幕間02話 異世界人間事情
モンスターと亜人が住むジュリアマリア島より南方。幾日も海を越えた先に人間の住まう土地、サンタナ大陸がある。
強大な魔法によって一年中の気候が均一に保たれているジュリアマリア島とは違い、場所や季節によって環境が大きく変わる土地だ。
皮肉にも、モンスターよりも人間の方がより自然に近い生活をしているのだった。
サンタナ大陸には大きく分けて四つの国がある。
広大な北方を支配する軍事国家アイゼンベルグ。
肥沃な東方を治める豊かな大国ローゼリア。
小国群であり海洋国家でもある西方、ダゴニア僭主連合国。
宗教の宗主国であり権力と文化の集まる中央に国を構えるクリスタニア聖王国。
中でも北のアイゼンベルグは自国の土地柄が厳しいこともあり、モンスターの領土であるジュリアマリア島の攻略に熱心であった。
また、四国一亜人の奴隷が多いことでも知られている。
人間にとっては亜人などモンスターと変わらない。
ましてや、ジュリアマリア島に追いやった昆虫人族、爬虫類人族、両生類人族などは、見た目からして人間から逸脱しており、同族として受け入れる方が難しい。
人間の認識からしたら、彼らは同じ言葉を扱えるだけのモンスターであった。
サンタナ大陸に残っている亜人は、犬人族や猫人族など、見た目からして人間に近く可愛らしさを残した亜人奴隷だけだ。
男共は労働や戦闘の為の奴隷として、女子供は愛玩用、または労働奴隷として使用されている。
だが、酷使に次ぐ酷使で、亜人奴隷はその数をじわじわと減らしつつあった。
凍った土地の開拓や、下水の清掃、死体の処理など苦役の大部分を亜人奴隷で賄っていたアイゼンベルグは、早急な対処を必要としていたのだった。
モンスターと亜人が住まうジュリアマリア島を支配下に収めれば、豊かな土地と亜人奴隷、その両方が手に入る。
アイゼンベルグがジュリアマリア島攻略に熱心になるのも当然であっただろう。
だが、そんな諸々の事情も、実際ジュリアマリア島などという辺境に向かわされている身としては関係なく、ただただ面倒臭い、というのがアイゼンベルグ国軍征北部隊の参謀であるベルノルトの考えであった。
自慢の金髪は何日も洗えていないので油でくすみ、伸びきった無精髭がごわごわで気持ち悪い。
ベルノルトは二、三日に一回、濡らしたタオルで体を拭くことが出来ているからまだ良いものの、体を拭くことも出来ない兵士たちは耐え難い体臭となっている。
干した果物と塩漬け肉、固すぎるパンに度数だけはある安酒の組み合わせにはもううんざりだ。
祖国の豊かなる未来の為にというお題目は聞こえがいいが、こんなものはただの左遷だ。
その証拠に、指揮官のディートマーは船に乗り込む前からすこぶる機嫌が悪い。
隊員の連中はなんのかんのと理由をつけてこの何時爆発するか分からない失敗した魔方陣のような男から離れているが、参謀である自分はそうもいかないのだ。
溜め息を噛み殺しつつ、ベルノルトは指揮官に話しかけるのだった。
「閣下、明日にもジュリアマリア島に到着します。準備の方は整っておりますでしょうか?」
「あぁん? 準備だと? そんなもん奴隷にでもやらせておけ!」
酒気に濁った目を血走らせ、ディートマーが叫ぶ。
彼は辺境に左遷された鬱倔を誤魔化す為に、酒浸り日々を送っていた。
もともとはアイゼンベルグの中でもそれなりに有能な指揮官だったはずなのだが、何を仕出かしてこんな場所まで来る羽目になったのか……。
ベルノルトのは床に転がった酒瓶を鬱陶しそうに蹴り転がし、努めて冷静になることを心掛ける。
「閣下、備蓄の関係で奴隷は最低限しか乗せていないのです。ましてや、征北部隊の指揮官で在らせられるディートマー様の御身回りを世話できる奴隷はおりません」
でなければこんな惨状にはならんだろう、とアルコールで頭も体も淀みきった男から目を反らす。
「奴隷がいない!? あぁ、まったくなんたることだ! じゃあ貴様だ、参謀、貴様が俺の準備をしておけ!」
言外に奴隷扱いされたことに、ベルノルトの顔が怒りに歪みかけるが、彼は顔面の筋肉を総動員してなんとかそれを耐えきった。
ここでこの酔っ払いに乗して言い返そうものなら、処断されるのは自分だ。
例え以下なるときであっても、上官の命令は絶対でなければならないのだから。
「……了解しました。御命令に従いましょう」
「ったく、それくらい自分で考えて動けというんだ、馬鹿めが」
