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衝動の天使達 3 ─殲滅戦線─  作者: 水色奈月
Chapter #13
61/164

Part 13-1 Angel's Stairway 光芒(こうぼう)

07/09/2019 9:57 ص الصحراء العربية غرب المملكة العربية السعودية

2019年7月9日 9:57 サウジアラビア西部のアラビア砂漠



 ホワイトノイズのような雨垂れの音。



 ほおを打つ飛礫つぶて混濁こんだくした意識がはっきりとしてきた。



 雨に打たれている。



 だが違和感を抱きながらその理由にたどり着けぬままそう思ってわずかにまぶたを開くと襲いかかった砂塵にまぶたあわてて閉じた。



 雨粒ではなかった。砂嵐に揉まれながら砂丘の傾斜に半身埋まっている自分に気づいた。



 何でこんなとこに倒れているんだと自問自答したが理由を探るよりも砂の微粉末から呼吸を守るのに両腕で顔を覆わなければならなかった。



 身体を起こしてこの嵐から逃れようと思った矢先に激しい頭痛の渦に巻き込まれ気が遠くなった。



 焼かれる痛みに意識が引き戻された。



 乾ききったまぶたわずかに開くとまぶしすぎる光に目眩めまいを覚え浅くまばたいた。



 胸から右肩が砂丘から露出し谷へと傾斜して天日にさらされていた。



 痛みのように感じる日射しの強さにじっとしていられなかった。もがくように砂の傾斜からいでると乗ってる砂丘がくずれ滑り落ちた。



 砂。砂丘────砂嵐。



 なぜこんな場所にいるの?



 疑問と波のように込み上げてくる頭痛に意識が途切れとぎれになりあえぎながら両手をついて上半身を起こした。



 砂丘の傾斜を登らないとここがどこかわからないと力の入らぬ足を砂に取られながら稜線りょうせんの繋がりに眼をおよがせてバルハン砂丘というどう考えても専門用語をどうして自分が知っているのかと疑念がよぎった。



 登りきり見えてきたのは似たような稜線りょうせんの繰り返す地平線までの砂漠だった。前どころか左右も後ろも砂丘の連なりがフラクタルに繰り返されている。



 飛行機事故で砂漠に放り出されたのだろうか。



 そう考え、なぜ飛行機に乗っていたのだと疑問が浮かんだ。



 次々と湧き上がる疑念にこんな場所にいつまでもいると命に関わると締めくくり歩き始めた。事実、喉の乾きは誤魔化しきれないほどに切迫していた。



 照りつける太陽以外に目印になるものはなく、このまま歩き続けると利き足の方がリードして徐々に左へ曲がってゆく。いずれは大きく円を描いて同じ場所へ戻ってきてオアシスの1つも見つけられないで死に至る。



 その危機感から砂丘を登り下りる足に拍車をかけた。



 このまま人の住むオアシスや村にたどり着けなければどうなるのだろう。遊牧民や旅する人にすら出会えなければ水分を失いいずれ行き倒れになるのは眼に見えていた。



 片手をひさしに細めた瞳で灼きつける悪魔を仰ぎ見た。











 黒い染みが揺らぎ人の形になるとそれはアラビア砂漠の遊牧民が身にまとうトーヴを着た成人の男になった。



 男の名はイルハーム・アル=ファーリスィーという。



 迷子になった自分の駱駝(らくだ)の1頭を探し砂丘の頂きに登って遠くを見渡していた。彼はふと見下ろした傾斜地の途中に倒れている身体にぴったりと密着した見慣れぬ黒い服装を着た女を見つけた。



 その右肩から腕が砂に埋もれうつ伏せに倒れている女は体型はスリムで若いが髪が白髪に見え黒髪を見慣れているイルハームは不思議な印象を抱いた。



 彼は砂丘を駆け下りて女のそばまで近づいたが一時も視線をはずさなかった。イルハームに気づいて女が顔を上げるかもしれなかった。



يا أنت الذي هناك. هل أنت بخير؟

(:おい、あんた。大丈夫か?)



