Part 29-1 CQC 近接戦闘
Rukban camp near the Tanf border crossing southeast of Homs Syria, 19:48 Jul 15 2019
2019年7月15日19:48 シリア・ヒムス南東タンフ国境通行所近隣ルクバーン・キャンプ
倒されたコークスクリュウ・ツインテールの少女の真横で両膝地面についたエステル・ヴァン・ヘルシングが銀の杭先を小娘の胸に当てハンマーを振り上げたのを見下ろしていたマリア・ガーランドの背後に天幕の中から音もなく若い女が現れた。
そのセミロングの赤毛の女は大口を開いて伸びた牙を女指揮官の首に食い込ませようと躍り掛かった。
その女の首に後ろ手を回し肩に引きつけマリーはいきなり前屈みなり女を前に投げ飛ばした。
投げられた女は倒された淵源に杭を打ち込もうとしていたヴァンパイア・ハンターの背に凄まじい勢いで落下し激突した。
体勢を崩したエステルは咄嗟に眼の前で少女に上下逆に重なり倒れ込んだ女が牙を剥いて叫び、眼にしたハンターは顔を強ばらせ咄嗟にその首をつかみ左胸に杭を突き当てた。
思いっきり力込めてヴァンパイア・ハンターはその若い容姿の女の胸に当てた杭の頭をハンマーで叩きつけた。
その吸血鬼の変化にマリア・ガーランドは驚いた。
胸から灰に燃え残った火の粉が広がるように一瞬で焼け砕け散った。
その灰の残滓を突き破り飛び上がった少女が牙を剥いて両手伸ばしマリーの胸に飛びつこうとした。
シールの元少佐は容赦なかった。
牙剥いた少女の顔面に右拳が打ち込まれ顔を捻って淵源は仰け反りエステルの先に片手着いてバク転し二人から距離を取って地面に着地するなり腰を下げ両腕突き出し叫聲を捻りだした。
顎を引いて吸血鬼の王女を睨み据えたマリア・ガーランドは押し殺した声で言い切った。
「こんな──ものなのか?」
その言葉がきっかけとなった。
少女が瞳を細め小さな赤い唇を舌なめずりした寸秒、その背後からまるで蜘蛛の手足のように何かが広がったのが暗がりにシルエットで見えエステルが跳び起きた。
「これも吸血鬼の特技なの?」
そうマリーがヴァンパイア・ハンターに問うとエステルは言葉に詰まった。
「こんなの────」
扇のように広がった腕のようなものが明らかに武器であるのは間違いないとマリーは思ってホルスターのファイヴセヴンを意識して銃声を響かせるわけにはゆかないとマルグラーナとその上のアバヤを跳ね上げ鞘からコンバットナイフのグリップに右手を掛け知り合ったばかりの女を気づかった。
「エステル、さがりなさい!」
そう警告してヴァンパイア・ハンターの右腕をつかんで強引に退かせナイフを引き抜いた刹那、吸血鬼の少女がマリーへと踏み込んで急激に間合いを詰めた。
反射的に前屈みになり引き抜いたコンバットナイフを腰の後ろに隠し恐ろしい速さで迫り来るそれを迎え打った。
それは剣─ソード─であり槍─ランス─であった。
襲いかかってきたのは数百のスパルタ軍兵の剣であり槍だと思った。
この吸血鬼が先ほどまでに見せていた脆弱さをひっくり返し十数本の触手で行っている攻撃はシールズで五人のアザラシを同時に相手しての近接格闘を上回っていると少佐は感じた。
切り裂こうとする刃を身を翻し躱し、突き刺そうとする鋒を叩き逸らす。
稲妻のように襲いかかる触手は全部で十二だと数えた。
だが手にするダマスカス鋼のフルタングコンバットブレードナイフはまだ腰の後ろに隠し決め手とした。
ハンドルに二重で巻いたパラコードが指に手のひらに馴染みいつでも臨戦態勢に移行出来ることを主張している。
被った刺繍施されたスカーフ──シャンバー・クレーシュを靡かせ、矢よりも速く襲いかかった二つの触手の刃の峰を次々に蹴り逸らし、マリア・ガーランドは少しずつ、だが確実に、少女の形をした吸血鬼の淵源に迫った。
近づけば近寄るほどヴァンパイアの攻撃は辛辣になり、その間隔が際限なく短くなってゆく。
マリーは十二の触手の攻撃を避けながらふと同じだと思った。
テキサスに現れたレイジョ!
