マスター・ゼロ
私を乗せたビーナスの船は、グリフォンブルーの西北に位置する港町ガレスに到着した。
「私が送ってあげれるのは、ここまでよ。ここから先は、歩いていくしかない。きっと大変な旅になるだろうけど……気をつけてね。」と、ビーナスは心配そうな表情をみせた。
私はビーナスの船を降り、穏やかな顔でビーナスの船に別れを告げた。
「さて、待っていろグリフォンブルー。」と、私は力強く歩み出した。
この小さな港町ガレスは、旅の商人たちによって造られた町である。
ここは、どこの国の領土でもない。
この港町の一番近くに存在する、グリフォンブルーは海に面していない国だ。
そのため、商船を使った貿易をするのに、グリフォンブルーは、このガレスを利用している。
航海術を持っていないグリフォンブルーに船と港を使わせる代わりに、自由を約束されているのである。
そんな港町で、いい雰囲気の酒場を見つけた。
私は、久しぶりの陸での酒を楽しむべく迷わず店に入った。
古びた店内は、歩く度に床が軋む。
店内は、多くの客が入っていた。
この手の酒場は、あちらこちらで客が騒いでいるものであるが、この店は不思議と静かであった。
「なにか雰囲気が重たいな。」と、私が店内を歩いていくと、客達の視線が、ある一点に集まっていることに気がつく。
その視線の先を追っていくと、そこには真っ赤な防具に身を包んだ剣士がいた。
その傍らには特徴のある盾――グリフォンブルーの兵士だ。
私は、その男に近づいた。
そして、男は私の方を見ることなく、口を開いた。
「ずいぶん遅かったですね。先に一杯やらせて頂いています。」と、言って、こちらを向いた――ディルクだ。
私たちは久しぶりの再会に、握手で応えた。
「まぁ一杯……と言いたいところですが少々目立ちすぎてしまいました。とにかく、ここを出ましょう。」
私は言われるがままに店を出て、そしてその勢いのまま港町ガレスをも飛び出した。
私たちは、しばらく無言で歩いた。
そして気がついた。
「確か、グリフォンブルーは南東の方角。私たちが向かっているのは北東。いったい、どういうことだろうか?」と、私の頭に疑問が浮かんだ時だった。
ディルクは私が不信に思っていることを察したようで、
「実は、貴方に会って頂きたい人物がおります。その方は、あの山間の集落に住んでおります。」と、ディルクは小高い山々が連なる山脈を指した。
グリフォンブルーへの案内役が、そう言うのだから、私は頷くほかない。
「申し訳ありません。グリフォンブルーへは、その後に向かうということで了承してください――サフィア様の、ご命令ですので。」
「――サフィア!」と、久しぶりに聞く名に、私は反応した。
サフィアがグリフォンブルーの人間であるのは判っていた。
しかし、まさかディルクと主従関係にあるとは、思ってもみなかった。
「そういえば、貴方には私とサフィア様の関係を説明していませんでしたね。簡単に言えば、私はサフィア様の直属の部下です。そしてサフィア様は、グリフォンブルーの六牙将軍の一人です。」
私は驚きを隠せなかった。
六牙将軍といえば国王に直接、意見することも可能な役職だと聞いたことがあるからだ。
「目的地に着くまでに、グリフォンブルーの現状を少し話しておきましょう。」
私は山へ向けて歩きながら、ディルクの話に耳を傾けた。
「現国王であられるプライト様が、ご病気のため王位を近く、ご子息のウェル様に継承することを発表されました。王子であるウェル様は過保護に育てられてきました。ウェル様にとって母君の王妃様の言うことは絶対です。つまり、実質的なグリフォンブルーの行く末を決めるのは王妃様、ということになります。それに猛反発をしているのが、サフィア様です。冷酷な王妃様が全権力を握れば、グリフォンブルーは孤立してしまうことでしょう。しかし、他の六牙将軍は既に王妃様に取り込まれてしまっています。サフィア様には味方がいない状況に追い込まれています。そこで貴方の、お力をお借りしたいと、サフィア様は思っているのです。」
