序章 ヘンタイが見る
遅くなってすいません。
シリーズものになります。
1
娘の誕生日会をすっぽかした。
父として最低な行為だと自覚している。だが、仕方なかった。
耐えられなかった。
スマホに映し出された「HENTAI.com」の画面。
頭まで被った布団の中、画面をスクロールする。真黒の画面に赤字で文章が綴られている。
変態さんの夜
ここは、日本中の変態さんを集めた有料の掲示板サイトです!
※18歳未満の方はご退出ください。
・露出狂の夜
・バイオレンスの夜
・調教の夜
・スカトロの夜
・胎内回帰の夜
・視姦の夜
・盗撮の夜
・その他
「バイオレンスの夜」に指を伸ばしかけ、急に不安が押し寄せる。
ちゃんと鍵を閉めただろうか。
布団からそっと頭を出し、暗闇に包まれた廊下を見つめる。
つま先からゆっくりと床に足をつける。布団を羽織ったまま、そろりそろりと廊下を進む。
家族にも同僚にも、この宿に泊まっていることを伝えていない。誰も来るはずがない。
ドアノブを回し、扉を押す。
開かない。
それがわかると、速足で敷布団に戻った。
そう、来るはずがない。不安に思う必要なんてない。
再び布団を頭まで被る。画面の「バイオレンスの夜」をタップ
すると、ずらりと動画のサムネイルが表示された。
迷いなく一番人気の動画を選ぶ。
料金を支払っているため、広告は表示されない。画面を最大表示にする。
呼吸を整え、俺は再生マークを押した。
2
動画タイトル『焼かれたい30代女性』 18042回再生
白い壁を背景に、下着姿の女性が椅子に座っている。
体型は中肉中背。ブラウス型の下着は水色で、肌は浅黒い。
そして、黒の目出し帽を被り、サングラスを掛けている。このサイトでは恒例だ。
画面下に黒字でテロップが入る。
・なぜ応募しようと思ったんですか。
「変わりたかったからです」
女性は無機質な声で呟いた。
・いつから焼かれることに興味が?
「小学生低学年の頃からです」
・なぜ焼かれることに興味を持ったのですか?
「家で料理を手伝っている時、熱湯をこぼして手を火傷したことがきっかけです」
女性はふっと息を吐いた。緊張しているらしく、肩が震えている。
「私、自分が嫌いなんです。昔からずっと。顔も声も性格も肌色も、何もかも全てが嫌いなんです。なんでかの言語化は難しいんですが。鏡を見ると嫌悪感に押し潰されそうになるし、誰かと話してると、こんなことしか話せない自分が嫌になるし、特に何もしていなくても、ふとした瞬間に死にたいくらい嫌になるんです」
女性の声が途切れる。少しの間、無音が続く。
数十秒程経っただろうか。女性は再び口を開いた。
「火傷って、なかなか治らないんですよ。今でも私の手にはあの時の火傷があります。それまで私、色々試してたんです。切ってみたり、落ちてみたり、捻ってみたり。それでできた傷跡は、皆と同じに思えたんです。嬉しかった。でも、どれも治って元に戻って。初めて転んで膝をすりむいて、完治した時の恐怖は今でも覚えてます。あの時は、トイレに向かって吐きました。……そんな中でも、火傷は違いました。酷い火傷なら、いつまでも残り続ける。同じでいられるんです。確かに痛いし、後遺症が残ることもあります。母にこのことを話したら怒られました。祖母の家に連れてかれて、戦争で負った火傷を見せて説教されました。別に母を悪く言うつもりはありません。当然ですし、普通の反応です。でも」
女性は声を詰まらせた。
「でも、そうしないと、私は自己嫌悪で死にます。今まで何度死のうと思ったか。でもその度に、母や父のことがよぎって、邪魔をします。悲しませたくはないけど、このままじゃ、いつか破裂します。毎日職場の人と顔を合わせる度に、彼らの目を、口調を、あの仕草が私を苦しめるんです。生き地獄です。なんで同じじゃないのか、ああなんで私だけ。母や父が悪いわけではありません。泣かせたくないんです。でも」
