Part 26-4 Irritation 苛立ち
Rukban camp near the Tanf border crossing southeast of Homs Syria, 06:51 Jul 8 2019/
Heliport on the roof of the NDC HQ.-Bld. Chelsea Manhattan New York City NY., 21:45 July 14 2019
2019年7月8日06:51 シリア・ヒムス南東タンフ国境通行所近隣ルクバーン・キャンプ/
2019年7月14日21:45 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン・チェルシー地区NDC本社ビル屋上ヘリポート
粗末なテントの乱立する合間にロシア製の古びたBRDMー2偵察装甲車が停車しており左側面の小さな昇降扉が開いたままになっていた。そばにAKー47を胸前に構えベレー帽を被った迷彩服姿の兵士が一人キャンプの難民らに睨みを効かせていた。
一万を越すこの難民らに混じりISISが潜んでいるとの噂は前からありシリア陸軍第五軍団予備兵団のISISハンターは難民らに混じる情報屋からの報せに急行した。
三十人あまりの難民らが取り囲む一つのテントに形式上大尉と呼ばれるラザーン・アッディーン・アル=カワジャはならべられた二人の遺体を検視するNPOの医師の様子を見守っていた。
"لم يبق دم في كلتا الحالتين، وكانت الصدمة الوحيدة هي طعنة في الرقبة"
(:両名共、血は残っておらず外傷といえば首の刺し傷だけです)
ラザーン大尉は指示に困惑した。
難民キャンプで変死体が出たと早朝から騒ぎになってると聞き急行してみれば医師も説明に困る遺体二つ。血を抜いたのは悪魔かと大尉は思いそんなことがあるものかと、アッラーの名を口ずさんだ。
"لأي غرض يتم سحب الدم؟"
(:何のために血抜きをした?)
そうラザーンは医師に問うた。
"الآن ، هل الغرض من نقل الدم؟"
(:さあ、目的は輸血でしょうか?)
医師は遺体の一つをうつ伏せにひっくり返し服をめくり背中から臀部までをこと細かく触診してゆくと血以外の別な所見を大尉に告げ始めた。
"إنه أمر غريب"
(:不思議だ)
"الموت الصارم غير موجود"
(:死後硬直が見られない)
"يخضع الجسم دائما لموت صارم ، ولكن يبدو أن كلاهما متناظر"
(:遺体は必ず死後硬直を向かえますが両方共生身のようだ)
その所見にラザーンはさらに質問した。
"أعني ، أنت لست ميتا؟"
(:つまり、死んでないと?)
医師はため息をついてISISハンターの大尉を見上げ告げた。
"لا ، إنها جثة محددة"
(:いえ、確実な死体です)
それを耳にしてラザーン・アッディーン・アル=カワジャ大尉は医師と同じテントにいるNPOのサポーター二人に命じた。
"لا تدفنها. أحرق"
(:埋葬するな。焼却しろ)
ラザーンと部下の兵士二名が険しい顔で布をパッチワークの様に縫い合わせた天幕を出ると取り囲んでる難民らがテントから離れた。
その大人の男女にラザーンは声を掛けた。
"مقتل شخصين الليلة الماضية"
(:昨夜二人殺された)
"هل رأيت أي شيء مريب يتجول في منتصف الليل؟"
(:深夜、うろついてる不審なものを見かけなかったか?)
距離をおいて取り囲んでる男女は強張った表情で頭振るばかりだった。
その中の若い女がぼそりと呟いた。
"رأيت فتاة. فتاة في ثوب"
(:女の子を眼にしたわ。ドレス着た女の子)
女の子なぞどこにでもいるとラザーンは思った。だがドレス着ただと彼は注意を引かれた。全身を覆ってるならチャドルだろう。暗い難民キャンプ内だ。見間違いだと大尉は考えた。
"ما لون الملابس؟"
(:何色の服だった?)
"فستان واسع بشعر أشقر وتنورة سوداء. كان مثل دمية"
(:金髪でスカートの広い黒いドレス。人形みたいだったわ)
ラザーンは大きく鼻から息を絞り出すと細めた眼で取り囲む人々を見回し思った。
金髪だと!?
