ尋常に勝負であーる!」

「願ってもないことじゃが……、抵抗せねば命は助けると言ってなかったかのぉ?」

「ぬははは! 騎士たる者、強者を前にして疼くは習いというもの! 条件は変更であーる! 我輩に勝利すればエルカ族は見逃してやるのであーる!」


 随分と勝手な言い分だ。

 ネビ族は強者であるため、相手の都合など無視した傲慢な物言いが染み付いているのだろう。

 ましてやこちらはエルカ族。最弱種族とまで呼ばれた身だ。

 どのような罵倒を受けようとも、今までならば甘んじて受けねばならなかった。

 この悪趣味鎧はまだマシな方、酷い輩はもっと下劣な言葉を吐き、心を傷付けてくる。


 だが、マシとは言え不愉快は不愉快。

 今までネビ族には散々辛酸を舐めさせられてきた。

 この男には悪いが、八つ当たりさせてもらうことにしよう。 


 しかし、贅沢を一つ言うのならば……。


「もうちょっと静かな奴が良かったわい……」




◆◆◆




 その頃インユゥはというと、床に落ちた骨付き肉を拾い上げ、丁寧に埃を摘まみ取りながら食べていた。


 こんがりと焼かれた肉はまだ熱々であり、パリッとした表面に歯が立つと、そこから濃厚な猪の油が流れだし、唇を伝って落ちていく。


 骨から肉を剥がしとる感触を楽しみながら、貴重な旨味を逃すまいと油を舐め取った。


 美味かった。ただひたすらに美味かった。


「もしゃもしゃ……、もにゅもにゅ……」


 “濡れ銀”として悪食を極めた彼女にとって、掃除が行き届いた床に落ちた程度では、食べられない理由にならない。

 さすがにスープなどが溢れていたら諦めるが、固形ならばセーフだろう、とか思っている。

 

 今のインユゥにとって、食事以外のことは全て些事だった。


「あぁ……、美味しい。本当に幸せ……」


 悲しいことに美味しい食事を提供してくれる村長はうるさい客の対応に行ってしまった。

 帰ってくるまではこの肉で繋がなければならない。


 だが、ここで彼女は気付く。


 激しい振動に襲われた家。ひっくり返ったらテーブル、床に落ちた鍋。


 美味しい肉に飽きるということは有り得ないが、喉は渇く。

 魔法で冷やした水に僅かに果実を絞った素晴らしい飲み物を貰っていたのだが、それが水差しごと床にぶちまけられていた。


 このような森の中で冷えた果実水というものは贅沢なご馳走の一つである。


 それが無情にも木の床に染み込み、どうしようもなくなってしまったのだ。


 飲みたければ自分で作ればいいのかもしれないが、彼女はまともな魔法が使えない。

 果実水が飲みたければ村長頼むしかない。


 肉は美味しい。美味しいが果実水があればもっと、更にもっと美味しく食べられる。

 だというのに、目の前にあった筈の幸せを壊されて、仕方がないと肉のみで妥協するのか?


 食べるのは幸せだ。食べることで満たされる。

 より良い結果を求めるのは何らおかしいことではない。


 というか、外のうるさい奴は食べ物を粗末にした。

 せっかくの恵みを、楽しみを台無しにしてくれた。


 餓えと渇きに苦しみモンスターに堕ち、人間だった頃の名前まで忘れてしまったインユゥに対してこの仕打ち。

 これはもう挑戦、いや挑発、いやいや宣戦布告と言ってもいいだろう。そういうことにする。そう決めた。


 ちょっと怒った。


 取り合えず残っていた肉を全て口に放り込み骨ごと咀嚼して、ゆらり、とインユゥは立ち上がる。

 その体からは食欲という名の鬼気が立ち上っていた。

 

