新たなる火種
私がディープフリーズを出航して、丸一日が経とうとしていた。
スノウ女王から貰った氷の船は日にさらされ溶けだし、海の水と混じり、今や釣り用の小舟ほどまでに小さくなっていた。
「ここは、どの辺りだろうか?一応、クレイヴを希望していたのだが……。」
私は不安で堪らなかった。
船は、もうすぐ無くなってしまうのに、陸が一向に見える気配がないからである。
数時間後。
――私は海に浮かんでいた。
「船?そんなものは、とっくに消滅してしまいました。」
仕方ないので、とりあえず泳いでみる。
泳ぎは得意中の得意なので、問題なし。
強烈な日射しの中、私は一生懸命に泳いだ。
そんな私の努力が報われたのか、ついに陸が目前に現れた。
「良かった。ひとまず、あそこまで行けば助かるぞ。」
良い事、というものは重なるものである。
少々疲れが溜まってきた私に救世主が手を……いや、鰭を差し伸べてくれた。
「イルカ師匠!」
因みに、この師匠は以前のイルカ師匠とは別である、ということだけは、ここで述べておこう。
私を背に乗せたイルカ師匠は、快適な速度で陸へと向かっていく。
そしてそれは、あともう少しで陸に、たどり着こうかという時だった。
突然、イルカ師匠は私を背中から振り落とし、もの凄いスピードで去っていってしまった。
「一体どうしたのだ、イルカ師匠よ。」
まあ、ここまで来れば、もう大丈夫だ。
「ありがとう、イルカ師匠。」
イルカ師匠は、急用でも思い出したのだろう。
私は残り僅かの距離を急ごうと、泳ぎだそうとした。
「おーい!そこの人!」
海の上で急に呼び止められた私は驚き、海水を飲んでしまった。
「しょっぱ!――なんなんだ?」
一旦、立ち泳ぎしながら、辺りを見回してみた。
すると、一隻の漁船らしき船から、漁師が何やら言っているのが、見えた。
彼は、日に焼けた腕を大きく振っている。
なので、私も手を振って応えた。
「――だ!」
彼の声が波の音に、かき消されて途切れ途切れに聞こえた。
「船にでも乗せてくれるのだろうか?」
私は、彼の声に耳を澄ませた。
「鮫だ!喰われちまうぞ!」
「なんだ、サメと言っていたのか……鮫!?」
私は、恐る恐る振り返ってみた。
すると、それは私の後方、およそ十メートル付近まで迫っていた――背鰭だ。
「鮫だー!」
私は必死に泳いだが、やはり海の生物のほうが、幾らか早かった。
「追いつかれてしまう。こうなれば、一戦交えるしかない。」
ふと、先程の漁船を見ると、船は既に逃亡した後だった。
「見捨てやがった!」
……まあ、よくある事である。
私は鮫を正面に、構えた。
そして息を一杯に吸い込み、水中に潜り奴の姿を確認した。
「ゴボゴボ――でかっ!」
それは正に、人食い鮫と呼んでも過言ではない程の大きさ、だった。
容赦なく、大きな口を開け襲いかかる巨大鮫。
私は、その大きな口に見合う棒を、
低級魔法「つっかえ棒」で封じた。
「確か、鮫の弱点は鼻だと聞いたことがある――ならば、これしかあるまい。」
「パンチャー!」と、唱えた私は、奴の鼻の頭を強打してやった。
「私は、アザラシではないぞ!」と、心の中で雄叫びを上げながら、だ。
こうして難を逃れた私は、今度こそ上陸を果たした。
陸に上がり、大地を踏みしめた私に、
「おーい。あんた生きてたのか、幸運だったな。」と、一人の若い男が駆け寄ってきた。
「こいつは先程、私を見捨てた漁船の漁師。」
私は、条件反射で男に向け低級魔法を唱え始めた。
「いやー良かった。漁師仲間に声をかけて助けに行こうとしていたんだけど、あんた悪運が強いな。ハハハ。」
そう言って、被っていた、つばの無い帽子を脱いだ。
すると帽子の中からは、お世辞にも綺麗とは呼べないが、長い黒髪が溢れ落ちた。
「お、おんなだったのか。」
私は急に、モジモジしだした。
真っ黒に焼けた肌に、きしんだ長い髪。
しかし、よく見てみると、かなりの美人だと見受けらた。
きっと髪をといて女性らしい格好をすれば、相当の美女に変身するだろう。
「あんた、あんな所で何で泳いでたんだ?漂流でもしたのか?」
私は、恥ずかしげに頷いた。
