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03話 修行の結果



 そして、十年の月日が流れた……。


 いやいやいや嘘嘘。

 流石に十年は経ってないって。

 経ってない、よね?


 カサンドラ師匠との修行は熾烈を極めた。

 カサンドラ師匠、弟子を取ったことがなかったらしい。

 つまり、どこまでが指導であり、どこまでが戦闘なのかの区別も付いていなかったのだ。


 ここが精神世界でなかったら、何度も俺は死んでいるだろう。

 カサンドラ師匠という死者の中にいる以上、死んでいるのと同じなのかもしれないけど。


 カサンドラ師匠の心の中は、まるで“精神と○の部屋”のようで、時間の感覚が掴みづらい。

 昼も夜もなく、ただ真っ白なのだ。


 体感時間で言うなら、十年以上経っていると感じるくらい濃密で辛い時間だったけど。


 とにかく、俺はやりきった。

 生かして返す気がまるで無い地獄のカサンドラ・ブートキャンプを生き残ったのだ。


 魂だけの世界なはずなのに、デブっていた俺の体は引き締まり、筋肉質になっていた。

 身体を鍛えると心も鍛えられるっていうけど、つまりこういうことを言うんだろうな。

 心しか鍛えてないけど。


「私の特訓をよく生き残ったな」

「はい、師匠」

「テルヒコ。君は私の技術全てを習得した。伝えるべきことはもうない」


 カサンドラ師匠は満足そうに頷いた。

 流派も技の名前もない戦場武術といった感じの荒々しい技術群は、全て俺が引き継いだ。

 ただの足運びから、周囲への警戒心、全身の力の運用、ファンタジーらしい魔力の使い方まで、日本でニートしていた頃の俺とは比べ物にならない。

 そういう意味では、俺は正しく生まれ変わったのだ。


「君は私の技術を残すという願いを叶えてくれた。心から感謝している。ありがとうテルヒコ」

「師匠の身体を使う以上、当然のことです」


 人ひとりの人生を踏みにじり、俺は転生する。

 だから、辛い特訓も、地獄の悪鬼のようなカサンドラ師匠からも逃げ出すことは出来なかった。

 そんな不誠実なことだけは、やりたくなかったのだ。


 こんな気持ちを、日本で生きている時に抱けていたら、きっともう少し自分が好きになれていただろうに。

 今は過ぎてしまった時間が、少々惜しい。


「そんな君にこれ以上なにかを望むのは間違っているだろう。だから、これから言うことは私の我が儘だ」


 俺は、カサンドラ師匠が何を言いたいのか分かるような気がした。

 少なくない期間を共に過ごしたのだ。

 この師匠と弟子の間で、それくらいの意志疎通は簡単だ。


 カサンドラ師匠の気配が変わる。

 元々強烈な気配だったけど、意識を日常から戦闘に切り替えたのだ。

 鞘から刀を抜き放った様なものだ。


「私と戦ってくれないか? 我が弟子テルヒコよ」


 やはり、そうか。

 肌を切り裂きそうなほど鋭い闘気が叩き付けられる。

 俺も、カサンドラ師匠に大分毒されているな。

 思考がもう格闘家のそれになっている。

 チビでデブでオタクやっていた時の俺ならば、ここでチビって命乞いしていただろう。

 でも、今は師匠が俺を『敵』と認識して殺気を放ってくれていることが、肌が粟立つほど嬉しい。


