第三十六話「黒猫大捕物」⑤
「ちっ! やってくれんな……だが、解ってるだろうな? その子を殺したり、傷を付けただけでも、おめぇは確実に死ぬ……。てめぇのそれはタダのハッタリってことだろうが」
「……ああ、解ってるさ。その選択肢はボクにとっては、不本意だし、そうなったら、ボクは確実に死ぬだろうね。けど、その結果……君たちは、罪のない女の子を巻き沿いにしたと言う事実が残る。それは君たちにとっても不本意だろう?」
「……確かに、不本意だな。あくまで降伏という選択肢はない……だからこそ、どんな手を使っても……そう言うことか」
「そう言うことだよ。これは取り引きだよ……。月並みだけど、この子を無事に返してほしかったら、ボクを見逃せ……。ああ、認めるよ……君たちの手際は完璧だったし、今の君たちにはボクでは逆立ちしても勝てない……チェックメイトってとこさ。だからこそ、ここまでやらないと、ボクはこの場から逃げることも出来ない……。恨むんだったら、自分たちの有能さを恨むんだね!」
包囲は完璧……。
サバトの分身共もあらかた掃討されて、弓やボウガンを構えた帝国兵、他にも戦闘魔術師が何人も狙撃体勢で伏せているし、戦車砲の照準すらサバトを捉えている。
奴も生きた心地がしないだろう。
けど、こんな過剰とも言える火力集中の準備ができていても、人質の女の子に分身の毒針が刺さるほうがそれらの一斉射撃よりも明らかに早いだろう。
ユリアちゃんも隙さえあれば、分身に飛びかかる心づもりで、身構えているのだけど、彼女の剣でも恐らく間に合わない。
そして、サバトの使う猛毒。
屈強な帝国兵ですら、かすっただけで瀕死になるような代物だ。
こんな小さな子供なんて、もう一瞬で死ぬだろう。
……そうなると、俺達の返答は決まっていた。
「……解った。この場はテメェの勝ちだ……その子を解放しろ。それともまだ何か要求があるってのか?」
「ク、クロイノ殿! 馬鹿な! コヤツをみすみす見逃せと? ここで逃したらさすがにもう捕縛するチャンスはない……二度も同じ手にかかるほど、コヤツは馬鹿ではない! コヤツはなんとしてもここで捕獲……或いは仕留めねばならんのだ!」
「仕方ねぇだろ……。そりゃ、この子を見捨てれば、野郎を蜂の巣にするのは簡単だ。だが、そいつは果たして正しいことか? わりぃがそこは超えちゃいけねぇ一線だと思うぜ……」
そう応えると、カザトも悔しそうに天を仰ぐ。
……仮にも自分達を正義と信じるのならば、超えちゃいけない一線ってもんがある。
目的の為に、手段を選ばないなんてのは典型的な悪の道だ。
だからこそ、俺達は……手段を選ぶ必要がある。
悪党に人質を取られた時、その要求に屈するってのも正義を標榜するなら、避けては通れない道だった。
「……くっ! おのれっ! サバト……貴様はもう肉親とは思わん! この外道が! よもや、ナックルとしての道すらも踏み外すとは……地獄に落ちろ!」
「好きに言えばいいさ……さぁ! どうするっ! いつまでもこんなくだらない問答なんてしたくないからね! 10秒以内に決めろ! 10秒経っても返答がないなら……この子は死ぬよ!」
……野郎は本気だった。
まったく、やってくれる。
テロリストの脅しに屈するとか、下策ではあるんだが。
この場はしゃあねぇよ。
「解った! 解った! 早まるな……逃げるっても大方、地下水道ってとこか? だが、それで無事に逃げ切れると思ってんのか?」
まぁ、野郎がジリジリと広場の隅に掘られた雨水の排水溝に近づいてるのは解ってた。
分身が人質使って、時間を稼いでる間に本体は影になってトンズラ。
地下水道にも兵隊や黒ナックルを配置してるんだが、分身が女の子を人質にしてる限り、野郎に手は出せない。
まったく……この場で一番有効な手を迷わず使ってくるとはな。
褒められた手段じゃねぇが、上手い手ではあった。
「……地下水道組……。すまねぇ……今から、そっちに目標が降りてくる……だが、手は出すな。こっちは人質を取られてる。ああ、そう言うことだ……ここは見逃すしかねぇ。すまんな……」
地下水道に潜ってる連中に通信を送る。
返事は無いものの無念そうな様子が伝わってくる。
俺の言葉が聞こえたのか、サバトの姿が影になると、排水溝にぬるりと潜り込んでいく。
「クロイノ! ……この屈辱……忘れないよっ!」
「てめぇこそ、覚えてろよ……。それと人質は必ず解放しろよ。もしも、約束を守らなかったら、地の果てまで追いかけて、俺がお前を殺す……解ったな!」