「そうか。何にせよ無事でなによりだ。私の名はメイトだ。そして、此処はスキュラだ――ようこそ。」
「スキュラ!?」
私は記憶の引き出しを片っ端から開けまくり、「スキュラ」を取り出した。
確かスキュラは、レト大陸の小国。
以前に立ち寄った港町マリーナは、レト大陸の東側に位置するのだが、このスキュラは西側の沿岸沿いに、ある国である。
漁業が盛んで、国王というものが存在しない国である。
国王の代わりに、国の政を取り仕切る役職「総裁」と、いうものが存在する珍しい国だ。
その、総裁を決定するには、国民の意思を尊重するため、投票制度というものを採用しているらしい。
非常に稀な国家なのだ。
という風に私の豊富な知識が、そう教えてくれている。
「とりあえず、家に来なよ。飯くらい食わせてやるから。」
私に断る理由など、あろうはずもなく、メイトの後をついていく。
「この国は、初めてかい?」
勿論、初めてである私は頷いた。
「そうかい。しかし、あんたも大変な時期に来たもんだ。」
メイトの言葉の意味が理解できずにいると、彼女は頼みもしないのに説明を始めた。
三年に一度の総裁を決める投票会が、今年であること。
そして、その投票会を明日に控えていると、いうこと。
現在の総裁が、反キリエスだということ。
因みにキリエスというのは、このレト大陸の覇者である大国のことである。
ギアン大陸の、およそ二倍面積をもつレト大陸の七割近くの領土を有しているのである。
そのキリエスは、レト大陸全土を手中に収めようと企んでいるのだ。
そして、このスキュラ国の総裁グリームは、反キリエスとして次回の投票会でも圧勝するであろう、というのがメイトの話しであった。
「因みに私は、スィート家の者だ。つまり、総裁の孫娘だ。」
私には理解不能である。
総裁とは、言ってみれば王の代わりである。
その孫娘が、漁師をやっているということが、どうも腑に落ちない。
それを察したのか、そうでないかは分からないが、メイトは、
「あっ!ほら、あそこで野良仕事してる爺さんが、いるだろ――あれが、スキュラの総裁だ。」
「あれが……大丈夫なのだろうか?」と、余計な心配をしてしまいたくなる。
「ところで、あんた名前は――」
その時である。
「総裁様!大変です!」と、一人の男が大声を上げながら走ってきた。
メイトも、その声に反応して、総裁の元へと駆け出した。
「総裁様、大変です。また、クランプス共が東の方から、こちらへ。」
「クランプス?」
それは、聞いたこともない名であった。
「クランプスだと!またか。して、その数は?」
総裁の問いに男は、
「だいたい、二百ほどです。」
呆然としている私に気づいたメイトは、
「あんた、クランプスを知ってるか?」と、訊いた。
私は、首を横に振る。
「クランプス――正体は分からないが、悪魔みたいな仮面を被った奴らだ。手の鉤爪が特徴的だ。奴らの目的は定かではないが、とにかく倒さねばならない相手だ。あんたは、関係ないんだから、何処かに隠れてな。」
私は、できれば関わりたくないと思いながらも、見捨てることもできないでいた。
「仕方あるまい。」
私は戦士として、共に戦うことを選択した。
しばらくすると、
「来たぞ、奴らだ!」と、さっきの男が叫ぶ。
その方角を見ると、確かに異様な仮面を付けた奴らが、ゾロゾロとやって来るのが見えた。
「あれか。恐らくは、人間だな。」
私は、冷静に分析してみた。
「ふう。まあすぐに片付けてやると、するか。」
私は、剣に手をかけた。
まずは、総裁とメイトの安全を第一優先として、戦わねばなるまい。
私は、そんな考えを頭の中に張り巡らした。
その時メイトは、
「今だ!」
と、号令をかけた。
すると、丘の上、草むら、そして、畑から無数の矢がクランプスたちに向かって飛んでいく。
「ぎゃあ!」
「うぉぉ!」
次々と矢に射たれ、倒れていく。
そして、あっという間に残ったクランプスは撤退したのであった。
私は、あまりの衝撃に固まっていた。
「驚いたろう?」と、呑気な声でメイトは、言った。
「べ、べつに驚いてなんか、ないやい。」という内心の驚きを、ひた隠し、私は、冷静に頷いた。
しかし、何処に弓兵が潜んでいたのだろうか?
