14 グッドバイ
夏休みまでの五日間、氏家先生との地獄のような訓練がようやく終わりを迎えたが、初日から二三日と死ぬほど過酷だった。特に、能力とは関係のない基礎体力の向上と対人戦がキツくてしんどかった。でも、初日はあれほど厳しいと感じていたランニングも最終日はさほど苦ではなかった。夏休みのあいだ、五キロのランニングに自重の筋トレを日課にするよう氏家先生から言われた。言われたからにはやるしかないが、一人では厳しいかもしれない。訓練のしがいもあって、能力はそれなりに制御が効くようになった。最初はばっかばかとビルを倒壊させていたが、今はThat blade cleaves everything.───と、口にしなければ能力が発動しないようになった。氏家先生は倒壊したビルを見るたびにお怒り心頭で、その不機嫌な表情が怖くて怖くて仕方がなかった。
五日間、やたらと三谷くんや淳平からどんな訓練内容だったのか聞かれた。どうやら、みんなも似たような訓練をしたんだとか。僕は氏家先生から口止めされていたからやんわりと答えた。氏家先生いわく、僕の能力は上層部に報告して許可が下りるまで人に明かしてはいけないらしい。この能力は未知な上に殺傷能力が高いから、みんなに言えるのはもうしばらくあとのようだ。
氏家先生との約束が三つできた。
① 能力の開示は許可するまで行わないこと。
② 戦術テストや緊急事態以外に能力を使用しないこと。
③ 戦術テストでの勝敗で勝ったら好きなもの一つプレゼントしてもらえること(許容範囲内に限る)。
今日は、午前中の授業をもって、全校生徒が夏休みを迎えた。僕だけは午後の訓練を行い、いつも通り、訓練が終わるのは午後十六時過ぎだった。氏家先生とわかれて、僕は教室にタブレットを忘れたことを思い出した。タブレットがなければ、夏休みの宿題ができない。疲労の溜まった身体は帰りたいと叫んでいたが、流石に夏休みの宿題をおろそかにすると、氏家先生からどんな仕打ちを受けるかわからないから、いさぎよく取りに行くことを選択した。
教室のスライドドアを開けると、そこに田中さんが静かに座っていた。
「田中さん、まだ帰ってなかったんだ」
僕はそう言って自分の机まで歩いて行った。
「葵くんは大切な人とかいる?」
田中さんがメモ帳に何か書きながら言った。
え? 下の名前?
と僕は驚きながら条件反射で答える。
「家族とかかな」
「そうなんだ……」
田中さんのしんみりとした雰囲気が気になって、僕は席に座った。田中さんは明らかに何か思い悩んでいる様子だった。
「どうしたの急に?」
「やっぱり、家族は大切だよね」
「……そうだね。何か悩んでることでもあるの?」
「ううん、もういいの」
と田中さんが首を横に振った。
「きっとこうなる定めなのよ」
僕は彼女にどんな言葉を掛けてあげればいいのかわからなかった。何も話さなくていいのか、ただ同じ時間を共有しているだけでも何か意味があるのか、色々と考えていると、
「葵くん」
と田中さんが言った。
「何?」
「私たちって友だちだよね?」
田中さんはそう言ってこちらを見た。その表情は今にも泣き出しそうな顔をしている。それでいて、笑みを浮かべているようにも見えた。
ああ……どこかで見たことがある光景だ。
僕はそう思いながら答えた。
「僕らは友だちだよ」
「そっか。良かった」
田中さんは机の手帳を閉じて、それを眺めた。
「本当に大───」
丈夫? と言い掛けたそのとき、また田中さんが突拍子のないことを言った。
「葵くんは別れの挨拶って知ってる?」
「……さようならとかってこと?」
「そう、さようならとかバイバイとかまたねとか」
「まあ、いつも使ってるから知ってるうちに入るのかな」
「じゃあ、グッドバイは?」
「なにそれ」
と僕が口にすると、田中さんはクスクスと微笑んでからぽろぽろと涙を流し始めた。そんな彼女に、僕は何か優しい言葉を言いたかった。こういうときに限って、最適な言葉が出てこない。
「グッドバイは、……God be with yeという言葉からGod bwyeになって、……その当時、Godは神さまだから良くないねってなって、Good byeになったの」
やっとこさ頭の中に思い浮かんだ言葉は、どうして泣いてるの? であったが、僕はその言葉が喉元につっかえて口から発せずにいた。田中さんは続けて言った。
「さようなら! またね! とおんなじ意味があるだけど、こんな意味もあるの。神さまがあなたと共にありますように」
「……グッドバイ、知らなかったよ。教えてくれてありがとう」
「今日、葵くんとバイバイするとき、使ってもいい?」
「全然、いいよ!」
僕の言葉を最後に、田中さんは机の手帳を眺めた。あたりに重たく冷たい空気が流れている。
「訓練で疲れてるのに」
田中さんが言った。
「呼び止めてごめんね!」
「全然!」
僕はどうして良いのかわからず、
「じゃあ、……今度は花火大会で?」
と言ってその場を切り上げるような言い方をしてしまった。
「そうだね! 楽しみ!」
田中さんはそう言ってまたこちらを見た。声の色や質感はいつもの田中さんなのに、やはり、どうしてそんなにも彼女の表情はぐちゃぐちゃに泣いているのか。
「どうしてそんなに泣いてるの?」
田中さんは僕のひと言を聞いて、眼鏡を外し、自分の袖で顔を拭った。
「気にしないで! もう良いのよ。葵くんも帰らないとだし、私もそろそろ帰るね!」
僕はますます心配になってしまい、
「家まで送って行こうか?」
と訊いてみたが、
「ごめんなさい。先に帰ってて」
田中さんはそう言って机の手帳をポケットに入れた。
「じゃあ、行くよ?」
「うん」
田中さんは満面な笑みを浮かべて続けて言った。
「Good bye」
僕はその表裏に動揺しながらも田中さんの言葉を復唱した。
「……Good bye」
僕は教室の出口で、最後に田中さんを見た。彼女は窓の向こうを眺めていた。なんだかその姿が最後のお別れのようで、もう会えない気がしてならなかった。
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転送開始可能日まで、───残り344日。
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