 声をかけたが女は身動き1つしない。彼は女の横に両膝りょうひざをついてその白髪の女を抱き起こした。顔を見るなりイルハームは驚いた。白人のその女は眉毛が砂にまみれ、閉じた唇が乾燥でひび話割れていたが白髪の割にはとても若く見えた。



 彼は気を失ったその白人の女を背負い砂丘を登り始めた。峰に姿を現すと砂丘の反対側にいるイルハームの64頭の駱駝らくだを見守っているアル・ムラー部族の4つのテントの仲間ら12名が顔を上げた。



 白人女の扱いに困惑した彼らはすぐに族長を意味するシャイフの元へ相談を遣わした。だが違法入国者の懸念もありシャイフとて判断を下すには特殊な例だった。族長はバヌー・ウタイバ族が多く暮らすリヤド州アル・ダワドミの町へ話を持ちかけ、先進国では市長にあたるその町長は旅客機事故の生存者紹介と違法入国者の確認をするために宗教警察である勧善懲悪委員(ムタワ)会に電話で問い合わせ顔写真がメールで送られた。



 ネフド砂漠で発見された白人女性の写真は最終的に宗教学者マルジャエ・モハンマド・ハーンの手によってサウジアラビア・サウード家第3王子ムハンマド・アール=サウードの元へ提出された。



مارجاي ، ألا تبدو مثل ماريا جارلاند ، رئيسة NDC؟

(:マルジャエ、この女NDC女社長のマリア・ガーランドに似てないか?)



 執務デスクの奥の椅子に深々と腰掛け白の木綿でできたトーブを着てアガールの黒い二重の輪で止めたガトラを被ったムハンマド・アール=サウードがタブレットの写真の顔を見つめ眉根を寄せた。法学者マルジャエ・モハンマド・ハーンの口利きで暗殺者(アサシン)を送り込んだ矢先のアラブの敵である標的に瓜二つの女だった。



سموك ، يجب أن تجبر على التحدث باستجواب صارم. إذا وقعت تلك الرئيسة في أيدينا ، فيمكننا معاملتها كساحرة وإعدامها علنًا.

(:殿下、厳しい尋問で口を割らせるべきです。あの女社長が当方の手に落ちたとなれば魔女の扱いで公開処刑にもできましょうぞ)



 王子は数秒タブレットに映された写真を見つめていて決意し配下のものを呼び寄せた。



هل لي مناداتك يا صاحب السمو؟

(:お呼びでしょうか、殿下?)



أمر إلى الزعيم المطوع

اجعلني أعترف باسم امرأة بيضاء محتجزة في الدوادمي

(:ムタワの委員長に命じよ。アル・ダワドミで拘束こうそくした白人女性の名をどのような方法でも構わん。自白させよ)



 どのような理由でこの地をあの女社長が訪れたかは定かではなくともこれが千載一遇の奇跡であるとムハンマド・アール=サウードはアッラーに感謝した。











 乱暴に点滴チューブの注射針を静脈から引き抜かれ医療室のベッドから引き下ろされた衝撃に意識が戻った。



 ここはどこだろう?



 砂漠を長くさ迷って記憶が途切れていた。



 下着だけという屈辱的な姿で男らに両腕をつかまれ粗末な照明が唯一の家具のコンクリート張りの狭い部屋に引きられるように連れてこられた。



 冷えたコンクリートにひざまずずかせられほおを数発続けざまに平手打ちされた。



「言え! お前の名前は!?」



 名前ぐらい知っている────だがそれが記憶に結びつかないことに唖然となった。



 また数発、歯が抜けるような強さで平手打ちされた。



 さっきまでベッドで寝かされていて、この扱いは何なのだと苛立ち紛れに思った。



 一言も答えずにいると硬い棒のようなもので背中を強打され正座した姿勢から勢い込んでうつぶせに倒れた。そうして髪をつかまれ顔を強引に引き上げられその男のせるような息に不快感を感じていると怒鳴られた。