女性は叫ぶように一通り言い終えると、姿勢を正した。
「母も父も、先月亡くなりました。もういいんです」
・ありがとうございました。
涙で視界が歪む。俺は衣服の袖で目をこすった。
場面が変わり、女性が手術台のようなものの上に寝そべっている。
手足はベルトのようなもので固定され、身動きが取れないようだ。
・死なない程度なら、制限はなし、でよろしいですか
女性はゆっくりと頷いた。
「お願いします」
画面上に、パンツ一丁の目出し帽を被った男たちが現れた。
皆、手にはライターやらバーナーやら、火にまつわるものを持っている。
男たちは何やら話しをし、ライターの男が女性に近づいた。
火をつけ、女性の太ももに押し付ける。
女性の悲鳴が上がった。体を痙攣させている。
男たちは少しの間女性のことを観察していたが、何かを察したようにうなずき合うと、ずらりと女性を囲んだ。よく見ると、男は全員で五人いるようだ。
今度は様子を見ることなく、各々が女性を火で責め立てた。
女性の両腕は赤黒く染まり、両足は軽く炎上している。
ある男は、女性の指をバーナーで徹底的に焼いていた。親指が終わると人差し指へ。それも終わると中指へと、順番ずつに。
またある男は、炎上してぐずぐずになった太ももの中に、ライターを突っ込んでいた。彼はマスク越しでもわかるくらい、楽しそうにしていた。
画面内では女性の絶叫が続けている。死ぬほど辛いのだろう。
抵抗しようとしてもがいたり、拘束から逃れようとしている、
それでも、やめるように懇願することはなかった。
やがて、髪の毛も燃やされ始めた。男達が何やら興奮している。火責めが性癖なのか。
数人の男たちが下着から性器を取り出した。火責めが性癖らしい。
女性の顔に火が迫る。
流石にまずいのではないか。
そう思った瞬間、突如画面外から女性に水が被せられた。
数人の黒服が現れ、性器を露出させていた男たちを組み伏せる。
画面下に赤文字でテロップが流れた。
・参加者の皆様は、規則と契約内容の遵守をお願い致します。
画面がブラックアウトした。
数秒の間の後、冒頭と同じ、白い壁の背景に、女性が椅子に座っている画面に戻った。
女性は全身包帯で巻かれ、黒服に支えられている。もはや原型をとどめていない。
うめくような、動物の鳴き声のような音が、女性の口から漏れている。
ありがとうございました、とテロップが流れる。
女性はぐちゃぐちゃになった自身の腕を見た。
そして、高いうめき声をあげ、せき込んだ。
動画が終わった。
俺はポケットに入れていたティッシュを取り出し、鼻をかむ。
気持ちが軽くなった気もするし、心ががらんとなった感じもする。
娘の姿を思い浮かべる。
あの娘も、火傷の女性のような願望を持っていたりするのだろうか。
運動会の様子が脳裏をよぎる。
いや、ないな。
あの娘はふつうに友達がいるし、魔法少女を愛している。
「お前のせいで、死んだんだ」
サユリの声が聞こえる。
幻聴だ。今日のは妙に生々しい。
それはそうか。娘の葬式で実際に言われたことなのだから。
おもりを飲み込んだような感覚。気分が悪い。
再び画面をスクロールし、「胎内回帰の夜」をタップする。
迷いなく一番人気のものを選ぶ。
「死んだんだ」
うるさい、静かにしてくれサユリ。
3
動画タイトル『見られたい現役公務員男子』 9403回再生
どこかの公園に、スーツ姿の男が立っている。
背景には砂場と滑り台、そして遊び回る子供たちが写っている。
・なぜ応募しようと思ったんですか
「見てほしいからです」
先ほどの女性と違い、はきはきと喋る人だ。
・いつから見られることに興味が?
「最近ですね。それまではむしろ見られることが嫌いでした」
・なぜ見られることに興味を持ったのですか?
