Part 12-3 Contagion 感染
Washington, D.C. Air defense zone District of Columbia 14:34 Jul 13
7月13日14:34ワシントンDC防空圏
モノトーンの絵の具を流水に流しているようだと感じた。狂った様に絡まり吹き飛ぶのが空気だと知っている。叩き上げられ上に下に、右に左に揺さぶられる。空気は塊で波に乗るように飛ぶ。風司るシルフィードと盟約を結んでいても容赦ない。
音速の49倍の速度で高度に制御された降下でボギーの後ろを取る。
ワシトンDCの防空圏に到達して敵が2機だけだとルックダウン・レーダー・モードで索敵してAIがボギーと判定した。マルチディスプレイに緑のアイコンで表示されるは12の遊軍機──州軍などの戦闘機だった。Fー15CかF-16Eがきりきり舞いしている。
70海里に近接しヴィクトリア・ウェンズディは戦闘区域を俯瞰し不信感に眼を細めた。
おかしい!? Fー22を落とせる謎の敵機が州空軍のFー15とF-16に振り回されている────ように思えた。シルフィ並みの動体能力を持つ戦闘機が、だ。数で圧倒的劣勢とはいえ第4世代の戦闘機を易々と落とせぬはずのないボギーだった。
何か変だ。
────どうしたのですヴィクトリア?
風の精霊に問われヴィッキーは応えに困った。
「空域優勢がボギーか僚軍機かわからない。おかしいんだシルフィ。ボギーはメキシコ湾の連中じゃないの?」
────ボギーの機体規模、運動能力はメキシコ湾のそれと変わりません。
精霊の空間認識はどんなアクティブ電子走査アレイにも勝る。ならボギーらの空戦は局地航空優勢奪取が狙いじゃなくなる。
目まぐるしく思考しヴィクトリアは腑に落ちた。
「! そうだわ────上げてくる規模を探っているのよ。防空能力を探っている!」
────索敵──ですか?
メキシコ湾でのそれは敵対勢力の機体能力の威力偵察でアメリカ空軍の最上位機種を叩けるかを探られたけれど、今ボギーらが行っているのは時間をかける事による首都防衛能力の威力偵察だとヴィクトリアは思った。
「目的を達したら、ボギーらは州空軍機を根絶やしにする。止めないと」
────エンゲージ。ヴィクトリア。
70海里を僅か8秒で飛び越え戦闘精霊シルフィは4枚のエアブレーキを展開し機体を激しく揺さぶりながら急激に減速し2機のF-15Cを追う近い方のボギー1に会敵した。
ハイパー・スクラムジェットからパルス・デトネーションに切り替えジェットノズルを開いた戦闘精霊シルフィは紫紺のエアフレームを引き伸ばし、急激なハイヨーヨーでオーバーシュートを回避し旋回するボギー1をミサイルレンジに捉えた。
Fー15Cの追尾に断念しブレイクしたボギー1は急激に高度を落とし狂ったようにロールを連続させた。
ヴィッキーは仰ぎ振り向けたヘルメットのホログラフィーのキューにボギー1の機影を固定しHOTASの目標指示スイッチを押し込み標的としてAIに認識させピックル・ボタンを押し下げた。
「ボギー1ロック、フォックス・セヴン」
AIがヴィクトリアのヘルメットスピーカーに告げるとシルフィの胴体下にある兵器庫扉が高速で開きせり出したスイングレールに固定されたAIMー17Xの固体燃料に着火しミサイルが真っ白な火焔を吐いてレールより飛び出した。
NDCの開発した中短距離空対空ミサイル・ハンマーは凄まじい推力で6秒でマック7まで加速しながらシーカーが多機能ドップラーモノパルスアクティブレーダーを発し諸元を受け取っていたボギー1を捉えると角速度毎秒170度で急激なG旋回を始めた。
昆虫を模した戦闘機がレーダー警告装置を装備しているとは思わなかったヴィクはボギー1が急激にターンして40Gの旋回能力を持つ対空ミサイルの軌道のさらに内側へ入り込む様を驚きの表情で見上げた。
戦闘精霊シルフィをロールさせミサイルから逃れようとするスズメ蜂の化け物を追いかけヴィッキーは激しく機首上げを行いキャノピィの頭部を抜けて行くボギー1を見ながら身体を加圧する対Gスーツに苦痛を感じながらヴィッキーは思った。
40G以上でループをかけてゆく敵機に人が乗ってるとは到底思えなかった。AIにより操られている自立型無人戦闘機としか考えようがない。
精霊の加護で20Gの過重に堪える自分ではあそこまでの機動は無理だとヴィクが考えた刹那シルフィードが警告した。
────ヴィクトリア、もう1機のボギーがループの内に入ってきます。気をつけて!
