Part 13-4 وقت الساحرة 魔女の時間
RYIB7239 ، صالح بن عمران ، 4165 ، عرقة ، الرياض 12583 المملكة العربية السعودية 13:06 2019.
2019年7月10日 13:06サウジアラビア12583リヤド・イルカ4165オムラン・サレーイヴンRYIB7239
独房の床に横たわったまま瞬いた。
高窓の鉄格子の隙間から差し込む光輝に眩惑されていた。
ヤコブの梯子を伝い降りてきたケルビムの光輝く銀翼広げるその天上人が差し伸べた両手で抱き起こした須臾意識に染み込んでくるその天上人の声が心に響いた。
────ああ、マリア。傷ついてこんなになってまで運命を受け入れるなんて────
マリア・ガーランドは跪く冷え切ったコンクリートの冷たさも忘れ身体広がる温もりに涙が溢れだした。
────それでも貴女様はあのときに手渡された宿命を拒まず歩み続けているのですね────
困惑と戸惑いと混乱。あのときとはいつのことだ!? 宿命とはなんだ!?
乾ききった唇を微かに開き擦り切れた声でマリア・ガーランドは問うた。
「なんの──こと────わから──ない──何を──受け入れたっていうの────────」
────起きたことの重さ。託された運命の重大さ。宿命に戸惑い貴女様は心閉ざした。それでも指し示された棘の道を裸足で歩き続けここまで来たのです────
抽象的な言い回しじゃ何もわからないじゃない! 私が何から眼を背けているというの!? マリア・ガーランドは苛立ちに身体を強ばらせた。
────いいでしょう。貴女様が閉め出している現実を思い起こさせましょう────
その瞬間、マリア・ガーランドの意識はスパークして独房ではない世界を見据えていた。
揺らぐ赤と青の風船の紐を握りしめ吹き抜けの3階から下のフードコートを行き交う家族を見つめていた。
反対の手を2つ年上の姉のステラ・ガーランドが握りしめてくれているので高さは怖くなかった。手すりの柱に取り付けられた強化ガラスに自分の姿が反射しそれをつぶらなラピスラズリの瞳でじっと見つめた。
自分の容姿に寸秒混乱した。ずっと昔、だけどこの間のように感じる不思議さ。
どうしてこんな幼女の姿をしてるのだと意識の片隅に一瞬浮かんで霧消した。
「ステラおねえちゃん、ダディはまだ来ないの?」
「マリア、もう少し待とうね」
プラチナブロンドのソバージュの髪を揺らしてステラがマリアの顔を覗き込むように言い聞かせた。
祭日の今日は家族4人でショッピングモールに遊びにくる約束だった。それなのにマイク・ガーランドは軍の急用でマム──エミリア・ガーランドと姉──ステラと3人で先にモールへ出かけることになった。
マリアが振り向くと母エミリアが微笑んで娘に教えた。
「マリア、マイクはあなたが両手をさしのべて来るのが1番好きなのよ。ダディを見つけたら走って『ダディ』って呼んであげて」
マリアは頷いて吹き抜けへ顔を向けると父親が来るのを待ちわびた。
祖国では名の通った宗教学者ですら頭を下げ目を合わせようとしない。裕福な家の出でありながら、アッラーの地である中東に害なす異教徒文化を憎み宗教のために戦う。
ワンボックス車の中で隣に座る男の名を聞ける立場になかったが、若いクトゥブ・アブドゥル=マジードは幾人もの尊敬する立場のものから何度も指導者と畏敬の念を耳にしていた。
"هل أنت خائف يا قطب؟"
(:怖いかクトゥブ?)
"نعم. لا أستطيع التوقف عن الارتجاف"
(:はい。震えが止まりません)
怖くないはずがないだろう。何人ものイスラム教徒を暗殺した合衆国の殺し屋組織に復讐できる興奮より間近に迫った死への恐れの方が若いクトゥブにとって問題だった。
"الشكر على عمل الله يزيل الخوف"
(:神のために働けることを感謝すれば怖れは立ち去る)
隣に座る男に言われたことをクトゥブはならあなたが同じことをする時には不安や恐怖を覚えないのかと問い返したかった。
"هل أنت ، كرسولي ، تعرف ماذا تفعل؟"
(:私の使者として行うことを理解しているか?)