 相手はカサンドラ師匠だ。

 俺より強く、長く戦い続けてきた闘鬼だ。勝ちの目は限りなく薄い。いや、まったく無いと言える。

 俺はこれが初の“ 実践 ”なのだから。


 だから、何をしてもいい。

 自分の全てをぶつけていい。

 なんて心が踊るんだ。

 血沸き肉踊る心地とはこのことか。

 生きている時には味わえなかった興奮と充足、そしてそれ以上の狂気と勝ちへの渇望がある。


 知らず、俺の顔は笑みを浮かべていた。

 獰猛に引き裂けるような笑みを。


「我が師匠カサンドラよ、俺は貴女に何でもすると誓った。断るはずもありません」


「正直、君がここまで変わるとは思わなかったな。なんて獣臭く笑うんだ。誓い云々ではなく、君が試したいんだろう? 自分の力を」

「バレましたか」


「ふふふ。不遜な弟子だ。身の程を思い知らせてやろう」

「ははは。花は持たせてあげませんよ」


 ゆっくりと構える。

 鏡あわせのように、お互い同じ構えだ。

 流派にも技にも名前の無い、一人戦って生き残る為だけの武術が、必殺の意思をもって研ぎ澄まされていく。

 二人の闘気が高まり同調し、空気が凪いだ――


「がぁッ!」


 俺は均衡を崩すように前に飛び出した。

 免許皆伝を貰ったとは言え、実力で言えば俺は圧倒的にカサンドラ師匠より劣っている。

 受けに回れば劣性は必至。

 ならば攻めあるのみ!


 右拳を握り締める。

 正拳ではない。空手で言うなら一本拳と呼ばれる、折り曲げた中指だけを棘のように突き出した形の拳だ。


 イメージは格闘漫画に出てくる囚人。

 歪になるまで鍛え上げた指で握り込む一本拳は、さながらナイフのように人体を切り刻む。


「シャアアア!」


 ぴゅん、と空気の裂ける音と共に俺の拳が振るわれた。


「……シッ」


 僅かな呼気。

 師匠の腕がいっそ優しい程の力で俺の腕に添えられた。

 マズい! と思う暇もない。

 視界が反転する。後頭部に衝撃。

 投げられた。

 そう判断すると同時に地面を転がる。

 直後、俺の頭があった場所に師匠の踵落としが炸裂していた。


「ちぃッ」


 転がった勢いのまま後方に跳ぶ。

 なかなか動けるようになったよな。

 我ながら誰てめぇ? って感じ。

 うぉ、師匠動き早ぇ!

 後ろに跳んだ俺が着地する前に追い付いて――


「フンッ!」


 気合い一発。

 鼻っ柱に思いっきりグーパンぶちこまれた。

 頭のなかに骨が折れる嫌な音が響いた。

 鼻血と涙が溢れる。

 くそっ、視界が塞がっちまった!


「いきなりダメージを狙うな! まずは相手の体勢を崩せと教えた筈だ!」


 マジかよこれ牽制打のつもりかよ。

 しっかりダメージ入ってますよ。鼻の骨が折れてるもんよ。

 まぁ、このくらいのダメージ日常茶飯事だったけど。

 ここってどんな怪我負っても一回寝ればほぼ治るもんね。

 ご都合空間乙。


「集中を途切れさせるな! 悪い癖だぞ!」


 鼻骨へし折る牽制打の次は、側頭へのハイキックか顎を砕くアッパーか。

 いつものセオリーならば、頭をガード……。


「敵が思った通りの場所に攻撃してくれるとは限らんッ!」


 水月(胸部と腹部の合間。人体急所)に杭打ち機で打たれたかのような衝撃。

 一瞬で呼吸が詰まる。

 前蹴りか!

