第十三話 マーク
発砲音が響く。
直後、黒い角に覆われた伊木司の顔は、私の目前にあった。
咄嗟に後退する。
こいつ、銃を避けた。
無数の腕に体を掴まれ、体を地面に叩きつけられる。
振り払おうと藻掻くが、背中が痛み、思うように動かない。
物凄い力で首を締め上げられる。
息が吸えない。
下半身の力が抜け、股にじわりとしたものが広がる。
死ぬ。
私は、ありったけの力で伊木司の顔を殴打した。
衝撃で拳の皮が剥け、鋭い痛みが走る。
同時に、粘膜のような、ぬめぬめとした感触。
拳が目玉に突き刺さったのだと察し、更に力を込める。
獣のような絶叫が響いた。
意識が遠のいてゆく。
「ひずみ」
箸庭さんの声が聞こえる。
突如、首を締める力が緩んだ。
体を宙に放り出され、地面に激突する。
大きな影が頭上を横切った。
爆発音のような銃声が連続する。
「B班、念入りに頭を潰せ。まだ火は放つな」
痛む背中をさすりながら、顔を上げた。
数メートル先で、捜査員に囲まれた伊木司が、ぐったりと倒れている。
その背は1の字に裂かれ、溢れ出る血は池と化している。
「ひずみ、大丈夫か」
顔を上げると、箸庭さんが私のすぐ横に立っていた。
片方の手には、血みどろの刃物が握られている。
「…………平気です、ありがとうございます」
箸庭さんは頷くと、伊木司の方へと駆けて行った。
危なかった。
あんな化け物が野放しになっていたなんて。
ここで倒せて良かった。
数人の捜査員が、視界の端を通り過ぎて行った。
振り返ると、負傷したA班の手当てが行われている。
悲痛な叫びが聞こえる。
助からなかった人もいたのか。
呼吸を整え、伊木司に近づく。
頭部を完全に破壊されたため、残ったのは変貌し切った胴体のみ。
見れば見るほど異形だ。
大人の男の二倍はあろう背丈。背中にびっしり生えた腕は、ピンと空へと伸びている。
胴体には一切の毛がない。生まれたての赤子のように、綺麗な肌。
もう人間の面影はない。
「これをどう見る」
箸庭さんが言った。
「…………鬼、じゃないんですか」
「そうなんだが」
少しの間。
「……検証の結果、「HENTAI・com」の映像と伊木司の変異に直接の関係はないと出た」
沈黙が流れた。
「あれは呪術の記録に間違いないが、人を変異させる力はないらしい」
よくできたフェイクだ。
箸庭さんが言う。
「…………なら、伊木司は勝手に鬼になったと」
「捜査中だ」
途端に、頭の中がぐちゃぐちゃし出した。
伊木司は、あの映像によって、鬼に変わったのではない。
だが、人が自然と鬼になることはない。
必ず、何かしらの影響を受けて変異する。
…………変異。
何か引っかかる。
ゴミ屋敷と、腕の詰まった袋がよぎった。
くねくね看板。ミーム汚染。
喉のすぐそこまで、出かかっている。
私は、絞り出すように言った。
「じゃあ、足畑集落の工芸品のマークは。映像の最後の」
「…………なんのことだ?」
箸庭さんは怪訝そうな顔をした。
「映像の最後にマーク…………」
箸庭さんの眉に、深い皺が浮かび上がった。
「お前、足畑集落の調査に向かわされた理由、覚えてるか」
遅くなりました。
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