「アタシの幸せを邪魔する奴……。擂り潰してやる!」


 次なる食事の前に、軽く運動するとしよう。




◆◆◆




「行くであるぞ! これぞ我が“炎刃”たる証明! 四将の力! 魔法と剣の合体技! “火炎竜刃サラマンダーソード”であーる!」


 空気が焼けつき、周囲が熱気で息苦しくなる。

 ネビ族の下っぱ達が怯んだように後退りした。


「ぬぅふわははは! 貴様たちは下がっているのであーる! これは騎士の神聖なる決闘! 手出し無用なのであーる!」


 言動こそ冗談のようだが、振りかざす炎の剣に秘められた力は本物だ。

 油断すれば鍛え上げた筋肉の鎧でも大きなダメージを負うことだろう。


 その危険性を直ぐ様理解した村長は、全身の筋肉に力を込め、魔力を巡らせる。

 『強化魔法』の形に最適化された魔力が筋肉に染み込み、肉体が膨張していく。

 その姿は正しく怒れる緑の巨人。


「かはぁー……」


 臨戦態勢に入った体が熱を発し、蒸気のような息が口から吐き出された。


「ほほぉ! 更に強くなるというのであーるか! 良いぞ! 我が正義の剣も猛っておるのであーる!」


 叫ぶやいなや、ククロバは燃え盛る剣を手に村長に向かって突っ込んでいった。

 その声、その顔は無邪気そのもの。

 強いものと戦うことができて嬉しいという子供じみて単純な喜びが浮かんでいた。


「ネビ族というのも、本当に色々じゃ、のッ!」


 村長も地を蹴る。

 その筋肉ゴーレムとでも言うべき巨体が宙を舞い、木の幹のような両足が、突進するククロバの胴体を轟音と共に跳ね飛ばした。

 俗に言うドロップキックである。

 エルカ族の跳躍力は筋肉巨人となった今でもエルカ族の中から失われていない。

 跳躍力と筋肉が合わさった肉の砲弾は、鎧の耐久力をあっさりと突破してククロバを貫いたのだった。


「ごへぇ!」


 大型トラックに跳ねられたような衝撃をカウンター気味に受けたククロバは、そのまま地面を二転三転し、下っぱ達を巻き込んで吹き飛んでいく。


 だが直ぐに飛び起きると、ギラ付いた笑みを浮かべて高々と吠えた。


「ぬっはァーーッ! この衝撃! この窮地! 五臓六腑に染み渡るのであーーるッ!」

「アレをまともにくらってピンピンしとるのかい……、自信無くすのぉ」

「騎士たる者! 相手の攻撃は避けん! 全て受けきり、その上で勝るのであーる!」

「なんとまぁ……」


 相手の言動に呆れつつも、村長はその動きを冷静に観察していた。

 跳んだ勢いと体重、筋力を合わせたドロップキックは確かにククロバの胴体を捉えたのである。

 しかし、充分に攻撃が通った感触があったにも関わらず敵はダメージを受けた様子がない。

 それどころか、鎧さえ傷ひとつ付いていないのだ。


「魔法の道具の類いかのぉ、儂はその手の事には疎いんじゃが……」


 思えば相手に合わせて放ったとはいえ、ククロバはドロップキックをガードする様子がまったく無かった。

 つまり、鎧の防御力に絶対の自信があったのだ。


「確かめてみるしかないのぉ」


 例え威力減衰や防御上昇の効果がある魔法がかかっていようとも、ダメージを全て無効に出来る訳がない。

 ククロバ自身、衝撃が響いたと言っていた。

 ならば、魔法効果など捩じ伏せる勢いで攻めれば良いのだ。


 村長は再びククロバに向かって駆ける。

 巨体に似合わぬ速度に、ククロバの顔が引き吊った。


「ふんハッ!」


 魔力で強化された拳がククロバの胴体に突き刺さる。

 魔法の鎧と拳がぶつかり合い、激しい衝突音を響かせた。

 威力の大部分を殺したのだろう、ククロバの顔に笑みが浮かんだ。


 だが、村長の攻撃はこれで終わりではないのだ。

 僅かに肘を曲げ、溜めを作る。

 踏み込み、腰の捻り、筋肉の躍動からエネルギーが生まれ、洗練された動きで背筋で一塊となる。

 それはそのまま腕に伝わり、ゼロ距離からの突きに過剰なまでの力を加えた。

 寸勁と呼ばれる隣接した距離からわずかな動作で力を練り出す技術である。


「ごふォ!?」


 殺した筈の突きから間髪入れずより深く突き込まれた一撃に、溜まらずククロバの体がくの字に折れた。


 これには魔法の鎧も威力を受け止めきれなかったのか、ククロバの顔が苦悶に歪む。


「戦いの最中に痛みに気を取られていてどうするのじゃ!」


 更に執拗に鎧の上から拳の連撃を浴びせた。

 もはや意地である。

 魔法の道具を過信し己の力と勘違いする男に、その間違った認識を思い知らせてくれるとばかりに攻め続けた。

 あわよくば鎧を砕き、ククロバの後方に控えている下っぱ達の戦意も挫けさせておきたい。

 そんな思惑もあった。


 が……。


「ぬふふ……! まだまだ、我輩を追い込むには、足りんのであーる……!」


 村長の岩のような拳を受け続けながら、ククロバはゆっくりと剣を構えていく。


「ぬぅッ」


 その様子に異様さを感じた村長は咄嗟に後方に跳び、距離を取った。

 そして、驚愕に言葉を失った。

 ククロバはよろけているものの、大きくダメージを受けた様子はなく、度重なる攻撃に曝された鎧もその輝きを全く失っていなかったのだ。


「次は我輩の番であーる!」


 ククロバが炎の剣を振り上げると、剣に纏われていた炎が火柱となり空へと伸びていく。

 村長は一瞬その光景に飲まれた。

 込められた魔力の大きさが尋常ではないのだ。

 ネビ族がいくら魔法に優れていようとも、刀身から天を焦がすほどの火柱を吹き上げられる筈がない。


 圧倒された様子の村長を見て、ククロバはにやりと笑う。


「ぬははは! 言葉もでないようであるな! 冥土の土産に教えてやろう! 我が鎧は濡れ銀というモンスターの特性を再現せし魔法の鎧! ダメージを吸収し魔力へと変換するのであーる!」

「な、なんと、そこまでだと……!?」


 攻撃を避けないなどと大口を叩いていたのはこの為だった。

 村長の怒濤の攻撃が強力な火柱を発現させるだけの魔力を産み出してしまったのだ。

 自分が気付かないまま悪手を打ってしまったことに、村長は歯噛みした。


 村長の背後には自分の家がある。その中には敬愛する師匠が連れてきた幼い少女がいるのだ。

 火柱を避けるのは簡単だが、それでは少女が死んでしまう。


 奇しくもカサンドラと同じく背後に守るべき者を庇っている状況になってしまったのだが、村長には強大な魔法から身を守るスキルはない。


 ならば、鍛え上げた筋肉がこれから降り下ろされる火柱に耐えてくれることを信じ、全て受け止めるしかない。

 『強化魔法』に有りったけの魔力を注ぎ込む。

 膨張していた筋肉が更に盛り上がり、赤熱し、蒸気を放ち始める。


 あんな魔法程度、カサンドラとの修行に比べれば何の驚異も感じない。握り潰してくれる、と村長は全身に力をみなぎらせた。


「受け止める気であーるか! その意気や良し!」


 ククロバが笑い、赤熱する剣を降り下ろす。


「我が必殺の! “灼熱大切断マグマストリーム”!」

「ぬぉおおおおおおお!」


 迫る巨大な火柱に向かい、村長は己の体を盾とし立ちはだかるのだった。




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