模擬戦闘
「じゃあ今日は誰からー…」
「はいっ!」
狙ったかのように協会の扉が大きな音とともに開かれ…元気声の正体が露わになる。
清々しい程のニコリ、という笑みで一歩、また一歩と試合場の中央、彼の元へ歩いてくる彼女とは対比的に…心底からの苦い顔の少年。思わず数人の筋肉ダルマが噴き出し、数歩近づいたところで彼女もその顔に思わず噴き出して笑ってしまった。
脳裏にはしかし一言だけ。
『やめよう』
少年は団長の元へ逃げるように歩いていく。
「辞めます」
「ぶっ。…まてまて。まてって」
待ちません、という意思も込めて歩き去ろうとしたところで屈強な腕で掴まれてしまう。
「これはあいつが自主的に頼んできたことだ。お前と闘いたい、ってな」
「『嫌です。ほんとに、ほんとに』」
首をぶんぶんと振るその姿は完全に少年だった。あまりの狼狽っぷりにニヤニヤとした顔が一つ二つと増えていくが、そんなことにも気づけやしない。
意地悪だ。悪魔だ。デビルだ。ほんとうにやめてくれまじで。
「ね、北本さん」
トントン、っと背後から肩を叩かれ、思いっきり飛び跳ねてしまう。振り返れはせず、彼は視線をそっぽへ向ける。
機械のように動作は停止し、その心は何にも動かない;
「わたし、強いよ。たぶん、負けないと思う」
「だから勝負しよ?勝った方が負けた方にひとつ!お願いを聞かせられる、でどうかな?」
「それに…一緒に運動すれば!もっと仲良くなれるし!」
ふんすっ、とドヤっ!って顔。
――全身が凍った。心臓が止まったような錯覚を覚える。
生きていることを確認するためか、それとも死ぬためか。彼は首を右手で強く握りしめ…痛みで生を、取り戻す。
約束ならばしかたない。そんな免罪符を与えるつもりなのだろうか?どうでもいい。話せと言われたら「話す」
…戦いたくない。が、だめなのだろう。もう。関わってしまったが最後、彼女にとっては自分は、救わなければならない哀れ者…いや、哀れ者とすら思っていない、ただの…ただの…?
「っ‥‥‥!…俺が、勝ったら……」
彼女に望む願いなんて1つだ。それ以外無い。だが、それを伝えることだけは…だめだ。
意地でも喉が音を発さない。
「っ…一ついいか」
彼女にではなく審判役である団長へ向けて。
「…場所を変えたい。観客は…邪魔だ」
「…そういうことなら、了解だ。夕空」
「うん。そうだね、行こっか」
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街の外、森の中、木々が不自然に切り倒されてできたらしい広場。
その中央へ二人、少女は神秘を戦闘装束のように纏った。
…剣は使わない、神秘オンリーの使い手。数は少ないが一定数いる。
息が苦しくなり…それでも何かに縋りたくて。首に伸びた手を少し下げ、服ごと胸に指を突き立てて…。
「…じゃあ、いくよ!」
「っ…!」
『ああ、吐きそうだ。』
爪が食い込み、血が流れ…それが合図となってか、彼女は少年へ駆ける。
正面からの右ストレート。馬鹿正直なそれを、刀の鞘を盾に受けると…その威力だけで数メートル後ろに後退させられる。
手がジンジンと痛む。直で受ければ一溜りもないだろう。
追撃の連続攻撃を全て鞘で防ぎ、逸らし、受け流す。
続けざまに高く跳び、直降下のかかとおとし。ぎりぎりまで引き寄せ最低限の体捌きで回避すると、夕空の脇腹を蹴り飛ばす。
…経験したことの無い異物感が、体の中に流れ込む。
やりたくない。自分が彼女を傷つけるようなことは、絶対に良くない。
でも勝たなくては。消えない傷を残さず、ましてや殺しもせず、できるだけ苦痛を与えずに、勝利しなくては。諦めさせなければ。
思わぬ吹き飛ばされ方をした彼女だったが、うまく手足で衝撃を逃がしつつ着地、距離を取る。
その色は戸惑いと笑顔。
一方男は罪悪感と、剣でも突き刺されたかのような苦痛な色。
少女の狙いはそもそも、自分は大丈夫、ということの証明だった。
言いたいことがあるのに言えない、そんな彼に、大丈夫だ、とそう伝えたかった。
