Part 29-4 Obedientia Absoluta 絶対服従
Rukban camp near the Tanf border crossing southeast of Homs Syria, 20:04 Jul
7月15日20:04 シリア・ヒムス南東タンフ国境通行所近隣ルクバーン・キャンプ
無惨〻〻と殺されてなるものか!
アランカ・クリステアは自分の項に突き立てられようとしたナイフの切っ先を恐ろしい速さでつかみ横へ引き抜いた。
その刹那少女の細い人さし指から薬指までの第二関節から先が斬れ飛んだ。
後ろを取ったプラチナブロンドの女から逃れようと淵源は目の前にいる配下となったアン・プリストリの意識に介入し大柄な女を利用した。
少女は目の前のアンを自分へと突進させ一瞬でその繰り出してくる両脚の間に飛び込んで背後に抜け出て振り向いた。
目にした光景にアランカは愕然となった。
頭一つ以上身長と体重で勝るアンの右手首をマリア・ガーランドはナイフ握らぬ左手でつかみ引き落とし前屈みになったAPを肩に載せ一瞬で背後に顔面から地面に叩き落とした。
五百年、人と格闘し勝ちぬいてきたヴァンパイアの少女は斬れ落ちた三本の指を再生させながら向かってくる女社長から逃れようと後退さった。
腕や肩、首にでも手を掛けられたら地獄が待ち構えていた。
地獄────喉の渇きに苛まれ人の生き血を啜って五百年余り。これが地獄と言わずして何であろうとアランカは思った。
見てくれの少女の姿に反して思考は老齢の永遠の牢獄。
ナイフを腰の後ろに隠し、遠い昔に見たベテランの戦士の如く前傾で向かってくる銀髪の女の青い三白眼の双眸がいきなり逸れ、立ち止まり後ろに跳び退いて間合いを取るとあらぬ方へ視線向けて、使役と戦うレイカという黒髪の女とヘルシンキ教授の曾孫エステルや残りのセキュリティへ怒鳴った。
「キャンプ西と南北からシリア兵が来る! 撤退するぞ!!」
すると若い女の配下にナイフ打ち込んで倒した黒髪の女レイカが迫ってくる次の使役を蹴り倒し大声で問うた。
「チーフ! APはどうするのですか!?」
「おいてゆく! 超空間回廊を開く! アニー! セス! デイブ! ジャック来い!」
そうだ。その言葉がアンの記憶にあった。異空通路──その空間を超越する魔法回廊はあのマリア・ガーランドとシルフィー・リッツアというハイエルフにしか開けぬ道。
ヴァンパイアの王女はMGが傍に空間を歪め漆黒の霧の渦を生みだしたのを顔を強ばらせ見つめた。
これで厄介な特殊部隊兵から逃れられる反面、魔法回廊へと次々に駆け込むマリア・ガーランドの私兵らを見てアランカ・クリステアはMGもあの屈強な部下らも、あの魔法も欲しいと切望した。
黒い霧が霧散して淵源は残った三十体ほどの配下に駆けつけるシリア兵の足止めをしろと命じるとアン・プリストリが銀髪女から腱を斬られた片腕で楽々と少女を抱き上げた。
「闇の抜け道を開け」
そうアランカが命じた寸秒、二人の前に紫紺の淡い輝き放つ小型トラックでも入れそうな魔空洞が開き周囲の空気を呑み込んだ。
あの魔法回廊と違いこれはこれで使えるのだが色々と制約があった。
一番気に入らないとアランカが思ったのは強烈な硫黄臭だった。
新たな配下は地獄の女王なのだと少女は我慢すると二人はそこに入り門が閉じた。
難民キャンプ内で乱闘している連中を捕らえる。
無理ならば撃ち殺しても構わぬと下命を受けていた。
シリア陸軍第65旅団第2大隊第1中隊第6小隊第2分隊のラザーン・ジャドアーン・マリヌス伍長は六人の兵を引き連れ難民らのテントの間を西から駆け抜けていた。
まだ小隊長から指示あった乱闘の場ではないと月明かりに見えるテント群の先を見据えた。
何事かとテントから顔を出す難民らはいたが、出歩いているものはおらず、もしいたらすぐ臨検だと腹に括っていた。
その乱闘をしているのは恐らくは反政府組織か犯罪者。
捕らえよとあったが少しでも疑わしい動きを見せたら即射殺。顔検分は殺してからでも構わないと部下ら兵卒に言い渡してあった。
反政府組織の兵は即席爆弾を多用し陸軍に多大な損害を与えていた。もしも騒乱が陽動であり囮なら駆けつけた陸軍兵士を爆破で殺害する目論見かもしれない。
難民に変装し状況を離れた所で監視し起爆ボタンを押し込む愚劣な手合いだった。
反政府組織ではなく、ただの犯罪者集団とも考えられるが、犯罪者とて今のシリアには不要。生かしておく通りはなかった。
いきなりテントがない開けた場所に出たラザーン伍長は無言で片腕振り上げ部下の兵士らを止めた。
空き地ではなく、幾つものテントが倒れ重なり見通せる四十平方メートルほどの場所が開けていた。
そこにたむろする三十ほどの人影に伍長はAKー74Mアサルトライフルの銃口を振り上げた。
次々に振り向くその群集は月光の下でも男女年齢が疎らで恐らくは難民なのだとわかったが、じっと見返すその視線が異様であり、パニックで襲いかかる人のそれだと油断ならないとラザーンは部下らに命じた。
"بنادق جاهزة"
(:小銃構えぇ!)