私には、どうしても分からなかった。
「この国の兵士は、普段は畑仕事や漁に出てるんだ。だから、私も。」と、メイトは背負った弓と矢を見せた。
「なるほど、兼業兵士という、わけか。」
ようやく、納得した。
だいたい、そんなに多くの兵士が潜んでいれば、殺気で気づくというもの。
畑仕事を、している者が弓を持つ、兵士だとは夢にも思わないだろう。
「我がスキュラは、弓兵隊が有名でね。」
そう言って声をかけてきたのは、総裁と呼ばれる老人であった。
「紹介するよ。この爺さんが、スキュラの総裁、グリームだ。」
「メイトよ。仮にも総裁である儂に爺さんは、ないだろ。あんたもそう、思うだろ。」
「私に振られても」と、思いつつ仕方なく私は愛想笑いを浮かべた。
「だけど、あのクランプスは何だったのかな、爺さん?」
「それは、儂も考えとったところだ。なにせ、ここ最近だけで三度目じゃからの。ところでメイトよ、また爺さんと言ったな。」
「やっぱりキリエスの仕業じゃないの?」
「その可能性は、否定できんな。今度の総裁選では恐らく、我がスィート家の圧勝となるだろう。反キリエスの儂らが邪魔なのかもしれんのう。」
ようやく、私にも話の全容が見えてきた。
キリエスはレト大陸の支配を企てている。
しかし、例えキリエスみたいな超大国であっても、自軍の兵を使って国を一つ落とすとなれば、それなりの被害を被るということ。
それならば、自ら手を下さずとも、相手国から軍門に下ってくれれば、それに越したことはない。
そこで異端の者を使い、反キリエス派を殲滅させようとしているのかもしれない。
「まったく、陰険なやり方だ。」と、私は憤怒した。
「しかし三度目ともなると、やはり皆、慣れてきたのか、実にスムーズにクランプスを追い払ったな、メイトよ。」
「ああ。何度もシミュレーションして訓練した、お陰だよ。」
そう、言ってメイトは丘の上の兼業兵士たちに、手を振った。
もちろん、彼らも手を振って応えた。
「なかなか、良い国だなスキュラは。縦社会というより、皆の絆で成り立っているような感じだ。」と、私は感銘を受けた。
「ところで、メイトよ。そちらの御仁は?」
「ん?ああ、この人は――」
その時である。
またしても、一人の男が叫びながら、今度は海辺の方から走ってきた。
「総裁様!メイト様!で、でかいのが来ました!」
「でかいの?」
「こら、落ち着いて話せ。」
男は息を整えてから、話し始めようとした。
だが、話すのを止め、
「あ、あれです!」と、指で差し示した。
「な、なんじゃ、あれは!?」
海岸沿いから、ノシノシと歩いて来るのは、腕が何十本も生えた巨人で、あった。
そいつは我々を見つけると、不敵な笑みを浮かべて走り始めた。
「爺さん。あれ!」
「あれは恐らく伝説の巨人、ヘカトンケイルじゃ!」
「何かよく、分かんないけど――皆、放て!」と、メイトは兵たちに呼びかけた。
その瞬間、丘の上や畑にいた兵士たちは一斉にヘカトンケイル目掛け矢を放った。
「でかい図体だけに的もでかい。これで終わりだ!」
メイトは、自信満々だった。
――だが、ヘカトンケイルの身体には、矢が一切通じなかった。
矢は殆んど命中したのだが、その肌を貫くことはなく、地面へと落ちていく。
「メイトよ、逃げろ!」と、グリーム総裁が叫んだ時だ。
ヘカトンケイルの無数の腕が降り下ろされ、グリーム総裁を激しく吹き飛ばした。
「爺さん!」
メイトは、悲鳴のような声を上げた。
「メイト様。グリーム様を連れて、お逃げ下さい。こいつは、私たちが命に代えても食い止めます。」
いつの間にか、集まってきていたスキュラ兵、数十人はメイト達の前に壁を作り、剣や槍を持ちヘカトンケイルに立ち塞がった。
彼らの目には闘志が宿っていた。
「本物の兵士たちだ。」
私は、彼らを兼業兵士だと思ったことを取り消した。
