明日の俺は聖女の代わりに湖の底
まぁ、俺は情けない奴だと思うよ。
それに、無意味な人生だったとも思う。
聖女の代わりに生けにえになる事が決まって、誰もそれをおかしいなんて思いやしない。
俺を死なせるべきじゃない、なんて言ってくれる人間が現れる事も無かった。
どいつもこいつも、多くの人々の崇敬を集める聖女様の代わりに、生きてる価値のないおっさんが死ぬなら御の字だと思ってやがるんだろうな。
俺には妻や子どももいない。
親はとっくに死んでいる。
この年まで、田舎で畑を耕しながら細々と生きていた。
人に好かれるような男ではないことはよく分かっている。
だが、これでも真面目に生きているつもりだし、神に背くような事はしていないはずだ。
それでも神様は、そしてこの国は、俺に死ねと言うんだ。
そもそもあの聖女って奴がいけ好かない。
十年前くらいにいきなり現れて、あっという間に国じゅうの尊敬を集めるようになった女だ。
俺よりもうんと若い――本当の年齢は誰にも分からないらしいが――それなのに、俺が一生かかっても得られないような崇敬を一身に浴びている。
あの女が聖女と言われるようになったのには理由がある。
この国で大昔行われていた生けにえの儀式を復活させたことだ。
生けにえなんて普通の考えじゃない、って思ってくれたか?
俺だって昔はそう思っていたよ。
ただ、十年前、国じゅうが悪天候に見舞われて、それこそ食うものにすら困り果てた時、あの女が現れてこう言ったんだ。
「人々の心がこの地の古い神から離れてしまったので、神がお怒りになられたのです。神の許しを得るため、我々の罪をあがなうため、最上の供物を、つまり生けにえをささげなくてはなりません」
最初はいかれた女だとしか思わなかったよ。
俺以外の連中もそう言っていた。
だが、どんなものにも信者ってのは現れるみたいで、その女を救い主だと思った奴のうちの一人が、神託とやらで生けにえに選ばれたんだよ。
そして神が住まうと言われている聖なる湖――この国の人間なら知らない奴はいない湖だ――にそいつは生けにえとしてささげられた。
すると、本当に奇跡が起こったんだよ。
それこそ神が怒り狂ったような荒れた天気が静まって、この国は穏やかさを取りもどしたんだ。
これに信者たちはおろか、普通の連中もわき立って、その女を聖女としてまつり上げるようになった。
次の生けにえを志願する殊勝な連中も次々に現れた。
だが、そいつらが希望通り生けにえになるのかと言うと、そういう訳でもない。
生けにえは一年に一度、聖女が神託を受けて選ぶらしい。
連中にとっては、選ばれるのは名誉な事なんだと。
まあ、ともかくこの国は聖女に救われたわけだ。
生けにえのおかげで――そう言わないとどうなるか分からないからな――この国の天地は平和に保たれている。
しまいには王様すら聖女を崇めたてまつる始末だ。
この国は事実上、聖女の国になったわけだ。
この国の人間で、生けにえになる事を拒める人間はいない。
神のおられるこの国で暮らしている以上、この国の、この大地の恵みを受けていない人間はいない。
そうである以上、自らの命をささげよと言われたらそれに従うのは義務だ。
今までの生けにえたちもそう考えて――あるいはそう考えさせられて――湖の底に沈んでいったわけだからな。
神託には誰も逆らえないし、神の御意思を人間ごときがどうこうできるわけがない。
それ自体はまだ受け入れるしかないわけだが、今年の生けにえ選びで事件が起こった。
生けにえに選ばれたのは、よりによって聖女その人だったわけだ。
そういう神の声を受けたってことで、聖女は自らが生けにえになる準備を始めた。
当然、聖女を信奉していた連中は冷静でいられない。
神様はどうしてこのようなむごいことをなさるのか、って半狂乱よ。
それでも聖女自身は、これも神の望まれたことですから、って言って自分が生けにえになるのを譲らなかった。
さすが聖女様、って思うだろ?
ところがここで、雲行きが怪しくなってくるわけだ。
王様が『国民の崇敬を集めている聖女がいなくなるのは望ましいことではない。聖女には生きてやるべき事が数多ある』って言って、神様に許しを得る事が出来ないかと聖女を説得したんだよ。
最初は首を横に振っていたらしいが、結局根負けして、神の声をもう一度問い直す事になったらしい。
そしたらどうだ?
聖女の代わりに選ばれたのがこの俺だったってわけだ!
俺だってこの国で生きている以上、こういうのが必要な事だってのは分かっていたつもりだ。
だがそれは『誰であろうと、神託で選ばれたら生けにえになる』っていう条件が保たれてこそじゃないか?
何でそこで王様がしゃしゃり出てくる?
何で聖女は自分が選ばれておきながら神託のやり直しなんかを行う?
その結果、俺が選ばれたことを、なんで誰もおかしいと言わない?
聖女とか、特別な人間は許されて、俺みたいな『特別でない人間』が割を食わされるのが正しいってか?
そりゃ死ぬ必要のない人間にとってはそうだろうな!?
神託は、結局のところ聖女以外には分からない。
今回の件だって、聖女の方から王様に、自分が死ななくてもいいように何とかしろって言ってる可能性も否定できないわな。
もし神託で生けにえに選ばれたのが王様だったら?
それ以外のお偉方や人気のある人間だったら?
今回と同じように、『死んでもいい人間』が選ばれるまで神託をやり直すのか?
……全く、俺もいつまで壁に向かって話しているんだか。
まあ、今さら何を言ったって、俺の運命は変わらねぇ。
明日、この部屋から出されたら、俺は聖女の代わりに湖の底だ。
ただ、もしも本当に神とやらに会えるのだとしたら。
俺も一つぐらいは願い事をしたいところだね。
こうまでして生き延びたがる連中をいっそ滅ぼしてくれないか、ってね。
拙文を最後までお読み頂きありがとうございました。
蛇足ですが、タイトルは『明日の俺は聖女の代わりに湖の底』と読んで頂けると、リズムが良いかなと思います。