「……申し訳ございません。それでは、上陸後の作戦につきましてですが、それもこちらで処理をしておきましょう」
「そうしろ、俺は忙しい。こんなことに煩わされている時間は無いのだ!」
ベルノルトはサッと背を向けて退出した。
これ以上この愚か者の話を聞いていると、戦場でも無いのに流れ弾が飛んでくることになりそうだったからだ。
今はまだその時ではない。
作戦が始まってしまえば、酒浸りの無能な上官一人、どうとでもなるのだから。
作戦室に入ると、既に顔ぶれは揃っていた。
この戦艦の責任者である海軍上官、トシュテン艦長。征北部隊の要である魔術部隊長エドガー、戦闘部隊長スヴェンの各部隊長。そして参謀たる自分。
本来ならばあの酒浸りの無能も連れてこなければならないのだが、作戦はこちらで進めておけとの言質は頂いた、さっさと始めさせてもらうとしよう。
「さて、明日より上陸するジュリアマリア島についてだが、改めて確認しよう」
ベルノルトは全員の顔を見回す。
祖国から遠く離れモンスターの巣窟に放り込まれる任務だというのに、嫌がる表情一つ見せずに真剣に作戦会議に臨んでいる。
こうでなくてはならない、と周囲にばれない程度に口角を吊り上げる。
「一言で言えば魔境。モンスターの跳梁跋扈する土地だ。サンタナ大陸に棲息する奴らよりも強力な個体が多数確認されている」
彼らの前に提示されたのは数枚の紙。
ジュリアマリア島に棲息するAランク以上のモンスターの情報をまとめたものだ。
これは何度もジュリアマリア島に遠征を行っているアイゼンベルグのみが保有する貴重な資料であった。
これは写しではあるが、貴重な資料を借り受けているという事実が、如何に本国がこの作戦に力を入れているかを全員に知らしめる。
「Aランク以上のモンスターについては、決して手出しはするな。一匹だけならまだしも、群れで襲われれば我々では一溜まりもあるまい」
人間の兵士個人の基本的な戦闘能力は、ランクでいえばC~Bというところだ。
特別強いというレベルではない。だが、彼らの真価は集団戦闘だ。何人、何十人、何百人が一つの意思の下、死を恐れず勝利を疑わず動く様はモンスターであっても恐怖を覚えるだろう。
人間は、その知恵と連携で以て自分達よりも強いモンスターを打倒してきたのだ。
しかそれも数が揃えばの話である。
今回、征北部隊として宛がわれた人数、およそ二百人。その3分の1は非戦闘員だ。
土地勘の無い場所では自在に兵を運用することは難しく、充分な兵力もない。ましてや、指揮官がアレだ。
Aランク以上のモンスターが相手ではまともな戦闘になるまい。
「我々が優先するのは、亜人奴隷の確保だ。奴らは醜悪な外見をしているが、労働力としては優秀だ。多少痛め付けても構わんので、一人でも多くの奴隷を捕まえるんだ。作戦としてはーーーー」
「その事についてですが……、恐れながら参謀殿、この私めに案がございます」
自分の言葉を遮られて不快な気分になったベルノルトだったが、意見が出るのは大歓迎である。
名乗り出たのは魔術部隊長だった。
自分にはない観点から面白いアイディアを出してくれるだろう。
「言ってみろ、魔術部隊長」
「ありがとうございます……。私めの案でございますが、奴隷自身に奴隷を狩らせては如何でしょう? 我らの手を煩わせなくとも奴隷がこちらに来るよう仕向ければ良いのです」
「ふむ、それが出来れば理想的ではあるが、それをいったいどうやって行うつもりなのだ?」
魔術部隊長は短く笑った。
ローブの裾から短い棒を一本取り出す。
それは、魔法の杖であった。
魔法使いが魔力を魔法に効率的に変換する為に必要な魔道具である。
「私めは魔術部隊長であれば、当然魔術にて、でございます」
「それは分かっている。具体的な方法を聞いているのだ」
「闇魔法の一つに、相手の思考を誘導する、というのがございます。それを用いて有力な亜人族に、亜人を捕らえ奴隷として人間に差し出すことを正しいと思い込ませるのです」
「ほぅ、面白そうだ」
「いや、お待ちください」
ベルノルトが魔術部隊長主導の作戦を採用しようとしたとき、待ったの声がかかった。
戦闘部隊長であった。
戦闘部隊と魔術部隊は仲が悪いという訳ではないのだが、何かにつけて張り合いたがる、という悪癖があった。
悪癖というよりは、伝統である。
お互いの力を認めつつも、好敵手としてより高みにありたいと思っているのだ。
