憑りつきまとわれた女子高生
「こっくりさん、こっくりさんどうぞおいでください。もしおいでになられましたら、『はい』へお進みください」
夕暮れの赤暗い太陽が真っすぐ窓から入ってくる。だれもいない教室の中、私は机の上に紙を置き、その上に十円玉を置いてその呪文を唱える。紙の上には鳥居の絵と左右にはいといいえ、下に五十音順と零から九までの数字が書かれている。
十円玉に指を置いてじっと待つ。教室の端から端まである黒板の上に掲げられた時計の長針が、三の数字から少し離れるほど待ったが、動く気配は微塵もない。
「まあこんなんだよね。暇つぶしにはいいけど」
最近学校の間でひそかに流行っているこっくりさん、普段そんなオカルトなんか気にしない私だったけど、最近おかしいことが起きている。
学校の帰りに視線を感じる。それもここ最近だ。特に一人での帰り道には、背中にレーザー光線が突き刺さったような――レーザーを当てられたことなんてないけど、言い表すならそんな感覚が襲ってくる。
友達との帰りでもギクッとなって振り返っても誰もいない。隣にいた友達に聞いても「そんな感覚ないよ」とか「幽霊? 志紀ヤバいじゃん、志紀霊感あるんじゃない?」と本気で気にかけてくれない。自分のことじゃなければどうでもいいのかと友人の振る舞いにへそを曲げた。
流石に幽霊ではないと思い、ストーカーではないかと足を止めては、振り返っても誰もいない、それが本当に人なのか怪しく思った。もしかして気のせい? けどどっちでもない、わけが分らない。
不気味に思って警察に届けようにも、もし幽霊……ううん気のせいだったら私に手錠がかけられるかも。お母さんに相談しても警察に行けばというだけで堂々回り。
自分を疑うなんて難しい。だってそう感じてしまうもの。
昼休みに悠乃に相談してみたけど、これが正反対のことを言ってきた。
「それじゃあさ、こっくりさんやってみれば? 気のせいだったらこっくりさんがいいえって出してくれるよきっと」
現実的なお母さんとは正反対のオカルトな答え。聞く相手が間違っていたかもと今更ながら後悔している。
だが悠乃は私の期待を裏切られた表情を意に介さず、椅子の背もたれ側に回って座って私の方に体を向ける。
「こっくりさんていうのはね、狐の幽霊を呼び出して聞きたいことを質問するの。しかもやり方がすっごく簡単で、ほらネットにやり方が書いてあるの」
そう嬉々としてスマホを取り出す悠乃だけど、先生に見つかったらヤバいんじゃないかな。うちの学校、携帯は基本預かるようにしているのに、悠乃ったらこっそりと隠していた。
悠乃は今学校で流行っているこっくりさんをしているが、けっしてオカルト好きなわけではない。どっちかというと流行りに敏感。学校の流行りを感じたら、スマホを使ってすぐに調べるたち、だから彼女にとって情報を得るスマホは肌身離したくないのかな。
そしてネットの記事にやり方が記載されたページを開く。確かにこれは簡単にできそうだ。
けど私が問題としているのは、その視線が気のせいか本当に実在しているかだ。
「でも本物のストーカーだったらどうするの?」
「聞いてくれるって」
根拠のない言葉を自信満々に言って一本にまとめた三つ編みを指でクルクルと回す悠乃。
結局相談事も解決できないまま放課後になり、今日は帰る時間を少しづらして学校に残ることにした。暇つぶしに私のスマホを先生から返してくれるように職員室に行ったら、預かっている先生がいなくてしかも携帯を入れている箱のカギはその先生が持っているということでスマホを返してもらえず暇で暇でしょうがなかった。
私はこの時間を何かに使いたかった。けど勉強熱心なわけではないので教科書もノートも机の上に置いてすらいない。もしそうなら私は毎日教室に残っている。
「暇だ」
脚をバタバタと左右に振り続け、時折机の脚にある鉄の棒にかかとが当たる。しばらくしていくうちに膝が痛くなってそれをやめる。運動部でない私はそこまで足を鍛えていない。いや鍛えてたら困る。足が筋肉で膨らんでしまったらみっともない。
そうだ。と頭の中で閃いた私は昼休みに悠乃が教えてくれたこっくりさんをやってみることにした。今日返されたテストのプリントの裏に文字と数字をシャープペンで書く。
暇つぶしというのもあったけど、やっぱり本当に気のせいではないことを確かめたい気持ちもあった。
そんなことを思い返すと、長針が間もなく四の数字にへと動く。そろそろ十円玉に置いた指がしびれてきそうで指を離そうとした。
はっと私の目がずれているのではと錯覚のようなことが起きていた。さっきまで鳥居の絵の所に止まっていた十円玉が『はい』の文字を隠すようにぴったりと移動していた。
指は少し震えている。けどこんなにきれいに指定の場所に指が動くのだろうか? 不気味と奇妙さがあって、もやもやが出てくる反面、このままやってみたいという気持ちが強くなってきた。悠乃の言うとおりにこっくりさんに質問すれば学校の行き帰りに感じる視線が分るかもという期待からあった。
「こっくりさん、こっくりさん私が学校の通学路で感じる視線は気のせいでしょうか?」
すぅーっと十円玉はいいえの文字の所へ移動する。
間違いない。もちろん視線のことではない。十円玉がひとりでに動いていることにだ。力は一切入れていないのに十円玉は動いた。
――こっくりさんはいる。
「こっくりさん、こっくりさん鳥居の位置までお戻りください」
私が言ったとおりに、十円玉は自動的に鳥居の絵のところに戻っていった。なるほど、悠乃はいつもこんな風にやっているのだなと思うが感心もした。オカルトはあると。
ただのテストのプリントの裏紙と今年の生産年月が刻まれた汚れ一つもないピカピカと太陽の光で輝いている新品の十円玉、それにいつも使っているシャープペン。何も細工していない、けどひとりでに動いている。そもそも自分が自分をだますために細工する人なんているのだろうか?
