先輩、聞いてます?
「先輩、聞いてます?」
そう声をかけると先輩はもろ寝起きの表情で顔を上げるとコクコクと頷いた。…全くこの人は。
「テスト前日にもなって範囲を微塵も理解していない上に小学校で習った四則演算もまともにできていないっていうのによくもまぁ寝ていられますね。差し支えなければその根拠のない自信がどこから来るのか教えてもらいたいものです。」
「シソクエンザンって何?そんなんやったっけ?」
「足し算!引き算!掛け算!割り算!です!!!」
「そんなことばっか言ってるから君は友達ができないんだよー。」
ノートをパラパラとめくりながら先輩はそう返してきた。
僕は渡辺郁馬、17歳のごく普通の男子高校生だ。
そんな僕は今自習室にいる。なぜかって?ひとつ上の先輩にテスト勉強を教えて欲しいと泣きつかれたからだ。そもそも学年の違う、しかも年上の勉強を見てやる理由なんてないのだが、暇だと答えてしまった僕の口が恨めしい。
先輩はとにかく勉強が壊滅的にひどい。勉強だけでなく何もかもがひどい。よく18年間も生きてられたなと心の底から感心してしまうくらい生活能力というものが皆無である。そんな先輩は委員会で一緒だった僕とはなぜかよく喋り、僕はなべやんという何とも微妙なニックネームをつけられて懐かれてしまったのだ。
「わかります?だからこのXを移行して左辺を0にするんです。」
「わからん。わからなさすぎるからもっと易しく、なべやん、易しく言って。」
「わかるようにって、ちゃんと日本語ですし非常に単純な単語しか使ってますせんよ。なんならカンボジア語か何かで話しますか。」
「カンボジア語なんて話せないくせに。私このテスト落としたらやばいんだよ?大学行けなかったらどうしよう??」
「だからそれをどうにかするためにやっているんです。僕は先輩の留年も浪人もどうでもいいんですよ、早く帰らせてください。」
「ひどくない?今度何か買ってあげるからー!」
「ハーゲンダッツの1ダースパックを1ダースで。」
「1ダースの1ダースだから12の、12の12倍?12の…」
「12×12で144ですよ。あなたがこんな小学生レベルの算数すらできないことはもう前から知ってるんで驚きません、手を動かしてください。」
口喧嘩も弱い先輩は顔をしかめつつ再びノートに目をやる。
留年すればいいんじゃないですか?なんて言ったら先輩はどうするだろうか。怒るだろうか。
1年の差って小さいように思えるけど、どうしたって絶対に埋まらないんだ。僕がどんなに大人になっても先輩はいつも僕を置いて先へ行ってしまう。僕がどんなに背伸びしたって先輩がどんなに子供だって追いつけない。そんなことわかってはいるけど焦らずにはいられなかった。
物分りがいいような顔をしておいて心の底では不安で不安で仕方がなくて、子供みたいに焦ってるんですよ、僕は。
先輩、聞いてます?