95話 骨と魔王とお風呂
少し長めです
それで結局、結界が今から十年程度しか保たないという理由は、俺が“要”でもないのに“要”として一番効率が良くなるスキルを、3つの内2つも持っちゃってるっていうことです。
かといって、じゃあ俺を“要”にすれば解決かといえば、そう単純な話でもないらしい。
その場合、残る一つのスキルにかかる負担が大きくなるんだと。
本当にこの結界は面倒な仕様だよ。
じゃあもういっそ俺が3つのスキルを全部併せ持てばいいじゃない、と発言した所、シェラちゃんもベアトちゃんも目から鱗が落ちたような顔をしていた。その発想は無かったみたい。
そもそもこの結界の鍵となる3つのスキル『煉獄火炎』『穢塩黄炎』『青命讃火』は賢者が『スキルを作り出すスキル』とかいうチートで作ったものらしい。
スキルの存在が特別過ぎて、併せ持つという考えそのものが浮かばなかった様です。
私には賢者が『スキルを作り出すスキル』なんてチートスキル持ちという発想が無かったよ。
多分ソイツも【転生者】だったんだろうなぁ。随分昔の人間みたいだけど、シェラちゃん達を不老不死に変えたらしいし、多分本人もどっかで生きてるだろう。
ベアトちゃんは嫌っている様子だったけども、俺は同じ【転生者】として話をしてみたい。
ジョンと俺、賢者で【転生者】は三人、きっと恐らく【転生者】はまだ居るな。まるで【転生者】のバーゲンセールだよ。
とにかく、現状では少なくとも十年は結界の心配をしなくてもいいようだ。とはいえ、何の対策もしないでいれば、十年後にはまた結界崩壊の危機、今から動いておくに越したことはない。
シェラちゃんとベアトちゃんは早速行動するようだった。
島の西側、急峻な山岳地帯らしいのだが、そこに隠れすんでいる長姉、パルマ・ジュリアマリアを探しにいくらしい。結界の鍵となる3つのスキルの内の一つ『青命讃火』を持っているという人だな。
二人とも自由に動けるのはかなり久し振りのことらしく、なんか、わくわくしているようだった。遠足の前日の小学生のような雰囲気だよ。まぁ、シェラちゃんは外見が小学校高学年くらいだし、ベアトちゃんも中学生……、いや、高校生くらいか。はしゃいでもおかしくはないな、うん。
東部、中部、西部と移り変わるにつれてモンスターも強力になるようだけど、二人とも賢者謹製のスキルを持っているようだし、ジョンも護衛としてくっついていく。何も心配はいらないな。むしろシェラちゃんへの愛に溢れ返っているジョンを警戒するべきそうすべき。
その間に俺がやらなければいけないことは、『煉獄火炎』と『穢塩黄炎』の2つのスキルをより上手く使えるようにすることだな。
つまり修行です。今までと何も変わらない気がするけど、修行が俺の仕事です。
師匠の置き土産である【武神の右腕】の効果も、もう少し克服しないといけないしな。
この負荷の大きい称号効果を背負いつつ、スキル発動高速化と静穏化をマスター出来れば、怖いものはない。
急いては事を仕損じる、というが、出来れば素早く修得したいものだ。
でなければ俺よりもさらに末期的に修行中毒な師匠が、今よりもっと遠い存在に成りかねない。今なお広がり続ける宇宙のように成長しているからな、あの人は。
まぁ、取り敢えず、今は戦士の休息を取ることにしましょう。今後やるべきことの方向性は固まったのだ、現時点ではそれで良いだろう。
修行に邁進することも大事だが、休めるときには休んでおかないとな。
何より、お風呂に入りたいのです。
魔王城にあるというお風呂、さぞかし立派なんだろうね! うふふ、今からわくわくが止まらねぇ!
折角のお風呂、スケルトンのままで入るなんて勿体ないことはやめましょう。
今こそ、スキル『千変万化』を真に有効活用する時! そう、人化するのです!
師匠の骨格であるので、変化後は女性だね。いや、一応この世界での俺の性別は女性であるはずなんだ。体が女性? のものなんだから。
例え元々が、鋼を寄り合わせたような強靭でしなやかな筋肉に包まれて、おっぱいが雄っぱいになってしまったような師匠の体であろうとも、俺は今は女性なのです!
