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10 お坊さん


「お待たせしました!」


 背後から藤原の声がした。

 振り返ると、そこには藤原が息を切らしながら中腰で立っていた。


「あら、お綺麗ね」


 とおばあちゃんが褒めた。たしかに僕よりも服のセンスはあるのだろうし、それなりに大人びて見えた。身長も高いからモデルと言われてもみんな疑わないだろう。


「───ありがとうございます!」


 藤原は嬉しそうに言った。


「暑いから早く行こう」


 僕がそう言うと藤原に睨まれた。


「なんだよ」


 藤原はプイッとそっぽを向いて、


美智子みちこさん、行きましょ!」


 と言って、おばあちゃんの腕を取って歩いて行った。

 僕らは午前十時にマンションの前で待ち合わせをした。藤原は五分の遅刻、ごめんなさいの一言もないというのは、いったいどういう育ち方をすれば、そんな子に育つのか、育ての親の顔が見てみたいと物申してやろうと思ったが、いざ、実際に彼女の親を前にして見たら、すごい厳つい人が出て来そうでやめた。

 僕の家と藤原が住むマンションから徒歩三分のところに地下鉄へ繋がる階段がある。そこから地下へ降りて行って、専用の通路を一〇分ほど歩くと人がまばらに増え、駅員のいる改札口に着いた。それからは都心と同じような作りの地下鉄のホームへ出る。

 田園都市ユートピアの地下鉄を走る乗り物は電車や新幹線ではなく、ハイパーループというもので、リニアよりも早いらしい。ハイパーループは定期的に周回しているようで、ホームが①から⑩まであるから迷子になりやしないかと不安だったけど、そこはさすが三ヶ月もこの都市で暮らしている藤原、ささっと道案内をかって出てくれて、目的地である⑥のホームへ到着し、待つこと五分もしないうちにハイパーループがやって来た。その近未来的なフォルムには角張った部分はなく、極限までに削ぎ落とされた無駄のないなだらかな曲線は、撮り鉄の大興奮した顔が目に浮かんだ。落下防止柵が自動で開き、僕らはハイパーループの中へ入る。座席はクロスシートのみ、横一列に四席あり、ニ席ごとにわかれていて、それが後部座席まで続いていた。おばあちゃんと藤原は隣り合わせで座り、僕は隣の二席が空いていたので窓際の席に座った。シートベルトの種類は車のそれではなく、宇宙飛行士のドキュメンタリーで紹介されていた五点式ハーネスというタイプに近かった。

 ハイパーループの動き出しは、初めて飛行機に乗ったときのような感覚があり、重力が徐々に感じられ、次第に耳の鼓膜に薄い膜が張った。唾を飲み込むと耳抜きに近いことができると知っていたからやってみたけど、案外、上手くいった。


「最近の流行りは韓国っぽいコーデですかね……」


 藤原は照れながら聞かれたことに答える。


「そうなのね」


 おばあちゃんも若い女の子と話せて嬉しいのだろうか、兄や僕に見せるような優しい表情を見せている。はたから見れば、祖母と孫娘だ。

 ハイパーループの中では会話ができるようだった。なんだか僕だけ蚊帳の外に居るように思えた。時間潰しに携帯を触ろうと思ったが、車内の壁に映った自分の顔に気付いた。幼く、情けない。思春期の顔はどうしてこうも情けなく見えてしまうのだろうか。劣等感、それに尽きるのか。目覚めてから四日目、依然、何かを思い出さないといけない気がしてならない。大事なことを忘れてしまったような感覚だけが残る。胸のあたりにぽっかりとした穴があるようだ。目を瞑ると、思い浮かべるのは夢の中で見た教会と栗毛色の髪をした女の子。テレビの影響か、前世の記憶か───。



 僕はキャンバスに雲を描いている。黙々と描かれるその絵は、朝焼けの空、雲の合間から赤い空が見えている。中学一年生のころは、こんな絵ばかりを描いていた。普通の授業じゃあ水彩絵の具しか使わせてくれなくて、美術部まで入って油絵をたくさん描いた。入部した理由はそれだけではなかったはずだが、