千変万化のナノマテリアル操る怪物らと、どうしてこいつはこうも似てるのだと少佐は思った。
だがあれは母星であるグラバスター星系で中核であるコアを壊滅させた。
マリア・ガーランドは淵源を見つめその構成パラメーターの一群を俯瞰した。その膨大な刻々と変化してゆく値の一部に見覚えのあるものを見いだした。
レイジョのコントロール中枢であるコアのパラメーターと同一だった。
ならこの少女はナノマテリアルなのかと変数値を読み取り驚いた。人のパラメーターでありながら微妙に異なっていた。
斬り込んでくる刃のプラーを手刀で叩き弾き困惑した。
違う!?
一つひとつの細胞の遺伝子コードを改変しているものがレイジョのナノマテリアルだった。
人を書き換えている!?
その瞬間、マリーは理解した。吸血行為でエネルギーを書き換えた筐体を維持するためにミネラルを血から摂取するという手段。
離れているとはいえエステル・ヴァン・ヘルシングを襲わずに堕とすに困難な私に固執する理由。
無尽蔵のエネルギーの輝きに見せられているんだ。
マリーは恐ろしいサイクルレートの近接格闘を行いながら真横10フィートに意識を集中し強力なヘリカルの磁場と核融合並みのエネルギーを書き込んだ。
爆縮した閃光の出現。
その寸秒、小娘がそこへ顔を振り向け取り憑かれたような眼差しで煌々と輝くプラズマを見つめ眼差しをマリア・ガーランドへと振り戻した。
襲ってきた触手を左手で受け止めその様を見つめたマリーは片唇を吊り上げ膨大なエナジーの差違がわかるんだと驚いた。
コンバットナイフを振り出すこともないとマリア・ガーランドは左手一つで本気になってゆくのを押しとどめられずにいた。
つかんだ触手を襲ってくる二つの触手にぶつけ、完全に片腕のリーチに入った瞬間、マリア・ガーランドは触手手放し淵源の喉笛を左手で握りしめた。
驚愕の面もちになった少女の目覗き込み押し殺した声で告げた。
“Să ── fim ────serioși.”
(:本気────だせよ)
なんだこの女!?
ヘルシング教授の曾孫なぞどうでもよかった。
吸血鬼の存在に動じるどころか、冷静に反撃してくる。
アランカ・クリステア・ドラクレシュティは吸血鬼の存在を目の当たりにして殆どの大人が見せる反応のない中東の民族衣装に身を包んだ青い眼の女に困惑した。
だが内なる存在は目の前のこの女を襲い吸収しろと命じてきていた。
エステルとこの女に攻めあぐねいているとコアが前に進み出ろと命じて半分主導権を奪った。
その寸秒、背の感覚が一瞬でなくなり何かが扇状に広がるとコアが生みだした十二の腕が勝手に女に襲いかかった。
確かにこの女の血を吸いたいと渇望したが、首に牙立てるのが不可能に思えた。
十二に腕先にはチタンの刃と槍になっている。その連続し同時に襲いかかるコアの多数の腕に女は右腕を背後に隠し左手で捌きながら絶妙な動きで躱し続け間合いを詰めてくる。
その顎を引き青い三白眼で睨みつける女の迫力に退きたい思いと矛盾するコアの命令に内心、周章していた。
この女、数百年前に父が抱えていた強者の傭兵のまなざしだとアランカは姿重ねた。
ヘルシング教授の曾孫は吸血鬼狩りに屈して傭兵を雇い入れたのか!?
どんどんと踏み込んでくるその女にアランカは繰り出していた足を止めた刹那、女の横に眩いばかりの光球が突如出現した。
そのエネルギーの井戸のあまりものの深さに少女は魅入られた。
だが女の背後にある燦々とした超新星よりも明るい光りに目を振り戻した。
その瞬間女に三本の腕が襲いかかった。最も近い腕を易々と左手で受け止めたその女はあろうことかその腕で残り二本の腕を弾き逸らし一気に詰め寄るとつかんでいたコアの腕を投げ捨て左手を首に伸ばし鷲掴みにして引き寄せられた。
そうしてじっと目を覗き込まれ、アランカは女が胸の中にいるコアの存在を知ってると悟り気づいた。
この女は傭兵なんかじゃない────。
女が傷ある唇を開き押し殺した声で命じた言葉に暴君ヴラド公の娘は凍りついた。
“Să ── fim ────serioși.”