彼は夜陰でもその髪色がとても目立つことを承知していた。
女が眼にしたのは間違いないと彼は確信しもっと多くの兵でキャンプ内を調べるべきだと考え師団長へと報告を上げようと決めた。
NDC本社ビル屋上の巨大なヘリポートに駐機しているハミングバード2の下りた後部ランプから装備弾薬を積み込む部下たちを見つめマリア・ガーランドは腕組みしてヘリポート端に立っていた。
行き先をサウジアラビアでなくシリアに変更し少人数編成なのでルナは偵察作戦を承認してくれた。
どのみち目と鼻の先だとマリーは内心考えていた。
国防総省に問い合わせると一週間前のシリア駐屯地の海兵隊隊員死亡は事実だった。
情報部門の見立てでは80パーセント以上の確率でISISの仕業だということだったが、ゾンビのような赤外線カムに写り辛いもの達の装備品を確認するのが名目上の理由となっていた。
だからただの偵察任務ということで員数は自分を入れて6人だけだった。
マリーがヘリポートから屋上出入り口の建て屋を見下ろすとアン・プリストリが見上げていた。
自分を参加させないのは大きな間違いだと最後までゴネていた。
あれを連れて行くと場を滅茶苦茶にする。
それを承知でマリア・ガーランドは組んでいた腕を解くと右腕をAPへ振り向け手のひらで差し招いた。
大柄の女が破顔し冥途服姿のまま後ろに隠していたアリスパックを右肩に背負いヘリポートの鉄階段へと猛然と走りだした。
それに気づいたレイカ・アズマが戦術攻撃輸送機のスロープ上に立ち止まり振り向いて蔑んだ面もちになった。
隠密潜入に最も不適な人員を選ぶ理由が理解できん。
「勝手にすればいい────」
そう烈腕のスナイパーは吐き捨てると貨物室に姿を消した。
装備の搬入が終わりマリア・ガーランドがハミングバードのスロープを上ると階段を駆け上がってきたアンが息も切らさずに少佐に続き貨物室へと走り込んだ寸秒、輸送機は16基のターボファンジェットエンジンを最大に吹かし一気に後部を先に上げ上昇旋回に入った。
後部ハッチのスロープが閉じきる前にアン・プリストリは男のセキュリティがいるにも関わらず鼻歌混じりに紫紺の冥途服を脱ぎ落とし黒のランジェリー姿になりアリスパックから引き抜いたデジタル・デザート迷彩の冥途服を着込み始めた。
唖然と見つめるデヴィッド・ムーアの顔へレイカがパウチから取りだした徹甲弾を投げつけ驚いたデビッドは鼻の下を伸ばした腑抜け顔をチーフ・スナイパーへ振り向けた。
「アン、そのトップ(/Lingerie Top)はサンローランでしょう?」
そうマリーが鼻筋に皺を刻んで指摘するとアンが苦笑いした。
「少佐ァよく気づくなァ──勝負服だァ、高ァかったんだぞォ84ビルズぅ(:100$)」
「豚に真珠────」
そうレイカが日本語で呟くと冥途服のフックを止めていたアンが手を止め目つき悪く顔を振り向けた。
"I knoww what that meanss. I would givee the cat bonito flakess."
(:その意味知ってるぞォ。猫にィかつお節だろぅ)
それを聞いたレイカが眼も合わせず馬鹿にしたように鼻で笑ったその寸秒、アンがいきなりアリスパックからプファイファー・ツェリスカ・ハイパワーを引き抜きハンマーを起こした。
マリーが顔を強ばらせ斜め前の内壁ベンチに座るレイカを見るとスナイパーは太腿の上に横向きに構えたGM6リンクス狙撃銃のハンドガード先に独立したバレルロック・システムのリリース・ボタンを片手で叩き、縮体していた磨き込まれたバレルが勢いよく伸びる切ると初弾が装填された重い金属音が響いた。
"Come on, shoot...I'm not going to stop your..."
(:撃ちなさいよ──止めたりしないから────)
そうマリア・ガーランドが押し殺した声で二人に告げるとレイカはストックのバット・プレートを静かに床へ下ろし、アンもハンマーを親指で戻した。
スナイパー&スポッターのアニー・クロウが話題変えようと申し訳なさそうにマリーへ声を掛けた。
「チーフ、その──赤外線カムフラージュを使用している兵を見つけたら観測だけに留めておくのですか? それとも兵ごと拉致して身包み剥がすんですか?」
マリーは半眼になりレイカの隣に座るアニーへと視線を向け唇を一度への字に歪ませスポッターへ告げた。
「身包み剥がすなんてギャングスタの発想じゃないの。戦闘服の一部を切って持ち帰ります。それはルナの提案でブリーフィングの時に彼女が説明してたでしょ」
ああ、しまった、とアニーはあやふやに口を開いてチーフから視線を斜め上に逸らした。
「その兵士らを見つけたら気絶させ袖でも切り裂いて奪えばいいさ」
そうマリーの隣に座るセシリー・ワイルドが面白そうに言うとマリーは迷彩服の膝を開いてセスにぶつけ忠告した。
「あんたの気絶させるはどうして殺してしまうに聞こえるの!?」
「あぁ!? 言ってねぇし!」
「面倒かけるなよセス。足手まといだと思ったら片膝撃ち抜いて荒れ地に放り出して帰るからな」
