Part 3-5 Eyeball the back 尾行
CIA HQ McLean ,Va. 13:07 Jun 29/
NDC HQ.-Bld. Chelsea Manhattan NYC, NY. 10:27 Jul 12/
6月29日13:07ヴァージニア州マクリーン中央情報局本部/
7月12日10:27ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン・チェルシー地区NDC本社ビル
NDCから退く代わりに現場経験の浅い資産を数名送り込んで正解だったとシリウス・ランディはかかってきた電話の相手──パスカル・ギムソン──に思った。
『────それでその興信所のクライド・オーブリーはマリア・ガーランドの婚約を引き合いに身辺調査を持ちかけてきました。披露宴に招かれるとも』
あれが結婚!? そんなわけあるものかとシリウスは眉根寄せ思った。あの戦闘マニアが結婚できるとしたら、相手の男はどこかの国の破壊的な将軍だろう。
「それでその情報源としての仕事を受けたわけね」
『ええ。マリア・ガーランドの身辺を漁る輩には食い込めと貴女が仰っていましたから引き受けました。でも──』
「なに?」
『どんな情報を手渡せば良いのかと。そのクライド・オーブリーはマリア・ガーランドの行動に関する事を知りたがっていたのですが』
シリウスは歯切れが悪いと思った。これだから新米諜報員は困る。現場サイドで判断すべき事は即断を要する事ばかりなのだ。
「彼女の9時から5時に関する事は控え目に。その探偵が知りたがっているのはプライベートな事なのよ。だから仕事を終えて帰宅するまでの行動とかをリークさせなさい。もしかしたらその探偵を雇っているのは襲撃が狙いなのかもしれないでしょう」
『し、襲撃ですか!? 社長危険じゃないですか!?』
「心配には及ばないわ。大隊でも率いてこなければマリアを堕とせはしない」
そうだ。ロシアでレギーナ・コンスタンチノヴィッチ・ドンスコイ大佐を拉致したときに見せたあれの能力は既存の兵器や兵士とは異なる特殊なもの。大隊の兵を持ってしてもあの女を屈伏させる事などできまい。どのみちその探偵は金を積んでも守秘義務を楯に依頼主の事で口を割らないだろう。締め上げればマリアが激昂するし、パトリシアに事情を話せば簡単に雇用主を探れるからそちらは心配いらないとシリウスは思った。
「パスカル、その探偵の動向を逐次報告。できれば依頼主をつかみなさい。それで真の狙いがわかる」
『畏まりました』
通話が切れてシリウスは考えた。あれが統率する民間軍事企業の要員は軍の特殊部隊に比する優秀な私兵だから力押しの心配はいらないが、対企業工作として眼をつけられているなら論外だった。マリア・ガーランドは兎角目立つので引き下ろしの対象ともなりえた。
NDCに潜伏させた要員の内、比較的能力の高いものに眼をつけシリウス・ランディは外線をタップして電話番号を続けると呼び出し5回で相手が出た。
『はい、チェスター・ウィンターソンです』
「私だ」
『副長官!? 不測事態ですか?』
真っ先にそう来るかとシリウスは嬉しくなった。
「チェスター、社長へのメディア攻撃の懸念がある。広報の方で何かつかんでる?」
『いえ。NDCの方へ依頼されてる分に関しては敵対的な取材はありません』
今は────今のところは。固執し過ぎだとあれは笑うだろう。だがここで務めるという事は疑心暗鬼になることだとシリウスは手綱引き締めた。網の目を抜ける奴が危険を孕んでいる。いや、危険視するなら軍事的攻撃の方だろう。襲撃される側は遭遇戦となる。それなりの犠牲を織り込んでゆくとターゲットが追い込まれる。あれはタフネスの極地だが、仲間や市民がからむと途端に脆くなる。その事を諭しても切り抜けるから構わないと言い切る。
「偽ってマリア・ガーランドの事を調査してる外部のものがいるのよ。何か気づいたら報せて」
『わかりました。それとなく当たりをとってみます』
電話を切りシリウス・ランディは椅子を回し両袖の執務デスクに背を向けた。窓外の雲天を見つめ責務を果たすのだと己を追い込んだ。
おかしい!?
