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どうかお付き合いのほど願います。
高知県中土佐、いや、この地の行政組織を日本幕府がなくしてしまったために、元高知県中土佐と呼ぶべきだろう。
海に面した崖の上に建つ、元宿泊施設の一室にて、スピーカーからチャイムが響き渡った。学校でアナウンスの前に流れるような音であり、眠っていた香南光一は顔をしかめ、目をこすりながら上半身を起こした。
枕元を手で探り、置いてあったワイヤレスのマイクを取り上げて握り込むと、口元へと運びつつ腕の時計に眼をやる。
時刻は真夜中を過ぎたあたり。
窓の外をブラインドの隙間を指先でこじ開けたとしても、光一は暗闇しか眼にできないことは判っている。
いまだに眼をこすり、あくびをしている光一が眠たげな声をマイクへと向けた。
「こちら久礼指揮所戦区指揮者香南。今は私室だ。送れ」
「こちら高知西部海防艦隊司令雪風、警戒ラインを何者かに突破されたことを確認。水中にて移動していることから、潜水艦ないしは可潜艇と思われる、送れ」
スピーカーから流れる少女の言葉を聞いた後に頬を掻き、その後に頭頂部の髪を掻いていた光一。内容を頭の中で反芻して考えている。
「進行方向は把握出来ているのか、送れ」
そう言った後に、やっと目が冴えてきたのか、光一は立ち上がって身につけていた寝間着を脱ぎ始めた。
マイクの送信ボタンが押したままで、衣擦れを音を拾ってしまう。慌てて光一がボタンから指を離すが遅かったようだ。
「しょ、しょ、詳細はふみぇい、いえ、不明。我々の受け持ちへとしかひゃんめい、いえ判明していましぇん。め、命令をきょう。いえ、請う、おくれぇ」
マイクの向こう、いや直接通信機とつながっているのでそれはないが、光一の脱衣する衣擦れを耳にして、顔を真っ赤にしている雪風が幻視できる光一だ。
長い間の激戦をくぐり抜け、予備役となっていたが復帰、さらには近代化改装を施されたことから分かるように、齢で言うなら光一の五倍以上であるのだ。
それがいまだに純情、さらには可憐とつけてもいいのはいかがなものだろうと、光一は考えつつ送信ボタンを押し込んだ。
雪風には見えないのだが、しっかりとズボンを履き、シャツは羽織っている。
これ以上、軍用通信で意味不明な言葉を発せられても困るが、後々にぽかぽか叩かれつつクレームを言われるのも困るからだ。
「航跡ないしは艦そのものを探してくれ。向かい先が想定出来たら、改めて連絡をしてくれ。送れ」
「了解した、終わる」
明確なことを雪風は何も言わなかったが、これから彼女は散って警戒に当たっている姉妹達を呼び集め、対潜哨戒のシフトへと移行するだろう。いかに高度に暗号化されてやりとりしていても、これからの自らの行動を通信上で話すつもりもないのだろう。
手にしていたマイクをテーブルの上に乗せ、そこの惨状に顔をしかめる光一。
今日は本来休みを予定していたために、昨晩飲んだ酒瓶とビール缶がテーブルの上で寝転がっており、軍用レーションとは名ばかりの、中身が酒のつまみとなっていた袋ゴミが散らばり、片付けねばと思う。また上陸してきた天津風あたりが見でもすれば、小言一時間は確実だ。
履いていただけのズボンのジッパーを上げ、光一は自分の私室から外へと出る。
この指揮所には光一一人しかいないので、外見を気にせずに、廊下を歩きながらボタンをはめる。
途中エレベーターがあったが、滅多には使用していない。閉じ込められでもしたら、雪風とその姉妹達が上陸するまでそのままになるので、そんな羽目になるのは嫌な光一は、脇の階段を降りて二階へと向かった。
この元宿泊施設の玄関は二階にあり、フロントとして使用されていた場所の奥にある事務室が、いまでは光一の仕事場となっていた。
開けっぱなしにしていた入り口を抜け、雪風姉妹の上陸時の居場所である、奥に置いてあるソファセットをいちべつの後に、一つしかない事務机に向かい合い、嫌な金属音を発しながら安物の事務用椅子に光一は腰をかけた。
机の上の機器はスイッチは入っている。
そもそも、スイッチを切ることはない。切れるのはこの建物が破壊される時だろうと光一は考えていた。
この建物は結構な高台にあり、監視所を兼務にするには最適だが、大がかりな敵艦隊でもやってくれば最初に砲撃の的になるはず。