「自分が嫌いだからです」
いつの間にか背景があの白の壁になっている。
見られる範囲に制限なし、ということでよろしいですか
「はい」
そう言うと、男は服を脱ぎ、全裸になった。
スーツ越しには分からなかったが、なかなか筋肉がついている。
マッチョと呼んでもいいくらいだ。
「僕は今から、皆様に謝罪します。まずは僕の体をご覧ください。一見すると、多少筋肉がついているだけに見えるでしょう。ですが、それは大きな間違いです」
男は床に正座した。
「僕が最初の罪を犯したのは、中学生の時です。僕には弟がいて、ずっと仲良しでした。学校から帰るとゲームをして遊び、休日は一緒に遠出していました。事件が起きたのは、夏休みの最中、祖母の家に帰省していた時でした。弟が近所の高校生たちに暴行を受けたのです。顔を殴られ、腹を蹴られ、服を破かれて睾丸の片方を潰されました。そして、彼らはその様子を写真に収め、僕たちをゆすり始めたのです」
男は一息ついた。
「僕は何もできませんでした。弟はただ見ていただけの僕を責め、なじりました。弟は今でも僕のことを恨み、お金を求めてきます。僕のせいです。僕が悪いんです」
男は体勢を変え、床に手をついた。
「次の罪は、中学生の時です。僕は給食中、誤って女子の制服にスープをかけてしまいました。彼女は僕をにらみました。聞いた話によると、彼女はその日、制服で好きな人とデートする予定だったそうです。彼女はその後、破局しました。僕がスープをかけなければ、彼女は恋を成就させることができました。僕のせいなんです。もう償うことはできません。本当に申し訳ありませんでした」
「次の罪は、中学生の時です。僕は登校中、石を蹴って、電柱にぶつけてしまいました」
男は次々に謝罪を述べていった。それにつれて徐々に男の声は震えはじめた。
しまいには、床に頭をこすり付け、泣き叫ぶように懺悔していた。
「生まれてきてごめんなさい。生きていてごめんなさい。ごめんなさい」
男の懺悔は、夜更かしした、噓をついた、掃除をさぼった、など日常の些事にまで及んだ。
ここまでくると、何がしたいのか察しがついてくる。
画面下にテロップが流れてくる。
男の個人情報だ。これもこの男の望みか。
絶叫の謝罪はその後三時間以上も続いた。
最後は、男の
「裁いてください」
という言葉で締められた。
画面がブラックアウトし、動画は終了した。
俺はこうなれなかった。
真黒になった画面を見て、吐息が出た。
この男は、贖罪を果たすため、自分の全てをさらけ出した。
それに比べて俺はどうだ。
なし崩しでサユリと結婚し、子供をつくらされ、こうして娘の誕生会を抜け出している。
「あの子は、お前のせいで死んだんだ」
頼む、黙ってくれ。
娘は事故で死んだ。俺が殺したわけじゃない。
布団の向こうに、サユリの気配がする。
「なんで誕生日会に来なかったの」
「なんで入学式に来ないの」
「なんで実の娘を愛せないの」
スマホの画面に吸い込まれそうな感覚。
このサイトに俺も行けていたら、こんなことには。
目の前がチカチカする。
体の芯がもぞもぞ疼く。
毛が逆立つ。
なんでこんなことを?
一人でいたくない。でも、分かれたくないから。
いつからこんなことを?
覚えていない。ずっと、分かれたくなかった。
俺はずっと、「俺」でありたかった。何も俺の体から出したくなかった。
いつまでも俺の体にとどめておきたい。老廃物も声も唾液も、何もかも俺のままで。
でも一人は嫌だった。
孤独なのは苦痛だった。「一人」でありたい、一人になりたくない。
一度、目も鼻も口も全て閉じてしまえば、何も出ていかないと思った。
だが、身体はそれに耐えられなかった。
苦しかった。相談はできない。言葉にしたら、思考の一部が出ていきそうで、怖かった。
俺は日に日に「俺」が削られていくのを感じながら、日々を送っていた。
地獄だった。
サユリに出会った。彼女は、俺を愛していると言った。俺を理解できると言った。
何も失わずに、他人と分かり合えると思い、嬉しかった。
もう苦しまなくて済む。
当時の俺はそう思っていた。罠だとも知らずに。
彼女は既成事実を作った。結婚を急いでいたのだ。
その時のことは今でも覚えている。
あれを暴力と言わずに、なんというのか。
俺の陰部から、俺が出ていくのを感じた。魂を吸われるのを感じた。
その後、しばらく何もできなかった。
サユリの態度は一変した。俺に冷たくあたり、「親としての自覚を持て」と言った。
サユリが「娘」と呼んだ人間は、紛れもなく俺だった。
そして俺は、明確に「分かれた」。
分かれたあれは「娘」であり、サユリのつけた名前で呼ぶ個体ではない。
「娘」はおれであり、いずれは俺へと還ることだってできる。だって細胞は別れてもくっつくのだから。俺は細胞でありたかった。
布団が肌に吸い付いていく。綿が、皮膚を介して吸収されていく。
細胞になれたようだ。だから、食べられるのだ。
娘を取り込むことができると気づいた時、俺は自然と口角が上がっていた。
もう耐える必要はない。家から、俺ではなくなりつつある個体から逃げる必要もない。
爪が伸び、口角は際限なく上がり続ける。
額を角が突き破り、目玉は裏返る。背骨が焼かれた死体の如き曲がりを見せる。
手元に温もりを感じる。
俺がいる。分かる。
俺になる。
次回の更新は、2/17の0:00になります。