6 死神の護衛、あるいは檻の招待状
翌日。MCA本部ビルの一角、太陽の光さえ拒絶するかのような無機質な第三課執務室。
宙に浮く無数のホログラムモニターが、多次元の動乱や異常事態を青白い光で映し出している。整然と並ぶデスクには最新の操作端末が埋め込まれ、所属するエージェントであれば誰でも即座に情報の深淵へアクセスが可能だ。だが、その高度な機能美も、今ここで漂う紫煙の前には影が薄い。
灰原 熾祈は、昨夜の刺客たちの尋問結果を記した報告書を、上司のデスクに音もなく放り投げた。
「……九条 玲奈。あの娘を狙ったのは、彼女を実質的に所有している人物と敵対する組織の差し金だ。情報の漏洩を恐れたか、あるいは単純な嫌がらせだろう」
デスクの主は、ボルドーカラーのウェーブショートボブを揺らし、優雅に煙管を燻らせていた。
ローズ=ミラ=クルス。
第三課・課長であり、熾祈の直属の上司だ。仕立てのいいスーツを着こなし、その奥に潜む古狸の鋭さを隠しながら、彼女は楽しげに目を細めた。
「あらあら、お疲れ様。……でも熾祈ちゃん、報告書に書いていない大事なことがあるんじゃない? なんであのお嬢様と、そんなに親密に飲んでいたのかしら」
ローズは身を乗り出し、揶揄うような笑みを浮かべた。
「あの偏屈な熾祈ちゃんが女を助け、挙句に二人きりで酒を嗜むなんて。もしかして、ついに春が来たのかしら? 私、特務課のクラリスに言いふらしてもいいのよ?」
「……よせ。ただ絡まれただけだ。これ以上くだらない勘繰りをするなら、今すぐ席を外す」
熾祈は心底めんどくさそうに顔を歪め、吐き捨てるように答えた。その徹底した嫌悪ぶりに、ローズはからからと笑い、一枚のICチップを差し出した。
「というわけで、これ、新しい任務。九条 玲奈の身辺警護。彼女の主君がMCAに多額の寄付をしていてねえ、無下にできないのよ。第六課は今、多次元間の異動で猫の手も借りたいほど忙しいみたいだから。……熾祈ちゃん、これは命令よ」
熾祈は深い溜息をつき、不本意ながらもチップを受け取った。
向かった先は、多次元のエリートたちが集う高級会員制サロン、胡蝶の夢。
完全指名制のその場所で、玲奈は最高グレードの特級品として隔離されていた。今回の熾祈は客ではない。公式な護衛任務としての入店許可を得ており、欲望渦巻く黄金色の空間を、死神のような冷徹な眼差しで悠然と歩んでいく。
案内された玲奈の私室へ続く、静まり返った長い廊下。どこかの王族の豪邸を思わせる空間を歩いていると、その曲がり角で、彼は一人の女性とばったり出くわした。
「……あっ」
そこにいたのは、先ほどまで「商品」として誰かの相手をしていたのであろう玲奈だった。
昨夜のエメラルドグリーンのドレスを脱ぎ、今は白磁のような肌を惜しげもなく晒した、薄いシルクのネグリジェを纏っている。二十歳の瑞々しい肉体の曲線が、廊下の柔らかな照明に透けて浮かび上がり、深いVラインからこぼれんばかりの豊かな胸元が、激しい呼吸と共に波打っていた。
玲奈の薄い緑色の瞳が驚愕に揺れ、すぐさま、それは狂おしいほどの歓喜へと塗り替えられた。
「熾祈さん……っ!」
玲奈は、最高級の宝石を扱うかのような淑やかな所作をかなぐり捨て、熾祈の胸へと飛び込んだ。
勢いよくぶつかったその豊かな感触と、瑞々しい香水の匂い。細い腕が熾祈の腰を折れんばかりに強く締め上げる。ネグリジェの薄い生地越しに伝わる、彼女の剥き出しの体温。
「本当に、本当に来てくださったのね。私をこの地獄から、連れ出しに来てくださったのでしょう?」
熾祈は、抱きついた彼女を引き剥がそうと手をかけた。だが、その指先が微かに躊躇う。強気な言葉とは裏腹に、彼女の細い肩が、微かに震えていたからだ。
「……勘違いするな。仕事で来ただけだ。……離れろ、酒が不味くなる」
そう冷たく突き放しながらも、熾祈の瞳は周囲への警戒を解かなかった。廊下の隅、天井の影。玲奈を抱きとめたまま、彼は既に数箇所の監視カメラの位置を完璧に特定していた。




