Part 28-1 Fata Vampir 吸血少女
Poenari Castle, fortress of Duke Vlad III of Wallachia Arefu Argeș County Argeş-Valley Fagraș Mountains Cetatea-foothills România Eastern EuropeWestern, 01:43 Nov 28 1475
1475年11月28日01:43 東ヨーロッパ西部ルーマニア・ファガラシュ山脈ケタテア山麓台地アルジェシュ渓谷アルゲシュ県アレフ・ワレキア公国君主ヴラド三世公の城塞ポエナリ城
燭台の6インチあまりあった蝋燭が燃え尽きる寸前、娘が見つかり連れ戻されたとの報告を君主ヴラド・ツェペシュへ入れたのは執事長タスク・バセスクでなく、傭兵長のヴィライ・ドゥミトレスクだった。
公の元へ出向いたドゥミトレスクはカーペットに片膝をつき頭垂れ疲弊しきっており深傷を肩や腕、腰に負っていた。
アランカが熊にでも攫われたのかとヴラド3世公は身を案じたが、報告に来たドゥミトレスクをねぎらうと、傭兵長は娘の捜索中に21人の兵と39人の使用人らが命を落としたことを公に告げた。
たとえ夜更けであっても熊一頭に兵が21人も殺されることなどあるはずがないと、ヴラド公は耳を疑ったが、ドゥミトレスクの有り様が雄弁に物語っていた。
「アランカを連れてまいれ」
そうヴラド公は部屋の出入り口近くにいる二人の使用人らに命じると、二人とも困惑げに顔を見合わせ大君に頭振ってみせた。
「無理でございます君主よ。アランカ様は地下牢におりますゆえ」
それを聞いてヴラド公は激昂し傭兵長を問い質した。
「なぜアランカを牢に閉じ込めた!?」
「ご自身の眼でお確かめ下さいませ、君主よ」
そう言ってドゥミトレスクは立ち上がると踵返し出入り口へと片腕を振り向けヴラド公を促した。
狭い石階段を下りきり壁に取り付けられた疎らな松明の灯り届ききらぬ細い通路を幾つもの鉄格子を眼にしながらヴラド公はドゥミトレスクの後に続いた。
一番奥正面の牢手前で傭兵長が立ち止まるとヴラド公は声をかけながら前に出た。
「アランカ──今、出してやるから────」
通路の松明の灯り差さぬその房のどこに娘がいるのだと、父はよく見ようと鉄格子をつかみかかり両手を伸ばした。
いきなり牢の上から何かが鉄格子に飛びかかり、ヴラド公は反射的に後退さった。
ドゥミトレスクが通路壁の松明を抜き取り鉄格子へと近づけた刹那、見えたのはまるで獣のような鋭く長い牙が並ぶ口を開いたアランカ・クリステア・ドラクレシュティが鉄格子にしがみつく様だった。
ヴラド公はこれは誰なのだとまるで魔物を見るような目つきで鉄格子の反対側にいる怪物に見入って傭兵長に尋ねた。
「な、何だこれは!? 娘はどこにいるのだ!?」
「これがアランカ様です、君主よ」
そうドゥミトレスクがヴラド公押し殺すように告げた。
松明の揺らめく灯りに照らし出された人とは思えぬ何かは、確かにアランカのような髪型をしており同じドレスを着ているが、その着衣はまるで血飛沫を浴びたように血の染みがいたるところについており、まるで浮浪者の衣服のように破れボロボロであった。
異様なのは牙だけでなく鉄格子をつかむ細い子供の指先にはまるでナイフのような長く黒い爪が伸びており、靴を履いておらぬ足の指にもその黒く長い爪が伸びており、ヴラド公が見つめたその足指が手指のごとく長くその両足でも鉄格子にしがみついているのを彼は理解しかね呟いた。
「な、なんだ!? 娘はどうなったのだ!? 悪魔に取り憑かれたのか────!?」
「わかりませぬ。ただ動きと力は尋常でなく、取り押さえるのに十五人がかりでした。それに────」
ヴラド公はこの上何を突きつけるのだと傭兵長へと強張った顔を振り向けた。
「アランカ様は人を襲い、まるでワインでも呑むように首に牙を打ち込みその傷口から血を吸い取ります。襲われた六十名の殆どはミイラになるまで血を吸われて死にました」
鉄格子の反対側から豹変した娘が腕を伸ばし必死でヴラド公やドゥミトレスクをつかもうと手を蠢かせている姿に視線を戻した父ヴラド公は己が犯してきた虐殺の報いなのかと怪物と化したアランカを見つめ唇を引き結んだ。
もうアランカは人並みの姿に戻ることはないのだろうか。二度と人前に出ることができぬ悪魔になってしまったのだろうか。
たとえ医者を連れてきても、口封じに殺さねばならぬとヴラド公は思った。
「ドゥミトレスク、このことを決して外に漏らしてはならぬぞ。それと今夜、アランカのこの姿を目にしたものらをすべてすぐに抹殺せよ」
傭兵長が顔を向けると、鉄格子にしがみつき手を伸ばし獲物をつかもうとする娘をきつい表情で見つめながら君主が言い放った。
串刺し公──またの名をドラクルと云われる君主に仕えた時点で逃れられぬ運命だったのだとヴィライ・ドゥミトレスクは思った。
断ればこの男は他のものを差し向け串刺しにするだろう。
「御意。殺したもの達はどこに埋葬しますか?」
「いや──殺さずに数人ずつ────娘の────アランカの牢へ放り込め」