事は簡単だった。写真に写った家族が揃っている場で近づきポケットの中のスイッチを押し込むだけだった。写真の家族の主は暗殺者集団のリーダーだった。単純なのに震えが収まらない。だが成功すれば長年病に伏せった母と弟の将来は約束されていた。
母と弟のために命を投げ出さなければならない。
神のためでなく家族のために────。
肩を叩かれクトゥブはスライドドアを開いてワンボックス車から足を下ろした。着衣はアメリカの学生が好むようなありふれた格好だった。今日、この日のこの時間に大規模なショッピングモールに目的の家族が来るという情報をどうやってつかんだのだろうかとクトゥブは一瞬、考えた。
手渡されているショッピングモールのパンフレットから目的の家族を探し歩く道順を考えた。
多くの人出で溢れるショッピングモールから目的の家族を探すのは難しくないとクトゥブ・アブドゥル=マジードは思った。暗殺者集団のリーダーの妻と2人の娘は揃って老婆のような白髪だった。
指導者が魔性の証しだと言う。
生まれたての時から、老齢の狡猾さを身につける異教徒と若いクトゥブは信じ込まされていた。
1階の様子を吹き抜けの3階から見下ろしていたマリアは声を上げた。
「ダディだぁ!」
喜ぶ声を出した娘の肩に手をかけエミリアが語りかけた。
「さぁ、おちゃまさん、1階まで1人で下りてダディを連れてきて──」
母親の課した試練にマリアは怖じ気づいた。
「だってぇ────」
独りでこの沢山の人が行き交う動く階段を下りてゆき父親の元まで行くなんて無理だとマリアは思った。するとマリアが強化ガラスについている両手に手を重ね姉──ステラがマリアを母親とは逆方向へ振り向かせた。
「大丈夫よ。私の妹──マリア・ガーランドはどんなことにも負けずに乗り越えて行けるから」
見つめる姉ステラのラピスラズリの瞳が輝いて見えた。その煌めきがステラの言ったことをとても素敵に思わせた。
「いくぅ!」
強化ガラスから両手を放しマリアは風船を揺らめかせエスカレーターへと駆けだした。
その後ろ姿を微笑んで見つめる背後にカリフォルニアの夏には似合わない大きめのジャンパーを着てニット帽を被った両手をポケットに入れぶつぶつと独り言を続けている若者が近づいていた。
「4人じゃない。魔女の1人が階下に下りて、2人だけに────どうする? どうするんだ?」
その若者を30ヤード離れたところから見つめる制服を身につけたショッピングモールの警備員ドレス・マッコイヤーが気がつき不振さに注意を向けまず警備事務所にいる同僚に無線で連絡をとった。
「マックだ。3階の2番吹き抜けホールの近くにいるニット帽にモスグリーンのスタジャンを着た男はカムに映っているか?」
『ああ、63番カムに映ってるぞ。そいつがどうしたんだ?』
「様子がおかしい。手すりの傍にいる女性親子の方だけを見つめてぶつぶつと何か言っているんだ。これから職質する録画を頼む」
『用心しろマック』
小型無線機のマイクを腰に戻したドレスはその利き手をホルスターのグロック17にかけて固定ベルトのスナップを外した。
ショッピングモールには色んな人がやってくる。ほとんどは善人だが、中には犯罪者もいる。もっとも扱いが困るのは手配犯よりも麻薬中毒者だった。
ポケットの中の手が素手だとはドレスは考えていなかった。
いきなりサタデーナイトを引き抜いて盲めっぽうに撃ち始めたりすることだってある。
彼はゆっくりと歩いて伸ばした左手でその若者の肩に手をかけ警告した。
「ちょっと君──両手を出してくれないか」
ぎこちなく半身振り向いた若者が目を血走らせ呟いている言葉が見知らぬ外国語だが中東の言葉だと彼はすぐに気がついた。
若者が右手に握りしめている何かからポケットへと数本の色違いの電気コードが垂れ下がったのを眼にした寸秒顔を強ばらせたドレス・マッコイヤーは大声で警告し支給されている拳銃を引き抜いて若者の背に向け構えた瞬間若者が「アッラー」がどうのこうのと叫んだ。
「右手に握っているものを放せ!」
背後のやり取りが耳に入ったエミリア・ガーランドは半身振り向いてその中東人らしい若者と制服警備員を眼にした。ネイヴィ・シールズを率いる夫マイク・ガーランドから聞かされていたテロの状況が頭によぎり娘ステラ・ガーランドの手をつかみ自身の前に引き寄せて自らが楯となった。その一閃、128のテナントを巻き込む衝撃が凄まじい勢いで広がった。