「何、えがいてるの?」


 左の方から声がしたように思えた。そちらを見ると、顔に白いモヤの掛かった制服を着た女の子が立っていた。名前も顔も思い出せない。僕は驚きもせず、


「教会の中庭から見上げている空だよ」


 と親しげに話している。


「私、この絵好き!」


 言っていることはわかるのに、彼女の声が聞こえてこない。


「───ちゃん、ありがとう!」


 彼女の名前が思い出せないのに、僕はたしかに彼女の名前を口にした。夢の中で見た教会のあの子だ。名前も、顔も、声もわからないというのに、なぜか彼女の笑顔が可愛いと思えた。



「起きなさい!」


 そこには藤原の顔があった。


「着いた?」


「そう言ってるじゃない! 早く行くよ!」


 藤原の背中が遠のいて行く。僕は夢うつつにハーネスを外し、座席から立ち上がってハイパーループをあとにした。


 ◆


 地上に出たあと、ダスト・トレイルという通信アプリを使って、兄から駄菓子屋の位置情報を送ってもらった。昨夜、流れで藤原から正式に連絡先をいただけることになり、彼女に駄菓子屋の位置情報を共有した。やはり案内は藤原に託され、僕はいつの間にか荷物持ちと化していたが、それを気に病むことはなく、むしろ、女性陣の荷物を持って歩くことに光栄とさえ思うようになっていた。


「あと駄菓子屋さんまで十分もないみたいです」


 藤原が言った。


「楽しみねえ。昔のことを思い出すわ」


 おばあちゃんの様子はまるで子どもに戻ったときのように無邪気で生き生きとしていた。


「おじさん、そんなところで何してるの?」


 子どもの声が聞こえた。

 僕らは人や車通りの少ない交差点に差し掛かり、歩道の端に修行僧のような格好をした男性が立っているのを見た。修行僧の前には子どもとその母親がいる。母親は子どもに色々と説明したあと言った。


「お手てを合わせて」


 親子は修行僧の前で合掌する。母親は財布からお金を取り出して子どもに手渡した。そのあと、母親が子どもを抱き上げて言った。


「お布施ふせを入れて」


 子どもが修行僧の手元にある黒いはちにお金を入れた。母親が子どもを褒める。


「よくできましたねえ!」


 母親は子どもを下ろして、


「一礼して」


 親子が手を合わせて頭を下げると、修行僧がぶつぶつとお経を唱え始めた。


「───財法二施ざいほうにせ功徳無量くどくむりょう檀波羅蜜だんばらみつ具足円満ぐそくえんまん───」


 修行僧が一礼すると、親子も再度一礼した。


「またね! おじさん!」


 去り際に子どもが言った。母親は軽くお辞儀しながら口にする。


「ありがとうございました」


「あれは? 初めて見たかも」


 と僕が訊くと、おばあちゃんが教えてくれた。


「あれは托鉢はくたつと言ってね、お坊さんが修行しているの。お布施をする私たちにも修行の機会を与えてくれているのよ。お布施をしたあとは、お坊さんが施財じざいを唱えてくれるの」


 おばあちゃんは先ほどの親子に感化されたのか、


「私たちもしましょうか」


 と言って、修行僧のもとへ歩いて行った。僕と藤原はお互いの顔を見て、先に藤原がおばあちゃんのあとに続いた。僕は面倒だなと思いつつ、そのあとを着いて行く。僕らは修行僧の前で合掌して一礼をした。僕は背負っていたリュックサックから長財布を取り出して、おばあちゃんに手渡すと、僕と藤原の分も含めて、修行僧の鉢にお金を入れてくれた。僕らが親子のように手を合わせて頭を下げると、修行僧が施財の偈を唱え始めた。


「───乃至法界ないしほっかい平等利益びょうどうりやく───」


 修行僧が静かに頭を下げ、僕らはありがとうございましたとお礼をして、ちょうど、信号機が赤から青に変わったので交差点を渡り始めた。


「彼か───」


 後方から何か小声が聞こえたような気がしたが、僕は何も聞こえなかったことにした。


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