Part 26-2 Sacrificiu 贄(にえ)
Rukban camp near the Tanf border crossing southeast of Homs Syria, 21:46 Jul 7 2019/
NDC HQ.-Bld. Chelsea Manhattan, NY 16:37 Jul 14 2019
2019年7月7日21:46 シリア・ヒムス南東タンフ国境通行所近隣ルクバーン・キャンプ/
2019年7月14日16:37 ニューヨーク州マンハッタン チェルシー地区NDC本社ビル
どうしてここに立つ?
それは直感からだ。
エステル・ヴァン・ヘルシングは灰色の半眼で夜空を照らす月から視線下ろすと年代物のレンジローバーのキィを捻った。
荒れ地に響くエンジン音を誰か聞きつけこう思うだろう。
こんな夜更けに高野で何をしている、と。
片手でハンドルを握りしめギアを入れて乱暴にクラッチをミートする。
四つのマッドタイヤが派手に砂埃を巻き上げ四駆を押し出した。
追っているものは多くの人が消えても誰も怪しまぬ難民キャンプをここ十数年転々としていた。
奴が渇きを癒やすためには多量の生き血が必要なのだ。
田舎であっても住人が奇っ怪な死に方をすれば住人らは警戒しやがて殺した奴に辿り着き狩りだす。
奴は絶対的に強く人を凌駕するも幾つかの弱みを持ち知恵をつけた人々に追い立てられるのを嫌い都心の貧困層や紛争地の難民キャンプを渡り歩くようになった。
エステルは奴の点々と残す痕跡を繋ぎ合わせゴラン高原をへて西アジアの一国──シリアに踏み込んだ。
表向きは考古学者を装っている。
その方が昼夜を問わず動き回るのにどこででも言い逃れが利くと経験から身につけた。
シリアはイスラーム国との紛争の真っ只中で、多くの難民が隣国へと逃れようとしている。
だが周囲の国は様々な理由から難民を受け入れず、滞留した難民はスラムのようなキャンプを方々に生んだ。
そのどれかに使役する怪物を引き連れた淵源は潜み生き血を啜っているのだ。
若き狩人は轍にタイヤを取られながらもハンドルを左右に巧みに操り南東タンフの国境通行所へと向かっていた。
その近くには数万人規模の巨大な難民キャンプがあると彼女は知っていた。
眼の前で少尉が頭を粉砕され血飛沫と脳髄が飛び散るとトラックボンネット右横にいた唖然とした面もちのクレア・ハマートン下級伍長は後退さりながらFN FN SCARーLを猛然とそれに発砲し始めた。
火焔の先から5.56ミリのM855A1が唸りながらそれに幾つも着弾し皮膚が捲れた。
ボンネットの反対側にいるカーティス・イーグルトン曹長と共に一弾倉撃ちきるとまだそれが倒れていないことにクレア・ハマートン下級伍長は呼吸を忘れ素早くマグチェンジするとさらに発砲し始めた。
すでに70発以上の銃弾をそいつに撃ち込んでいるのにそれは撃たれる都度に肩を左右に激しく振られながら真っ直ぐにクレアの方に足を踏みだしてくる。
後退され!
間合いを取り続け持てる弾薬すべてをこいつに撃ち込むんだ!