DVDのホラーで見たらゾンビのようだと伍長が思ったのは群集の全員が次々に腕を彼ら兵士らに向け振り上げたからだった。
だが動きが尋常でなかった。
30十メートルほどの距離をその難民らが暴走するラクダの勢いで迫ってきた。
心づもりできていた伍長は大声で6名の兵卒に命じた。
"اسحب الزناد "
(:撃て!!!)
暗がりに一斉に銃口の火焔が膨れ上がり、向かってくる男女が頭を仰け反らせ、肩を振り、腹を折った。
だが足を緩めたのも一瞬、腕を上げた難民らが再び迫り来ると、伍長らの分隊左右に他の分隊兵が辿り着き状況から火器を構え次々に発砲した。
総勢二十五人余りの兵士らの撃ちだした銃弾が一人の難民に十発は命中していた。
だが襲い来る難民らは数秒と立ち止まらず、前方にいたラザーン伍長らの分隊が発砲しながら後退さり始めた。その頃には弾倉が空になり交換するものが続出すると腕振り向けた難民らは目前に迫った。
月光の明かりに光った難民らの口に猛獣のような犬歯が光っていることにラザーンは顔を強ばらせ背を向けるなり逃げ始め、次々に捕まった兵士らの叫び声が折り重なり彼を追いかけた。
左肩をつかまれ振り返らせられたラザーン・ジャドアーン・マリヌス伍長の首に大口を開いた女が噛みついた。
砂丘の谷合に異空通路から走り出たセシリー・ワイルドが振り向いてナイフ構えるとレイカ・アズマに続いてヘルシンキ教授の家系だというヴァンパイア・ハンターの女とチーフが走り込んで来てその背後で魔法回廊が霧散して閉じた。
セスはあのヴァンパイアの小娘が追って来なかったことを安堵した。
「チーフ! アンを取り戻しに戻りましょう!」
そうスナイパー・スポッターのアニー・クロウがいつになく語気荒くMGに訴えかけた。
腰を折り両膝にテを当てたマリーが珍しく息を切らし顔を上げた。
「今は無理。アンを見たでしょ。完璧に少女に操られてた。我々六人掛かりでもあの粗暴な奴を押さえ込めないのにどうやってあれを一度殺して蘇生させるか至難の業よ」
そう説明しながらマリーはアランカが追い詰められAPの真の力を解放させたら、あの難民キャンプぐらい一瞬で瓦解するとそれを恐れた。数万が一度に煉獄に放り込まれるのだ。
そうなったらとてもじゃないが自分の転生力で生き返らせたりできはしない。
アンを取り戻すなら、人のいない付随的損害のない場所を選び意表突き襲撃しなければならないとマリーは考えた。
場所が許せば、あのヴァンパイアの指示塔ごとアンを爆殺するのがこれ以上身内にも被害を出さない方法だ。格闘や銃撃で二人を同時に殺すのは不可能だ。
「レイカ、身体に不調はないの?」
マリーは蘇生させたスナイパーの身を案じた。もしかしたらレイジョの構成素材の悪影響が残っているかもしれない。
「いえ、不調どころか物凄く純粋になれたような申し分ない状態です。ありがとうございますマリア」
そう言いながら黒髪の東洋人はナイフを太腿の鞘に戻しベルクロのフラップで固定し右手を数回握りしめては開いてみた。
「レイカが吸血鬼に噛みつかれたとこを見た。直後、チーフが彼女の額をハンドガンで撃ち抜いたのも覚えてる。だけどよ、気がついたらチーフとお前は吸血鬼らと闘っていた。いつ蘇生させたんだよマリア?」
問われマリーは説明するのも面倒で素っ気なく応えた。
「気のせいよ──」
暗殺者のザームエル・バルヒェットから時空間の操り方を学んだものの、抽象的で自分でも漠然としたイメージしか理解してなかった。
どうして一つの時間流の中の特定の人をそのままに全部の時間を止めることができるのか。ルナ流に解釈すると膨大な熱エネルギーが派生するはずだった。逆な見方をすればすべてを動かした瞬間、時間流に追いつかれたレイカと私は闘士しているはずだ。
だが二人とも死なずに生きていることは奇跡的だった。
意識一つで熱核爆発を引き起こせる能力と同じく制約を課しておかないとまかり間違えば自然や物理法則にねじり殺される危険性がある。
