Part 7-4 Dracula ドラキュラ
2 lipca 14:32 Kolej Sąsiedzka Katowice-Locharda-Piteli, na południe od Warszawy, stolicy Polski./
14:31 Wandy-8 Katowice, południowa Warszawa, stolica Polski
7月2日14:32ポーランド首都ワルシャワ南部カトヴィツェ・ロクアルダ・ピテリ近隣鉄道/
14:31ポーランド首都ワルシャワ南部カトヴィツェ・バンディ8番
雨のように打ちつけた銃弾から逃れる様に跳んだ。それはもう鳥の飛翔を感じさせクラーラ・ヴァルタリは一気に400ヤード西へジャンプすると樹木生い茂る公園の様な場所に飛び下りた。
枝葉を折り着地した衝撃を屈伸させた両脚で受け止め女テロリストは驚いた。
まるで自分がコミックに出てくる超人だと彼女は思った。
そうだ。あの車ほどもある重量の工作機械を楽々と投げつけたじゃないか。
これが奪った細菌兵器の能力ならロシアは大枚叩いてでも欲しがる。雨のように打ちつけた銃弾からも逃げる必要はなかった。だがもう魅了され手放すつもりはまったくなかった。
それにしてもロシア兵の後に押し入ってきた黒ずくめの兵士らは何者だとクラーラは眉根を寄せ枝葉を折り小道に歩き出た。耳を澄まさなくとも森の先に道路があり車が行き交っているのがわかった。
超人だ。五感も異様に鋭くなっている。
彼女はふと手下らの事を思いだした。
私という指標がなくなっても主義のための歩んでゆくだろう。運悪くポーランド軍に捕まり法廷に立たされるならそれまでの話だった。主義主張のために命を惜しまない男らだ。そいつらと袂を分かつ日がついに来た。
小道を歩いていると曲がり角から若いカップルが歩いてきて鉢合わせになった。寸秒クラーラだけでなくその2人も10ヤード先で立ち止まった。全身黒ずくめの容姿にカップルが驚き逃げ出すかと思いきやいきなり2人とも白眼をむいてその場に倒れ込んだ。
容姿がそんなにひどいのかとクラーラは思ったが腕を見ても黒い鱗状なのは変わらず白眼をむくほどではないのにとその倒れた男女の方に行き見下ろして驚いた。肌の見てくれが100歳をも思わせるしなびたものになって白眼をむいている。
これも細菌兵器の効力なのかとクラーラは驚いた。そうだあの金属加工所で敵味方関係なく周りのものが次々に倒れた。だが満足を得ると誰も倒れなくなった。
近寄った人間の精気を奪い取る。
"Vaikka et pure, se on kuin Dracula..."
(:噛みつかなくても、まるでドラキュラだわ────)
そう呟きクラーラはそのやせ細った男女の亡骸を侮蔑を込めて見つめた。奪われるものと奪うものの線引きがなされた。
"Se on mainiota! Se on erityinen maaginen voima. Se on maagista. Se on noituutta."
(:素晴らしい! 特上の魔力だ。魔法だ。魔術だ)
クラーラは公園に走り込んでくる足音を耳にして振り向いた。
"Erikoisjoukot."
(:特殊部隊か)
分かれた足音小道の南北へ分かれ挟撃するのだと読み取った。
そう思惑通りにゆかせない。
テレパス──ルイゾン・バゼーヌを引き連れ住宅街を駆け抜けるフローラ・サンドランは公園の南へと兵士ら8人を引き連れ小道に走り込んだ。
クラーラ・ヴァルタリのアジトにいた黒装の何ものかは2000ポンドはあろうか金属加工機を易々と投げつけてきた。マリア・ガーランドがNYで格闘した怪物が昆虫の容姿から黒装束の人形に変異したとのリポートがあった。眉唾ものだとフローラ・サンドランは感じた事を思いだした。化け物じみた腕力と跳躍力を持つあの黒ずくめの女がもしもそうなら対戦車ミサイルでも打ち倒せない事になる。辻を曲がりかけフローラは左手を振り上げ後続らの足を止めた。
回り込んだ北側のメンバーが先に接敵し発砲を始めていた。同士討ちになる事を避けての足止めだったが直ぐにその銃声が止んでしまった。
ルイ! 状況を!