「お前はマリア・ガーランドか!? アメリカ国籍のマリア・ガーランドか!?」



 マリア・ガーランド────誰だそれはと懸命に考えた。だがそれ以上に自分がどこの誰かを思い出せない困惑が寒気に変わり身体に震えが出だすと顔をコンクリートに押しつけられ脅された。



「正直に名乗らなければお前はこの薄暗い部屋で死ぬまで殴りつけられるんだぞ!」



 男の声が木霊こだまし遠い記憶で尋問の対処を叩き込まれたような気がするのはなぜだと自問自答を繰り返した。



 身体を起こそうとしたが両腕が背中に回され何かで自由がきかないようにされていることを理解した。そのわずかな身動きの直後、背中を硬い棒のようなものでまた強打され激痛に肺の空気を絞り出した。



 後ろ手のまま倒れあえぐ合間に立っている男らが知らない言葉で何事かをやり取りしているのが聞こえここは異国の地なのかと懸命に考え自分がなんという国の出身なのかもわからず、答えられなければこの男らの暴力に負けて命()きるのかと頭痛でキリキリしながら思った。



「いいか、お前がマリア・ガーランドだと名乗れば裁判までの間、食事と睡眠が与えられる」



 先ほどまでのきつい口調が打って変わってささやきに聞こえた。



 裁判────? なぜ裁かれようとしているのかその理由もわからず、私がマリア・ガーランドならどうだというのだと腹立たしく思った。



انظر إلى هذه المرأة. لديها شعر رمادي مثل امرأة عجوز

(:この女を見てみろ。まるで老婆のような白髪をしている)



 その異国の言葉が耳からではなく直接意識に染み込んできて、それでも意味がわかることにこれは幻聴なのかと混乱した。



يجب أن تكون ساحرة

(:きっと魔女だ──)



 魔女!? あなた達は正気じゃないと、これは狂気の所行なのだと怒りに思った。その直後にまた背中を強打されて意識が飛びそうになった。



「答えろ! 貴様はマリア・ガーランドなんだな!」



 ああ、そうか。彼らの言葉を理解できないだろうから英語を話せる拷問者を連れてきたのだとやっと理解した。なら自分は英語圏の国民なのだと少しだけ糸口がつかめたところでわき腹を蹴り上げられて息をすべて吐きだした。



 拷問に対処するには、自分から意識を落とせ──失心せよと誰かが教えていた。そんなことを誰が何のために教えたのかと混乱しながら、アザラシという単語が意識に込み上げてきて関連をつかむ前に、意識を失うにはまだ痛みが足らないと自分に念押しした。







「こんな拷問に──屈するわけが──ない」







 言い切った寸秒、横顔を思いっきり蹴り上げられて後頭部からコンクリートに叩きつけられた。激しい目眩めまいの中から引き出したのは凄まじい抵抗心だった。



 こいつらの拷問は優しすぎる。ずっと昔に私が受けたのは本物の狂気にさらされた時の防衛術だったと思いだす自分に驚いた。



 そうしてコンクリートにほおゆがめたまま男らに啖呵たんかを切った。



「よく覚えておけ──私のことをシールズの獰猛なアザラシらは────」







「──少佐とうやまったぞ!」







 嵐のような暴行が続き気がついたらまだコンクリートに額を押しつけていた。舌でまさぐり歯のすべてがまだあるべきところにしっかりとあるのを確かめ苦笑いが込み上げて身体中の痛みと混ざり合った。



 そうか。少佐と呼ばれていたのか。自分は軍人だったのかもしれない。いいや今も軍人で敵地に捕らわれているのだと現状をパッチワークのようにつなごうとした。



 それがマリア・ガーランドという名にどうつながるのかはっきりとしないが、男らが私にその名を名乗らせたがっていることを認めなければ、状況は先に進まないと背中を強打されながら思った。



