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15 夏休み

19 夏休み


 ドアの開くような音がして、目が覚めた。

 天井にある木面の茶色い渦と剥き出しになったLEDエルイーディーの電球には身に覚えがある。この場所はおばあちゃん家にある僕の部屋だ。


「───あおちゃん、朝だよ?」


 部屋の出入り口に顔のぼやけた女の子が立っていた。カーテンの隙間から陽の光が差し込み、光の柱が女の子の上半身を照らしている。チュンチュンと外から鳥のさえずりが聞こえきて、女の子がこちらへ近づいて来た。彼女の白い手が僕の肩に触れる。


「遅刻しちゃうよ!」


 女の子はそう言って僕の肩をゆすった。

 気付けば、頭がふわふわとして、身体はここにあるというに俯瞰ふかんしてその光景を見下ろしているようであった。


 ピーッピーッピーッ───、


 と携帯からアラームが鳴り続けていた。眠気まなこで携帯を探し、アラームを止める。携帯の時刻は午前六時を過ぎていた。


 また例の女の子が夢に現れた。これで何度目になるのだろう。その夢は、過去の出来事ではないかと思えるほどに鮮明でおぼろげな箇所がない。それでも僕は彼女のことを思い出せないままだ。夢にだけ現れる彼女は、一体、どこの誰なのだろうか───。



 昨日、つまり夏休み初日の朝にランニングをしていたら、偶然、三谷みたにくんとすれ違った。三谷くんも同じようにランニングをしていて、話しているうちにどうせならとなって一緒に走ることになった。ルートも家から近くの公園とほぼ同じだったので、そこで僕と三谷くんの家が近いことを知った。

 僕らは五キロのランニングを終えて、最後に公園の運動器具で筋トレを済ませた。夏休みのあいだ、三谷くんもランニングや筋トレの約束を氏家先生としていたようで、一人でやるよりも複数でやる方がいいということになり、毎朝、三谷くんと走ることになった。


 僕はベッドから起き上がり、パジャマからランニング用の服装に着替え、顔を洗い、歯磨きをした。ちょうど、兄が勤務先へ行くために外出するところだったので僕もそれに合わせて家を出た。


 ◆


 公園でのランニングと筋トレを終え、葵は三谷とわかれて家に帰った。午前七時三十分過ぎ、ダイニングテーブルでは葵の祖母 美智子みちこ藤原ふじわらが朝食を食べていた。そこには葵の分もしっかりと用意されていた。藤原は運動後の葵の姿を見て目を逸らす。


「あおちゃん、おはよう」


 美智子は言った。


「おはよう、おばあちゃん」


 葵が返事をする。

 昨日と同じ食卓の光景に葵は驚くこともなく、藤原がいることになんの疑問も抱いていなかった。むしろ、毎朝、綺麗な女の子と朝ご飯を食べられることをありがたく、そして、光栄に思うのだった。


「軽くシャワー浴びて来る」


 葵はそう言って浴室でパパッと身体を洗い流し、部屋着に着替えて二人の朝食に合流した。


「ちゃんと拭いてから来なさいよ!」


 藤原は葵の髪の毛がまだ濡れているのを見つけて言った。葵はお構いなくといった具合で箸を持つ。


「しみる〜」


 葵はお味噌汁の入ったお椀を置いた。朝のお味噌汁というのはどうしてこうもしみるのかと考えながら、葵は食卓に並んだ料理を眺めた。鮭としめじのホイル焼き、白米と納豆、お味噌汁にお漬物と質素であるものの、一汁三菜という洗礼された組み合わせに幸せを感じるのだった。