受付のお姉さん達のIDをつけた男女がエレベーター・ホールの前から消え失せたとアリッサ・バノニーノはエントランスで1人困惑していた。
走って逃げる場所も隠れるものもないのにどうやってと少女はビル全体を見回していた。
それに警備のクリフとレイバンド2人があっさりとPDWを女に渡し、57を床に捨て蹴ったのもおかしい!? 脅されても屈しない警備の人らがなんでアサルトライフルを渡してしまうの!? まるでパティみたく人を操った様に銃器を手に入れた。その光景をカメラで見ていたAIが異常事態だと即断して鉄格子を出してエレベーターを閉じて、あの男女はエレベーター・ホールに閉じ込められたら消えてしまった。
少女は服のポケットからセリーを取り出しパトリシアの番号を選びタップした。
『おはようアリス』
「おはようパティ。今ね変な人達見つけたの。受付のお姉さん達からIDを盗んでスタッフフロアまで上がったの。すぐにクリフとレイバンドが駆けつけて────銃を渡しちゃった」
『どうしてセキュリティの2人が銃を渡したの? 脅された?』
「変でしょ。変よね。しかもねパティ、2人はエレベーター・ホールのトラップに閉じ込められたら消えちゃたの」
『侵入者ね────』
パティが黙り込んで考えているといきなり肩に手をかけられてアリスは振り向いた。
「おはようアリッサ」
出勤してきたシルフィー・リッツアだった。今朝も耳を隠すニット帽を被っていた。夏なのにニット帽を被っている。
「おはようシルフィー。今ね侵入者を探しているの」
「侵入者? 賊? 武装してたの?」
アリスは頭振った。
「ううん。クリフとレイバンドが銃をあげちゃたの」
それを耳にしてハイエルフは話以上のかなりの部分を理解した。
「パティと同じ能力をその2人の内、最低どちらかが持ってる可能性がありスタッフフロアに侵入を試みた」
『アリス、今あなたの見た2人を私も見たわ。取りあえずマリーに報告する。シルフィーに共有させるわね』
モバイルフォンを耳に当てていたアリスが背の高いハイエルフを見上げ頷いた。その寸秒シルフィー・リッツアは微かに眉根寄せた。
パティが超空間ブレインリンクでアリスの見た顔をシルフィーに掛け渡した。直後、アリスはハイエルフの服をつかんだ。
その強張った表情に気づいてシルフィーは背後の状況を理解した。
「今、2人が中央に──」
シルフィー・リッツアはエレベーターからその2人が下りてきたのではないと理解していた。眼の前にある6基の従業員用のどれもが扉を開いておらず、エントランス逆側の3基の大型エレベーターは観光客向けでありスタッフフロアには昇降口すらない事を彼女は理解していた。
「アリス、2人は非常階段から出てきたの?」
ハイエルフに問われ少女は頭振った。
「ううん。突然、居るのに気づいたの。どこかから歩いて来たなら見えてたもん。あっ! 受け付けにも行かずに正面玄関に行くよ」
そう聞かされてシルフィー・リッツアはゆっくりと振り向きブロンズガラスの回転ドアから出て行く男女の背姿を眼にとめた。
「アリス、パティと2人でマリアに報告を」
「どうするのシルフィー!?」
「大丈夫よ。ちょっと尾行してくる」
そう少女に教えながら銃器を奪ったとなるとセキュリティ上ハイリスクだとシルフィー・リッツアは判断していた。
顔は覚えた。
2人は尾行されてるとは知らない。
目的を突き止めてやる。
エントランスを出て2人がすぐにイエローキャブを乗り込んでいる様を目撃してシルフィーはおかしいと気づいた。
都合よくイエローキャブが来たのではない。
イエローキャブを待たせていた。無事にビルから逃げ出して来れる事を織り込み済みだった。
イエローキャブが走り出しすぐにハイエルフは車道に繋がるスロープを駆け下り走ってきた乗用車の前に飛び出し止めると助手席の窓に回り込んだ。
「強盗です! 前のイエローキャブで逃げた強盗を追うのを手伝って下さい!」