「意識に働きかける魔法は効果が出るまでに時間がかかる、と聞いたことあります。悠長に時間を掛けていれば船の備蓄も底を尽きるでしょう。戦闘部隊ならば迅速に行動が可能です」
「ですが、戦闘部隊方々は少し喧しいですからね……、強力なモンスターを呼び寄せてしまう恐れもあるのでは?」
「我々に隠密行動が出来ないと何時から錯覚していた?」
「なん……ですと……」
戦闘部隊長と魔術部隊長が意見を交換しあっているのか、ふざけているのか分からないようなやりとりをしている横で、ベルノルトは艦長に向き直った。
「艦長、備蓄の方はどうなのだ、予定通りの消費で収まっているか?」
「酒類以外は問題ないでしょうな。野菜か果物を島で採取したい所ではありますが」
「食糧集めは必要か?」
「ジュリアマリア島で採取可能な果実、野菜、土地の特性などを調べておきたいですな。いずれ支配するのであれば必要なことです」
「時間や人員は必要か?」
「船員を何名か連れていきますので、範囲を限定すればそれほどでもありますまい。護衛に何人か人手を割いて欲しいくらいですかね」
「では奴隷狩りと平行してそちら進めてくれ」
「了解致しました」
ベルノルトは一人感心して頷いていた。
確かに、これから支配する土地の事前調査は必要だ。
それが、豊かな自然を得ることを目的としているならば、尚更。
果実を得ることが出来れば、航海中の栄養不足心配もない。一石二鳥、いや、それ以上の利益が見込めるだろう。
同じ軍人であるはずなのに、参謀の自分だけではこの考えは生まれなかった。
新たな土地を発見する可能性のある海軍ならではの発想であっただろう。
「戦闘部隊長、魔術部隊長、そろそろ止めにしてくれないか。作戦としては大体決まった。戦闘部隊は海軍の調査の護衛、魔術部隊は亜人への工作を進めてくれ」
殆どじゃれ合いのような軽口の応酬をしていた戦闘部隊長と魔術部隊長の二人であったが、ベルノルトの一言で意識を切り替え、敬礼をする。
「「「はッ!」」」
「戦闘部隊、海軍の調査は祖国の今後の発展に欠かせないものだ。決して手を抜くな、いいな」
「命に代えましても」
「魔術部隊、亜人と交易している商人が、ネビ族という奴らならば交渉できる言っていた。まずはそいつらを探せ」
「必ずや良い報せをお持ちいたしましょう」
「艦長、調査を滞りなく頼む」
「任されました」
自らの役割を与えられ、各々が作戦室を出ていく中、ベルノルトはゆっくりと椅子に座り直した。
本来ならばこの作戦を取り仕切る立場のものが座るべき、指揮官の椅子に。
参謀の彼が座ることの許された椅子ではない。
だが、ここにはベルノルト以外は誰もいない。咎める者はいなかった。
「ふぅ、中々の座り心地じゃないか」
ベルノルトはにやり、と野心に溢れた笑みを浮かべた。
確かに自分は左遷された。だがそれは何かの失敗をしたとか、責任を押し付けられて、などということではない。
彼は貴族の出であったが、取るに足りない弱小貴族であった。
貴族の子供であるならば誰もが入らなければならない初等貴族学院にベルノルトを入れるために、父は借金をしたらしい。
ちょっとした商家でも払えるような金を、ベルノルトの父は払えなかったのだ。
子供を初等貴族学院に入れられない貴族は取り潰される。国の政治に関わる貴族に学歴の無い者は入れられないという考えだ。
家を取り潰され無いために、父はベルノルトを学院に入れるしかなかったのだ。
だが、それは正解だった。
ベルノルトは与えられた知識をスポンジのように吸収し、優秀な成績を修めていった。
特待生として遇され、中等教育の学費が免除された彼はより専門的な知識を学び、その頭角を表していく。
卒業し、成人してからも彼は優秀であり続けた。
ベルノルトが働きだしてすぐに父の作った借金は返済された。
遂には若くして一部隊の参謀を任せられるまでになったのだ。
その後が振るわなかったが。
何処にでもある話だ。
才能のある弱小貴族の小倅を妬んだ何処かの誰かが、彼を危険な任務に押し込んだのだ。
まったく、面倒臭い話だ。
無能が足を引っ張ってくれるおかげで、彼の出世街道に曇りが生じてしまったのだから。
だが、これはチャンスでもある。
過去何度も征北部隊が組まれては失敗しているジュリアマリア島攻略。それを自分が成せば、比類するもののない栄光となるだろう。
当然、簡単な道ではないだろうが。
「私は、このままでは終わらん。必ずや成功を掴んで見せる」
その燻るような呟きを聞くものは誰もいなかった。




