01話 それで転生するとか思わない
「どうしてこうなった……」
俺は真っ白になった頭で呆然と呟いた。
ゆっくりと視線を下に向ける。
俺の腹や足が見える。
自分の意思で動かせる、正真正銘自分の手足だ。
まぁ、今は少し見慣れない感じがするかな?
だってほら見てください、この足、お腹!
以前までと打って変わって細く白くなって……。
女性が羨む驚きの美白!
いやいや、といっても限度あるから!
細い?
白い?
あぁ、そうだろうさ!
骨だもんよコレ!
腹や足だけじゃない。
腕も頭も骨格標本みたいに綺麗な骸骨。
恐る恐る触れば、骨の手のひらが剥き出しの歯に触れ、指先が眼窩にするりと入っていった。
当然、そこには肉も皮もない。
なのに感触だけははっきり伝わって来るという不思議。
なにこれマジホラー。
てか、これ骨だよね? だったら俺死んでるんじゃない?
動いてるってことは人間辞めてる?
祝! モンスター化!
喜べんわ!
だが待て。
それは今大した問題じゃない。
いや大分大した問題だけども。
全身が骨になっているということは、身体中のどこにも肉も皮が残っていないということだ。
つまり、この骨の体には、筋肉がない。
そう、手に入れたはずの強靭な肉体も、鍛え上げられた筋肉も、全てないのだ。
もう一度言おう!
「どうしてこうなった!?」
◆◆◆
男に生まれたなら、どんな奴だって、一度は地上最強を夢見る。
そんなことを語っていた漫画があった。
正しくその通りだ。
男に生まれて最強に憧れない奴なんていない。
ただ、これも同じ漫画言っていたけど、本気でその夢を追い続けられる奴はほとんどいない。
父親の拳に
周囲との差に
自分の怠惰に
様々なものに負けて、現実を思い知ってその夢は破れ去る。
俺も例に漏れず子供心に最強を夢見て憧れて、記憶もできないような些細なことで諦めたクチだ。
鍛えるのは辛くて長い時間がかかるのに、怠けて衰えるのはすぐだ。
実際、そういう鍛練って費用対効果とれてないと思うのよ。
まぁでも、残り滓みたいな憧れだけは、諦めたつもりでいつまでも燻り続けていた。
俺は強い。強くなれる。本当はもっと強いんだ!
残り滓は心の中でいつまでも飽きることなくそう叫んでいる。馬鹿みたいなことに、今でさえ。
結果として表れたのは、周囲の怯えてビクビクしながら誰も聞くことの出来ない心の中で文句と暴言を吐き散らすクズだった。
それが俺、菅野照彦という男だ。
客観的に見て、俺は非モテの負け犬だ。
チビでデブで冬場でも汗まみれ。
一日10回の腕立て腹筋も出来ないほど貧弱で、今時あまり見ない牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡をかけている。
いや、こんな奴が他にもいるかどうか分からないが、価値観なんて人それぞれなんだし、もし仮に俺と同じような奴がいても、そいつは自分のことを負け犬だなんて思わないかもしれない。
だけど、俺は、俺のことを負け犬だと思う。
思ってしまっている。
実際、どうしようもない奴だし。
俺は、デブでチビで貧弱で負け犬な自分を変えたい。
自分を変えて強くなりたいし、モテたい。モテタイ。大事なことなので二回言いました。
だけど、やらないのだ。
やれないんじゃなくて、やらない。
体を鍛えようと思いながらパソコンの電源を入れ、ダイエットをしようと思いながらポテチを貪る。
しかもそういうときのポテチって何故かより美味い気がするのよね。
明日からやれる、次に二回分頑張るとか言いながら、ずるずると先伸ばしにして、結局やらない。繰り返して繰り返して今に至る。
ねえちゃん、明日って今さ!
頑張れ頑張れ出来る出来るやれる気持ちの問題だもっと熱くなれよぉおおおおお!!
などと自分を励ましても、やらない。
自分の意思ではあるんだけど、憧れと怠惰では勝負にならないのね。
駄目だ駄目だと思いつつ気が付くと手には漫画やゲームが…………。
いや、鍛えたい変わりたいという気持ちもあるんだけどね。
実際さ、疲れたり筋肉痛になったり汗とかかくわけじゃない?