「三分後……分身を解除する。それでいいだろ? すまないね……ボクとしてもこんな手段は取りたくなかったんだ。けど、お前がボクにここまでさせたんだ……。次に会った時は……絶対に殺すっ! 次は毒なんて使わずに、確実に殺す方法を用意してやる!」
「上等だぜ! まぁ、この場は見逃してやるが、次はねぇ! てめぇこそ、覚悟しとけよ!」
……野郎の気配が遠のいていく。
けど、野郎の分身はまだ人質を解放しようとしない。
最悪なのは、野郎を取り逃がした挙げ句に人質を殺されるってパターンなんだが、そこは野郎の良識を信じるしかねぇな……。
「カザト……あの野郎は約束を守ると思うか?」
「……解らん。だが、守ってもらわなくては困る。兄として……そこまで外道に落ちたとは思いたくない。ここは奴を信じるしか無い……か。なんとも皮肉な話だな」
そう言って、カザトが苦笑する。
地下水道班の指揮官から、目標の捕捉と攻撃許可のコール。
「クロイノ殿! 奴を見つけたぞ! 影になってるが、こっちの方が頭数が多い! ナックル共はやらせてくれって、言ってるが……どうする?」
影になってる間は事実上無敵……ではあるんだが、相手が黒ナックルなら話は別なんだよな。
影化って、俺ら黒ナックルの標準スキルみたいなもんだから、影になっていても同族が相手すれば、影の中から引きずり出すのは不可能じゃない。
ちなみに、その場合は単純に頭数が多いほうが有利……その辺もあって、基本三匹セットで各隊に配置してたんだが、確かに現時点でヤツの捕縛は不可能じゃないだろう。
だが……ヤツの分身体は今もナイフを女の子の首筋に押し当てている。
攻撃の許可は出してやりたいんだが、出来ない。
「……すまん。さっきも言ったが、今は奴を見逃すしか無い。後続や他の隊にも、奴を見かけても手を出すなと言っといてくれ。これは奴と俺らのお互いへの信頼が作り出したギリギリの状況なんだ。くどいようだが、絶対に手を出すな……。だが、この借りはきっちり返す……皆も覚えておいてくれ……次は……ねぇぞっ!」
なんか、すっかり現場を仕切っちまってるけど……思いは誰もが同じはずだった。
ジリジリと何も出来ないまま、時間だけが流れていく。
不意に女の子を拘束していたサバトの分身がバサッと崩れる。
すかさずユリアちゃんが駆け出して、女の子を確保する。
「……人質を確保! 人質を確保! 総員直ちにサバトの追撃に移れっ!」
カザトが叫ぶと、その場に居た大勢の兵士や黒ナックル達が動き出す。
だが……野郎もバカじゃない。
安全圏まで離脱したと判断したからこそ、人質を解放したんだ。
野郎は約束を守ってくれたようで、女の子は無事のようなんだが……こりゃ、素直には喜べねぇよな。
「……ったく、完全にしてやられた。ユリアちゃん……野郎の気配は追えそうか?」
恐怖のあまり今頃になって泣き叫んでた女の子を抱きしめて、優しい顔と声色でなだめてたユリアちゃんだったけど。
女の子を親御さんや、療養院の治癒術士達に委ねると、険しい顔に戻って振り返る。
「申し訳ありません。さすがに地下を通って、帝都の外に出たとなると……追うのは無理ですね」
「そっか。向こうももう一度遠くから観測とかやるほど、間抜けじゃねぇだろうしな。そうなると一路空港……国外脱出を目指す……そんなところか」
「……まさか、見つかった直後に人質を取っていたとはな……。だが、ここは人質が無事だった事で良しとすべき……なのだろうな。それにしても、サバト……昔から、姑息な真似ばかりしていたが、このような卑劣な真似すら平然と行うとは……言語道断だっ! 絶対に許さん!」
「はい……。まさか、あの一瞬の混乱の中……真っ先に人質を確保していたなんて……わたしが気付くべきでした……」
……これは誰が悪いって話じゃねぇよな。
人質にされた女の子はもちろんだし、帝国軍が避難誘導で下手を打った訳でもない。
俺の知る限り、あんな広場を埋め尽くしていた一般人を5分もしないで、ほとんど全員避難させるなんて、もう神業って言っても過言じゃなかった。
強いて言えば、サバトの野郎が悪いってのは確実なんだが。
ヤツ自身、内心では人質に危害を加えたくないって思ってたってのは、なんとなく解った。
だからこそ、俺も約束を守って奴を見逃したし、奴も約束通り人質を無傷で解放してくれた。
奴の言う通り、俺達が奴を追い込みすぎた……。
だからこそ、奴も非道な手段に出る他なかったんだろう。
窮鼠猫を噛む。
ぶっちゃけ一番悪いのは俺のような気がするぜ。