強張りの後に弛緩が訪れそれでも白銀の人は優しく抱きしめていた。
泣きじゃくったりしない。そんなことは十代前半にし尽くしていた。それでも真っ向からあの瞬間を思い出すと眼の奥へ脳が重く沈み込んでくる。
叫べばいいのか。
悔やめばいいのか。
母エミリア・ガーランドも姉ステラ・ガーランドも2人して住む世界から私を遠ざけた。2人は私に何を乗り越えさせたいのかと苦悩し続けた。
大丈夫よ。私の妹──マリア・ガーランドはどんなことにも負けずに乗り越えて行けるから。
ステラ姉さんのラピスラズリの瞳が拡大しそれが父の刺すような眼差しにすり替わった。その父が5歳の娘に問うた。
「選びなさいドータ。お前からエミリアとステラを奪ったものへお前が力を持って立ち向かうか、すべて忘れてなかったことにするか」
あの時ですら母さんと姉さんを奪ったのが悪い大人だと知っていた。悪い大人に泣きわめいても母さんと姉さんを帰してくれないのも幼心に知っていた。
ダディが────悪いあいつらよりももっともっと強い大人で同じぐらい強い男らを沢山率いていると知っていた。
その1人になるのだと問いに言葉で返事する代わりにテーブルに置かれた眼の前のコルト・ガバメントを私は選んだ。
大丈夫よ。私の妹──マリア・ガーランドはどんなことにも負けずに乗り越えて行けるから。
独りで進むには長すぎる無情の道のりに屈強なアザラシ達のノウハウという支えを求めた。
絶対に折れない兵士になるんだ!
その鉄壁の意志に叫び声を上げシリア兵1000の男らが斬りつけてくる地獄。
マリア・ガーランドの瞼に溢れ流れ落ちる雫を優しく抱きしめてくれている白銀の人はそっと拭ってくれた。
────破壊の真実に傷ついた貴女は10年心閉ざしたただ過ぎ去る日に呑まれ茫洋と生きてきました。その暮らしに疑問を抱きながらそれすらも抑え込んだ代償に貴女は強さと弱さのアンバランスさを内包してしまったのです────
「なじってくれて────結構よ──」
────私如き大天使が貴女様をなじるなんて不可能です。それでも貴女様の心が少しでも楽になれるように1つ道をお教えします────
「チート能力なんていらないんだから。ただでさえスプレマシーなんて形容詞をあなた達に言われているんだから」
────チート、人のゲームに関する言葉の一種ですね。とんでもない。能力なんて言葉では表現できない貴女様の最大の力は万物の次元すべての時間軸をリセットしてしまうことです────
「たしか────時間次元を乗り越える方法を──ううん、時間と次元を移動できたわ」
────それは能力者の絶対時間次元に対する立ち位置を変える些細な力。ですが貴女様が本気で望めば宇宙全体の時間次元をリセットできるのです────
「やめてよ。それって神に天と地からやり直せって命じてるようなものじゃない」
────まさしくそうなのです。天界の父は天地創造から始めなくてはならなくなります。でもそれは貴女様がその圧倒的な力を最大に使った時のこと。それはピコセコンドよりもさらに短い極短時間のリセットから宇宙全体が反転するような無限に近いリセットまで貴女様の望むままなのですよ────
「意識や記憶は────?」
────貴女様の意識や記憶はそのままで────
マリア・ガーランドはそれを想像して長い溜め息を吐いてぼそりと天上人に告げた。
「それってチートよりも酷いわ。リセットすればやり直しし放題じゃないの。心が腐るわ」
────そうです。それを心配し我らが父は貴女様に試練をお与えになるのです────
「ダディよりもタチが悪い」
そうマリーは言い切って続けた。
「ダディは銃を与え撃たせるけど、メシアは飴を渡しておいて舐めるな意志を強く持てと。飴は無いと最初に言えばいい」
────天の雷に打たれますよ貴女様。乗り越えなさいマリア・ガーランド────
銀翼の人が抱きしめていた両腕をほどいたのでマリーは慌てて尋ねた。
「待って! あなた名前を────」
────貴女様は私めを十分にご存知のはず。我は七大天使の1人にして、裁きと預言で世界を見守るウリエル────
幾つもの銀の羽が舞い降りて天上人が遠ざかると鉄格子の入った高窓からゆっくりと視線を下ろしたマリア・ガーランドはこれで生きてるうちに3人もの天使と出会ったと思い呟いた。