クレアは歩み寄ってくるそれが人なのかと思いながらマグプルのバーチカルグリップから放した左手でチェストリグのリングに下げた手榴弾を一つ引き抜き指を広げセーフティ・レバーを弾き飛ばし迫ってくるそれへと腕を突き出して投げつけるとカーティス・イーグルトン曹長の方へトラックのバンパーを回り込み飛びつくように彼を押し倒した。
爆轟が響き渡りトラックのフロントガラスが砕け散り右の前輪がバーストしてボンネットが斜めに前下がりになった。
鼓膜を圧する甲高いノイズに抗いクレアはFN SCARーLから空になった弾倉を引き抜き三つ目のマガジンを叩きつけるように押し込んだ。
呻く曹長から身を離しクレアは振り向いて上半身を起こしアサルトライフルをトラックの前に振り向けた。
そのバレルを片手でつかまれ軽々と横へ逸らされた。
眼を見開いたクレア・ハマートン下級伍長の顔を片手でつかんだそれは彼女の顔を横へ傾け一気に喉に喰らいついた。
気づいた時には遅すぎる。
ブロンズ・硝子ドアが開きルナの執務デスクでラップトップを見ていたマリア・ガーランドとセシリー・ワイルドは一瞬視線を振り向けマリーが急いで液晶画面を閉じた。
ルナは二人の方を見やり、真っ直ぐに執務デスクへ歩いてくると自分の方へラップトップを振り向け液晶画面を開き映った画像を見るなりマリーの方へ視線を振り上げた。
「これってサウジアラビアの宮廷図面ですよね」
なんて鋭く気づく女だとマリーは苦笑い浮かべ釈明した。
「いや、その、セスに私の受けた状況を話していたのよ」
その女社長の弁解にセスは巻き込まれてたまるものかと裏切った。
「チーフ! それってサウジ王室の図面だったんですか!?」
マリーは絶句してセスを睨みルナに視線戻すと優秀な副官が詰問した。
「マリア、まさかサウジへ報復に行くおつもりじゃないでしょうね!?」
マリーはまた苦笑い浮かべ誤魔化そうとした。
「そんなわけないじゃない────ほら、関わると外交問題になるでしょ」
ルナがムッとして腰に両手当て指摘した。
「貴女が私的怨恨をはらしに行くだけで米国の中東における立場が危うくなるんですよ」
そう押し殺した声で言うとルナはラップトップの画面をマリーとセスの方へ向け反対側から手を下ろして指さした。
「いや、その、大丈夫だから────決めつけないでルナ」
画面を差していた指をマリーの顔へ振り向けルナはさらに声を押し殺した。
「どうせやるんなら、派手にとお考えなのでしょう!? いいでしょう。ビクトリアの護衛戦闘機群を引き連れハミングバードで第一中隊を全員投入し宮廷を占拠しましょう。第3王子を拉致し宮廷を爆破し撤収しましょう!」
この女は開き直ったとマリーはまた苦笑いを浮かべた。
そんなことをしてみろ、それこそ新たな中東戦争の火種になるじゃないかとマリーは焦った。セスと二人でちょっとばかしムハンマド・アール=サウードを締め上げにゆくだけなのにと話を丸め込む方法を思案した。
「二人だけで穏やかに──ね。それが一番、この先にまた王子が暗殺者を寄越さないように────」
さらにルナはぶち切れた。
「拉致してNDCのブラックサイトに幽閉すれば殺し屋を差し向けることは金輪際ありませんから!」
その発言にセスが驚いて食いついた。
「マジですかぁ!? うちの会社本当にブラックサイトあるんですかぁ!?」
マリーはセスに向け腕を突き出しこれ以上話をややこしくするなと手を振った。
「ねぇルナ──ほんとに二人で穏やかにやってくるから」
「開発中のステルス長距離爆撃機を投入し、マーク84を30本ぐらい宮廷へばら撒きましょう!」
マリーは困惑してルナに尋ねた。
「ステルス長距離爆撃機の開発中止するって四半期予算説明会で役員にあなたが言ったじゃない」
「あるんですよ、完成機が一機!」