傭兵は親の業が祟ったのだと思ったが口になどできなかった。
どんなに懇願しても父ヴラドは決して牢屋から出してはくれなかった。
だが毎日のようにエネルギーを獲るための獲物には不自由しなかった。
牢へ放り込まれる顔見知りの使用人や傭兵らが尽きると、まったく顔を見たこともない若い女を毎日のように牢へ差し向けてきた。
アランカは娘たちが近隣の村や町から攫われてくるのであろうことを薄々と感じていた。
年配の使用人らに比べると若い娘らの血は栄養素とエネルギーに満ち溢れていた。
胸の中のあれはそれでも貪欲に同種──人のエネルギーを渇望した。
あの夜、熊の姿をし現れたあれは胸の中に乗り移ると身体の隅々──髪の毛さえ作り直した。効率を上げ代謝能力を高め、運動力を大きく高めた。
アランカは羽根のように軽く感じるようになった新たな躰を喜び、獣のように鋭くなった五感を楽しんだ。
牢に幽閉され二週間が過ぎるころには、遥か階上の部屋で薬を盛られ引き摺られてくる新たな贄の気配が分かるようにまでなっていた。
父は牢に我を閉じ込めたつもりだろうが、出ようと思えばいつでも出られることをアランカはすでに知っていた。
最初は人目のない牢の中で、少女は手足を作り替えてみた。大人の手足にすることも赤子の小さなものにすることも自在だと気づいた。
それは徐々に高じてアランカは人の姿から狼になってみた。
それに満足せず、少女は躰を分けて多数の蝙蝠に変身してみた。
胸の中のあれは多数の蝙蝠の中の一つに変異し分割した多数の躰に分散させた構成素材を通しそれらを自在に操れる。
アランカは多数でありながら同時に一つであるレイジョという概念を身につけた。
退屈な牢の暮らしで唯一変身する事が血を啜ること以外の楽しみになった。
その気になれば多数の鼠や蝙蝠に変異し鉄格子などいつでもすり抜けられる。
娘の変貌ぶりを外部に洩らさぬ箝口令に見張りすらおかない父の徹底ぶりがかえって少女の実験と遊びの間を提供した。
なにも手首ひどの太さの交差する鉄格子をすり抜けなくとも、ヘラクレスのように手でつかみ捻り壊すことすら可能だとアランカはレイジョのコアから教えられた。
体内エネルギーを自在に有効に使う術は12歳の少女を超人へと生まれ変わらせた。
血さえ得ればこの繋がりは恒久的なのだと理解させられた。
血さえ────吸えれば。
ヴラド3世は悪魔に憑かれた娘のために傭兵に命じて近隣の村や町から若い男女を攫っては牢に贄として放り込ませた。
数ヶ月もすると若い男女が行方不明になるとポエナリ城近隣のアルゲシュ地方で噂が静かに広まった。
だがその噂はヴラド3世の恐怖政治下であっても市井に浸透し、原因はヴラド公にあると人々は思い始めた。
子を取り戻したいと切に願った庶民は数ヶ月後──民に一目おかれる荘園貴族の一人であるトゥロレル・コンスタンティネスクに直訴した。
応接間で訪れた町長に会ったトゥロレル・コンスタンティネスク侯爵は話に耳を傾けた。
「────この半年の間に私めの町からも24人の若い男女が行方知れずとなっています」
ソファに腰掛け立ったまま説明する町長に侯爵は疑念を投げかけた。
「しかしヴラド公によるという確かな証拠はないのだろう。盗賊による人身売買ではないのか。聞くところによるとオスマン帝国に兵士として売られていると」
「女をですか!?」
町長は目を丸くした。
トゥロレル・コンスタンティネスクは確かに消えているのは若い民ばかりではないと知っていた。ヴラド公に反目する貴族らがここ数年謎の失踪を続けていた。
ヴラド公に抹殺されたのだと恐れる貴族も少なくない。
「女も鍛え上げれば良い兵士になれる。むしろ荒事では男よりも肝が据わっていると思うが──」
「ご勘弁ください侯爵様。町に帰り若い女もオスマン帝国に兵士として身売りされていると説明すれば、家族は大騒ぎをするでしょう。ヴラド公の城に幽閉されていると思うからこそ家に連れ戻せると堪えているのです」
僅かに間をおいてトゥロレル・コンスタンティネスクは両膝を手で叩いて応えた。
「良かろう。我がヴラド公の元へ行き調べてみよう」
どのみちヴラド公の恐怖政治に終止符を打つ必要があると侯爵は思っていた。
あの男に国中が怯えているのだ。そんな国に平穏な未来など望めはしない。
ヴラド3世の居城ポエナリ城に訪れたトゥロレル・コンスタンティネスク侯爵は馬車を下りて百数十段もある崖の階段を上ることになるとは思いもしなかった。
二人の従者は息を切らしていたが、戦士の経験もあるコンスタンティネスク侯爵は余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》だった。
この曲がりくねった細い階段は城攻めの兵を警戒してのものだと侯爵は気づいた。ヴラド公の粛正は反旗翻され亡ぼされることへの恐れからだとコンスタンティネスクは思った。
ヴラド公が串刺し公の二つ名を持つのは人の畏れを熟知しているからに他ならない。
あ奴の心には畏れが渦巻いている。それが並みいる貴族らを屠り去った理由かもしれぬ。
だがなぜ市井の若者らを連れ去ったのだ?