────チーフ、標的はクラーラ・ヴァルタリです。また跳びます!
アルノー! 標的をホールドしてるか!?
────狙撃可能!
撃ちなさい!
寸秒、ルイゾン・バゼーヌを通し枝葉の隙間を使い照準していたスナイパーのアルノー・ジリベールの視野を見たフローラ・サンドランは彼がフッ化水素レーザー・ライフルのトリガーを引き絞ったのを感じ取った。Qスイッチパルスの増強された3.8μm帯域のコヒーレント光が唸りも上げずに黒ずくめの女へと迫り外した。
須臾、ターゲットはジャンプして見えなくなった。
ルイ! あの女の居場所は!?
────索敵してます。跳躍中。
レーザーでの狙撃は外したか?
アルノー、ターゲットを捕らえているの!?
────いえ。動きが速く見失いました。
ルイ! 黒の蠍はどこへ行った!
────西です。まだ着地してません。
なんて跳躍力なの。1度跳ぶごとに距離を離されてゆく。
そう命じフローラはセキュリティに集まれと振り上げた左手のハンドサインで合図した。
「ルイ、北側のメンバーも呼び集めろ」
────了解。
ルイ。あの女までの距離と方角。
────500ヤード、方位315。鉄道線路に着地。
真西へ500か。離されたな。足がないと追跡は不可能だとフローラは苦虫を噛み潰したような面もちを浮かべた。NDCポーランドに回収用に用意させた2台のコンテナトラックを今、使いたいとフローラはパウチからモバイルフォンを取りだした。
「フローラ・サンドランだ。トラックを回せ。場所は襲撃予定場所から西へ400ヤードの公園だ」
そう命じてモバイルフォン仕舞いながらそれにしてもクラーラ・ヴァルタリがどうしてこの様な超人的能力を持っているのだとフローラは訝しんだ。
ふとフローラはマリア・ガーランドのリポートを思いだした。去年末ニューヨークで起きた怪物騒ぎに黒い皮膚の女が載っていた。超人的能力を持ったその人物は人だけでなく昆虫の怪物にも変幻し対戦車ミサイル・ジャベリンでも倒せなかった。もしも同じ手合いなら────。
────いつ時、昆虫の怪物に変化するやも知れぬ。
こんな住宅街で凶暴な昆虫の怪物になったら手持ちの武器では倒せないかも知れない。
フローラは銃口を下ろし皆に無線で告げた。
「トラックで移動する」
公園の小道から外周道路に出ると5分ほどでコンテナトラックが2台やってきた。フローラは助手席に乗り込み、残りはコンテナに乗り込んで煽り扉を中から閉じた。まだ警察はここでの事を知らないがそれも時間の問題だった。
クラーラ・ヴァルタリは風の唸りを引き連れ住宅街を飛び越えると左右に開けた場所が見えそこへ飛び下りた。
一瞬、兵士らも跳んでくるかもしれないと意識を後方に絞った。400ヤード半も跳べる人間がいるはずもないと切り捨てた。
気を抜くと疲れに取り憑かれた。
その気のゆるみで己が枕木を踏んでいる事を気づくのが遅れた。その枕木の左右に鋼鉄のレールが伸びており警笛の音に振り向くと鉄輪を軋ませて青い電車が突っ込んできた。
衝撃に鋼鉄の壁がねじ曲がり硝子が砕けその鉄の箱にめり込んだ。混乱が収まり顔を庇った両腕を下ろすと客車の中にいた。
振り返ると壊れた内壁と潰れた運転席が見え正面に大穴が開いていた。
自分が突き破ったとの認識に辿り着き顔を巡らせると後ろの客車に避難した乗客達が車輌ドアの硝子越しに見えていた。
突き破った事に怯えているのか、真っ黒の容姿にそうなのかとクラーラは困惑しながら後部車輌へと歩くと硝子に張りつく様に見ていた2人が突然倒れた。そのドアの向こうで倒れた客に手を貸そうとして別な乗客も倒れるとクラーラから遠い客が挙って遠い客車へ逃げ始めた。