誰だってそういうのは嫌だ。
それに何より、この世には誘惑が多い。
漫画
ゲーム
パソコン
お菓子
惰眠
言い訳色々エトセトラエトセトラ…………。
こんな世の中でストイックに体鍛えるとか無理でしょ。
いやアホでしょ。
この世は漫画やゲームじゃないんだからさ。
安易で手軽な楽しみがいくらでもあるわけよ。
あー、俺もなー、もっと誘惑が無くて寄り道せずに自分を鍛えられる環境にあったらなー。
絶対体鍛えてたわー、もうムキムキだったわー。
ここじゃあ無理だもんなー。
そんなことを言いながら逃げ続けている自覚がある俺は、やっぱり負け犬なのだ。
自覚がある癖に治すことを放棄しているんだから、より質が悪いかもしれない。
まぁだがもうとっくに開き直っている。
こんな考えを肯定できない人は居るだろうけど、否定できない人だって、きっとかなり居る筈だ。
つまり、俺だけじゃないのだ。
赤信号、みんなで渡れば恐くない。
それが例え世界中の誰もが認められなくても……、誰か一人でも認めてくれるなら、俺は戦えるんだ!
とかまぁ、そんなことを言いながら、今日も今日とて浮かび上がる焦燥感と自己嫌悪になんとか蓋をして、パソコンに向かうのだ。
ふふふ、パソコンと向き合っている時だけは、現実さんの視線を無視できる……。
そんなことを思いながらネットサーフィンしていた時だった。
『異世界転生斡旋事務所』
そんな文字が飛び込んできたのは。
異世界転生。
ここではない何処かで自分の人生をやり直す、様々なメディアで扱われている二次元ジャンルだ。
神様に導かれたり、偶然事故に巻き込まれたりして、時に勇者になり、時に魔王になり、または人外となり……エトセトラエトセトラ。
地上最強への憧れと同じ。
自分に都合のいい世界へ逃避できる願望。
夢と希望を捨てられないオタクの魂の慰めだ。
無論、二次元の世界のみの話である。
詰まるところ、この『異世界転生斡旋事務所』とやらはジョークか、もしくは第四の壁を突破しかかってる末期な聖闘士をカモる詐欺なのだろう。
俺も例に漏れず異世界転生に憧れたクチだ。
ていうか、いつでも行く準備が出来ている。
イメージトレーニングはバッチリだ。
だからこそこの悪辣なジョークまたは夢を踏みにじり食い物にする詐欺は許せん!
オタクの純心をなんだと思ってるんだ!
昨今の乙女よりウブなんだぞ! 傷付いたらどうしてくれる!
というわけでこのけしからんサイトをチェックせねば!
ポチッとな。
興味半分冗談半分、ついでに僅かな期待を込めてサイトの入口をクリックすると、少しのロードの後に画面上に少女の姿が表示された。
ピンク色のポニーテールに銀色の瞳がこぼれそうなほど大きい二次元の美少女だ。
可愛いが、なんだかオリジナリティがない。
アニメやゲーム、漫画やラノベを呼吸するように摂取するオタクにとってはどこかで見たようなありふれたデザインだ。
「あー、適当に描いてんなぁ……。ちょっとオタっぽくすりゃあ食い付くと思ってんだろうなぁ。デザインも古くさいし」
『ようこそ潜在的お客様! ワタクシこの『異世界転生斡旋事務所』のご案内をさせていただきますベンダーでございます!』
思ったより流暢な声が流れる。
機械音声じゃない。肉声だ。
『ここでは文字通りお客様を異世界へ転生させる斡旋をさせていただいております! お客様のご希望のコースをお選びください!』
画面にコースとやらが表示される。
なになに……。
Aコース:トリップコース
一番オススメ! 人気のコース!
今の貴方のまま異世界を冒険したい勇者タイプの貴方にオススメのコース。面倒な設定は大幅カット! 手軽に異世界を楽しめます。
今ならお好きなチート能力を最大3つまでプレゼント!
神様クラスの力をゲットしよう!
Bコース:憑依コース
異世界の住人そのものとして生きるならコレ!
情報も能力も既に揃った状態でスタート!
すぐに動きたい冒険者タイプな貴方向け。基本的に死んだ人に乗り移るので罪悪感を感じる必要もありません。
もともとの能力をチートクラスに成長させることも可能です。存分に無双を楽しみましょう!
Cコース:生まれ変わりコース
異世界の情報を自分でじっくり調べていきたい主人公タイプな貴方向け!
自分の両親、種族、境遇、顔の造形、能力等をカスタマイズ出来ます!
善にも悪にもなれる自由な世界を楽しもう!