城門へと辿り着いたコンスタンティネスクは従者二人が追いつくのを待ちながら閉ざされた扉の前で考え続けた。
歳いった従者らが辿り着くと侯爵は城門の上へと声を張り上げた。
「我はトゥロレル・コンスタンティネスク公なるぞ! ヴラド・ドラクレシュティ公にお目通りを願いたい!」
城壁の上の小窓から門番の兵が顔を覗かせしばし待つように慇懃に告げた。だがそう待たずして門戸が開かれ城内に入ると二人の兵が付いて来るように告げ館へと案内した。
ヴラド公が待っていたのは日中でありながら多数の蝋燭で照らされた薄暗い宴会の間だった。
顔を合わせるなり長テーブルの端に腰を下ろしたままの串刺し公が不愉快そうに声をかけてきた。
「よくぞいらしたコンスタンティネスク公よ────して今日はどのような御用向きかな?」
ヴラド公と話しをするのはコンスタンティネスク侯爵は初めてだった。細面のヴラド公は部屋の暗さからだけではない不気味さがあると侯爵は感じた。
「最近、l方々の町や村から若者らが消えているとの噂を耳にする。ヴラド公はオスマン帝国が我が国の若者らを兵として買いあさっていると耳にされたことはないかそれを伺いに参った」
半眼の視線でテーブルの先から突き刺すような疑り深い視線を向けてくるヴラド公をコンスタンティネスク侯爵は油断できぬ奴と思った。
「市井のことまではうかがい知れぬ。ゆえにオスマン帝国の人買いなども耳にせぬ」
「そうか、ヴラド公よ────にしてはこの居城ずいぶんと血の匂いがするではないか」
会って早々にトゥロレル・コンスタンティネスクは串刺し公に鎌をかけてみた。
「血の匂い? この城が攻められて十数年、匂いは古いものなのだろうが────それがどうした侯爵よ」
ああ、惚けるのかとコンスタンティネスク侯爵は目を細めた。なら喉元に刃突きつけられるなら白状するかとコンスタンティネスク侯爵は腰の後ろに右手を回した。
その動作を見ていたヴラド公は手にした銀の杯をテーブルに乱暴に下ろした。その音をきっかけにしたように幾つもの窓際の長すぎるカーテンの陰から剣を手にした野盗のような男らが現れた。
「コンスタンティネスク侯爵よ、後ろ手にした短剣で切り抜けられるなど思いもすまい────この男らを捕らえ娘の房に放り込め!」
そう串刺し公から言い放たれ、コンスタンティネスク侯爵は娘の牢とはどういうことだと目まぐるしく考えた。
ヴラド公の兵士らに剣を突きつけられ侯爵と二人の従者らはそのまま長い石段を歩かされ地下の牢獄に強制された。
錠を外され広い牢獄に入れられた侯爵らは、すぐに兵士らが逃げるように牢獄の通路を後にするのを見ていた。
こんなこともあろうかとポエナリ城周辺の森に二百の傭兵を潜ませていた。
一刻もすれば傭兵らが動き出すと思ったコンスタンティネスク侯爵が忍び笑いに従者らと振り向くと牢奥の暗がりから十代中にもならぬツイン・ロールのドレス姿の少女が現れた。
娘の房とはこのことかとトゥロレル・コンスタンティネスクは小娘を人質に串刺し公を脅し屈服させてやると思い少女に尋ねた。
「貴女はヴラド公のお嬢さんなのか?」
少女が頷いて応えた。
「ええ、そうよ。アランカ・クリステア・ドラクレシュティというの。ここは私のお部屋」
そう告げてドレスのスカートの両側を摘まんで少女がお辞儀をして顔を上げた。その微笑んだ少女の上唇の下から異様に長い二本の牙が現れた。