私には跡目争いなど関係ない。
だが、私自身が認めたサフィアとディルクが困っているのであれば、見過ごす訳にはいくまい――友として、だ。
私は力強く頷いた。
「そう言って頂けると心強い――恩に着ます。」
私たちは、風が爽快に舞い踊る草原を抜け、山の麓まで辿り着いた。
「あの山の中腹辺りに、その人物は住んでおられます。あと少しですが、急ぎましょう。」と、ディルクは何かに駆り立てられるように、先を急いだ。
その時だった。
「あ、あの、すいません。」と、私たちに駆け寄ってくる一人の女性。
女性は怯えるようにして、
「私、キュロットと申します。実は盗賊に襲われ、命からがら逃げて参りました。もし、ご迷惑でなかったら私も戦士様と、ご一緒させて頂けませんか?」と、言った。
キュロットと名乗る女は、日に焼けた浅黒い肌にグリーンの瞳をしていた。
どことなく気が強そうな顔立ちに長いアッシュ色の髪。
クールビューティーといった言葉がよく似合う女であった。
……私、好みである。
もちろん女性が困っているならば、迷わず手を差しのべるしかない。
私は、頷いてキュロットを安心させた。
「もちろん構いませんよ。」と、ディルクも快諾した。
「ありがとうございます。私、怖くて、ずっと隠れていたんです。」と、キュロットは安堵した表情を見せた。
「そうでしょう、そうでしょう。だが私がついていれば安心ですぞ。盗賊など簡単に追い払ってみせましょう。」と、言わんばかりに私は力強く三度ほど頷いてみせた。
「大変でしたね――ところで、その盗賊とやらは何処に?」
ディルクの問いかけに、キュロットは、
「分かりません。でも、恐らくまだその辺りに……。」と、怯えるように言った。
「なるほど。それでは、あそこに隠れている連中は貴女の、お友達ではないのですか?」と、ディルクは岩場の方を指差した。
「――!ちっ!気づいてやがったか。仕方ない、出ておいで!」と、キュロットは人が変わったように乱暴な口調で叫んだ。
すると、岩場の陰から武装した約二十人程が姿を現した。
「やはり、そうでしたか。貴女も盗賊――ということですね。」と、ディルクは冷静に言った。
「……やはりな。」と、私もディルクの意見に便乗した。
「盗賊呼ばわりとは、何ともムカつく奴だ、グリフォンブルーの騎士よ。」
「私がグリフォンブルーの者だと判って罠に嵌めようとしたところを見ると、グリフォンブルーに恨みがあるようですね。」
「ああ、でっかい恨みがあるよ。私たちはグリフォンブルーによって攻められ、行き場を無くした山の民、ハーゲン・ライブの生き残りだ。」
「――そうでしたか。確かに、あれは一方的過ぎた。私は、その戦には参戦していないが、謝罪しよう。すまなかった。」
ディルクの、その言葉に一瞬、盗賊たちは驚いた表情になった。
「ったく!なんか調子が狂うな。もういい、やっちまえ!」と、キュロットが盗賊たちに命じた。
「見逃してくれそうには、ないですね。じゃあ、ここは私が――」と、ディルクが私の前に出ようとした。
しかし、私は黙って見ているような男ではない。
すかさず、ディルクの真横に並び、剣を抜いた。
「勝手なお願いをしていいですか?」と、ディルクは正面を向いたまま、私に言った。
私が頷いたのが見えたのかは定かではないが、ディルクは続けた。
「力の差は歴然です――あの者たちを殺さないで頂きたい。」
その頼みに私はディルクの肩をポンポンと叩き、親指を立てた。
「ではいきましょう。」
私は剣を収め、低級魔法「パンチャー」を唱えた。
そして、二人は同時に、
