BABEL 3E85
風切音を立てて左上から落ちてくるトゲ付きの鉄塊の軌跡を、あなたの目は冷静に追っている。
あなたが構えた長剣は、右半身をカバーしている。このままでは、コンマ数秒後に、あなたの左鎖骨付近に高速移動する鉄塊がめり込むだろう。
あなたはピクリと、右手首に力を入れる。ほんのわずか、長剣の鍔が揺れる。
左手上空にあった鉄塊が、忽然と姿を消し。
そしてあなたの右半身へと襲いかかる。
あなたは長剣を握った右手に、軽く左手を添えると、その致命的な一撃を受け止める。
ガキン。
鋼と鋼がぶつかり合う、鈍い音。
左足を踏ん張って衝撃を殺しつつ、ねじ込むように長剣を突き出す。
トゲ付きの鉄塊が防御ポジションに戻ろうとするが、あなたの剣の腹が、その動きを制圧している。
長剣の切っ先を、鉄塊を振り回す騎士の喉元直下につきつけられる。
騎士は無言で鉄塊を床に落とすと、両手を上げる。
決闘が、決着する。
あなたは長剣を鞘に収め、床に落としていた荷物を背負い直す。決闘に敗れた騎士も、何事もなかったかのように、自分の荷物を拾う。あなたたちに合わせるように、部屋の隅に座っていた1人の騎士と、もう1人の技術助祭も立ち上がる。
「ああもう! ほんと、騎士ってなんでこう、決闘ジャンキーばっかなの!?
今は一刻を争うっていうのに!」
技術助祭が、苛立ったように言葉を漏らす。
あなたはその言葉に、軽く眉をひそめる。
世間の常識を知らない、田舎育ちの技術助祭だとは聞いているが、それにしてもこんなに非常識で技術助祭が務まるのだろうか? そんな疑念が、あなたの心によぎる。
〈投票の儀式を行うには、何の選挙司祭はありません〉
決闘に参加しなかった騎士であるイェナ――常時ガスマスクをかぶっている――の音声合成装置から、そんな言葉が発せられる。上等な自動翻訳機を持っているのか、騎士イェナの音声合成装置から発せられる騎士語は、比較的分かりやすい。
〈ディーコン。あなたは神聖な決闘を批判しているかどうか?〉
決闘に負けた騎士であるゲルト――黒い強化ポリマーの鎧を着ている――の音声合成装置からも、声が発せられる。騎士ゲルトの持つ自動翻訳機は精度が低いが、簡潔な表現を選ぶことで、その問題をある程度まで克服している。
ともあれ、今は何を話しても時間の無駄だ。
そもそも、話しあうことなど、まったくの無意味なのだから。
チームとして行動する流浪騎士の間で意志の相違が発生した以上、決闘でチームの意志を決めるのは、あまりにも当然のことだ。
この決闘で、相手の騎士を殺してしまうような者が流浪騎士足りえることはないし、決闘で死ぬような騎士では流浪騎士足りえない。
無論、時間と予算があれば、ディモクラティア教団にお布施して、選挙儀式を行うこともできる。決闘以外の方法で何かを決めるのであれば、選挙儀式を行うというのが、ディモクラティア教徒の常識だ。
だがイェナが指摘する通り、この近辺には選挙司祭がいない。
ついでに言えば、選挙儀式を行ってもらうような予算も、ない。
あなたは無言で、CP10A60F(通称アレパ集落)に引き返すルートを選ぶ。
今を去ること4分58秒前、廃墟賊の斥候がアレパ集落へのルートに乗ったのが、騎士イェナによって視認された。
2時間もたてば、廃墟賊どもはアレパ集落を焼きつくし、村民を殺しつくし、食料から燃料まですべてを奪い尽くすだろう。
4分33秒分前、助祭アイナはアレパ集落に引き返すべきだと主張し、騎士ゲルトはそれを無意味だと断じた。
無辜の民の命を守ってこその騎士、という助祭アイナの主張はもっともだ。
だが流浪騎士に頼って自衛するようでは、アレパ集落はいつか他の廃墟賊によって焼かれるだろう。流浪騎士は、流浪するのが使命なのだから。
一時の感傷で村の防衛に手を貸したところで、自己満足でしかない。
この意見対立に伴い、助祭アイナの守護騎士であるあなたと、騎士ゲルトの間で決闘が始まったのが3分52秒前。
2分17秒前、決闘はあなたの勝利に終わり、あなたのチームはアレパ集落救援に向かうことで意見が一致した。
集団の意思決定プロセスとして、公正かつ効率的、迅速である。
さて、騎士の最高速度には個人差があるが、騎士の称号を得るために必要となる巡航走行速度は、最低でも時速30Km。この速度で24時間走り続けられないものは、騎士ではない。