※各項目は一度決定したら変更は出来ません
※団体での異世界転生または転移は実行の一ヶ月前にはご予約下さい。
団体割引・事前予約割引は 〔コチラ〕
※死亡による偶発的転生または転移は当事務所とは一切関係がありません。
※その他ご質問等ございましたらベンダーへどうぞ。
「…………」
阿呆くせぇ。
でもまぁ、ちょっと面白そうじゃないか。
このサイト変に凝っていて、コースを選択した先で、オンラインゲームのアバターを作れるような感じで自分の転生先を作れるようになってる。
自慢じゃないが美的センスのない俺では何十時間かけようとも好みの顔を作ることが出来ないので、Cコースは無いな。
選ぶとしたらAかBだけど、チビデブ眼鏡のまま転生――この場合は転移か――とかどんな拷問? ないわー、絶対ないわー。
と言うわけで残りはBコース。
憑依というとなんだか聞こえが悪いが、要はよくある死にそうになったら前世の記憶を取り戻して……、とかそんなんだろ。
早速ポチる。
ズラリと表示される憑依先一覧。
種族、特長、能力、性別、出身地、エトセトラエトセトラ。
す、すげぇ、これいったい何人居るんだ?
総件数約200000!?
しかもぱっと見ても色違いや髪型変えて嵩ましなんかもしてない。
駄目だ、とてもじゃないけど全部見てられない。
いいから搾り込みだ!
条件付き検索をかけねば!
えーっと、まずまず……。
世界観:ファンタジー
これは譲れない。
転生するなら剣と魔法でしょ、やっぱり。SFや超能力とかも憧れるけど、なんだか魔法よりもリスク高くて凄惨なイメージあるしね。
おぉ、50000くらい減ったな。
次に……。
種族:人間
性別:女性
…………いいじゃない! TSものに憧れても!
どうせマジで転生するわけじゃないんだし!
マジで転生したってどうせモテないんだし!
だったらもういっそ自分が女になったほうがいいのよぉおおおお!!
自分のものでいいから生のおっぱいを!
いや大分持ってますけどね!?
肥満だからさハッハッハー!!
はぁ、はぁ、取り乱した……。
まぁ、実際、オンラインゲームなんか全部女の子キャラ作ってたしね。
その方が装備品や装飾品の種類が多くて有利だった、ってのもあるけど、やっぱ違う自分を演じるって楽しいわけよ。
俺みたいな社会に居場所のないクソニートは特にね。
い、いや、株やってっから生活に困んねぇし!
むしろしっかり社会人やってたときのほうが稼げてなかったし!
社会人の時と生活水準変わってないからむしろ理論上は金貯まってるはずだし!
まぁいい、とにかく性別は女性なのだ。
残りは80000くらいか。次だ次。
能力だな。
うーん、これも選ぶのが大変だなー、項目多いなー。
作るのは下手くそな癖にこういうの好きなんだよなー。
そんなこんなで、俺はいつの間にかかなり熱中して憑依先のキャラ制作をしていたのだった。
やがて、空が白み始め、鳥が鳴き始めた頃……。
「だはぁ~」
ついに目の前の画面に一件の憑依先が残されるに至ったのだ。
くぅ~疲れましたw これにて完成です!
というか、完徹です! 随分熱中しちゃったな。
別に新しいオンラインゲームとかのアバターでもないのに。
あーでもここまで時間かけちゃうとなんか愛着湧いちゃうよなぁ。
キャラクター作成サイトみたいに保存できないのかな?
保存してたら、いつか使うかもしれないし……。
ゲームのアバターや、もしかしたら俺が小説とか書いちゃうかもしれないしね。その為のキャラにするとかさ。
そう、いつか、いつかの為なんだ。
『選考大変お疲れ様でした! 以上の項目をチェックいただきましたが、間違いないですか!?』
ピンク髪のベンダーが久しぶりに出てきてやかましく叫ぶ。
ずらずらと並ぶ俺が選択した項目。
おぉ、おぉ、随分やったもんだ。
結局容姿とかも選んじゃったしなー。
うぁー、やりきった感が半端ない。
くっそ眠いわぁ。
『では最終確認ですが、本当に異世界転生を実行して宜しいですね? 残り10分でお答えください。まぁこのサイトに辿り着ける時点で確認の必要もないでしょうが』
ベンダーが画面の向こうからこちらを覗き込むように身を乗り出した。
エセサイトのキャラクターの癖に、妙に生々しい目をするな……。
だけど、続きは起きてからだ。
その時にまだモチベーション維持できてたら続きやってやるよ。
俺はパソコンを放置してベッドに潜り込む。
『待機時間が終了したので転生プロセスを開始しますね!』
眠りに落ちる前、 ベンダーが妙に活き活きとそう叫ぶのを聞いた。