24.09,28
ガタン、ガタンとエレベーターは唸りを上げて下降していた。B11,B2,B3,B4,B5,B6・・・・・/と地下の階層を下っていく。
僕は自分の手のひらを見つめて、握ったり開いたりした。
これから全てが終わる。そう全てが。この世界から、おさらばできる。
僕は今までになくワクワクしていた。
『B9』
チン、と音を鳴らしてエレベーターは地下9階で止まった。エレベーターの扉が開く。するとその先にはどこまでも果てしなく続く廊下があった。床には赤いカーペットが敷かれていて、両壁には額縁に入った映画のポスターが均等に壁掛けされていた。僕は、ビルから飛び下りる一歩目のように、軽い足取りでエスカレーターから降りた。廊下に出ると少し埃っぽい匂いがした。悪い匂いじゃない。後ろでエレベーターの扉が閉まって、唸りを上げてエレベーターが戻っていくのを感じつつ、僕は長い長い廊下を歩き始めた。
壁のポスターには名だたる作品が並んでいた。『ジュラシック・パーク』、『コマンドー』、『マスク』、はたまた『ナインスゲート』、『ワイルド・スピード』。あぁ、あのときのヴァネッサ・カービィは良かった。『マスク』のキャメロン・ディアスは食べてしまいたいくらい妖艶で、かつ可憐だったなぁ。
僕は映画館のライトが心底、嫌いであった。夢から醒める瞬間。映画が終わり、パッとライトが点いて現実に戻される。
長い長い廊下をしばらく歩いていると、正面に白いワンピースを着た少女が道を塞ぐように立ちはだかっていた。それも眩しいくらいの満面の笑みで。
そして僕は改めて思った。映画館の明かりが心底、嫌いであると。
〇
「ここで何してる?」
「何って、散歩」
「こんな一本道の廊下をか?」
「ポスターがいっぱいあって楽しいじゃん」
「お前は・・・」
僕は「映画を見ないのか?」と聞こうとしたが、彼女には必要ないものな気がしてやめた。
「私は見ないよ」彼女はひらりと一回転して見せた。「だって必要ないもの」
それ見たことか。
「ねぇ今から、3番廃墟に行かない?」
「あんなとこ行って何になる?」
「まだ助けを求めている人がいるかもしれないでしょ?」
「・・・助けを求められたからって何ができる・・・」
「できるかどうかは行ってみないと分からないじゃん」
「もういい、もう黙ってくれないか」
「できるかどうかは行ってみないと分からないじゃん」
「やめてくれ」
「ねぇ、一緒に行こ」彼女は僕の手を取った。
「僕はもう諦めたんだ」
「私は諦めてないけどね」
「君一人でいけばいいじゃないか」
「だめだよ」彼女は笑った。「君も一緒じゃないとヤダ」
僕は、映画館の明かりが心底嫌いだ。
〇
B9,B8,B7,B6・・・・エレベーターの階層は徐々に上がっていく。彼女はずっと僕の手を握っていた。
僕は、またあそこへ戻るのか? 自分の手が震えているのが分かった。
「怖いの?」
「・・・当たり前だろ」
チン、とエレベーターが鳴って1階に到着した。エレベーターの扉が開くと同時に彼女は呟いた。
「一緒だね」
〇
エレベーターの扉が開くと、乾いた熱風が頬を撫ぜた。
「あっついね」
眼の前の光景に僕は目を逸らした。
かつて、ここには街があった。建ち並ぶビル、舗装された道路、地面に落ちている靴、傘、カバン、明らかに人と街が存在した形跡が、そこにはあった。しかし、それらには草木が生い茂って、地面や屋根には赤い砂が覆いかぶさっており、人が消えてから長い月日が経っていることを感じさせた。
「本当に酷い有様」彼女は笑いながら言った。
僕は彼女の手を力強く握り返してから、目の前の光景を直視して、エレベーターから降りた。
「3番廃墟なんて、3日は歩くぞ」
「いいじゃん、どうせ誰もいないんだし」
「さっきと言ってることが違うじゃないか」
「私は『いるかも』って言っただけだよ」
「・・・どうせみんな『コンタクト』の虜だよ」
「はぁあ、つまんないの」
「・・・それには俺も同感だな」
〇
「ここで食糧を調達しよう」そう言って僕は草が屋根まで生い茂った〝かつての〟コンビニを指さした。
「食べ物あるかな?」
「この世界で食べ物を食べようとする人なんて僕らしかいないよ」
「それもそうだ」
電気は通ってないので自動ドアを無理やりこじ開ける。「そっちを持ってくれ」
「うへぇ、なんか虫いっぱいいるよこれ」
「虫とか気にするタイプか?」
僕は薄々気が付いていた。「気にするよ。女の子だもん」僕は彼女の笑顔が苦手みたいだ。
〇
そうして僕たちはコンビニの中へ入った。
「食べ物、食べ物」
「楽しそうだな」
「入ったことない場所入るのワクワクするじゃん」
「そういうの興味ないタイプだと思ってた」
「そう?」そう言って彼女はコンビニのバックヤードを覗いた。「ねぇ、これ見てよ」
「どうした? 食べられそうなものでもあったか?」電気が止まっているので中の食べ物が腐って酷い臭いを放っていた。
「違うよ。人が死んでる」僕は彼女の方を見た。
「││、ほっとけ」
「ほっとけ⁉ ほっとけだって⁉ ひどい‼」
「死体なんてその辺にいくらでもあるだろ」僕はコンビニから出ようとした。「ダメだ。全て腐ってる」
僕たちはコンビニから出て、砂が被った道路を歩いた。
「人はどうして死ぬのだろう」彼女は呟いた。
「生命は皆死ぬんだよ。人間だけが特別じゃない」
「人間は特別な生き物ではないの?」
「どこのどういうところが特別なんだ?」
「例えば、あなたたちは〝わたし〟を作った」
「君を作ったのは僕だ。人類全員の責任じゃない」
「でもあなたも人類の一員でしょ?」
「どうしてこんな問答をしているんだ?」僕は少し早歩きになった。「僕はこういう問答が嫌いなんだ」
「あなたは人類史上最大のロマンを作った。だけどそれはあなたが、自分を騙すことすらできない、どうしようもない現実主義者だから。例え残酷であっても現実を正しくありのままを見つめることができる人間でなければ、現実と相反するロマンティシズムを想像することはできない」
「よく言うよ」僕は立ち止まった。「じゃあなんで君はそんなにリアリストなんだ?」
「私がリアリストに見える?」
「ああ」僕は振り返って彼女の方を見た。「冷酷なまでに」
彼女は、底抜けに明るくて、だけどそれゆえに不気味に思える満天の笑顔で笑い返した。「ならばそれがあなたの望む〝理想〟なのよ」
〇
僕はずっと映画館の中にいたかった。心が躍ったり、感動したりできる映画の世界の中に、ずっと浸っていたかった。終わりが来てほしくなった。