運転している中年の男性が驚き顔で頷いたのでシルフィーはドアを開き飛び乗るとドアが閉じきる前に車が走り出した。
「怪我人は────お金を奪われたのですか?」
「武装強盗未遂です。幸いに怪我人と損害はありませんでした。私はNDC社員のシルフィー・リッツア。身分証をご覧になりますか?」
「いや、信用します。だって車の前に轢かれるのを覚悟で出てきて嘘を言う理由がないじゃないですか」
真っ当だとシルフィーは思った。故郷ベルンフォート周囲に点在していた人との接触はなかったが、この世界に来て思うのは多く人の性格が良い事だと思った。人の言った事を疑わずに信じるのは性善説が浸透してるからだ。巨大な都市や国家を形成するこの世界の人は性善説に裏打ちされてないと成り立たない。事あるまでは取りあえず信頼する。だがそこにつけ込む輩もいるのはどの世界どの種族でもそうだった。ずる賢さも生存本能の知恵なのだとシルフィーは思った。
その乗せてくれた運転手は無理な追い抜きをして8番アヴェニューでイエローキャブの間近まで迫った。リアガラス越しに見える後席の2人は警戒することなく振り向きもしない。
「あの後席の2人ですか? それとも片方?」
「カップルで押し込みを図ったんです。警護から銃器を奪って──」
ただ多少状況が異なるだけであながち嘘ではなかった。
ハイエルフの習性で後ろめたさは感じない。ただ理論整然と考えるので、この場合襲撃者の身元調査と正当化していた。
────シルフィー、いまどこ?
超空間ブレインリンクで語りかけてきたのはパトリシアだった。
8番アヴェニューをセントラルパークに向かっている。
────チーフが深追いはするなって。
チーフとはマリア・ガーランドだった。実害がなければ放置するのはあれの悪い癖だとハイエルフは思った。すでに偽装IDで入られた時点で実害だろう。セキュリティの2人も問題があった事になるし。
ああ、了解した。身元を調べたら引き上げるから。
そうリンクで告げてシルフィーがパトリシアに報せた直後、運転手の男が不安げに尋ねた。
「警察に任せた方がいいんじゃないですか?」
警察の質と対応を思い浮かべてハイエルフは苦笑いを浮かべた。自分なら警官30人分の働きができる。ハイエルフとヒューマンの差だ。
「私はNDCのセキュリティだから責任があるし、この様な状況には対応できる」
実際は銃のコンシールド(:服の下に携行する武器全般)許可どころか携帯許可も持たない。持てるわけがなかった。市民権もなければ出生証明書もない。この世界の住人ではないのだから仕方ない。
イエローキャブはセントラルパークまで行かずに2ブロック手前で西57番ストリートへ右折するとパークハイアットニューヨークホテル前で止まりカップルの2人はトランクからスーツケースを下ろし車道を渡りホテルに入って行った。
呆れた!? スーツケース持参でイエローキャブを待たせておいて襲撃をしたのか!? まるで確実に逃げおおせる事を想定していた事になる。
「ありがとう。ご協力感謝します」
礼を述べ車から下りたシルフィーはそのままおかしな立体張り出し天井のあるホテル玄関ドアを押し開いた。
エントランス奥にフロントがありそこをシルフィー・リッツアはスルーしようとしてフロントマン呼び止められた。
「お客様、申し訳ございません。何号室にご宿泊でしょうか?」
こんなときに目立つ大柄の姿が疎ましく思えた。
「ああ、今、入って行ったカップルが我が社に忘れ物をされたのでお届けに来ただけです」
「誠に申し訳ございません。当ホテルはご宿泊されております方以外のご訪問をお断りしております。お忘れ物はお預かり致しまして責任を持ちましてお客様にお届け致しますのでご宿泊のお客様のお名前をお伺いできますでしょうか」
これは困ったとハイエルフが苦虫を噛み潰したような面もちを浮かべるといきなりホテルのフロントマンがウインクしたのでシルフィーは驚いた。
「ご宿泊のお客様はバルヒェット様ご兄妹ですね68階のスイートにご宿泊なさっております。干渉はお控えする様に、とパトリシア様から承っております」
