嘘吐き新聞
或る父子の会話。
「お父さん、僕大きくなったらLEBON賞を取るんだ」
「おお、坊やそれは凄い夢だね」
「だから僕、LEBON賞を取るために頑張ってお金持ちになるよ」
「ははは良い心掛けだ、坊や。だけどねLEBON賞を取るために必要なのはお金だけじゃ無いんだよ」
「お金だけじゃないの?」
「ああそうさ。LEBON賞を取るにはお金以外にも権力が必要なんだよ」
「権力が無いとダメなの?」
「ああもちろん。だから坊やはお金持ちじゃなくて政治家におなりなさい。そうしたら勝手にお金も転がり込んで来るからね」
これは我が国の一家庭で見られた一つの滑稽な会話である。この話が滑稽譚である最たる点は世界的に権威のあるLEBON賞に対する父と子の認識の相違に他ならない。
要は「LEBON賞を取るためにお金持ちになる」という息子の発言を聞いて、この父親は「息子はLEBON平和賞を取りたいのだろう」と勘違いしたわけである。確かにLEBON平和賞はLEBON財団から申し込み用紙を購入し、申請書が受理されれば晴れてLEBON賞受賞出来ると言われている。だが、その申請用紙の価格は極めて高額(我が国の貨幣に換算してざっと10億ネイカーである)で、政府高官でなければ購入する資格すら無いと言う。そのためこの話の父親は息子に「金と権力が必要である」と言ったわけだが、実のところ息子はLEBON平和賞などは取ろうとしていなかった。
息子の真意を汲み取れば、実のところ彼が目指していたのは平和賞では無くLEBON科学賞の方であった。つまり、科学賞の受賞に必要な科学的研究に必要な研究費用を捻出するため、この息子は「お金持ちになる」といったのである。実際、この子供の発言は実に真を突いている。例えば「世界一の研究成果を出す研究機関は世界一の研究費用を有する処である」というのは我々大人にとっては極めて常識的な命題であるのだが、この世のコドモらしい子供たちの多くは空回りな情熱や無闇矢鱈な努力が夢を叶えてくれるという常識外れな夢物語を信じており、金銭という普遍的な道具を酷く忌み嫌うという傾向がある。しかし、この滑稽譚に登場する息子は世に蔓延るコドモとは違い、非常に現実的で冷静な視点を持っているのである。ともすれば、オトナじみた息子とコドモじみた父親というアンバランスな関係すらもこの小話からは見てとれる。現実を見据えた息子と、それに向かって物識り顔でモノを教える夢見がちな父親との著しい思考回路のギャップこそが、この滑稽譚を滑稽たらしめる最たる所以なのである。
一家庭の微笑ましい会話の中でこのように生々しいLEBON賞の本質を見ることになるとは正直に言って驚きであった。だがしかし、全ての人はLEBON賞を取る可能性を秘めていることを忘れてはならない。もちろん十分な金を持っていればの話ではあるのだが……。
◆参考:LEBON賞(レーボン -)とは
現代においてレーボン賞を知らぬ者は居ないと言われるほど著名なこの賞は、今から百年以上前に実業家デルフラ・レーボン氏の遺言に従って創設された世界的に権威のある賞である。
レーボン賞は『人類の進歩に大きく貢献した人物』に贈られ、科学賞、文化賞、平和賞の三部門に分かれている。その受賞者には『人類の進歩の更なる発展』を祈願して1億ネイカーもの賞金が与えられる。
この世界的な権威と力を持ったレーボン賞の受賞を目指して、日夜、多くの科学者は互いの論文を盗み合い、多くの文化人は世間の批評に怯えて暮らしている。そしてもちろん政治家たちはレーボン平和賞受賞に備え、鏡に向かってスマイルの練習をしていると云う。
『人類の進歩の更なる発展』と銘打っているため原則として、人類の将来を担うべき人物に与えられる。そのため死後の受賞は出来ないとされているが、本年度のレーボン科学賞を受賞したのは昨年の春に亡くなったドラブラフ大学のナムニートス氏であった。これは特例中の特例だったが、ナムニートス氏に抗議の手紙を書いても死人に口に無しである。LEBON賞の授賞式では、名立たる受賞者たちと肩を並べるナムニートス氏のモノクロ写真が一際異彩を放っていた。おそらく来年の授賞式では雛壇に多くの遺影が並べられることだろう。