 そして胸骨に足先を引っかけたまま流れるように、力任せに蹴り上げられた。


「ッがぁああああああ!?」


 視界と嗅覚、そして呼吸までも潰された。

 蹴り上げられた胸骨にはひびでも入ったのだろう、息をしようと無駄な努力をする度に、痛みで意識が明滅した。


 徹底して相手の戦闘能力を奪う戦術。

 これがカサンドラ師匠の戦い方だ。

 出来る限り少ない動作、無駄の無い手数で相手の継戦不能に陥れる、一対多を想定した格闘術と言っていた。

 習っている時や組手をしている時には実感がなかったけど、これかなりえげつない。

 しかも、師匠はこれでかなり手加減しているのだ。

 本来ならば、最初に投げられた時点で昏倒させられているはずだから。


「どうした? 教えたことがまるで活きていないぞ? それでは身体を明け渡すことなど出来んな!」


 そうです。

 敵わないなら好きなことしようと思ってちょっと漫画の技使っちゃいました。

 反省反省。

 ていうかめっちゃ痛い。苦しい。

 師匠の折檻半端無いです。

 本当にもう魂だけだから生きてるけど、生身だったらとっくに気絶してるか死んでるかだからね。

 なのにこんな無駄なことつらつら考えてられるのは、日常的に死んでしまう修業をしていたからなんだけど。

 感謝すればいいのか、泣けばいいのか。


 取り敢えず、今は立たなきゃな。


「つ、次からが本番です……!」

「戦場に次など無い。死ねば終わりだ」

「師匠が俺を“仕留め損なって”いる以上、まだ終わりじゃないですよ!」


 師匠の目が冷える。

 やべぇ、これは怒ったな。

 口答えとか嫌いだもんなー、師匠。


「そうだな。ならばどこまでやれば魂が死ぬのか試してみよう」


 あ、これは死にましたわ。


 本能に従って咄嗟にしゃがむ。

 破裂音が響き、頭上の空気が焦げた。

 師匠の本気の蹴りだ。


 人間がどこまで鍛練を積めばこんなことが出来るんだよ。

 いくらファンタジーとは言え、人間業じゃねぇ。

 これってアレじゃないの?

 弟子が師匠に辛勝して、師匠が満足して成仏とかそんな流れじゃないの?

 目の前の人、完全にラスボス臭漂わせてるんですけど?

 もしくは隠しボス。殺意に飲まれた鬼みたいな。

 勝てる気がしない。


「づぁッ!」


 ちくしょう! ただでは死なん!

 がら空きの軸足を刈り取るように蹴りを繰り出す。

 当たれば御の字。避けても体勢が僅かでも崩れれば。

 そう思った所で、蹴り足が止まった。

 いや、正確には師匠が素早く引き戻した蹴り足が、俺の足を踏み砕いていた。


「いッ、ぎぃいいッ!」


 痛みと衝撃で涙と涎がだらだらと溢れた。

 いくら毎日修業で死ぬ目にあっていても、自らを追い込み鍛える為の痛みと、敵意と害意を以て壊される痛みとはまた別なのだと知った。


「まだどこか余裕があるな。この世界には死がないと思っているからか? 馬鹿め。死ぬぞお前は」


 師匠の殺気が更に膨れ上がる。


「鼻を折られ。肺を潰され。足を砕かれ。それでもなお命の危機を感じぬ鈍麻。このような特殊な場で過酷な修業を課した私にも責任があるだろうな。だから最後の修業だ。命の危機を学べ。そして死ね」


 師匠の手が指先まで一つの鋼のように伸ばされる。

 俺は知っている。

 師匠の手刀は本物の刀剣並みに切れ味が鋭いことを。

 修業の最中でさえ、片腕を切り落とされたことがある(一晩寝たらくっついた)のだ。

 本気になったら、俺ごときサイコロステーキにできるだろう。


 死ぬ。

 死ぬ死ぬ死ぬ!

 魂は痛みでは死なない。でもあれは違う。魂に届きうる一撃だ。

 魔力のようなものを纏い、薄く発光する手刀は、肉体よりもむしろ形無いものを切り裂くことに特化している。

 魂だけの身体に、その脅威が純然たる事実として伝わってくるのだ。


「お前が死んだら私も世界へ還るだろう。生まれ直したら次はしっかり鍛えてやる」


 世界ごと断ち割るように、カサンドラ師匠の手刀が降り下ろされる。




 あ、死――――――――




 密かに憧れていた、死の瞬間に秘められたパワーが目覚めて……ということは無かった。


 ただ、体感速度で十年以上にも感じられたこの『精神と○の部屋』での修業の日々。

 来る日も来る日も研鑽を重ね続けた動きをそのままなぞっただけだった。

 流派名も技名もない、無銘の格闘術。

 戦場で生き残る為だけの、綺麗じゃない獣の武術。

 死の危険を潜り抜けて相手を殺す技のみを磨き上げたものの集大成。


 どんなに生汚く、見苦しく傷だらけになろうとも、最後に生き残るために足掻き続ける――


 今までの濃密な修業が、動きにカチリと当てはまったような気がした。


 残った足で地を蹴る。

 身体を反転させ回避――間に合わない。

 砕けた足に残った魔力を爆発させる――爆発に半ば無意識で持たせた指向性――ブースターのように加速。師匠の股の下を潜


り抜ける。

 勢いを殺さず踏み切れ!

 無防備な師匠の背中。僅かに振り向いた顔に驚愕の表情。

 振りかぶった拳は衒いの無い正拳。

 俺の全部。全部を込める!

 ぶち抜けぇッ!!


「――――やればできるじゃあないか」


 拳が当たる瞬間。師匠が嬉しそうに呟くのが聞こえた。




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