思考を切り替えマリーは今後の方針を探ってヘルシンキ教授の身内に問うた。
「エステル、あのヴァンパイアの小娘をもう一度難民キャンプに捜し出せる?」
エステルは砂地に胡座かいて座り込んでいた。マリーに尋ねられ彼女は頭振った。
「無理だわ。アランカはもう難民キャンプを抜け出したはずです。あんな騒ぎになった場所的を餌場と寝床にはできないでしょうから。万事つきたのよ。当分、短くても数ヶ月、長ければ数年奴は痕跡を残さずに逃げ延びる」
それを聞いてマリーは鼻で笑い、エステルは不愉快な顔を向けて聞いた。
「見つけだす方法でもあるというの?」
「アンの着てる高級ランジェリーにGPS発信器を仕込んであるわ」
「なんでアンの下着に!?」
声を裏返させて問うたのはセスだった。
「最高責任者として部下を把握しておく義務があるから」
それは自分のランジェリーにもそうなのかとセスは顔を強ばらせた。
「ハンド・マルチ・モニタに俺の名前打ち込んだらマップに表示されるなんて言うなよ!」
そう言い捨てたセスはマリーがスました顔でいるので慌てて戦闘服を脱ぎ始めた。服や持ち物ならそこら中に置いてくる可能性があるがランジェリーならそうはならないとセシリー・ワイルドは思った。
それをじっとデヴィッド・ムーアとジャック・グリーショックが見ていることにセスは気づいて彼女は慌てて手を止め冷ややかに告げた。
「殺すぞおまえら!」
難民キャンプからどこへ逃げ出したと、マリア・ガーランドは難民キャンプから離れた砂漠に視線を振り向けた。
アランカ・クリステアはアンを一時も傍から放さないだろう。
あのヴァンパイアの屈強の楯となり鉾となる女をあれが遠ざけるはずがない。
気を許すと朦朧と霞む意識で思うは銀色の髪をした女だった。
あれと一緒にいたときは心底楽しかった。
それなのに今はこの糞面白くもないツインテールの小娘と一緒にいる。
おまえはあのくるんくるんの巻き毛を誇る糞生意気な小娘────誰だっけェと名前を思い出せずに腹の底から苛ついた。
この片腕で抱き上げた黒のゴシック・ドレスの似合わぬコークスクリュー娘が指示するように魔力による闇を繋ぐ魔道を開き中に入り込んだことがあの銀髪の怒りに触れると困惑し続けた。
「アン、喉が渇くの。外に出たら血の澄んだ若い娘か少年のものを飲みたい。掠ってきてくれる?」
「ふんッ! 断るゥ。手前で────探しやがれ」
アンが鼻を鳴らし巻き舌で言い捨てるとアランカは眉根寄せてコアを通し服従を強制した。
寸秒、呻き声を漏らしアンが言い直した。
「仰せェのままにィ」
そう口にするものの怒りがこみ上げていた。衝動を押さえきれずにこの左腕に載った小娘の後頭部を鷲掴みにして岩板に顔を力強く押し当て際限なくすり潰してゆきたい欲望に駆られる。
それが本来の自分であり今の己はどうかしてしまっていると脳の奥から命じられる指示に抗えなかった。
魔道の門が見えてきてそこを歩き出ると、街灯瞬くシャッターの下りた町の袋小路の奥だった。
表通りに歩き閉じた店舗のネオン灯の文字を見てアンは眉根寄せた。
アラビア語だ!
だがシリアの街並みではないと思った。
戦火の痕跡が見当たらない。
中東だがもっと安定した国だとアンは感じた。
「下ろして」
そう小娘に命じられアンはアランカを歩道に下ろすと少女がまた命じた。
「さあ、喉が渇くの。行ってらっしゃいなアン・プリストリ」
アンは頭下げ一礼すると歩道を歩き始めた。こんな夜の人通りのない街並みで少年や少女を探せだと。ふざけやがってと立腹すれど血を求めアンは歩き続けた。
そこへ通りの反対側から一台の白い車がやってきてアンに近づくと速度を落とした。
夜更けに迷彩柄のドレスを着込んだ女が──それも長身の女が金髪の長髪をブルカやニカブで隠さずに堂々と娼婦のように歩いている。
いきなりパトカーが青いフラッシュライトを瞬かせスピーカーで怒鳴った。
"امرأة بيضاء تمشي هناك"
"توقف وارفع يديك"
(:そこを歩く白人女! 立ち止まり両手を上げろ)