と、レイカとアニーから離れた同じ壁面シートに座るもう一人のスナイパー──ジャック・グリーショックがGM6リンクス狙撃銃の伸ばしたバレルを磨きながら牝豹に警告した。
腰を浮かして腕振り上げたセスの服を引っ張り座らせるとマリア・ガーランドが全員に告げた。
「あなた達、もっとプロ意識を持ちなさいよ! もう一度揉めた奴は10時間後中東の土を踏ませないし、そのままNYへまた10時間かけて送り返しますからね!」
マリーは右手を前に突き出し手のひらを上に向けた瞬間、いきなりラグビー・ボールサイズの氷塊が現出し周囲へ氷片がこぼれ落ちた。
「冷凍パックで!」
それを眼にした6人全員がマリーから視線逸らし自分のことに集中しアンがぼそりと巻き舌で呟いた。
「パワハラァだァ」
同時にマリーは顔も向けずいきなり冥途服を着たばかりのアンの足先から腰まで派手に氷づけにするとアンが悲鳴を上げて取り消した。
「冗談だァ──じょうだん────マリア様はァ素敵な上司ですゥ!」
床に張りついた氷が一瞬にして溶解するとアンは両膝落として両手も床につきうなだれてぼやいた。
「マジにィ──凍らせやがってェ────脚が痺れてェ立てねェ────」
それを無視してレイカがマリーに尋ねた。
「チーフ、シルフィーもそうですが、その凍らせたり燃やしたりするエネルギーはどこから拝借してるのですか? 保存法則に反してませんか」
マリア・ガーランドが振り上げた困惑した顔を見てレイカは苦笑い浮かべ押し縮めようとしているGM6リンクス狙撃銃のから手を滑らせてバレルが跳ね上がって暴発した。
爆轟の直後天井に開いた1セント硬貨ほどの穴から凄まじい勢いで空気が吸い出され始めマリーは立ち上がり片足でキャットウォークの一枚を蹴り上げそれをつかみ投げ上げた。
天井の穴に張りついたアルミ合金の格子が一瞬で溶解し湾曲した穴を塞ぎ張りついた。
天井から視線下ろしたマリーはレイカに説明した。
「矛盾してないわ。高いコップから水を注ぐようなもの。無尽蔵でなくいずれカオスに呑まれる。エントロピーの頚木から逃れられない」
「だけどチーフ、貴女はすでにとんでもないエネルギーを使い切って────」
レイカに言われマリーは頭振った。
「わたしが手にするタンブラーは極上の大きさ。まだ1滴すら使っていないわ」
レイカ・アズマは微かにため息ついた。眼の前のリーダーはその気になれば地球どころか太陽系すらも灰燼に化する力あるのかもしれない。この人が窮地に至らぬよう本気で護らないととんでもないことになるとスナイパーは思った。
床に胡座かいて座り込んだアンは少佐とレイカの会話を聞いて憮然とした面もちで二人に背を向けていた。
冥府は久遠の昔から現在しており崩壊する恐れはなかった。冥府は地球と共にありそこへMGを引き摺り込むまでは何ものであれ冥府を否定するその存在を許すつもりはない。
だが少佐がこの星を潰すのなら正面切って始末しなければならない。
冥府の裁定者として現実世界にいる以上、冥府と地球の存亡阻止はなにものにおいても上位にあるとアン・プリストリは思った。
上位だとォ!? 糞ったれがァ!
アーウェルサ・プールガートリウムの双眼がマリンブルーから一気に真っ赤な縦長の虹彩に豹変し下唇を噛んで瞼閉じると大の字に仰向けになって思った。
焔神ヴァルカンの鍛えし長剣────マルミアドワーズを操れる人間は少佐をおいてこの世にいない。
────Feces is feeces. It's upp to mee to decidee────
(:糞は糞だァ。それをォ決めるのはァ俺様だァ)
この寝床は嫌いだと思う。
シルクの布地の裏には赤子の肌のような柔らかさのクッションが入って母の太腿のような頭に馴染む枕が────だ。
昨日もそう思い一年前も、十年前も五百年前からずっとそう思っている。
その自分には大きすぎる大人用の柩のサイズも嫌いだった。
ずっと、気の遠くなるずっと昔から十二歳の見てくれのままだった。
どんなに着飾ろうと、どんなに化粧しようとも身長は変わらず、肌の色艶も子供のそれのままだ。
それなのに髪と爪は伸び続ける!
アランカ・クリステアは蓋閉じた柩に横たわり左右で二体のモンストロが眠る他の柩を意識し怒りから蓋を蹴り上げた。
陽が暮れれば、人のまま従者としているサイラとオスモが蓋を開きにくる。
有害な紫外線に堪えうるのは二人だけだった。
数十年おきに入れ替わる人に命を支えられている。
これだけの力と能力がありながら、夜にしか生きられない呪縛は柩に次いで最悪なものだとアランカは蓋の内張りに爪を立てた。
忌々しいのはエイブラハム・ファン・ヘルシングの末裔がずっと追い立ててきていることだった。
あれは我の弱点を幾つか熟知しており、油断すれば命に関わった。
サウジアラビアへ逃げるか、ここシリアで雌雄を決するか。騒ぎ大きくなれば余計な人間を殺さなくてはならなくなり、生きる道を隔てられる可能性が劇的に増えてしまう。
命差し出すのはお前らだ。
たかだか数十年しか生きられない人に殺されてたまるかとアランカ・クリステアは思って蓋のシルクを引き裂いた。