パティかとハイエルフは胸をなで下ろした。少女が遠隔で人を操るのは神の領域だとシルフィーは思った。
そう神だ。その領域にいるもう1人に魅せられて故郷ベルンフォートに帰らずにいるのだ。どの道、我が種族はベスに滅ぼされ帰っても1人きりだ。繁栄は夢となりもう子孫を眼にする事もない。
シルフィーが頷いてフロントを離れようとすると男がフロントテーブルの上にカードを差し出した。
「マスターカードでございます。ご活用下さい」
カードを受け取りハイエルフは困惑した。干渉は控えるようにじゃないのか。入室すればあの兄妹と鉢合わせになるのは眼に見えていた。まさか不法侵入ぐらいで捕まえさせる事もあるまい。そんな揉め事をマリア・ガーランドも望みはしまい。
48階までエレベーターで上がったハイエルフはまだバルヒェット兄妹の持ち物を調べるべきか迷っていた。フロアで考え込んでいるとそのスイートらしい部屋のドアが開いてシルフィーはその前を通り過ぎて顔を合わせない様にした。
出かけるのだ。2人がどこへ行くのか私物を調べるより興味深かった。
幸いにバルヒェット兄妹が向かったシルフィーの上がってきたエレベーター以外に従業員用のものがフロア反対にあった。
それに乗り込みハイエルフは迷わずに1階ボタンを押し込んだ。
1階エントランスに着くと兄妹はフロントにカードを預け正面玄関へと向かうところだった。シルフィー・リッツアは足早になりフロントへと向かい先ほどのフロントマンにマスターカードを返した。そうして正面玄関へと向かおうとするとフロントマンに呼び止められた。
「あのぅ。お客様、こちらのカードをどうされました?」
「拾ったのよ。届けたからかまわないでしょう」
そう横顔で告げたシルフィーが振り向くとバルヒェット兄妹はホテル前でイエローキャブに乗り込むところだった。
また車か! ハイエルフは焦りもせずガラス扉を押し開き走って行くイエローキャブの方を見るともう一台のイエローキャブが反対車線を走って来たので手を振り上げた。
そのイエローキャブが転回してシルフィー・リッツアの前に回ると彼女はドアを開いて乗り込むなりマネークリップからベンジャミン(:100$の英語での俗語)を引き抜き運転手に差し出し告げた。
「前を行くイエローキャブを追って」
「了解でさぁ」
陽気に客に返事をして運転手は乱暴に車をスタートさせると尾行し始めた。
バルヒェット兄妹のイエローキャブは2番アヴェニューへ出ると南へ向かい始めた。そうしてしばらく走るとクイーン・ミッドタウン・トンネルでイースート・リヴァーの下を潜り抜けブルックリン地区へと抜けた。
シルフィー・リッツアは運転手の肩越しに見えるイエローキャブを眼で追い続け、これは私物を漁るより楽しいと認めた。甘い倫理観とは無縁だ。
襲撃の直後、会いにゆくとしたら依頼主か。失敗を取り繕いに行くのか。
その顔を拝みに行き────。
────捕らえ、マリア・ガーランドに突き出す。
その時のあの戦闘神の様な女が浮かべた表情を眼に焼き付け口にする言葉を耳に残す。
車は市街地を抜けブルックリンの有料道路を下りると数分で街の一角に止まった。50ヤードほど離れた縦列駐車の間にシルフィーはイエローキャブを止めさせ車内から様子を眺めていた。
イエローキャブを待たせて兄妹が訪ねたのは赤レンガの白枠の小さな店だった。店だと思ったのは看板がドアの脇に下がり、何よりも店だとシルフィーに思わせたのは白扉の前面に鉄格子があったからだった。
10分待たずに2人が店から出てきた。入店時には手にしてなかった黒の大型コンバットバッグを共に左手に下げていた。そのバッグ2つをトランクに仕舞うと2人は乗ってきた車で走り去った。
だがシルフィー・リッツアは追わなかった。
その店に興味を持ちドアを開き中に入った。
店主が途方に暮れていた。
陳列されているあちこちのガンラックから銃器が紛失していた。