首を振り向けることなどできなかった。
直後、衝撃を感じてヴィクトリアは座席で激しく揺さぶられた。
「データリンク・ファイアーウォールが総当たりを受けています」
AIのIDPSが音声で警告した内容にヴィクトリアは戦慄を感じた。ループから抜けるためにサイドスティックを捻り、エルロンを差動させるため右のステップを踏み込んだ。2テンポ遅れてみせたシルフィの機動にヴィクトリアは極端に重いと感じた。
機体上面のカムに切り替えたヴィクトリアはヘルメット・ヴァイザーに表示された画像に愕然となった。
まるで蜻蛉の交尾のようにボギーが足を延ばしシルフィの背にしがみついていた。
「冗談じゃない!」
機体に何らかの接続を行い演算処理システムに侵食していた。ヴィクはしがみついたボギーを振り払うために極端なエルロンロールをかけシルフィは自動で左右のスラスト・ベクタリング・ノズルを上下に差動させスクリュウのようなヴェイパー・トレイルを曳いて長い渦を空中に描いた。
背面カムの画像を確認しながらヴィクトリアはいきなり背面ロールを行いマイナスGでボギーを振り払おうとした。だがスズメ蜂の形状をした敵機はなおもしがみついており離れる気配がなかった。
「76%のPWが解析されました。既に解析済みのPWへ移行」
32桁ものパスワードの組み合わせをすでに80パーセント近くも解析するその凄まじいパワーにヴィクトリアは青ざめた。シルフィのAIを構成するデータに敵がアクセスしたら戦闘精霊シルフィの能力をつかまれてしまう。その危機感にヴィクトリアはとんでもない手段に打ってでた。
右舷1200ヤードにボギー2の後方を取ろうと急激な機動をする州空軍のFー15Cが見えた。
スラストレバーをミリタリーのマニューバ・ノッチまで押し切り右手に握るサイドスティックを右に加圧し右のペダルを蹴り込んだ。
スクラムジェットに切り換えたシルフィは暴れる機体後部を押さえ込み急激にターンするFー15Cを目指した。
「シルフィ! あのパイロットを護って!」
────了解。
ヴィクトリアの意図を理解した精霊は、戦闘機のコントロールを盟友に任せ一気に飛び離れた。それを追うように見上げながらヴィクトリアは機首をFー15Cの2枚の垂直尾翼の間へと振りながらさらにスラストレバーを押し込んでサイドスティックをコントロールした。15Gを超える過重にヘルメットと頭部が鉛の塊に感じながら急激に大きくなる第4世代の航空戦闘軍団第1戦術戦闘航空団第71戦闘飛行隊Fー15Cの垂直尾翼間が近づいた。
エルロンロールをかけた瞬間、背面にしがみつくボギーが垂直尾翼間の1組のファンノズルに激突しFー15Cの後部を粉砕し多量の部品を撒き散らし戦闘精霊シルフィは飛び抜けた。
イーグルの下面に飛び抜けたヴィクトリアはFー15Cのパイロットがベイルアウトしパラシュートが広がるのが見えていた。戻ってきたシルフィードがヴィクトリアの背後から首に両腕を巻きつけ抱きしめた。
────上出来ですよヴィクトリア。取り憑いたボギーは離れました。
「シルフィ、2機のボギーの位置を」
瞬時にキャノピィの天空に赤い光点が現れた。際の数値が目まぐるしく増えていた。2機同時に戦闘空域から離脱をはかっていた。
「敵ながら退き際がいいわね」
呟いたヴィクトリアはスラストレバーを引きノッチまで下げると戦闘精霊シルフィはデトネーションエンジンに切り替わった。
────ヴィクトリア、連中の目的は防空圏能力の確認だけじゃなく我にあったのでは?