マリーはルナへ指を振り上げ詰問した。
「その予算はどうしたの!? テスト機の開発計上費一千億するって────」
ルナが口角下げ無言になったのでマリーはさらに聞き出そうと言葉続けた。
「その費用をうちの新型偵察衛星の打ち上げに回すんじゃなかったの!?」
ルナが無言の半眼でマリーを睨みつけ、マリーは情報部門の高高度写真がここ一年ずっと不鮮明なのを思いだした。
「ああ、もういい! セスと二人でサウジアラビアへ行くから連絡したら航空支援をよろしく!」
マリーがそうヤケになって副官に命じるとルナは左袖をめくり口に腕時計を近づけ命じた。
「ヴィクトリア、ルナです。S格納庫にある死霊の秩序に爆装し待機。兵装はロータリー・イジェクタ5基にMk.84を30基」
それを聞いたマリア・ガーランドは青ざめ、セシリー・ワイルドは勝敗はあったとニヤついた。
「なぁお前、身体のどんだけ義足なんだ?」
ジェシカ・ミラーに聞かれM-8マレーナ・スコルディーアはパフェに長スプーンを突っ込んで視線をトッピングから上げた。
「馬鹿か、ジェス? それじゃあ身体中が義足みたい。これもぎそく」
そう言って自動人形はスプーンに載せたアイスクリームをジェスに突きだした。
パクリとアイスを咥えたジェスは自分のコーヒーフロートのアイスを掬って真新しい黒のゴシック・ドレスに着替えた生意気な戦術担当官にスプーンを突きだした。
それをパクリと食べてマースは飲食物を咀嚼して呑み込んで吸収タンクに収めた。
「あぁ! 言い忘れてた。マリーとセス、サウジアラビア行きの航空チケットとってる!」
ジェスは自分のコーヒーフロートをかき混ぜてアイスクリームを溶かし込みながら話に食いついた。
「サウジだぁ!? なんか匂うな。何しに行くのだか」
マースはごっそりとアイスクリームを掬い大口を開けて食べるとボソッとジェスに告げた。
「我々も行きたい」
ジェスが両腕振り上げて驚いた。
「なんだって!? お前、今、複数形で言っただろ!?」
マースは頷いた。
「ついさっきまでトレーニングルームに軟禁されてたんだぞ! 首突っ込んだら今度こそ首が飛ぶぞ!」
つい大声を上げてしまいジェスは閉店間際に客のいなくなったスカイラウンジのレストランを見回した。
「大丈夫だよジェス。マリーは抜き差しならないケリをつけに行くつもりだよ」
少し考えてジェシカ・ミラーはマースに尋ねた。
「なんでセシリーが一緒なんだ?」
「荒事だからだよ」
そう言ってマースは長スプーンをジェスに振り向け仮想した。
マリア・ガーランドがセシリーの助力を必要とするのは誰かを殺してしまわないために連れてゆくのだと93パーセントの確率であると仮想する。あの人は激情に駆られ簡単に一線を越えてしまう。そのことを己で承知しているから枷を必要だと考えたのだと想定できた。
その場に立ち合い僅かながらも助力するのが、我の人間社会での生存確率を上げることに繋がるとM-8は仮想した。
「なんで私を巻き込むんだ?」
そうジェスが問うとマースは小首傾げて顔のシリコン皮膚の下の複数のアクサイレント・チュエーターに制御された電流を流した。
M-8マレーナ・スコルディーアが友率82パーセントの女へ笑顔浮かべ応えた。
「名誉挽回のチャンス────だから」
その言葉にジェシカ・ミラーは絆された。
トラックの幌後部から現れた華奢で小柄でありロココ調のようなロリータ趣味のパニエで広がった赤黒いフリルで派手に飾ったドレスとブロンドのツインロールを揺らしながら歩き寄ったそれは、運転席ドア脇に立つグレーム・グッドオール少尉の頭部を片手でつかみヘルメットごと粉砕した。
即座にトラックボンネット両側にいたカーティス・イーグルトン曹長とクレア・ハマートン下級伍長が至近距離から猛然とFN FN SCARーLをそいつへと撃ち込み始めた。