幸い、今のチームの巡航速度は時速60Km。
10分程度であれば、時速120Kmで戦術移動が可能だ。
ただ一人、技術助祭でしかない、アイナを除けば。
あなたは無言のまま助祭アイナを肩に担ぐと、アレパ集落へと向けて走り始める。
「ちょ、わ、わ、きゃあああああああぁぁぁっ!!!!」
肩の上であがる悲鳴を聞きながら、あなたは平均時速90Kmでの移動を開始する。
この速度なら、1時間以内にアレパ集落だ。
■
アレパ集落への最短距離となるルート40289(CP10A63C-10AF1E)は、比較的良好な整備状況にある。
平均幅15mの標準軌構成で、ところどころが崩落しているとはいえ、高速走行にも原則として支障はない。
CP10AXXXはディモクラティア教会による第3582回教徒大会を記念して拡張された都市群だ。
現時点における利用率は0.000608%と、比較的優れた成績を上げている。
ルート40289は、そんな人口過密地帯であるCP10AXXXの計画的中央循環道であり、アレパ集落がその末端で成立したのも社会学的摂理に沿っている。
アレパ集落まで残り3.1Kmのところで、900mほど先行していた騎士イェナが、緊急停止シグナルを発する。
〈フロントでのバトルノイズ〉
地域戦術支援システム経由で、騎士イェナの報告が入る。
騎士イェナは、個人としての戦闘能力も騎士に相応しい水準にあるが、何より索敵・知覚能力に秀でる。
3.1km先の戦闘騒音をキャッチしたという報告は、普通であれば一笑に付される世迷い事であるが、騎士イェナの報告となれば話は異なる。
〈強盗?〉
騎士ゲルトの問いに、イェナは否定シグナルを発する。
〈さらに悪いことには何かです。大虐殺が発生しました〉
あなたは軽く舌打ちする。こういうとき、言語の無力さは際立つ。大虐殺が発生し終わったのか、発生しているのか、発生しようとしているのか。自動翻訳機を介した騎士語は、その微妙なニュアンスの違いを伝達してくれない。
とはいえ、廃墟賊程度が騎士に先んじることは、考えられない。騎士イェナが指摘するように、さらに悪い何かが、アレパ集落では起きている。
〈+20〉
LTSSに向かってあなたは呟く。
あなたの指示に従い、進軍速度が時速20Km増大される。
数字は良い。あなたは心の底からそう思う。誤解がない。
速度上昇に伴い、数分前から沈黙を維持するようになった肩上の助祭アイナが、再び悲鳴を上げる。お前が望むから引き返してやっているのだろうに、と思いつつ、あなたは更に加速する。
■
2分16秒前、あなたたちがアレパ集落に到着した段階で、集落は燃えていた。
あちこちに軽量ステンレスのポールが林立し、それぞれのポールには10人ほどのアレパ集落住民が、首を吊られている。
生体反応を失って久しい彼らの胸元には、“異端”と書かれたプレートがぶら下げられている。
ぐったりとしている助祭アイナを地面に下ろすと、アイナの目にもアレパ集落の惨状が目に入る。
高起動酔いでふらついていた助祭アイナは、彼女にとっては衝撃的な光景に、思わずへたり込む。
「……なんで――こんな」
集落を焼きつくさんとする炎に照らされて、軽量ステンレスのポールはオレンジ色に光る。
その光は、ポールに吊り下げられた奇妙な果実たちを、薄ぼんやりと照らしている。
吊り下げられた小さな体に向かって、助祭アイナが這いずるように近づこうとする。
その動きを、あなたは素早く足で制する。
誰が、なぜ、この虐殺を成したのか? そんなことは、あまりにも自明だ。
そしてこれから、何が起ころうとしているのかも。
〈ャAZR4Yッ6UYコ0U?8都〉
〈翻訳不能:神聖語〉の赤いエラーメッセージが視界の右隅で点灯する。
ローカル言語を騎士語に、騎士語をローカル言語に自動翻訳してくれる自動翻訳機だが、ディモクラティア教団の標準言語体系である神聖語はサポート外だ。
意味不明な音の連なりを発しながら、その男は炎を背景に姿を現す。
鮮やかな水色のエンブレムが刺繍された、純白のコート。
古代神聖語において秩序と正義の神を意味する「UN」の二文字が染め抜かれた、異端審問官の第1種戦闘正装だ。
その両手には、鈍く光る手斧が1本ずつ。
よく見れば、男の背後には似たような風体の人物が、さらに2人。