そうだとヴィクトリアは不安の元を探った。AIのプロテクトは破られなかったが探られたことで大事な何かを盗まれたような気がした。それに鳴り物入りの空対空ミサイル・ハンマーが手玉に取られたことが痛手だった。
メキシコ湾の時といい、ボギーらはどこに逃げて行くのか、追い詰めたいとヴィクトリアは思った。
釈然とせずヴィクトリアが機を反転させた刹那、戦闘精霊シルフィの青い機体の背面がダークグレイに変色していた。
ニュージャージー州ハスブラック・ハイツ東部のテターボロ空港にシルフィが戻ったのは3時を過ぎていた。
滑走路を使いシルフィを通常着陸させたヴィクトリアはタクシー・ウェイを走らせている最中に格納庫の前に腕組みをして待ち構えるルナに気づいた精霊が教えた。
────ヴィクトリア、上司が待ち構えています。
ヴィクトリアは制止を振り切って出撃したので当然だと思った。
地上クルーの誘導で格納庫前に駐機したヴィクトリアはルナを見ながらキャノピィを解放した。気難しい上司が一向に近寄って来ないことにヴィクトリアは諦めてキャノピィ・レールをまたいでラダーを降りた。
近寄りもせずに威圧感を放つルナがいつお小言を言い始めるのだと地上に足を下ろしたヴィクトリアが身構えているとルナから手招きされた。そのルナは機首を回り込んでくるヴィクトリアに視線を向けずにシルフィの機体背面をじっと見ている。
「説明をヴィッキー」
今更何を説明しろというのだとヴィクトリアは怪訝な面もちになった。ワシントンDC防空圏に現れたボギー2機に州空軍戦闘機が落とされていると知りスクランブルをかけたのだ。
ヴィクトリアが応えないでいるとルナは右腕を上げシルフィの機体上面を指さし今一度パイロットに問うた。
「あれの説明をヴィッキー」
あれ? 何の事だとヴィクトリアは振り向いて愕然となった。
戦闘精霊シルフィの優美な曲線を描く胴体の背面がダークグレイに変色していた。
「戦闘区域でボギーの1機に背面に取り憑かれたんだ。直後、AIのファイアーウォールへの総当たり攻撃を受けたがシルフィをFー15に突っ込ませてボギーを振り払った」
しどろもどろに説明する間も2人はシルフィの機体上面を見つめ続けた。
「汚染されたのね」
ルナに汚されたと言われヴィクトリアは頭振った。
「ボギーは振り払った! プロテクトは破られなかった!」
ヴィクトリアが言い張った直後、機体上面のダークグレイの表面に無数の罅が走りその割れ目が脈打つように紫紺の暗い光りを放った。まるで生き物に取り憑かれているようだとヴィクトリアは感じた。
咄嗟にヴィクトリアは喉元に右手の指を添えて精霊に問いかけた。
「シルフィ! 背の侵食は何だ!?」
────わかりませんヴィクトリア。最初は外殻表面だけの汚れだと感じたのですが、内部にまで浸透しています。
「ルナ、あれがシルフィの機体内部にまで侵食している! どうしたらいいんだ!?」
パイロットの訴えを聞いてルナはエメラルドグリーンの眼を細めた。
「マイクロマシンの一種かしら。サンプルを取って調べないと確かなことは言えません。感染の初期対処方法といえば隔離しか」
あの穢らしいものが戦闘精霊に広がると知りヴィクトリアは青ざめた。
ルナはクルーの数人を呼び寄せ命じた。
「至急、液体窒素を用意して変色局部に散布。付近の他の機体は遠ざけて」
ダークグレイがまた脈打ち罅の紫紺の光りがゆっくりと明滅しルナはヴィクの袖をつかんで後退さった。まるで生き物にさえ感染するといった警戒心をあらわにしていた。
ルナは戦闘精霊の背部を見つめたまま別なことを目まぐるしく考えていた。
これはどこから来たのだ? 異世界生命体だなどと安易に決めつけられなかった。
戦闘機に感染するなら人の他のシステムにも感染する危険性があった。機械に感染するからと生物が除外される保証はない。問題は感染してからの後の変異だった。腐れ落ちるとか機能不全ならまだ対処方法はある。廃棄して滅焼すればいい。だがシステムの機能を模倣されたら事は厄介になる。機能しているからと人がシステムを疑わなかったら、知らない間に地球規模で汚染が広がる。その時点でシステムが反乱を起こせば人は淘汰される。
必ず。
ルナは去年末、突如現れた異界からの怪物ベルセキアを思いだしていた。他の生物を取り込み細胞単位で変異しなりすます事ができた。
ルナはそれを生物でなくマシンに拡張し想定した。
それは危機感がそうさせたのだ。ナノマシンでは無理だが、それが分子単位のなりすましならどうだ。人は容易には気づかぬことになる。幸いにも人はそのような技術を持ち合わせていない。ベルセキアを生みだしたハイエルフにも不可能だった。
だがマリア・ガーランドが魔法を会得したのと同じ危機感がルナに警告していた。いつか必ず人はマイクロマシンよりもさらに小さな脅威に曝される。
戦闘精霊シルフィの外殻を崩さずに感染した謎のシステムを前にルナは警戒心を隠せなかった。
機械に感染したあれが、人に感染しないとは言い切れなかった。
「ヴィク──至急、ドクの精密検査を受けなさい」
振り向いたヴィクトリアが見せた表情。唇を歪ませ潤ませた瞳でルナに訴えかけていた。
「感染してない────」