……うん、師匠よりおっぱいは大きめにしとこう。だってそれは浪漫だもの。師匠だって胸はある。あるけど、赤ん坊が吸引力を試されるような雄っぱいに浪漫は詰まっていない。脂肪さんが息してないもの。
敢えて言うが、お風呂に入るのに人化をするのは決して疚しい思いがあってのことではない。確かに女体化というのは男性の浪漫一つだ。汚れない男性の夢と希望が詰まった瑞々しいおっぱいを自分の視点で見下ろしてみたい、触ってみたい……。いやもういっそ■■■■。
ン"ン"ッ、まぁ、下心はそりゃああるさ。でも、それよりも強い思いとして、肌に沁み入るお湯の感覚を味わいたいのだ。骨の体にも感覚はあるが、肌に比べれば余りにも味気ない。
肌の感覚が欲しいなら魔力筋を纏えばいいんだけどね。お風呂とは憩いの空間だ。そこに露骨な筋肉を纏った骸骨が居ては寛ぎが損なわれてしまう。日本人として、お風呂に妥協は許されないのだ。
浴場に向かい、暖簾を潜って脱衣場に入る。
大勢の人間が使うことを想定しているのか、脱いだ衣類を入れるロッカーが幾つも並び、壁には横に大きな鏡、魔力を入れると動くドライヤーに扇風機。籐製のカゴや椅子。
魔王城っていうから洋風なものをイメージしていたんだけど、これはかなり和風だな。というか、日本の銭湯だな。入り口も暖簾だったしな。賢者……、おそらく貴方も日本人なのですね……。
大きい鏡があるのはありがたい。さっそく人化をするとしましょう。
『千変万化』で人化をすると、ほぼ自動的に肉付けが行われ、師匠をそのまま日本人に近付けたような顔になる。ぶっちゃけ、顔の好み的にはこれでベストなんだよね。『異世界転生斡旋事務所』で選んだまんまだし。弄るところは全くない。
強いて不満を挙げるとすれば、全身に及ぶ傷跡だ。足の先から女性の命である顔にまで、至る所に傷が刻まれている。師匠も傷だらけだったけども、ここまででは無かった。というか、師匠には無かった傷が殆どだから、これは恐らく俺が戦った時や修行の時にやっちまったものだね。スケルトンである時の傷だが、肉体に反映されてしまうようだ。
どうもこの傷は魂がもう記憶してしまっているようで、『千変万化』しても消せないんだよね。
こんだけズタズタになるって分かってたらもう少し加減して修行したのに……。いや、無いか。それはそれ、これはこれなのです。
今の種族がアンデッドである所為か、肌は異様に白く、生気がまるで感じられない。いや感じたらおかしいんだけども。そして瞳は血のように赤い。髪の毛は烏の濡れ羽色、とでも言うのか、やや緑がかった光沢のある黒髪。それが背中を隠すように流れている。
いやしかし、改めて人化してみると、腹筋バキバキだし、腕も足もゴツいよなぁ……。これでも師匠より控えめにしてるんだけど、誰このゴリラウーマン。女体化ってもっと、なんかこう、綺麗なもんだと思ってた。
結局胸もそこまで大きくしなかったし……、いや、だって、動くのに邪魔なんだもん。もしもこのまま戦闘することを考えたら? 動く度に揺れるおっぱいとか千切って捨てたくなる。それでも師匠より大きいけど。
くっ、浪漫と実用を賭けて、実用を取っちまった……。謎の敗北感……、この悲しみはお風呂の温かさで溶かして流すしかない……。
からり、と引き戸を開けると、湯気がふわりと鼻孔をくすぐる。
風呂場には誰もいない。ヤディカちゃん達が入っていたはずだけど、どうやら先に出てしまったようだな。
うぐぐ、残念だ……。
まぁ、脱衣場はびしょびしょに濡れてたし、風呂場も桶が転がっているわ、石鹸が下に落ちっぱなしだわ、タオルは放り投げてあるわで、なかなか荒れていた。居ないことは分かってたさ。
誰もヤディカちゃん達にお風呂の入り方を教えなかったようだな……。仕方あるまい、後片付けは俺がやるとしよう。片付けを先にやるなら、肉付けは後にするべきだったかしら? 全裸で風呂場を片付けるムキムキマッチョウーマンってなんかシュール。
そういえば、魔力で肉付けした体って洗う必要あるのか?