さて、ナムニートス氏の眠るオイラトノ州には賞金1億ネイカーを賭した巨大で豪奢な墓石が建てられたという。つまり、その墓石こそが『人類の進歩の更なる発展』なのである。
『ライヤア通信 2102年13月号』
アドルフ・アルブレヒト記者、記す。
〇
朝の電車を待つまでの間ベンチに打ち捨てられていた新聞を読んでいたのだけれど、これは酷いね。いくら三流ゴシップ誌とは言え、あのLEBON賞をここまで扱き降ろすとは。これにはLEBON財団も黙ってはいないだろう。いや、こんな下らない記事に一々腹を立てる程彼らも暇では無いかもしれないね。
それにしても電車はまだだろうか。時刻表を見ようと席を立った時、向こうの方から一人の老婦人が近づいて来るのが見えた。老婦人はそのまま私の傍で、息も切れ切れに話し掛けてきた。
「ねえ、そこのお若い人。クロイウェン行きの列車はこのホームで良かったのかしらねえ」
「ええ、クロイウェン行きはあと30分程でこちらのホームにやって来ますよ」
私がそう告げると上品そうな老婦人はホッと胸を撫で降ろした。おそらく列車に乗り過ごすまいと急いでいたのだろう。
「あら貴方、それはもしかしたら……」
「ん……ああ、これですか? いやいえ、何でもありませんよ。そこらに捨てられてた三日前の新聞です」
私の手に握られていたクシャクシャのライヤア通信を見るなり、老婦人は顔を真っ赤に燃え上がらせ興奮した様子で唇をわなわなと震わせた。
「どうしたんですか、急に。もしやお身体の具合でも」
「い、いえ身体の方は何ともありませんのよ。ただ、その新聞……嘘だらけで恥知らずなそのライヤア通信を見ていたら沸々と怒りが湧き上がって来たのですわ。ええ忌々しい、そんなゴミ屑はひと思いに今すぐにでも燃やし尽してやりたいところです」
先程までの上品な口調からは想像も出来ないほど老婦人はカッカと燃え上がり、怒りにその身を強張らせていた。
「まあ、落ち着いて下さい。何やら並々ならぬ事情がありそうだ。差支えなければ私にお話してくれませんか?」
「ええ、どうか聞いて下さいまし。その新聞は私の夫を侮辱したのです。亡き夫……フラー・ナムニートスはライヤア通信誌上で耐え難い侮辱を受けたのです!」
「フラー・ナムニートス……もしかしてあのLEBON科学賞の……」
「そうです、その通りです。私の夫は研究にその一生を捧げ、昨年哀しい死を迎えました。ですが、その長年の並々ならぬ研究成果を認められてLEBON科学賞の授与を許されたのです。なのに、その忌々しい嘘吐き新聞はあろうことかLEBON賞を侮辱するような記事を書いたのです。LEBON賞を侮辱するということは私の夫を侮辱することと同じですから、私は居ても立っても居られなくなって今からその忌々しい新聞社のあるクロイウェンに向かうところなのでございます」
ナムニートス婦人は手に握ったハンケチを今にも破らんばかりの勢いで握り潰し、これ以上無いというほどの熱の籠った声で、その憤慨に満ちた訴えを一息に吐き出した。それはもう時間を忘れるほどに熱い語り口だったので、気が付けばもうクロイウェン行きの列車がホームに到着していた。
「ふむ、なるほど。やっぱり、こんなゴシップ誌に書いてあることはほとんど嘘ばかりなのですね。いやはや、貴女方の受けた辱めを思えばもう哀しみも抑えれぬほどです」
「ええ、本当に悲しいことです。もう胸もはち切れそうでございます。こんな新聞に書いてあることなんて、殆どどころかまるきり全部、皆が皆、嘘八百なのですよ。貴方もこんな不埒なマスコミの言うことなんて決して信じてはいけませんよ」
私が頷きながら新聞をゴミ箱に投げ込むと、列車に乗り込もうとしていたナムニートス婦人は最後にこう語ってくれた。
「本当に嘘吐きな新聞ですわ。だって、夫の墓があるのはオイラトノ州じゃなくセビューク州なんですもの」
発車のベルが鳴り響き、列車はクロイウェンに向かって走り出した。