(:本気────だせよ)
故国ルーマニアの言葉をなぜこの女は知ってる!?
我がルーマニア出身だとどうして知ってるんだ!?
漆黒のゴスロリ・ドレスを踊らせ地面蹴りつけ首つかむ女の腹から胸へ一気に駆け上がりその左腕に片脚を引っ掛け女の手首を両腕でつかみ肘を本来とは逆に折り曲げ一気にへし折った。
その肘の砕ける音を確かに聞いた。
聞いたのだ。
「私の腕から下りてくれる? じゃないとあなたを背後から襲うことになる」
まるでそうしたいという気持ちを隠すように抑揚なく耳元に言われ、アランカはたった今、手首を折ったのになぜ平然としていられる!? この女、頭おかしいのか!? と混乱し折ったはずの手首握りしめ飛び下りて中東のスカーフ被った顔を見上げ久しく感じなかった恐怖を思いだした。
ラピスラズリの深い青色の虹彩で蔑むように見下ろす女の眼差し。
本気だせよとルーマニア語で女が言い放った意味をアランカは理解してしまった。
こいつは戦いたいのだ。ぎりぎりの命の掛け引きをしたいのだ。
ならとことん相手をしてやろうじゃないか。
そうアランカ・クリステア・ドラクレシュティが顎を引いて女を睨み上げた瞬間、少女の躯の内でナノマテリアルがフルに活性化しコアと完全融合へシフトした。
その百数十年ぶりの励起が神のギフトのようだとアランカが思った寸秒、鷲掴みにしている女の手首の変化に目を見張った。
女の手首に金色に輝く鱗粉が降り注ぎ、握りしめている折れた骨が指の下ではっきりとわかるほど急激に再生していた。
アランカはこの女にもコアがあるのかと慌てて手首から手を放した。
そんなわけはない!
内なるコアは五百四十年余り前に神によって齎された至福。その神によって命じられる吸血衝動と眷属の拡張は絶対で唯一無二だった。
邪魔するこの女もヘルシングの曾孫も殺してしまわなければならない。
寸秒、いきなり少女は自分より体格の勝る女の前で踏み足を急激に交差させ回し蹴りを浴びせた。
その強速の足の甲が女のわき腹に命中し女は凄まじい勢いで近くのテントを潰し消え失せた。
胴は千切れたか、内臓すべてが破裂しただろうと少女は思った。
所詮普通の人間。
神により驚異的な力授かった我にかなうはずもなき、とアランカ・クリステアが次はお前だとヴァンパイア・ハンターへ顔を振り向けた。
唖然となったヘルシング教授の曾孫が銀の杭とハンマーを構え上げた。
"Este o prostie serioasă să crezi că poți face față luptei corp la corp cu putere și viteză idiotă────"
(:馬鹿力と速さで近接戦闘を仕切れると思うなんて、本気の阿呆だ────)
ルーマニア語に引き攣らせた顔を振り戻したアランカが眼にしたのは潰れた天幕の残骸から立ち上がりマルグラーナとその上のアバヤを脱ぎ捨て、スカーフ──シャンバー・クレーシュを剥ぎ取った女のプラチナブロンドが月光に光り波打った光景だった。
その黒い身体に密着した服に身を包む女が肩から少女が入りそうなアリスパックを脱ぎ落とし、アランカはあんなものを背負ってどうして素早く動けていたのだと驚きそれを上書きし女がどうして平然と立っていられるのだと困惑した。
胴が千切れなかったにせよ、強烈な蹴りに内臓の多くが破裂し即死したはずだった。
だが女は現に生きており、首を回して関節を鳴らすとナイフ持った右腕をぶら下げたままリングに歩み寄ってくる。
その顎引いた睨みつける三白眼が異様に深い群青の耀きを放っているのが、久しく感じていない畏怖を淵源に呼び起こさせた。
同時にアランカ・クリステアに凄まじい怒りを呼び起こさせ押し殺した声で言い放った。
"Mă ameninți?!"
(:我を脅すだと!?)
"Mă ameninți pe mine, care am primit darul lui Dumnezeu!"
(:神のギフトに覚醒した我を脅すか!)
それを耳にした女が言い捨てた。
"Am mulți îngeri de partea mea!"
(:私の味方は数多の天使らだ)
その瞬間、ナイフ構えた女が駆けだし急激に間合いを詰めてきた。