排泄物とか分泌物とか無いしなぁ、そこまで表現する意味はないから。むしろ作ったばっかりだからピカピカの新品、下ろし立てのシーツのような清潔品なのだ。さらに言うなら、どんなに汚れようとも人化を解除してもう一回作り直せばあら不思議、下ろし立てのシーツのような清潔品アゲインです。
いや、ここは洗っときますか。折角の銭湯の雰囲気が再現されているんだし、気分の問題だ。
なんやかやあって、俺・イン・ザ・風呂。
くはぁ~……、肌に湯が吸い付くようだ……。感覚の再現に拘った甲斐があったぜ。
体を洗っている最中にああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねたからな。お陰で必要以上に時間がかかってしまったが、肌感覚と引き換えだ。むしろ得ですよ。
肌感覚の再現よりも長い髪の毛を纏め上げるのに苦労した気がするね。上手く出来ないから最終的に『魔力自在』で結んでしまうという荒業を敢行した。女性ってこういうのをどっから学ぶんだろう。やはり母から子へ受け継がれていくもんなんだろうか。俺の場合、父から教えられたものって何かあったっけ……。
今更だが、そもそも髪を短めにすれば良かったのか。うん、今度はそうしよう。
そんなとりとめもないことを考えながらボーッとしていると、カラカラと音がした。
おんや? 誰か入ってきたか?
「おや? まだ入っていたのか。長風呂は体に悪いと聞くが」
「……いや、誰よこの人間」
声からしてシェラちゃんとベアトちゃんか。
湯気がスゴいからこちらがあまり見えないようだが、ベアトちゃんは俺だって気づいていない? 人化してるからか。まぁ、そうだよな。
「カサンドラだ。湯を堪能したくてな。人化してみた」
「あっさり言うわね、そう簡単に出来るものじゃないと思うのだけど」
簡単にやった訳じゃないぞ、試行錯誤したぞ。『魔力自在』さんと『千変万化』さんがいなければ即死だったがな。
「貴方の連れが“カサンドラが見つからない”と探し回っておったぞ? そろそろ出てやってはどうだ?」
「む。そうか。教えてくれてありがとう」
でも、もうちょっと待ってもらおうかな。ここを離れたら、また川で体を洗う生活に戻るんだから、もう暫 く堪能させて下さい。
湯煙の向こうから現れたのは、球体関節な褐色ボディと時折陽炎のように揺らぐ女体のダブル裸体。うぬぬ、なかなか艶かしいですな!
「……貴方は女性であったのだな」
シェラちゃんがまじまじと俺を見つめて呟いた。
視線が胸の所でやけに強くなる。あれだな、見られると分かるって本当なんだな。
シェラちゃんは魔動人形だから成長は……、いや、これ以上いけない。
「あぁ、スケルトンの姿では分かり辛いかな? ジョンには言っていたと思うんだが」
「確かに聞いたが、立ち振舞いや話し方、それに戦い方が女性のそれに見えなくてな……。あ、いや、すまない、馬鹿にしたつもりはないんだ」
話ながら二人は湯船に入ってくる。
体を洗ってから入りなさいよ。とは言えぬ。恐らくそういう文化じゃない。もともと魔動人形に魔素生命の二人だから、そもそも汚れが発生しないタイプだろうし。
ここのお風呂は本当に嗜好品なんだな。
立ち振舞いで女性っぽくない、というのは驚いた。俺の日常の動きは、骨格準拠、つまり師匠の生前の動きをそのまま写しているはずなんだが、どこかで“俺”
が見えているのか? 生前の師匠動きが元々女性のものじゃないという可能性もだいぶ大きいんだけどね。
「いや、気にしていない。女らしくないというのは自覚しているからな」
というか、性転換して転生するという旨味を今まで一切味わっていなかったからね。自分が女性であることを自分で忘れてしまいそうだ。このお風呂は男女分かれていないけども、もしも別々だったら男湯に入ってたと思う。
「一つ聞きたいんだが、貴方はなぜスケルトンでありながら格闘技を? 普通スケルトンというのは体の脆さを補う為に武器を使ったり魔法を使ったりするものだと思うのだが」
「そうだな……。肉体的な強さへの憧れ、かな。鍛えることで己を高めたかったんだ。魔力で作り出した偽物でしかないがね」
「……ジョンも似たようなことを言っていたな。やはり似るものか、【転生者】というものは」
あれ、俺って自分が【転生者】って言ったっけ? 言ってない気がするんだけども。まぁ隠してもいないんだけど。
「そう警戒するな。貴方と同じく私も『覗き見』のスキルを持っているのだ。貴方の方が強いから、覗けない部分の方が多いがな。称号で文字が潰れて読めないのは【転生者】だけだ」
「賢者は既存のスキルを相手に賦与することも出来たからね。私たち三姉妹は皆殆ど同じスキルを持っているのよ」
賢者のスキル汎用性高いなオイ。普通に羨ましいわ。
『覗き見』を仕掛けるってことは俺も見ていいってことだよね。うん、見させてもらおう。魔王と名乗る女の子の《ステータス》、興味あります!
