第3話 メイクアップの魔法
「林田さん、金曜日に話していた人、誰?」
月曜日、彩花が給湯室で布巾を漂白していると、加納さんがつっけんどんに声をかけてきた。
結局金曜日の合コンの話題は芸能人の話題に移ってお開きとなり、主役を彩花に奪われた形となった加納さんは、すこぶる機嫌が悪い。
「誰って、ただの知り合いだけど……?」
少なくとも友達ではない。知り合いという表現が妥当だろうと、彩花は朔弥の顔を浮かべる。
「ふーん。林田さんの交友関係ってわからないものね。ま、その芸能関係者に捨てられないようにね」
「捨てられるって、どういう――」
「あの人と釣り合ってないんじゃない? 芸能関係者に目をかけられる価値、林田さんにはないと思う」
「……」
そう言われると、彩花は何も言えない。
容姿は並で特筆すべきプラスアルファ要素がない彩花を、そもそも朔弥はどうして好いてくれているのだろう。彩花はイマイチ自分に自信が持てないでいたが、『価値』という言葉を突きつけられてますます俯いた。
昼休みに朔弥からメールが入る。加納さんから言われた言葉が心に刺さっていた彩花は、つい愚痴めいた返信をしてしまった。朔弥がびっくりしてメールをよこす。
『彩花、どうしたの? 誰かに何か言われたの?』
『ちょっと、気になっただけ。どうして朔弥は今でも私のこと気に掛けてくれるのかなって……』
『それは、好きだからよ。今更言わせないでよ』
『今の私なんか――』
『彩花は昔と変わってない。その控えめなところが好きなのよ。でもそうね、自分を卑下しすぎるのは心がしんどいと思うわ』
卑下しすぎているのだろうか? 私は誰かに好かれるほど魅力はないのに。
彩花は洗面所の鏡に映る自分を見つめた。
社会人のマナーとして最低限の薄化粧はしているが、なんだか血色が悪いように見える。口紅を付け直すも、なんだか今の自分にチグハグな感じがしてティッシュで拭き取ってしまった。結局無色のリップバームで保湿するだけにとどめる。
『今夜ちょっと時間ある?』
『朔弥、仕事で忙しいんじゃないの?』
『彩花のためなら、いくらでも時間を空けるわ』
『そう……ちょっとなら』
『私が魔法をかけてあげる』
『?』
定時になり、彩花はそそくさと退社して待ち合わせのカフェに行くと、朔弥が待っていた。
「彩花、お疲れ様」
「うん、朔弥も、お疲れさま」
「じゃぁ、行こっか」
「どこへ?」
朔弥にカフェから連れ出され、とあるフォトスタジオに連れてこられた。
朔弥がカメラマンらしき女性と顔見知りらしい。
「あら、今日はどうしたの?」
「うん、今日はこの子に魔法をかけてあげたくて」
「そっか。メイク室、空いてるよ」
「ありがと、じゃお借りしまーす」
あれよあれよという間にメイク室へ通された彩花は、ストンと大きな鏡の前に座らせられた。朔弥が鏡の中の彩花に話しかける。
「これから、自分に自信のない彩花に魔法をかけます」
「魔法ってメイクのことだったの?」
「そ。メイクは魔法なの。可愛くなるぞ〜って暗示をかけながらメイクすると、本当に魔法がかかるものなのよ」
そう言って、朔弥は持参のメイク道具を広げた。
「彩花はイエローベースだから、チークはこれ系で、アイシャドーはマロンブラウンが合うわね、リップのカラー、こっちとそっちどっちが好き?」
「ちょっと待って、朔弥。私、厚化粧はあんまり好きじゃないんだけど」
「うん、知ってる。だからこれからナチュラル系のメイクをします」
テキパキと手際よくメイクをほどこす朔弥の、器用な手に彩花は見惚れる。アイラインを少しだけぼかし、マスカラもブラウン系で優しい印象だ。仕上がってゆくメイクを見て、鏡に映る彩花の表情が明るくなってゆく。
「ここにハイライト入れると顔全体が明るく見えるのよ。はい出来上がり」
「これ……私?」
鏡に映る彩花は、自然で優しい感じの垢抜けた印象だ。彩花はただただ驚く。朔弥のプロの技、プロの仕事に感心した。
「彩花、かわいい! じゃ、撮影してもらいましょう」
「え?」
「今の彩花の写真、いつでも見られるように持っていたいもん」
結局、朔弥とカメラマンに乗せられて、彩花が笑顔になってる写真が出来上がった。可愛いと思うのは自惚れているかもしれない。
「このメイクは普段づかいできるバージョン。彩花、今日会ったばっかの時はすごく疲れてるように見えたから、元気が出るスマイルメイクにしてみたの」
「私にも、このメイクできるようになる?」
「もちろん! 可愛くなるぞ〜って自己暗示をかけながらすればO Kよ」
「自己暗示……」
「そう、自己暗示も大事。義務感でメイクしちゃダメよ? 自分に魔法をかける気持ちでメイクすれば上手くいくわ」
「……ありがとう、朔弥」
彩花は照れながら、朔弥に感謝の言葉を伝えた。
仕事終わった時は最低な気分だったのに、今は魔法がかかったようにウキウキしている。メイクひとつでこんなに気分が変わるものだなんて、知らなかったなと、彩花は心からに朔弥に感謝した。
火曜日、彩花は早く起きて、昨日出来上がった写真を見ながら朔弥のスマイルメイクを真似てみた。
「可愛くなるぞ〜可愛い、可愛い――っと」
鏡の向こうの自分に囁きながら、彩花はメイクをした。なんだか楽しい気分だ。
「林田さん、今日どうしたの? なんかメイク変えたよね?」
隣の席の同僚が目を丸くする。
「……変かな?」
「ううん、いいと思う! なんか柔らかい感じで林田さんらしいわ」
「ありがとう」
今日は気分がいい。仕事もこころなしか捗る。今日は加納さんの言葉も刺さらない気がする。
少し離れたところから、加納さんが少し悔しげに言う。
「ふーん、ちょっとはマシなメイクできるのね。でも浮かれてない?」
「そうかもね」
彩花は加納さんの言葉を軽く流すことができた。
メイクアップの魔法って不思議。おかげで少し強くなれた気がする。
朔弥とは今後いい友達になれるんじゃないかなと、彩花は思った。復縁というより、新たな関係を築けるかもしれない。そんな予感がした。