もっとも、そんな場合は雪風達海防艦隊の通信を受けて、さっさと逃げ出した後にはなるだろう。
情報共有のためのモニターに光一は目をやる。
雪風達姉妹の場所が画面上にプロットされており、沖から陸地へと向かう雪風目がけて、他の三つの光点が移動していた。
「……相変わらず、時津風の反応が悪いな」
一隻のみ、出遅れたかのような光点を見つめて光一はつぶやき、後で雪風を通じて注意しなければと、心の中に用意してある備忘録へと書き込んだ。
再び学校のようなチャイムが、事務室の中で響き渡る。
雪風達が交代で送り込まれた時に、自分達で変更したものだが、改めて時間を作ってもう一度変更することを交渉せねばと光一は考える。
恐らくは、雪風達は変更を受け入れるだろうが、その時の表情を見た光一が逆に取り下げることになるだろうと想像する。
それは大事な思い出だから。
仮初めであっても、雪風達の姉妹が退役後に通った学舎で響いていただろう音色だからだ。彼女たちは復帰をさせられても、それを聞いていたいのだ。
しかし、それは光一の思い出でもあったのだ。
光一にとっても、それは忘れられない音色であったが、忌むべき音色であるゆえ。
なにか、彼女たちの思い出の音色に変更出来ないかと考える光一だが、船幽霊である彼女たちの嗜好など判りようもない、人間と認定されている光一には提案すら思いつかない。
椅子を回して、側に置かれた冷蔵庫からペットボトルのコーヒーを取りだし、一口だけ飲む光一。
テーブルの上にペットボトルを置き、マイク付きのヘッドセットを装着して通信機を切り替えた。これでチャイムが鳴った時には、頭に直接響くことになるが、その考えは端に寄せて、モニターを覗き込んだ。
雪風が突出して陸地を目指しており、他の艦はいまだに追いかけている様相だが、集結には今しばらく時間がかかるであろう。
ふと光一は囮の可能性を考える。
二隻は広域探査のために沖に残しておくべきであったかと。
だが、そんな考えを光一は頭を振って払う。
大規模な来襲であれば、幕府海軍の広域探査システムに引っかかるであろうし、小規模なものであれば、後で対処すれば良い。
今は目前の正体不明に対応すべきだと、光一は考え直す。
またチャイムが鳴り、光一は顔をしかめる。
しかも今度は光一の耳元、頭の中で響き渡るかのように。
「こちら指揮所の香南。通信機は戦闘用に切り替え、指揮をとる用意は調っている。現状はどうだ」
「正体不明の航跡と艦を発見、興津岬へと向かっています。帝国の潜水艦と認定しました。音紋も拾いましたが、ライブラリーによると日本海で数度探知しています。米海軍の消失艦ライブラリーにもありますので、幽霊船が憑依していると判定します」
鹵獲した小型潜水艦かと、更新された共有するデータを見ながら、顎に手をやった光一は考え、モニター上の地図を見る。
モニターに映る地図上、興津岬に指を乗せ、周囲を確認する。
「窪川集積所に移動する。通信途絶の可能性があるので、その時は指揮委譲するから頼む」
「了解。続けます」
雪風の返答を聞き、立ち上がると用意してあった、胸に大きなポケットがあるフライトジャケットを着て、個人装備を入れたカバンを手にした。
もちろん、机の隣に設けた掛け台に置いていた、3メートルになろうかと馬鹿長い日本刀、光一の愛刀である烏丸を持つのは忘れてはいない。
カバンの中のタブレットを取りだし、机の上のモニターと同じ情報が映し出されていることを確認した後に部屋を出る。
玄関で素足にスニーカーを履いた光一は、そのまま外へと出るが、目前に用意してあった車両を見て迷う。
装甲車両と軽トラック。
逡巡の後に、烏丸を荷台に放り込んで軽トラックに乗り込む光一。
ジャケットを着ていたとしても、この吹きさらしの高台は風が冷たく感じる。
敵の姿がある以上、装甲車両を使用するのが軍規ではあるが、移動の時間が惜しいために軽トラックを選んだ。
軍規違反など構いやしない。
どうせ、ここを中心にして五十キロ四方に上官など存在、いや、他の軍人ですら存在しないのだから。
僅かであるが、曲がりくねった細い道路を使用して崖を降り、無人の元市街地を抜け、これまた元高速道路へ乗り込む。
アクセルをベタ踏みすれば、所要時間十分程度かと光一は思い、頼むから野生生物が飛び出してこないように願い、ハンドルを握り直すのだった。
次回、投稿は未定です。