「浮き足!」を発動した。
私とディルクの動きを盗賊たちは一切、捉えることができなかった。
勝負は、ものの数分で終わった。
「そんな……。」
キュロットは崩れ落ちるように地面に座りこんだ。
「私たちの負けだ……殺せ。」と、キュロットは地面を睨みながら言った。
「あなた達、ハーゲン・ライブはアトラスを追われ、マゼイル山脈も失った。だが、きっともう一度立て直せる時期が来る筈だ。それまで、どうか命を無駄にしないでください。」
ディルクの、その言葉にキュロットは驚き、顔を上げた。
「あんたらグリフォンブルーは敗者を生かしておくことなんてしないだろ!?なのに、どうして?」
「私はグリフォンブルーの戦士ではあるが、その前に一人の人間でもある。優しさや慈悲だって、あるんですよ。」と、言ってディルクは照れくさそうに笑った。
「では、私たちは急ぐので。」と、私とディルクは、その場を後にした。
私とディルクが去って、小一時間程が経過していた。
ハーゲン・ライブの者たちは、皆黙りこんだまま地べたに座っていた。
そして、その重苦しい空気を切り裂いたのはキュロットだった。
「や、やばい……惚れた。」という、キュロットの一言に、そこにいた仲間たちは一斉に叫んだ。
「えーっ!!」
「いったい、どっちに惚れたんだキュロット。」と、仲間の一人が訊ねる。
「決まっているだろ、グリフォンブルーの盾を持っていた、騎士様にだよ。」
「なーんか俺たちのやってることって、虚しいよな。」
「そうだな、後ろ向き全開、って感じで歩いてる気がする。」
「他の仲間は、何処で何しているんだろうな。」
「決めた!」と、キュロットは突然、声を上げた。
「何を?」
「あの方が言ってたように、もう一度ハーゲン・ライブを復興させよう。土地を探して、仲間を呼び戻すんだ。」
「キュロット!お前、たまには良いこと言うな。」
「賛成、賛成、大賛成!」
「よし!なんか急に、やる気がみなぎってきたぞ!」
ハーゲン・ライブの者たちが盛り上がりを見せている、その時だった。
「しっ!」と、キュロットが皆を宥めた。
「どうした?」
「なにか来る!皆、散らばって隠れて。」
キュロットの指示に全員が岩場に身を隠した。
その数分後。
「あれは!グリフォンブルーの小隊か?」
約二十人前後の馬に乗った、軍勢はグリフォンブルーであった。
その、先頭には大きな剣を背負った、体格の一際よい男――恐らく、この隊の長だろう。
その軍勢は一瞬、ハーゲン・ライブの者たちが隠れている場所で足を止めた。
「ふん!あれで隠れているつもりか……まあ、いい。今は急がねば。」
グリフォンブルーの軍勢の行く先は、私とディルクが向かった方向であった。
「なんか、嫌な胸騒ぎがする……行ってみよう。」と、キュロットの提案に、ハーゲン・ライブの仲間は渋ったが、キュロット一人を行かせる訳にはいかず、グリフォンブルーの軍勢を追いかけたのだった。
私とディルクは、ようやく目的の場所に辿り着いた。
そこには、一軒の家が建っていた。
隣の家とは相当離れている。
ここだけが孤立しているような雰囲気である。
家の煙突からはユラユラと、白煙がのどかに立ち上っている。
私は何故か、この風景に心が癒されていく感じを覚えた。
家の中に居る人物が放つオーラが、非常に心地良く懐かしい。
「こ、この感じは……まさか……。」
「さあ、入りましょう。」と、いうディルクの声に私は、ハッと我に返った。
家の扉を開き、中に入る。
もう、この瞬間、私の予想は確信に変わっていた。
「遅くなりました。彼を連れて参りました――」
その時、ディルクの言葉を遮るように山に激しい風が吹いた。
開けっ放しの扉が、バタン!と勢いよく閉まる。
そして私は、その名を思い描いた。
「――マスター・ゼロ。」と。