トラック左側に車輌4台分の横幅で離れ停車していた装甲戦闘車両クーガーH装甲車の屋根に装着した防護板で囲まれた装甲銃塔で横へ向けブローニングM2重機関銃の銃口を振り下ろしていたヴィンセント・オヒギンズ伍長はその光景に眼を丸くして呆気にとられ対処が遅れてしまった。
そのドレスアップしたティーンの小娘はクレア・ハマートン下級伍長の放りだしたM67破片手榴弾を至近距離で被爆しながら平然と立っておりクレアの振り向けたアサルトライフルの銃身を片手でつかみ逸らし下級伍長の首に喰らいついた。
その段になって我に返ったヴィンセント・オヒギンズ伍長はその銃弾とグレネードの破砕片で傷ひとつ負ってないそいつへ照準し重機関銃後部のハンドル間にある逆Y字型のトリガーをグローブの親指で押し下げた。
爆轟と激しい振動で撃ち出される50口径のミリタリー・ボールがその小柄な娘を引き裂き倒すのに数秒も必要ないとオヒギンズ伍長はY字トリガーから親指を上げ顔を引き攣らせた。
そのドレスで着飾った小娘が装甲銃塔装甲板の前にM2に跨がり立っていた。
ヴィンセント・オヒギンズ伍長はプレートキャリアを小娘に片手でつかまれ装甲銃塔の上へと吊り上げられその華奢な手を振り払おうと両手のグローブでつかみ力込めた。
だが振り払うどころか、腰下まで吊し上げられると小娘に片腕で投げられトラックの横に落ちてフレームに激しくヘルメットの前部をぶつけ気が飛びそうになった。
頭振ったオヒギンズ伍長が眼にしたのは運転席ドアを開き下りてきた民族衣装ベシュトに身を包んだ痩せた男だった。
装甲車の投光器で照らされたその男が近寄って来るとゆっくりと口を開いた。その並ぶ鋭利な鮫のような歯を見上げヴィンセント・オヒギンズ伍長は腰を落としたまま後退さりホルスターからグロックM007を引き抜くなりスライドを引いて装填し銃口を異様な男に振り上げた。
トラックの逆側で聞こえ始めた拳銃の連射音とブラストの明滅する明かりが見えていながらにボンネット前のバンパー傍に立ったカーティス・イーグルトン曹長は荒い息を口で繰り返しながら助手席から下りてきた男にFN SCARーLを向け発砲し続け後退さっていた。
そのゾンビのように伸ばしてくる両手につかまれば絶対に終わりだと曹長は狂ったように必死でトリガーを引き続けた。
三十発の弾倉があっという間に空になりFN SCARーLのキャッチに後退したボルトが止まった音にイーグルトン曹長は眼を游がせ胸のチェストリグのパウチから予備弾倉を引き抜き乱暴にマグチェインジを行いロアレシーバーのマガジンウェルに入れ損ねた。
そのアサルトライフルのバレルをつかみ振り上げカーティス・イーグルトン曹長は迫ってくる男の側頭部を力一杯殴りつけた。
大きく顔を横へ弾かれた男は首の骨を鳴らしながら顔を海兵隊の兵士へ振り戻すとFN SCARーLのストックをつかみ負い革を引っ張って迫った。
装甲銃塔から地面に飛び下りたゴシックロリータ服の小娘はまだ虫の息で這ってトラック下へ逃れようとする女兵士の方へ軽い足取りで歩き寄ると、先に運転席から下りた男が女兵士の脚をつかもうとした。
ツインロールの小娘がいきなり腰を落とし牙並ぶ口を開き女兵士をつかもうとする男へ吼えた。
運転席から下りた男は顔を逸らしドア開いた運転席横へと後退さり、小娘は女兵士の足首を片手でつかむと楽々とトラック下から引き摺りだした。
ホルスターを弄りハンドガン引き抜こうとする女兵士の利き腕を黒いパンプスで踏みつけた小娘はつま先でその腕を横へ弾き女兵士に跨がり腰を下ろし覆い被さった。
唇を血で染めた小娘はアランカ・クリステアという────使役する怪物らに淵源と呼ばれ500年余り絶対的な地位を誇っていた。