何が起きてるのだとクラーラが車輌ドアへ近づきドアを開くと5人の乗客が折り重なる様に倒れていた。その誰もが年寄りという事にクラーラは気づいた。
年寄りじゃない。
皺だらけでいたるところ染みに覆われ干からびていた。
クラーラが顔を上げると隣の客車に逃げ損ねた客数人が出入り口の壁に背を押しつけ寄り集まっている。
怯えるのが容姿のせいだとクラーラは思った。この黒い鱗に覆われた皮膚がと腕を見つめた。彼女が見つめる手の甲がむず痒くなると湧き水の様に普通の皮膚に戻った。反対の手を見るとそちらも普通に戻っていた。だが奥壁に寄り添った乗客達は怯え続け動けないでいる。
クラーラ・ヴァルタリが顔を上げ彼らを見つめると近い乗客に異変が起きた。
呼吸が荒くなりそれが浅くなると手がしわがれ顔が皺だらけになり、それに気づいた他の乗客がミイラの様になってゆく男の乗客を蹴り飛ばした。だが次にミイラ化を始めたのは蹴ったその若い男の乗客だった。
指が震えだし鉤状に曲がり灰色がかると眼孔が落ちくぼみ瞬く間にミイラとなった。
その変化にクラーラ・ヴァルタリは気づいた。
1人ミイラ化する毎に力が溢れてくる様だった。吸血鬼の様に血を吸って力を取り戻したわけででもない。ただ近くにいたというだけだ。
銃弾に打ち勝つ強さ。
それに意志の力で容姿を変化させる事ができた。
研究所から奪った細菌兵器の産物か、神がかった力が漲っている。
この電車に乗っているすべての精気を喰らえばどの様な力が発現するのか。
"Kokeillaan sitä..."
(:試してみようか────)
呟いてクラーラ・ヴァルタリは車輌後部へと足を向けた。
連結部のドアが壊れ同じ車輌の後部に固まって逃げることもできず様子を見ていた10名ほどの乗客は、その客車前方から入り込んだクラーラの容姿が真っ黒な皮膚から普通の色白の肌に変化したのと、後部に避難していた同じ乗客の数人がミイラになったのを目の当たりにしていた。
白人に豹変した女が近寄ると乗客は次々にミイラ化を始めた。その変化に同じ車輌の乗客達はパニックになり壊れたドアを開こうと必死になった。
総崩れにミイラになりその車輌に動く乗客がいなくなるドアと硝子越しに様子を見ていた隣の客車乗客が我先にと後部へ逃げ始めた。
クラーラ・ヴァルタリは壊れた連結部ドアを片手で力任せにこじ開け後部車輌に入り込んで思った。
人は醜いものだ。
我先にと逃げようとするばかりに押し合い連結部通路から抜けられずパニックになっていた。そこへクラーラが歩いて寄ると1度に10数人がやせ衰えたミイラとなった。
どこまで吸い込めるのだろうか。1人、精気を吸い上げる事に力漲って来るのがクラーラにはわかった。30人余りの命を吸い取りまだ上限が見えて来ない。
足元に折り重なり歩く邪魔になるとクラーラはミイラをつかんで横へ投げつけようとしてつかんだミイラがバラバラに粉砕した。
もはや渡す精気も失せて塵に返る。
こいつらは塵だ。
こいつらは屑だ。
生きる価値のないゴミなのだとクラーラは嘲った。足元の邪魔になるミイラを踏み潰し粉砕すると気分が高揚した。
クラーラ・ヴァルタリは左右の口角を吊り上げ引きつった笑みを浮かべさらに次の後部車輌に足を踏み入れた。
車ほどもの重量ある金属加工機を投げつけて壁を打ち破り、いなくなってしまった重要手配テロリストの女。
ポーランド内部安全保障局対テロ捜査部ABWーDSAのカレル・ヴラスチミル大尉は部下のミハル・レオポルト伍長を気遣った。
"Wszystko w porządku, kapralu?"
