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YEHI OR/イェヒ・オール  作者: 海風 野花
第一章:田園都市ユートピア
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13 グッドバイ


 夏休みまでの五日間、氏家先生との地獄のような訓練がようやく終わりを迎えたが、初日から三日間までは死ぬほど過酷だった。特に、能力とは関係のない基礎体力の向上と対人戦がキツくてしんどかった。でも、初日はあれほど厳しいと感じていたランニングも最終日はさほど苦ではなかった。

 夏休みのあいだ、五キロのランニングに自重の筋トレを日課にするよう氏家先生から言われた。言われたからにはやるしかないが、一人では厳しいかもしれない。訓練のしがいもあって、能力はそれなりに制御が効くようになった。最初はばっかばかとビルを倒壊させていたが、今はThat《ザッ》 blade《ブレイドゥ》 cleaves《クリィーヴス》 everything《エヴリシング》.───と、口にしなければ能力が発動しないようになった。氏家先生は倒壊したビルを見るたびにお怒り心頭で、その不機嫌な表情が怖くて怖くて仕方がなかった。


 五日間、やたらと三谷くんや淳平からどんな訓練内容だったのか聞かれた。どうやら、みんなも似たような訓練をしたんだとか。僕は氏家先生から口止めをされていたからやんわりと答えた。氏家先生いわく、僕の能力は上層部に報告して許可が下りるまで人に明かしてはいけないらしい。この能力は未知な上に殺傷能力が高いから、みんなに言えるのはもうしばらくあとのようだ。


 氏家先生との約束が三つもできた。


 一、能力の開示は許可するまで行わないこと。


 二、戦術テストや緊急事態以外に能力を使用しないこと。


 三、戦術テストでの勝敗で勝ったら好きなもの一つプレゼントしてもらえること(許容範囲内に限る)。


 今日は、午前中の授業をもって、全校生徒が夏休みを迎えた。僕だけは午後の訓練を行い、いつも通り、訓練が終わるのは午後十六時過ぎだった。氏家先生とわかれて、僕は教室に授業用のタブレットを置き忘れたことを思い出した。タブレットがなければ、夏休みの宿題ができない。疲労の溜まった身体は帰りたいと叫んでいたが、さすがに夏休みの宿題をおろそかにすると、氏家先生からどんな仕打ちを受けるかわからないから、いさぎよく取りに行くことを選択した。

 B棟二〇三号室のスライドドアを開けると、教室には田中さんが残っていた。彼女は机の上で手帳を広げて静かにしている。


「田中さん、まだ帰ってなかったんだ」


 僕はそう言って自分の机まで歩いて行った。教室には横一列に六人分の席があり、僕の席は窓際の席より二番目だった。田中さんの席が窓際の席だったので、机の上に広げられた手帳の中身が少しだけ見えた。そこにはどこかの地図のような絵が記されてあった。


「葵くんは大切な人とかいる?」


 田中さんが手帳に書きながら言った。

 僕は手帳から目を逸らして条件反射で答えた。


「家族とかかな」


「そうなんだ……」


 と田中さんが口にした。彼女のしんみりとした雰囲気が気になって、僕は自分の席に座った。田中さんが明らかに何か思い悩んでいる様子だったので軽い気持ちで尋ねてみた。


「どうしたの急に?」


「やっぱり、家族は大切だよね」


「……そうだね。何か悩んでることでもあるの?」


「ううん、もういいの」


 と田中さんが首を横に振った。


「きっとこうなる定《さだ》めなのよ」


 僕は彼女にどんな言葉を掛けてあげればいいのかわからなかった。何も話さなくていいのか、ただ同じ時間を共有しているだけでも何か意味があるのか、色々と考えていると、


「葵くん」


 と田中さんが言った。


「何?」


「私たちって友だちだよね?」


 田中さんはそう言ってこちらを見た。その表情は今にも泣き出しそうな顔をしている。それでいて、笑みを浮かべているようにも見えた。


 どこかで見たことがある光景だ。

 僕はそう思いながら答えた。


「うん、友だちだよ!」


「そっか。良かった……」


 田中さんは机の手帳を閉じて、それを眺めた。


「本当に大《だい》───」


 丈夫? と言い掛けたそのとき、また田中さんが突拍子のないことを言った。


「葵くんはお別れの挨拶って知ってる?」


「……さようならとかってこと?」


「そう、さようならとかバイバイとかまたねとか」


「まあ、いつも使ってるから知ってるうちに入るのかな」


「じゃあ、グッドバイは?」


「なにそれ」


 と僕が口にすると、田中さんはクスクスと微笑んでからぽろぽろと涙を流し始めた。そんな彼女に、僕は何か優しい言葉を言いたかった。こういうときに限って、最適な言葉が出てこない。

 田中さんが少し嬉しそうに答えてくれた。


「グッドバイは、……God《ゴッド》 be《ビィ》 with《ウィズ》 ye《イー》という言葉からGod《グッド》 bwye《バイ》になって、……その当時、God《ゴッド》は神さまだから良くないねってなって、Good《グッド》 bye《バイ》になったの」


 やっとこさ頭の中に思い浮かんだ言葉は、どうして泣いてるの? であったが、僕はその言葉が喉元につっかえて口から発せずにいた。田中さんは続けて言った。


「さようなら! またね! とおんなじ意味があるだけど、こんな意味もあるの。神さまがあなたと共にありますように」


「……グッドバイ、知らなかったよ。教えてくれてありがとう!」


「今日、葵くんとバイバイするとき、使ってもいい?」


「全然いいよ!」


 僕の言葉を最後に、田中さんがまた机の上にある手帳に顔を戻した。辺りに重たく冷たい空気が流れ、田中さんは耐えられなくなったのか言った。


「訓練で疲れてるのに、呼び止めてごめんね!」


「全然!」


 僕はどうして良いのかわからず、


「じゃあ、……今度は花火大会で?」


 と言って、その場を切り上げるような言い方をしてしまった。


「そうだね! 楽しみ!」


 田中さんはそう言って僕を見た。彼女の声色や雰囲気はいつもの田中さんなのに、やはりどうしてこんなにも彼女の表情はぐちゃぐちゃに泣いているのか。


「どうしてそんなに泣いてるの?」


 と田中さんは僕のひと言を聞いて、眼鏡を外し、自分の袖《そで》で顔を拭《ぬぐ》った。


「気にしないで! もう良いの。葵くんも帰らないとだし、私もそろそろ帰るね!」


 僕はますます心配になってしまい、


「家まで送って行こうか?」


 と聞いてみたが、


「ごめんなさい。先に帰ってて」


 田中さんはそう言って手帳をポケットに入れた。


「じゃあ、行くよ?」


「うん!」


 田中さんは満面な笑みを浮かべた。


「Good《グッド》 bye《バイ》!」


 僕はその表裏に動揺しながらも彼女の言葉を復唱した。


「……Good《グッド》 bye《バイ》」


 教室の出口で最後に田中さんを見た。彼女は窓の向こうを眺めていた。なんだかその姿が最後のお別れのようで、もう会えない気がしてならなかった。



─────────────────────


 転送開始可能日まで、───残り344日。


─────────────────────

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