〈諟ワ⑲ラきキ6蕫¥)7圭綵曾IC !62O"益8ヮ〉〈翻訳不能:神聖語〉
先頭の男は、林立する軽量ステンレスポールの真ん中に立つと、手斧を助祭アイナに向けて突きつけた。
〈異端!〉
神聖語と騎士語で、唯一共通の単語となっている言葉が、異端審問官の口から放たれた。
ディモクラティア教における最高概念である民主主義の敵であることを宣言する、言葉。その一言は、放たれた相手が教会の庇護下から外されることを示す。
この世界において、それはすなわち、死だ。
真っ青になっていた助祭アイナの顔が、紙のように白くなる。
異端審問官の異端宣言に対抗する方法は、ほぼ、存在しない。
たったひとつの選択肢を除いては。
あなたは長剣を抜き放ち、異端審問官につきつける。
「決闘だ」
異端審問官の顔が、最上級の愉悦を示す笑顔に変化する。
それを見て、あなたは改めて思う。
言葉など、無意味だ。
■
〈****〉
背後で騎士ゲルトが何かを呟いたが、LTSSはそれを通信しなかった。
騎士としての公序良俗に反する言葉であると判断されたのだ。
騎士ゲルトは愛用の片手メイスを右手に、それから背負っていた巨大な盾――ほとんど身長くらいの大きさがある――を左手に構えると、あなたの遮蔽になるように前進する。
〈**** ******〉
騎士イェナの呟きも、通信されなかった。
むしろそれで良い。そう、あなたは思う。
罵詈雑言の類は、まったくの無駄ではないが、そのほとんどは愚痴と同義だ。
言葉として吐き出したという事実が重要なのであって、他人の理解は必要ない。
騎士イェナは、軽く膝を曲げて溜めを作ると、遥か後方へと一気に跳躍した。
すぐに、その姿は見えなくなる。
無論、騎士イェナは決闘から逃亡したわけではない。
騎士が決闘から逃亡するなど、決してあり得ない。
それに、「アレパ集落を救助する」というミッションが決闘によって決議された以上、そのミッションは最後まで継続されねばならない。
高確率でアレパ集落の市民は全員処刑されているだろうが、もしかしたら生存者がいるかもしれない。
生存者を救出するためには、目の前の異端審問官を排除せねばならない。
敵である異端審問官は、3人。
あなたはLTSSを使って、両手に斧を持ったリーダー格をA、その後ろに控えていた2人をそれぞれB、Cとマーキングする。
両手持ちのハンマーを構えたBとCが、騎士ゲルトに向かって突撃する。
迷いのない、なかなかの速度だ。
騎士ゲルトはこれに対し、左手の盾を前面に押し出す形で防御態勢を固める。
〈アY鑅S!〉
〈ふ匇⑦W[!〉
BとCが、何かを叫ぶ。
その雄叫びに合わせるように、あなたは騎士ゲルトがかざす盾の内側に、その姿を隠す。
それから、右手に持った長剣を、真横に投擲する。
長剣は空を切って飛び、軽量ステンレスのポールに突き刺さって、甲高い音を立てる。
金属が金属を貫いた音の響きが消える前に、Bが地に伏した。
あなたの右手と左手には、1本ずつ、やや長めのナイフが構えられている。
右手のナイフは、Bの頸動脈を掻き切ったため、べっとりと血に濡れている。
ほとんど同時に、Cが倒れる。
その額には、どこからともなく飛来した矢が突き立っている。
2.4秒のうちに100mほど後退した騎士イェナによる、狙撃だ。
本来BとCは、そこまで戦闘能力の低い異端審問官ではない。
けれど、彼らにとって最重要ターゲットであるあなたが盾の背後に隠れ、その盾の背後から何かの動きが起きた以上、その視線はどうしても、その動き――つまりはあなたが投げた剣に、向かうしかない。
その一瞬の視線の迷いは、決定的な差を生む。
次の瞬間、ゴウと音を立てて2本の手斧があなたに向かって飛んでくるが、そのうち1本はあなたの左手のナイフが、もう1本は騎士ゲルトのメイスが叩き落とす。
Aは滑らかに新たな斧を腰から抜くが、そのときには猛ダッシュで間合いを詰めたあなたの前蹴りが、Aの胸板を撃ちぬいている。
Aは吹き飛ばされ、民家の壁に激突して、そこで膝をつく。
間髪入れずにあなたは追撃し、右足でAの肩を地面に縫い止める。
仰向けに倒れたAは、激しく喀血しながら、あなたを見る。
その目には、恐怖と、ほんのわずかな嘲りが浮かんでいる。