 葵は藤原に訊いた。


「昨日と同じでおばあちゃんと一緒に料理したの?」


「そうだけれど、何?」


 藤原はムスッとして、葵に文句でもあんのか? という眼差しを向けた。


「いや別に、美味しいよって伝えたかっただけです……」


 葵の釈明に藤原は機嫌を取り戻して食事を再開した。葵は、美智子と藤原の会話を耳にしながら朝食を続けた。鮭としめじのホイル焼きには、ブラックペッパーとお塩、バター醤油で下味がなされ、香ばしい風味に加えて、鮭のほんのりとした焼き加減に肉厚はほどよく、白米と合わせると唯一無二の個性的な味わいになるのを葵は楽しんだ。お味噌汁やお漬物で口直ししながら、それを繰り返し続けていると、当然、茶碗の白米が底をつき、葵はおかわりと口にするのだった。藤原は自分でよそって来なさいよと指示するも、日向家にお邪魔している身分として仕方なしと葵のおかわりに応じる。常に、美智子はそんなやり取りに口出しせず見守るのであった。


 夏休みのあいだ、藤原は美智子から料理の勉強をしに日向家へ訪れるようになっていた。それは毎日でないにしろ、一週間に三、四回というペースは思春期の葵には複雑な気持ちをもたらしていた。けれども、葵にも都合の良いことが幾つかあり、夏休みの宿題でわからない点があれば、隣にいる文武両道の秀才、藤原氏に教えをえるということだった。藤原は日向家にお邪魔したのち、料理の勉強と夏休みの宿題をねた。夏休み六日目にして、すでに藤原の宿題量は半分を切っていたが、葵の宿題は端くれしかできていなかった。藤原はなかなか頭の融通が効かない葵にイライラとしながらも、教えることについてはしょうに合っていたのか、さほど苦痛を感じることはなかった。

 葵としては、中学三年生の男子であれば、誰もが持ち合わせているであろう“願わくば、ラッキースケベあれ!”が起こることを期待しながら、藤原の隣で密かに悶々として宿題をするにいたった。


 数日、三谷や藤原との関係が続いた。

 葵と三谷は運動中に交わされる他愛のない話で盛り上がった。三谷も三谷で日々こなしてきたトレーニングのルーティーンに飽きていたので、葵との接点は彼にとって良い化学反応を示した。一方、葵は三谷との関係性において、氏家うじいえとの約束を果たす上で、継続せざるを得ない環境を作り上げているのだと自覚していた。何よりも葵にとって、運動は楽しいものであると思わせてくれる三谷の存在が、パーソナルトレーナーのような、または同級生として、あるいは友人として良い影響を受けていた。

 藤原が日向家にお邪魔しているときに限って、葵の兄であるようが仕事の定時二時間前に帰って来るようになっていた。毎夜毎夜、葉はなんでもない日、万歳! と叫びながら盛大にお金をかけ、家族と藤原の好きな食材やサプライズの品を買って来た。特に流行りのゲームソフトやカードゲームには藤原も興味を示し、夕食後はみんなで和気藹々りとして遊ぶのであった。美智子と葉は藤原のことを新しい家族として、それは一時いっときの擬似的なものかもしれないが、藤原 という女の子を日向家の家族として優しく、そして、心温かく受け入れるのだった。


 昼食のあと、必ずと言っていいほどに、葵は藤原と美智子に連れられ、田園都市ユートピアの散策に出掛けた。藤原と美智子は第一地区にある水族館や美術館、それに続々と建ち並ぶ商業施設に訪れては心を踊らせた。葵は嫌々と駆り出され、若干、飽き飽きとしていたが、それでも現地へ赴くと案外楽しむのだった。


 恋愛のいろはにおいて、単純接触効果たんじゅんせっしょくこうか又の名をザイオンス効果というものがある。初めて会った相手に対して警戒心を抱くが、面識を持ち、何度も会っているうちにその相手に安心感を覚えてしまうという効果だ。