《ステータス》
名前:シェラザード・ジュリアマリア
種族:魔動人形
Lv.38
HP:4500
MP:60000
SP:760
攻撃力:3100
防御力:36000+36000
素早さ:26800
◇スキル
『金剛不壊』『魔力自在』『魔法威力増大』『詠唱破棄』『自動HP回復(極大)』『王の威圧』『覗き見』
『大地魔法』『氷雪魔法』『花樹魔法』『大海魔法』『嵐流魔法』『暗黒魔法』
『反射』『物理抵抗(大)』『魔法抵抗(中)』『状態異常無効』
◇称号
【創造物】【賢者の娘】【魔導師】【魔王】【愛されし者】【結界の要】【不動】
固ッ! 固いよ魔王様!
防御七万超えかよ! MPは六万、その上回復に反射とかブッ飛んでるな! 撃てる魔法の多さもあるし、戦い方によっては俺負けるんじゃないの?
HPと、特にSPの低さが目立つけど、異常な防御力の高さが全部カバーしてるな。素早さも高いな、回避力も充分ということか……、まるで溶けかけたメタリックなスライムみたいな……。
俺だったらどう戦うか……? 攻めは防御無視効果が期待できる『浸透勁』や『雲流風撫』を軸にして、守りは『回転体術』での回避が主になるかね?
五感を封じるとか環境操作のような魔法を使った搦め手で来られたら厳しいな。そして十中八九搦め手を使ってくるだろう。
『詠唱破棄』を使用した魔法よりも早く先制攻撃を当てることができれば……。
ベアトちゃんはどんな感じかな? 勿論見せてもらうよぉ!
《ステータス》
名前:ベアトリーチェ・ジュリアマリア
種族:魔素生命
Lv.41
HP:10900
MP:58000+58000
SP:4300
攻撃力:910
防御力:5200
素早さ:3700
◇スキル
『百世不魔』『魔力自在』『魔法威力増大』『詠唱破棄』『魔力変換』『自動MP回復(極大)』『王の威圧』『覗き見』『魔法融合』『多重詠唱』『自動書記』
『業炎魔法』『大海魔法』『大地魔法』『花樹魔法』『金光魔法』『暗黒魔法』『嵐流魔法』『神聖魔法』『冥獄魔法』『陰陽道』
『魔力吸収』『魔法抵抗(極大)』『自動防壁』『状態異常軽減』
◇称号
【創造物】【賢者の娘】【魔道帝】【八曜の支配者】【陰陽師】【失敗作】【再生者】
スキルと《ステータス》を見ての第一印象は固定砲台でした。
魔法関係網羅してない? 賢者さんどれだけ詰め込んだのよ。
一見、近付いて殴ったら勝てそうなんだけども、気になるのが『自動防壁』というスキル。これ、勝手にバリア張ってるってこと? だとしたらチート過ぎないかしら?