連続蹴り、それを素手で弾かれ続け、一瞬軌道を大きくずらされバランスを崩したところで足を掴まれ投げ飛ばされ木に激突した。
一撃一撃が重く、鋭く…手の皮、骨が赤い悲鳴を上げている。
少女は木に背中を打ち少しよろめきつつも立ち上がる。真剣な表情だが、その顔に痛い、以上の負の感情が視られず…また一本、彼に剣が刺さった。
地を蹴り全力疾走。渾身の右ストレート。分かりやすい直線だが、そのスピードは神秘の無い彼に回避できるものではない。
心臓に、一撃。強く鼓動し、口から出るんじゃないかと思う程揺さぶられた一撃。吹き飛ぶ彼も木に激突し…その木はあまりの衝撃でひびが入った。
初めて、彼女の全力渾身の一撃を見舞われ…意識を手放しかけたが、顔面を右手で押さえ軽く揺さぶり、意識をまだここに停滞させる。
一体あの細腕のどこにこんな力があるのか。…彼女の神秘は、他者のものとは多少特徴が違うのだろうか。
…そういえば、不殺宣言をしないでくれていたな。その方が、対等な決闘らしくてありがたい。
会うたびに苦痛な顔。だがそれは、嫌だ、ではなく、言い得ない罪悪感によるものだと知っていた。
彼は恐怖している。蔑まれることを。そして、私を傷つけることを。
泣き虫だけど勇気があって、臆病だけど優しい人だ。
だからもっと、救いたい。
自分にできることは多くはないけれど、せめてできることはしたい。
非神秘という重大な欠陥を抱え、現実を知って…それでも剣士であろうとするその影の終末を、生かしたいと思った。
『勝つ』
木の根元を蹴り、跳ぶように少女へ駆ける。
攻守はようやく変わり、彼はようやく自分から剣を振るった。
…といっても、剣は鞘から抜かれていないが。
振り下ろされた剣を彼女は右の手甲で防ぎ、左の手甲で彼の蹴りを防ぐ。
先程食らった全力疾走右ストレートが来る。
…次はない。それは予感ではなく、確信だった。
…決めるしかない!
負けるわけにはいかないのだ。絶対に。
剣に手を掛ける。居合のタイミングを合わせようとジッと目を凝らし…右手、右足に力が入る。
再びの全力疾走。全てを右手に込める。
『『勝つ』』
――首を絶つ。その未来が視えた。
『おい。なにを、やってるんだ。違う。なに、殺そうとしてるんだ。違う。絶対に、この刃だけは…彼女に向けてはいけない。そうあの日、救ってもらったあの日に誓ったはずなのに…戦っていくうち、彼女の強さを知る度、こいつは段々と好敵手になっていた』
自己嫌悪が彼を染める。
刀に掛けた手は離れない。
けれど力の矛先は…宙ぶらりんでどこにも向けることができず…形だけの直接対決の中、彼は触れることもせずに自身の指の骨を折ろうとしていた。
―――だめ。
そんな仕草はひとつもなかった。ただ、表情が変わった。そして、察した。その力の行く先を。1秒の迷いもなく止められなければ、恐らく間に合わない。
少女は引いた右手を戻し、彼の腕を掴むために前へ。
加速は止まらず、逢は彼に激突。彼も予想外の攻撃に耐えきれず地面を滑る。
巻き上がった土煙が二人を隠す。痛みで思わず閉じた目が開かれた時、彼が見たのはーー自分を押し倒す少女の姿だった。
「はぁっ…はぁっ……。…わ、わたしの…勝ち、だね」
「…ぁ、ああ……。俺の、負けだ」
両腕を地面に押さえつけられてしまえば、負けを認めざるをえない。
逢はゆっくりと立ち上がり、倒れる彼に手を差し伸べた。
「…神秘には無限の可能性があります。何故って未だに不明点が多いから」
「人ができることは有限です。あなたの剣技…神秘を封じ込めるように動くのは、神秘を得られなかった剣士にとって、希望になれるかもしれない」
「…誰かに教えられるような性格、してない。それに問題はいくつもある。そもそも近寄れない奴にはどうすりゃいいか。そもそも剣を手放すか。回避能力がどの程度あるか。それにやっぱり、不殺の誓いを持てない奴が、こんな凶器を持つべきじゃない」
「逆ですよ」
「神秘なんて凶器を選ばれた人しか持てない。そんな状況を、変えるべきなんじゃないでしょうか」