 初めは藤原に蹴り飛ばされた葵であったが、何度も会い、同じ時間を過ごすうちに、葵は着実に藤原のことを意識し始めていた。藤原も同様で最初に抱いた嫌悪感は次第に薄れ、葵のだらしなさでさえもなんだか可愛らしいと思ってしまう気持ちに、なぜかざらざらとした歯痒いものを感じていた。葵は藤原の出掛けるときの服装と部屋着のギャップに毎回ドキマギして、藤原もそんな彼の表情見たさでオフの時間はさっぱりとして、オンのときは身だしなみに時間を掛けた。


 そんなことが一週間と続いて、葵たちは夏祭りを迎えた。


 ◆


 八月七日、夕方───。


 田園都市ユートピアでは六万発もの花火大会があるということで、都市全体がお祭りムードに包まれていた。点在する神社や学校、駅前や商店街といった比較的に地域のコミュニティーが形成されやすい場所に、大小違えど何かしらの催しが行われていた。葵たちの通うB区画併設型教育学校、通称B校では教師やPTA、商工会といった各団体が子どものために大きなお祭りの催しを開催した。今年が初となるB校でのお祭りでは、学校の正門から裏門に掛けて、そして、裏門から神社の本殿までの道のりに様々な種類の出店が軒並みにあった。


 葵は遅刻、田中は連絡が付かず、すでに二人以外の生徒たちはB校の正門前で待ちくたびれていた。藤原と葵は家が目の前であるにも関わらず、マンションの前で待ち合わせすることなく、藤原は他の生徒と同じように学校の正門前で待ち合わせをすることにした。三谷は時間を気にしながら、作間はその場でヤンキー座りをして、藤原は葵に連絡を送るが未読のまま、秋山は正門から見える校内の景色を眺めていた。校内には出店の明かりがパッパと散りばめられ、在学中の生徒や近所の子どもたち、カップルや親子で賑わっていた。


「ごめん! 遅刻した!」


 葵が息を切らしながら中腰になる。


「遅い!」


 藤原が怒る。


「ごめんて!」


 葵は謝りながら藤原の足元から上半身に掛けて目線を上げた。藤原は下駄を履き、足の爪には赤いマニュキュアが塗られ、長脚の布地には朝顔の絵柄が施されている。浴衣越しからでもわかる引き締まった身体はすらっとしながらも、胸元の部分はふっくらとして、首元には鎖骨があらわとなっていた。張りのある手の甲には、爪の赤いマニュキュアが良く似合っている。小物類が入っているショルダーバッグを肩から下ろしていた。くっきりとした首筋は、誘惑するように藤原の顔へ誘導した。すっぴんに近い控えめな化粧が近くの街灯や遠くの出店の明かりで伺えた。唇は艶やかで、前髪はちょんちょんと整えられ、ポニーテールの髪先はパーマとして巻かれている。その姿は、誰もが振り返り見てしまうほどの美しさであった。


 綺麗だ……。


 と葵は見惚みほれ、しかし、それは一目惚れや恋愛としての好意ではなく、ただ単に綺麗なものを目にしたときの条件反射的なものだった。


「じっと見るな!」


 藤原が葵の頭をはたくと、


「あいたっ!」


 葵が頭を押さえた。


「いちゃいちゃすんなよったく」


 三谷がぼやいた。


「田中の奴、全然来ねえじゃんよ……」


「電話はしてあげたの?」


 藤原は携帯の画面を操作しながら言った。


「何回もしたけど、さっぱり……あいつの家、知ってる奴はいないのか?」


 三谷の言葉に空気はしらけ切った。


「まいったな……」


 三谷はそんな空気を改善しようと考える。


「葵は知ってっか?」


 ううんと葵は首を横に振る。


「しゃあねえか、今回はこのメンバーで行くか?」


 と三谷は記念に集合写真を撮ろうと言って、葵たちをB校の正門前に並ばせるのであった。三谷は通りすがりの男を呼び止め、自身の携帯で写真を撮ってもらうようにお願いする。男は承諾し、三谷は葵たちに合流した。


 パシャッ───、


 とフラッシュがたかれて写真が撮られた。

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