(:伍長大丈夫か?)
"Nie, nic mi nie jest. Wszystko w porządku, kapitanie?"
(いえ、なんとも大尉こそ)
伍長に気遣われカレル・ヴラスチミルは大丈夫だと告げて壁に開いた大穴に近寄った。
"Ta kobieta od smoły. To nie jest tylko głupia władza. Została postrzelona i to było nic."
(:あのタール女。馬鹿力だけじゃない。撃たれても何ともなかったぞ)
壁はコンパネや石膏ボードでなくコンクリートだった。人が素手で破れる類ではない。
"Co to jest? upiorny. Zdecydowanie strzeliłem tej kobiecie w twarz."
(:何でしょうか? 気味の悪い。間違いなく顔を撃ったんですよ)
そうだ。肩を撃った後にミハルが顔を撃ったのを確かに見たとカレル・ヴラスチミルは思い起こした。着弾し顔や肩を振り回されていた。それだけじゃない。黒い戦闘服──フルフェイスのヘッドギアを着た連中にP90で多量に撃たれてもいた。もしも百歩譲ってタール女が防弾着衣を着ていたとしてもどこかしら骨折する弾量が着弾していたはずだ。
"Kapitanie, ci ludzie z nakryciami głowy, z jakiej jednostki są? Nie wierzę, że to rosyjscy żołnierze.
(:大尉、ヘッドギアの連中どこの部隊でしょうか? ロシア兵ではないと思いますが)
"Nie wiem, ale nie wydaje mi się, żeby to było wojsko."
(:わからんが、軍ではないような気がする)
そう思ったのはあの黒いユニフォームだった。ペイントを被った様な感じではないマットブラック仕様だったのもあるが無駄のない洗練されたデザインだった。軍は能力重視でデザインにこだわったりしない。
"Rozdzielimy się i zbadamy ciała. Musimy wiedzieć, czy są jakieś Czarne Skorpiony."
(:手分けして遺体を調べるぞ。黒い蠍がいないか知る必要がある)
ミハル・レオポルト伍長が呆気に取られた面もちで大尉を見つめているのでカレルは急かした。
"Martwa kobieta."
(:女の遺体だ)
カレル・ヴラスチミル大尉はその工場を見て回り6人のテロリストと5人のロシア兵を見つけた。その内3人は射殺体、8人は高齢の老人だった。テロリストが老人という事があり得るだろか。老衰による死亡は譲るとして内3人はロシアの迷彩服を着ておりその様な高齢者をロシア特殊部隊が採用するわけがなかった。
射殺体と自然死?
その差違は何だと考えながら大尉は事務所棟に戻った。
テロリストと思われる老衰の遺体を調べていてドラキュラを思いだした。首筋を確認しても噛み跡はないがドラキュラに血を吸われると仲間になるかミイラ化するかのどっちかだった。
事務所に小型のクーラーボックスを見つけ中身を確かめたが、空の試験管が3本入っていた。これが探しているものなのか分からなかったが同行しているラウルスBTの研究員ベンタ・ヘルナルに聞いてみるしかなかった。
ミイラ化の遺体はテロリストとロシア特殊部隊兵の両方にいる。もしも血を吸ったなら無差別にやった事になる。
女の遺体はなくクラーラ・ヴァルタリは今もなお生きて歩き回っている。
寸秒、嫌な予感にヴラスチミル大尉は動きを止めた。
クラーラ・ヴァルタリの遺体がなく、暴れまわりジャンプして消え失せた黒ペイントを被った人物の体型は女の様でもあった。
空の試験管の入ったクーラーボックスに意識が向いて試験管の中身の行方に思い当たった。
まさか黒い蠍はこれを取り入れたのか!?
カレル・ヴラスチミル大尉はミハル・レオポルト伍長を呼び戻すために工場へと踵を返した。