「────大人気」
夜になり寝も浅い内に麻布を頭に被せられ薄い布地の踝長のロングコートのようなものを着させられ独房から引き摺り出された。そのまま軍用車輌らしい足まわりの硬い車に乗せられ朝が来るまで走り続けた。
どこに連れて行くつもりだと問いかけようにも中東の言葉がわからずマリア・ガーランドは黙っていた。
相変わらず喉が乾ききっているが、満足をえられるほど水は渡されていなかった。当然、固形物も1日に1食と極めてヘルシーだとマリーは皮肉った。
喧騒から車が街に入ったと音でマリーは判断した。やがて幾度となく曲がった車は突然停車した。
麻布の頭巾のまま何かの屋内を乱暴に引き回され椅子に座らされ目隠しを取られた。
マリーは自分が小法廷にいるのだと理解した。
「私が君の弁護を勤めるブルハーン・アッ=ティクリーティーと言います」
少し小太り気味の首から足 まである長袖の白いトーブと呼ばれる服を着ている男だった。丁寧な英語の発音でそれが逆によそよそしい印象をマリーに与えた。
「弁護? 私が何をしたというの?」
「あなたは魔女の嫌疑をかけられています。ですがご心配なく。裁判の成り行き次第では無期懲役も可能です」
魔女!? マリーの意識にイズゥ・アル・サロームのサーヒラという言葉が蘇った。だがなぜ中東の異国でそんな裁判を受けなければならない!? 彼の野望を打ち砕いたからか? いいや、これは違う。マリーはふと本社ビルで襲ってきた兄妹の意識を一瞬だが思いだした。依頼主はイランの法学者だった。その出身者がサウジ王国の第3王子だとも────。
白いトーブと呼ばれる服を着た裁判官ら数人が入廷しマリーは背後にいた兵士にアサルトライフルの銃口で小突かれ立たされた。裁判官の会釈が終わり座ろうとしたマリーはまたもや後ろの兵士に小突かれブルハーンが促した。
「頭を下げなさい。検事が入廷されます」
弁護士のブルハーンに短くそう言われマリーは仕方なく頭を垂れた。僅かに間を置いて彼女の背後のドアから5人の兵士を連れたトーブを着てアガールの黒い二重の輪で止めたガトラを被った威厳を持った男が入廷してきた。その男は誰に会釈するでもなく裁判官席とマリーらに向かい合った席に腰を下ろすと裁判官らは着席し、最後にマリーは背後の兵士に肩をつかまれ強制的に座らされた。
"سأجري محاكمة"
(:裁判を開廷します)
マリーの正面中央に座る裁判官の1人がそう告げると、マリーの横に座るブルハーンが説明した。
「あなたの裁判が開廷されます。検事は王族の方です。彼が発言中は言葉を差し挟まないように。不敬罪で鞭打ち100回が確定します」
そいつが第3王子のムハンマド・アール=サウードだとマリーが知ったのは公開死刑場に連れて来られてからだった。
問答無用で有罪が言い渡され刑は投石だとブルハーンに告げられた。
「お力になれなくて申し訳ありません」
そう謝った彼の言葉はどこかよそよそしかった。
そのスクウェアの荒れ地の広場に両手両足を縛られたマリーは麻布の頭巾もなく引き摺られ連れて来られた。広場には囲むように数百の中東人が先に来ていた。ざわつきが一瞬収まりマリーが中央の穴の方へ引き摺られて行く間だけ耳目を集め人垣が割れ魔女を通した。
穴の傍らにはシャベルを手にした男らが6人ほど待っていた。そうしてアサルトライフルを3挺突きつけられたマリーは穴に落とされた。
このまま生き埋めにするつもりかとマリーが立ち上がるとそれほど深くなく顔が穴から出た。その視線の先の人垣の間に小さなテントがありムハンマド・アール=サウードが椅子に腰を下ろしていた。アサルトライフルを持った兵士が王子の会釈に応じてシャベルの男らに命じるとマリーの周囲から穴に土を放り込み始めた。
顔にかかった土を頭を振って払い続けているとほどなくしてマリーは首から下が地面に埋まってしまった。
その寸秒判決の意味をマリーはやっと理解した。
誰かが開始を大声で宣告することもなかった。
いきなり顔のすぐ横に拳2つほどもある石が飛んできて激しい音を立て直後2つめの野球ボールほどの石が顔の前2フィートのすぐ傍に落ちて鈍い音を上げ鼻先まで転がってきた。
マリア・ガーランドは強ばらせた表情で見回す先の群衆の男らが手に手に握るのが石だとわかり、そうそうまぐれは味方しないと白銀の魔女が思い知ったのは唸り飛んできた3個めの石だった。