第1話 宙ぶらりんな恋の行方
金曜日の昼休み、会社員の林田彩花は、自分のデスクでスマホ画面をドキドキしながら見返していた。明日は高校時代の同窓会が催される日だ。スマホの画面には幹事を務める友人、楓からのメールが表示されている。
彩花は高校時代に想いを馳せた。思い浮かべるのは当時付き合っていた恋人、朔弥の、線の細い感じで整った顔立ちと、とろけそうな優しい笑顔。
桜の花咲く校庭の片隅で彼と交わした甘いキス。何もかもが夢のような日々だった。
でも高校卒業と同時に、朔弥は姿を消し、彩花の恋は宙ぶらりんのまま自然消滅の形になった。その後の朔弥は消息不明で、二十歳の集いにも、彼の姿はなかった。
はっきり言ってその恋を彩花は未だに引きずっている。朔弥のことが忘れられなくて短大時代は恋人を作る気になれなかった。
「なぁに? 男からのデートのお誘いとか?」
不意に同僚の加納さんに話けれられ、彩花は心が現実に引き戻される。
「ううん、明日高校の時の同窓会だから、ちょっと昔を思い出してただけ」
「ふっ。そうよね地味な林田さんに男からお誘いなんて来るわけないわよね〜」
ちょっと棘を感じる言葉だったが、加納さんの言葉を彩花は否定できない。
確かに彩花は地味だ。いまいち垢抜けない目立たない容姿で、それは彩花のコンプレックスでもある。男性からチヤホヤされるのが当然だとしている加納さんの、華やかな可愛さに比べられると、正直困るし嫌な思いしかない。
土曜日、彩花は同窓会の会場になっているダイニングレストランに着いた。
「彩花、ここよ!」
幹事の楓が彩花を自分の居るテーブルに呼ぶ。楓とは高校を卒業しても割と頻繁に会っていたが、他の面々とは二十歳の集い以来だ。同級生たちとの久しぶりの再会に喜び、ひとしきり昔話に花を咲かせる。
その席には朔弥と仲の良かった飯尾くんや鈴原くん、岡野くんの三人もいた。
彩花はそれとなく彼らに朔弥の話題を振る。
飯尾くんたちがそれぞれ困惑したように口を開く。
「俺らも高校卒業以来、朔弥とは会ってないんだ」
「風の噂だけど、海外に留学したとかなんとか? 詳しくは知らないんだよ」
「連絡先も変えたみたいでさ。林田が朔弥の行方わからないなら、俺らがわかるわけじないじゃん」
海外に留学の話なんて、彩花は朔弥から一言も聞いていない。彩花は落胆した。そんな姿を見て、楓が飯尾くんたちに確認する。
「同窓会名簿では、朔弥くんの自宅は昔のままになってたけど……」
「でも俺ら、朔弥の家族とは顔見知りじゃなかったしな〜」
「ああ、朔弥が俺らと連絡とりたくないのかもしれないしさ」
「狭い町だから居ればなんかしら噂になるもんだけど、もうこの街にはいないのかもしれないぜ?」
飯尾くんたちも、朔弥が彩花と付き合っていたことは知っている。彼らの同情の視線が痛い。
朔弥が連絡をとりたくなかったとしたら……私って振られたのかな……何度も自問した言葉が彩花の脳裏をよぎり、みんな視線を落とす。
鈴原くんが、しん……となった場を切り替えるように明る言う。
「ま、でも、朔弥から連絡があったら絶対、林田に知らせるよ」
「――うん、ありがとう」
日曜日、彩花は自宅でスマホを手に楓と通話していた。
「昨日は幹事、ありがとね」
「ううん。彩花こそ、気を落とさないで」
「うん……でも何年も引きずってるって、私未練がましいよね。わかってるんだけど」
「別れようって言われたわけじゃないんだし、きっと朔弥くんにも事情があるのよ」
「でもこれってやっぱり自然消滅だよね」
「彩花はまだ朔弥くんのこと好きなんでしょ?」
思い出の中の朔弥は、彩花に真摯に向き合ってくれていた。まっすくな瞳には偽りはなかった。浮気されたわけでもない。留学の話は聞いたことがなかったけど、海外にいたとしても連絡できない事情ってなんなんだろうと、彩花は考える。彩花はまだ朔弥のことが好きなのだ。思い出は美化されるのかもしれないが、朔弥を忘れられない。
「好きなのかなぁ? もう昔すぎてわからない」
「彩花……」
「ごめんね、楓。愚痴言って。私、そろそろ頭を切り替えないとだよね」
そう言って通話を終了した。
彩花は朔弥と撮った画像を捨てようとした。でも指が震える。頭を切り替えると楓に宣言したのに、気持ちがついてこない。
月曜日、彩花は気持ちを切り替えられないままでいた。退勤時間が迫ってきた時、外回りから帰社した営業マンが何か騒いでいるのに彩花は気づいた。
「エントランスに、スッゲー美人がいるんだよ」
「誰だ? そんな美人を待たせせんの」
「取引先か?」
「いや、初めて見る顔だった」
他社の新しい営業さんだろうかと彩花は思ったが、帰社時間になったので退社した。
エレベータで1階のエントランスに降りると、確かに華やかで綺麗な女性が人待ち顔で座っていた。彩花はその美女と目が合う。すると、その美女は花が綻ぶような笑みをパァッと浮かべて、彩花に駆け寄る。
「彩花!」
「え? あの、どちら様ですか?」
「私、朔弥よ! 私たち、高校時代に付き合ってたでしょ?」
「!?」
彩花は混乱した。高校時代に付き合ってたのは男の子だ。でも今目の前にいるのは紛れもなく女性――言われて見れば面影が似ている――女性になった朔弥を前に彩花は固まった。
何からどう切り出したらいいのか、彩花は困惑していた。
仕事帰りに『朔弥』と名乗る女性にカフェへ連れてこられた。目の前にいるのは女性になった元彼である。朔弥は深々と頭を下げた。
「まず、なんの連絡もなく彩花の前からいなくなったこと、謝らせて。今まで本当に御免なさい」
「そう言われても――そもそもこの街にいつ帰ってきたの?」
「昨日よ、仕事は他の街でしているんだけど」
「どうして私の勤めている会社を知ったの?」
「その、探偵さんに調べてもらって――」
「……」
朔弥はいずまいを正すと、彩花に真剣な眼差しを向けた。
「ねぇ、彩花、私たち、よりを戻さない?」
「はっ!? 朔弥……自分で何を言っているかわかってる?」
「わかっているつもりよ。男のまま――本当の自分を偽ったまま――で彩花と付き合い続けることはできなかったの。私は昔から、心は女だったから」
「え? じゃぁ女として私を好きだったってこと?」
「ええ。今も彩花のこと好きよ」
朔弥がニコニコと答える。
探偵を雇って調べたということは、彩花が高校卒業以来フリーだということも調べがついているのだろう。それでも彩花には納得がいかない。
「私は、ノーマルなんだけど! っていうか、なんでそういうこと相談してくれなかったの?」
「それは、彩花にフラれちゃうのが怖かったから」
「だからって何年も放っておいて今更……」
「罵倒していいわ。私が全部悪かったから」
「とにかく……ちょっと考えさせて」
帰ってくるなり、変化した姿で、突然何を言い出すのかと、彩花はめまいがした。