第9話
街の外れ、それもこんな狭い空間でのその出来事に気づいている町民はいない。…そして、その立地の悪さから、助けに行こうにも行けない。店をそのままどかすとか、そんな規模の神秘は、きっと秋型でも不可能だろう。
「ッーー!!」
彼女が取った選択は、第三神秘による少女の足元の地面を斜めに持ち上げ、彼女たちの元へと少女を運ぶことだった。…が、神秘は人間の手足ではない。使い方すらも良く分かっていない、曖昧な力だ。店と店の隙間の僅かな地面“だけ”を持ち上げるような真似はできない。
結局彼女は無駄だということを悟れずに、なんとか、なんとかと必死に地面を持ち上げようとする。
例えばそれが水の神秘だったなら、力を込めて地面から水を噴射、とすれば、結果的に少女の足元だけ持ち上げられたが…地の神秘はそんなことはできない。
「――――どうしたらッッ!!」
イメージがしやすいのだろう、手を翳すように神秘を試みる彼女は焦りでどんどんパニックになっていく。
「っ…」
並ぶ店は食堂と八百屋。“伝統”なのか、八百屋はこの町には珍しく木造の建物だった。
翻した彼は全速力で店内に侵入する。
「な、なんだぁ!?」
記憶を頼りに場所を特定し、力一杯野菜の並べられた台を壁から離す。間に滑り込むと壁に刀を突き立てた。
気持ち大きめの長方形に壁に穴を開け、木材を取り外し横にずらす。
物言いたげに敵意を向けていた八百屋の主人の表情が一変する。彼は怪異の中に手を突っ込むと、少女の体を強引に引っ張る。が、怪異は少女の体にへばりついたまま離れようとしない。
「どいて!!」
背後からの声に素直に従い手を離すと、代わりに夕空が少女の後頭部に触れる。
神秘が発動し、少女の後頭部から全身へ、岩の服…という名の、全身タイツが生成される。そして同時に、彼女が僅かに手に力を込めたかと思うと、それは弾けるように飛び散り、怪異を少女から引き離した。
…つまり、怪異と少女の間に強引に神秘をねじ込んだのだ。そんなことができるのかと言えば微妙な所だが…神秘を装束とする彼女だからこそできた芸当なのかもしれない。
怪異は体を引っぺがされると、向かいの壁を登って逃亡を図った。
「…!その子をお願い!」
「あ、てめ」
振り返る間もなく夕空は怪異を追うため店の外に出ると、神秘装束によって強化された身体能力をいかんなく発揮し、店の屋上へとひとっとびで登り着いた。
「許さない…!」
店と店の間を器用に跳びつつ移動している水玉。すぐに追いついた彼女はその水玉に渾身の右ストレートを放つ。一度、地面に落とさなければ地面の中に閉じ込めることもできない、と考えての事だったが…、右ストレート直撃の寸前、怪異はその動きを停止する。素直にぶちのめされた怪異は体を飛散させ…返り血が返ってくるかのように彼女の元へ。
「ッー!?」
目元に飛んできた飛沫を瞼を閉じることで回避するが…怪異の狙いはそれではない。
彼女が目元を左腕で拭い去った時、既に怪異は姿を消していた。
「…しまった。」
屋根の上から飛び降りて辺りを見回すが…その姿はとうとう、発見できなかった。
「ぁ、ありがとうございました…」
「ああ。無事で何よりだ。…申し訳ない。この子、任せていいですか?あいつを追わないと…」
「おうよっ!任せてくれや侍さんよ!壁の代金も忘れるなよ!」
「…はい」
少女は解放された後、泣きながらも呼吸を再開できていた。今はようやくパニックを落ち着かせ終えたところだ。
彼女が走っていった方角へと小走りで向かう。今更追いつくことは不可能だろうが、それでも急ぐに越したことはない。
…だから、ソレを見た時には…とても驚いた。
なんとなく横目で路地裏をチェックしつつ走っていた時…先程と同じサイズの怪異が潜んでいた。
「ッい…!」
目と目が合ったような直感が働き、彼は後ろへと飛びのいた。勿論液状の怪異にそんなものは存在しないのだが…直感は外れていなかったようで、ギリギリそのたいあたりを回避した。
同時に大きく振りかぶったハンマーを下ろし、地面に叩きつける。ぐちゃりという音と、奇妙な感触。体の大部分を潰されたにも関わらず、液状怪異はその体を薄く延ばし、ハンマーの領域外で再び融合を果たそうと試みる。
「ちぃっ…」
せめて融合前の足元に散らばった液体を多少蹴り飛ばす。融合を果たせなかった液体は本体の管理から離れたのか、やがて動かなくなった。
液状怪異の体積は僅かに減ったが…動かなくなった部分に融合されればすぐに元に戻るだろう。
キリがないぞ、これ…。
「…及第点かな、澪」
背後から掛けられた懐かしい声。会うのはまだ2週間ぶりぐらいだが…何故だか遠くまで、離れてしまったような気がするその声。
思わず振り返りそうになるが、肩に手を置かれてそれを思い留まる。
「戦闘中でしょ。…見てなさい」
横を過ぎる着物の少女。飛びかかってきた液状怪異に、腰に刺す白い鞘から抜刀。目にも留まらぬ速度で*証にその体を断ち切ると、切り口からその体が破裂した。太刀影、追水によるコンボで、あれだけ苦戦を強いられた液状怪異は溶けるように消えてしまった。
逃げていった町民達も戻ってきており、遠目からもその絶技に拍手喝采を上げる。
「…お久しぶりです、師匠」
その小さな背には、しかし彼には想像もつかない程の重みがある。
振り返ると白長髪が風に靡き、麗しきその容姿が目の前に現れた。
「ええ。久しぶり。澪」
無表情の少女。人形のようなその侍に、何とも言えぬ表情で微笑み返した。