 どのみちこの運命の先に続くのは地獄だ。



 天国への道はいつもここから始まっているのだと妙に冷め切った理解が苦痛を遠退けた。







「そうだ────私は──マリア・ガーランドという」







 いきなり顔を蹴り込まれるか背中を強打されると身構えると暴力の嵐が遠ざかった。だが髪をつかまれ引き起こされ半立ちの姿勢で顔につばを吐きかけられた直後、知っている単語が1つ耳に入った。



「サーヒラめ!」



 その魔女(・・)を意味するアラビア語に脳幹を刺し貫かれ吹雪の中で見つめる鼻下からあごまで髭を生やした強面こわおもての男の顔が蘇りその何者かの口が開きサーヒラめとののしられた。それがいきなり黒いウエットスーツのようなボディウェアに身を包み真剣に見つめる20数名の男女の光景にすり替わった。



"All need to be to everybody in this room is a fixed point."

(:あなた達全員に揺るぎなき信念が必要とされます)



"All I need is your compliance and your fighting skills."

(:私が望むのは忠誠心と戦闘能力)



"The last woman and man standing !"

(:闘い抜いて勝ちなさい!)



 そう自分が彼らに告げたのだ! 10年に渡る平穏な日々から引きりだされ────26歳の誕生日を過ぎたばかりのあの吹雪く夜に重大な決意を持って大都市が粉塵に化すのを食い止めた。



 私はいったい何者なの!?



 覚えのない記憶に混乱していると乱暴に引きられ拷問部屋とさして代わり映えのしない独房に放り込まれ鉄扉が大きな音で閉じられた。



 その冷たいコンクリートの床に横たわり胎児のように丸まりながら自分が誰なのかを懸命に考えた。



 ため息1つ──唐突に思いだした。



 こんなことは過酷な内に入らない。あごを引きショートヘアをなびかせて銃弾(ブレット)かわしながら斜面を駆け下ったあのベッカー高原のテロリスト・キャンプでシリア兵の軍勢と(ブレード)をぶつけあったあの時の思い。



 少佐と呼ばれ有頂天になっていた私が見た煉獄の風景。



 噛み合わせた歯を震わせながら自分が合衆国海軍特殊部隊の暴力の坩堝るつぼでエース気取りだった自惚うぬぼれを恥じる後悔に夜なよな叫び声を上げて目覚めていたことを思いだした。



 手の届きそうにない高い場所にある鉄格子てつごうしが3本入った天窓をラピスラズリのきらめく虹彩で見上げながらマリア・ガーランドとは誰なのかをやっと思いだした。



 そんな馬鹿な女だった。



 これは戦闘狂のむくいなのだろうか。



 思いだせないことはまだ山ほどあったが、砂漠を灼かれ彷徨さまよい記憶をなくしたとは思えなかった。



 大切な何かをどこかに置き忘れたことを直感で感じながら、自分が何かの混乱からこの砂漠の地にいるのだと焦りが意識に広がってくる。



 痛む喉元に人さし指をわせ、抑え込むためのかせを意識した。誰かに大いなる焦慮しゅうりょを与え奴隷のような首輪の記憶があった。授かり物のような卓越した能力に誰かが抱いた深い不安のはけ口だと意識した。



 サーヒラ────魔女という言葉が蘇る。



 戦闘狂だの魔女だのと人を攻撃性のシンボルのように扱うマスメディアから擁護ようごしてくれた誰かが私にマジック・サプレス・チョーカーを与えたんだ。



 不意にその人の顔を思いだした。



 プラチナブロンドのセミロングをしたエメラルドグリーンの瞳のその人。めったに人目にさらさない笑顔が記憶に蘇った。







「ダイアナ・イラスコ・ロリンズ」







 発音のし辛いルナの正しい名前を正確につぶやきながらマリア・ガーランドは高い場所から差し込む明かりが牢屋ろうやの空気に浮かぶ埃に天使の階段に思えた一閃いっせん、両手をし伸ばした銀翼の人が舞い降りた。












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