だがその嘲りも、巨大なクロスボウを右手、生首を左手に持った、騎士イェナが姿を現すまでのこと。
〈*ヴ\オ浬、惞、德異端|U4硎Y SD2]5びD2ふ構曾K
㍑カ異端N025ぶ{(ヤ ゴタ:$ョ0=J!!〉
あなたはナイフの血糊を異端審問官のコートで拭うと、腰に収める。
〈01Z喀&ご4こ/異端! を#5Oソ砡A{D異端!!〉
この期に及んで何かを喚き散らす異端審問官を、あなたは虫けらを見るような目で見る。
■
「――その人が、言っています。
その女の……私の異端は、全市民投票で既に決議されている、と……。
私を助ける者は誰であれ、異端と認定される、そうです」
いつの間にか、あなたの背後ににじり寄っていた助祭アイナが、異端審問官の言葉を騎士語に翻訳する。
助祭アイナは、稀有な能力の持ち主だ。
彼女はただの技術助祭でありながら、自動翻訳機なしに騎士語を喋り、かつ神聖語も理解できる。
異端審問官自身、神聖語が喋れるわけではない。ディモクラティア教団専用の自動翻訳機が、神聖語を出力するというだけのことだ。
騎士語にしても同じで、騎士といっても実際に喋っているのはローカル言語だ。それが騎士語に自動翻訳され、各人の持つ自動翻訳機はそれを各人のローカル言語に再翻訳する。
神聖語を喋る異端審問官がいないように、騎士語を喋る騎士もいない。いずれの言葉も、人間が知る言語体系としては、失われたはずの言語だ。
だが助祭アイナは、その双方を自由に操る。
助祭アイナの言葉を聞いた騎士ゲルトは、露骨に嫌そうな顔になる。
ガスマスクで表情を隠された騎士イェナも、軽く肩をすくめ、不快感を露わにする。
騎士の中でも、その驚異的な戦闘力をもって畏怖される流浪騎士にとってすら、異端宣告は望ましからぬ罰だ。
流浪騎士と言えども、食べて、飲んで、眠らなくては、活動できない。
武器は消耗品だし、防具だって修理は必要だ。
異端宣告を受ければ、それらの補給は、著しく困難になる。
異端審問官は、騎士たちの間に動揺が広がったと感じたのか、さらにまくしたてる。
〈ん+0ト|は, コゥ喀5嵓2:げ7F凞ツ;{9+WU6!
館表F冾で0オ]れ異端\58^BⅨ?9マォオ メ瑢コG
5兊予ォビイ砡(|砡構5Q+せ6>⊥表〉
「あなたたちの――騎士の力は、自由と民主主義を守るためにあるはず。
自由と民主主義の敵である異端者を守るのではなく、ディモクラティア教団と科学修道会のために、その力を貸せ……と、言っています」
その言葉を聞いて、あなたの唇が、微かに歪む。
背負っていた武器を構え、異端審問官の顔面に突きつけると、その引き金を、引く。
轟音とともに、異端審問官の頭はトマトのように弾け飛ぶ。
禁忌のロストテクノロジーである、銃。
その力が、解放されたのだ。
人智を超えたその破壊力に、騎士ゲルトは目を見開き、騎士イェナは興味津々といった風情で硝煙をあげる銃口を見つめる。
ただ一人、助祭アイナだけが、惨劇から目をそらす。
「これが、俺の、民主主義だ」
そう呟いたあなたは、銃を背負い直すと、アレパ集落の生存者探索を開始する。
■
それから27分41秒後、アレパ集落には生存者がいないことが確認された。
異端審問官たちは、犬1匹に至るまで、念入りに殺害していた。
騎士ゲルトが軽量ステンレスのポールを引っこ抜き、そこに吊り下げられていた遺体を広場に並べる。
騎士イェナは周辺の偵察を続行し、あなたには助祭アイナの護衛という任務がある。
〈****〉を連発させながらも、騎士ゲルトは律儀にすべての遺体を広場に並べ、毛布を被せていく。
広場にすべての遺体が並べられて4分11秒後、騎士イェナが帰還した。
その手には、大型のポリタンクが2つ、下げられている。
貴重な軽油をどこで手に入れたのか、聞くまでもないだろう。
アレパ集落を襲撃するはずだった廃墟賊が、結局襲ってこなかったことを鑑みれば、軽油の入手先と入手方法は自ずから明らかだ。
それから12分57秒後、あなたたちは業火の中へと崩れ落ちるアレパ集落を背後に、本来の目的地に向かう旅を再開した。
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新移民歴16005年7月3日。
後に「最後の探索」と呼ばれる世界救済の旅は、まだその果てを見せようとはしない。