メイトは、グリーム総裁を抱き起こした。
「みんな!爺さんは無事だ。無理はせず退くんだ。」
しかし、メイトの声は兵士たちには届かなかった。
「行くぞ!」
「おー!」
勇猛果敢に突撃した兵たちであったが、ヘカトンケイルの強さは想像を超えていた。
ヘカトンケイルは兵士たちを、凪ぎ払い、吹き飛ばした。
その口元には、楽しむかのような笑みを浮かべたまま。
「絶対に、お二人に近づけるな!」
スキュラ兵の士気は高かった。
「皆、もういい。早く逃げて!」
「メイト様。私たちはスキュラ兵です。その誇りにかけて、退けません!」
しかしヘカトンケイルの攻撃は凄まじく、兵士たちには到底かなう様子は、なかった。
「――メイトよ。」
気を失っていたグリーム総裁は、目を覚まし、
「儂のことは、もういい。お前は逃げろ。そして、スィート家の代表として、お前が総裁に立候補しろ。」
「い、いやだ。爺さんを置いてなんて行けないよ。
兵士たちの頑張りでは、これ以上ヘカトンケイルを押さえておくことは、できなかった。
気づけば、ヘカトンケイルはグリーム総裁とメイトの目前に迫っていた。
「このぉ!」
メイトは矢を放った――が、軽々と弾かれてしまう。
兵士たちは傷つきながらも、這って二人の救出に向かおうと、もがいている。
しかし緊張の糸が切れてしまったのか、メイトは、その場で膝から崩れ落ちてしまった。
ヘカトンケイルは、そんなメイトに遂に手を伸ばした。
「メイトよ、逃げてくれ!」
グリーム総裁の悲痛な叫びも彼女には、届かない。
「メイト様!」
兵士たちも、喉が潰れてしまうほどに声を上げた。
しかし、放心状態のメイトは動こうとは、しない。
ヘカトンケイルは、口元に笑みを更に広げ、数十本の内の一本の腕でメイトの首もとを掴んだ。
「ぐっ!」
苦しそうな、メイト。
キィーン!
正に絶体絶命の危機である、その時だった。
メイトを掴む、ヘカトンケイルの腕が鮮やかに切り落とされたのだ。
――そう!私である!
ヘカトンケイルの口元からは、笑みが消えた。
そして、怒りの表情に変貌を遂げた奴は、私に無数のパンチを繰り出してきた。
「下衆めが!」
私は怒りに満ちていた。
人々を傷つけて、喜んでいるような輩を許しては、おけぬと。
「超音速剣」
私は数十本と、ある奴の腕をことごとく切り落としてやった。
そして止めは、低級魔法の中でも最強の呼び名が高い、
「三ツ又の銛」で、ジ・エンドであった。
「す、すごい。」
「あの、御方は?」
スキュラ兵たちは、驚愕していた。
もちろん、私の強さにだ。
「あんた、強いんだな。」
正気を取り戻した、メイトも感嘆の言葉を漏らした。
そんな中、私は全く別の事を考えていた。
それは、キリエスという大国の事である。
「もし、今のがキリエスの仕業だとするならば、ギアン大陸で起きた数々の魔物の出現と、なにか関わりがあるのでは、ないか。」
キリエスは、このレト大陸だけではなく、ギアン大陸をも支配しようと企てていることは、周知の事実だ。
「これは、キリエスに潜入してみる必要があるな――そうと決まれば!」
私は、メイトとグリーム総裁に一礼し、早速走り出した。
「メイトよ。あの御仁は、いったい?」
「え、えっと……あれだ……ポセイドンだ。」
「なんと!誠か?」
「あ、ああ。きっとそうだ。海に漂っていらしたんだ。間違いない。」
「そう言われてみれば最後に見た、あの三ツ又の槍――あれは、トライデントか!」
「ありがとう、海の神よ。」
こうして私は、スキュラにおいて神様となった。
そんな事を、当の本人は露知らず、私はキリエスへと爆進中なのであった。
お読み頂きありがとうございました。
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