『詠唱破棄』『多重詠唱』で嵐のように飛んでくる魔法をなんとか掻い潜り耐え忍び、やっとの思いで接近しても、肝心の砲台がバリア張ってるとか、 スゴい絶望感だな。しかも本来ならここに『穢塩黄炎』があった筈なんだよな。怖すぎるぜ……。
あと『陰陽道』も気になるな! 式神とか作れちゃったりするんだろうか? やはり魔法は見てるだけでもワクワクするわ。
俺だったらどう戦うかなぁ、速攻しかないと思うけど、バリアが厄介だよなぁ。防御無効攻撃とかで貫けるんだろうか? なんか違う気がするね、そこはヤってみないと分からないかも。
それでも手は幾つか考え付く。鍵は状態異常に対する耐性の低さかな。無効じゃなくて軽減だから、通らない訳じゃない。
例えばバリアごと掴んで振り回したら、Gに酔ったりしないだろうか? 単純に驚かせたら怯むかもしれないし。
あぁ、なんだろうね、実際に殴り合うのも楽しいけど、こうやって攻略方法を妄想するのもすんごく楽しいわ。
是非とも一度くらいはお二人と戦ってみたいねぇ。
惜しむらくはスキルの持ち主でないとその内容は詳しく分からないところだな。
俺って攻略本とか説明書のデータ集大好きなのよ。あぁいうのを知ると、世界観をより理解できた気になれるよね。
ふと気が付くと、シェラちゃんとベアトちゃんの二人がにやにやと笑いながら俺を見ていた。
え、妄想中の顔見られちゃった? やだもう恥ずかしい! 恥ずかしいから顔をざばざばとお湯で洗っちゃう!
「こうも楽しそうに《ステータス》を見られてしまうとな……。勝つのは難しいと分かっていても、期待に応えたくなる」
「うふふ、私とシェラちゃんでかかれば勝てそうだけど、どうする? やってみる?」
じ、実に魅力的なお誘い……。俺にとっては万金に勝るご褒美だよ!
それに、今の俺は人化中。人化状態は精度で言えば魔力筋よりも下だけど、制限付きの戦いの方が燃えちゃうじゃない。
現在の制限、師匠の極悪な置き土産+人化。
どれだけ力を出せるか分からないままに暴れられるとか、素敵すぎるだろ。
「カカカッ、是非もない」
我ながら人外めいた笑い声を溢しながら、湯船から立ち上がる。
うん、いつ何時敵が襲ってくるかも分からない世界、風呂場で戦うシチュエーションも体験しておいた方がいいし、ここはガツンとやらせてもらおう。
湯を滴らせながら、拳を構える。
お湯が邪魔で蹴りの動作がコンマ数秒単位で遅れてしまう、だからここは拳を主体で攻めるとしよう。
目標は速攻からの一撃必沈。
向こうは向こうで、すぐに距離を取って魔法による遠隔攻撃を仕掛けたいところだろう。
初動の早い方が勝つ。
ジッとお互いを見合う。
機会をまっているのだ。お互いがお互い、自分が先に攻撃を当てるための、絶対の機会を。
汗が俺の顎を伝い、ぴちょん、と湯船に波紋を広げた。
と、同時に走り出す。
まずは先制を手にした。
二人が水滴の落ちる音にほんの少しだけ意識を持っていかれたのだ。魔法の発動を防ぐには充分。
「ゼィハァッ!」
気勢と共に上体のバネから拳を放つ。
広背筋はさながら拳の発射台、まるで背中にブースターが付いているかのような力強さを感じる。
これが人化の効果か! 魔力筋より威力も速度も劣るが、使用感が違う、まるで本当に神経の通った肉体を動かしているかのようだ。こりゃあいい!
「あーッ! なに楽しそうなことしてんだよ!」
拳がシェラちゃんの顔に命中する、その瞬間に風呂場の入り口から素っ頓狂な声が上がった。
思わず拳を止める。
そっと振り返ると、そこには服を着たまんまでこちらを睨み付ける三人娘の姿があった。
彼女らには、俺が長風呂をかましたあげく、一人抜け駆けして魔王と名乗る強者と戦おうとしたように見えているのだろう。
つい数時間前までキャットファイトしていたのに、なんという結束力、ヤディカちゃんもインユゥちゃんもカレオちゃんも、俺を裏切り者でも見るように……。
「……? 誰……?」
あ、そうだね、人化を見るのは初めてだもんね。そりゃ分からないわ。
この後、人化したことや俺の性別を知って驚く三人に説明したり、抜け駆けしようとしていた訳ではないと弁明したり、まったく安らげないバスタイムを過ごしたのだった。




