白狼ザン
私は、メタールからマビン・グラスへの道中を急いでいた。
「余計な道草を食ってしまったが、あと少しだ。」と、疲れた体に鞭打って、私は歩みを早めた。
上空では風が強いのか、空の白い雲が次々と流されている。
しかし地上は快適で、心地のよい春の風が吹き、その気持ちの良さに、私の疲れも軽減されているような気分であった。
時折、駆け抜けるような突風が、草木を激しく揺らしていく。
「ガサガサッ!」と、草むらから、明らかに風の仕業ではない、何かが草を掻きわけてくる音がした。
私は剣に手を置き、身構えた。
そして遂に、それは姿を見せた。
「師匠!」
全身を白い毛で被われ、空色の鋭い目つきの、その動物は――狼である。
名をザンといい、マゼイル山脈では伝説の白狼として、有名である。
私が、ザン師匠に教わったのは、自然の中での生き方である。
獲物を捕る方法や、他の獣との戦い方、更には縄張りにマーキングする方法である。
しかも、このザン師匠は私と意思の疎通ができ、不思議なことに会話さえもできるのである。
もっと言えば、会話というよりテレパシーみたいなものである。
傍から見れば、私とザン師匠が会話しているなどとは、誰も思わないだろう。
「師匠。こんな所で、どうしたんですか?」
「なあに、お前さんの顔が見たくなってな。」と、ザン師匠は、私の傍らに伏せた。
間近で見る、ザン師匠の毛並みは、以前より随分と傷んでいるように感じた。
昔のザン師匠の毛は、艶があり柔らかく、そして何より美しかった。
「ちゃんと食べていますか?」
「大丈夫だ。だが、最近は歳でな。食欲も、さほどない。」
やはり、そうであったか。
見た目でも、それは感じとれた。
「それより、お前さんは元気でやっているのか?」
「ええ、お陰様で。」
「そうか、安心した……少し話をしないか。私と会話ができる人間なんて、後にも先にも、お前さんだけだ。」
「もちろんです――私だって同じですから。」
私たちは時を忘れて、昔話に花を咲かせた。
私が、まだ幼き頃、川で溺れかかっていたところを救ってくれたのが、ザン師匠だ。
襟元を食わえ、川から引き上げようとしているところを、地元の猟師に見つかり、ザン師匠は矢を受けてしまった。
今でも、その傷痕には毛が生えていない。
私はザン師匠の頭を優しく撫でながら、昔の思い出に浸っていた。
木陰に、並び座った私たちに心地よい風が、そっと邪魔にならないよう、吹いていく。
あまりの安らぎに、私は微睡んでいく。
その時、ザン師匠がスクッと立ち上がった。
「――師匠?」
「私は、そろそろ行くとしよう。お前さんも急ぎの用が、あるのだろ?いつまでも立ち止まっていては、いかんぞ。」
そう言って、ザン師匠は歩き出した。
「師匠!……また、会えますか?」
「そうだな、また何処かで会えれば良いな。それじゃあな……楽しかったぞ。」
「はい。私もです師匠……お達者で。」
私には、薄々分かっていた、これが最後なのだと。
恐らくザン師匠は、もう永くないだろう。
だが、もしまた、どんな形であれ再び会えたらなら……
「また、貴方の弟子にしてください。」と、私はザン師匠に届くように、大きく心の中で叫んだのであった。
私はザン師匠とは逆の方向へ歩き出した。
目を擦りながら、しっかりと前を向いて。
私は私の、やるべきことを、やるために。