嫌味な科学の先生にこの光景を見せても、落ち武者のような禿げ頭を坊さんにさせるだけだろう。悠乃の流行癖もたまには役に立つ。
「誰かが私をつきまとっていることですか?」
すると、十円玉はさっきと同じく『はい』の場所に移動した。正体は人間。つまりストーカーか。
これで私の溜飲は下がった。正体さえつかめばこっちのものだ。十円玉がまた鳥居の所に戻ると、質問を続ける。
「その私をつけている奴の名前を教えてください」
これで名前さえわかればこっちのもの。逆に名前をストーカーに言ってビビらせてやる。
だけど、こっくりさんはさっきの頼もしさはどこへやら。弱々しく小刻みに震えながら『し』『ら』『な』『い』のよっつの文字の上に移動した。なによ、せっかくいい所まで来たのに期待が外れてしまった。
見ると教室の時計の長針がすでに十二の所にさしかかろうとしていた。そろそろいい頃合いだし帰ろうとこっくりさんを終わらせる言葉を紡いでいく。
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおもどりください」
たしかネットではこれで『はい』の文字に移動して終わりのはず。そしてこんどは滑らかにすぅーっと十円玉がひとりでに動く。
さてどうしてストーカー野郎を捕まえるかと考えた矢先十円玉が止まったところに体が硬直した。
『いいえ』
十円玉がぴったりとそこに止まった。ネットに書いてあったのと違う反応を示して脳が認めたくないと手を離して立ち上がる。立ち上がった反動で椅子がゴンと音を立てて倒れる音が教室に響く。『いいえ』の文字から一ミリとも動かない十円玉に私は唾を呑み込むと背中の鳥肌が上から下にへと波が立つように上がっていく。
自分で作ったテストの裏紙なのにその紙を見ただけで身の毛がよだち気分が悪くなりそうで、紙を乱雑につかむとぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
「なんなのよこれ。書いてあったのと違うじゃない」
もうすっかり夏の残暑がなくなり、気温が涼しくなって汗なんてかかない季節なのに額から大粒の汗が噴き出ていた。
次の日の空の様相は私の心を現すかのように気味が悪いほど暗い雲に覆われていた。しかも埃臭い雨がしとしと降って髪が乱れて気分がさら落ちてくる。
こっくりさんのせいだ。最後に『いいえ』と出て終わるなんて……
「志紀、今日授業中ずっと上の空だったよ。なんかあった?」
昼休みになって悠乃が声をかけてきた。雨だからか今日は髪を三つ編みにせず髪を一つにくくっている。
「こっくりさんのせい」
「ああん、なるほどね。そら災難で」
悠乃はまるで知った口で私の気分が悪い理由を察したようだ。けど、どうしてわかったのか?
「志紀、いつまでも引きずってないで起きたら?昼休み終わっちゃうよ。購買のパン早く売り切れちゃうよ」
悠乃が私の手を引っ張って机から引きはがす。なるほど、悠乃もあの結果になったことあるんだ。けどピンピンしているから気にするなということか。
なら私も昨日の結果のことを忘れようと思った矢先だった。
首根っこを服越しでなく体ごとそのまま誰かにつかまれたかのような感触が伝わる。しかも氷が首筋下に入れられたかのように冷たい。その勢いに押されるがまま体のバランスを崩し尻餅をついてしまう。
「志紀! 中、パンツ見えてるって!」
「きゃぁ!?」
何てこと!? もう最悪!! 今日、スカートの中に体操服のハーフパンツ穿いてないんだから。悠乃も悠乃よ! 大声でパンツ見えているなんて言わないでよ!
見てよ、男子が反応して一斉に振り向いたじゃない!
スカートの捲れを直して立とうとすると、尻の部分がびしょびしょの床に座っていたせいでぐっしょりと濡れてしまい、冷たくじめっとした感覚がスカート越しに伝導して気持ち悪い。もぅ、最悪。
「災難だねぇ。雨で教室が濡れて滑るだなんて」
雨? けどそんな感覚はまるでなかった。あれは体を誰かが後ろから私の体を引っ張られたような感覚だ。あの感覚は雨のせいじゃない。
すると、教室のドアの向こう側から怒声が入り混じった喚き声がくぐもって教室に飛び込んでくる。悠乃が廊下のドアを開けてみると、二人の男子生徒が廊下の真ん中で尻餅をつきながら言い争いをしていた。
「お前が前を見てないから!」
「廊下を走る方が悪いだろ!!」
見ると二人の額からは赤の絵の具を垂らしたかのように、血が頬のあたりまで垂れていた。
放課後の帰り道、今日は悠乃と二人で帰路を行っていたが、ストーカーを巻くために普段とは違う道を歩いていた。遠回りになるけどストーカーに後をつけられないためだ。代償に悠乃に大判焼きをおごる羽目になったけど。
そしておごりと聞いて悠乃の脚は降り止んでできた水たまりの湖水をスケートの選手が飛ぶかのように飛び越え、鼻歌を歌いながらステップを踏んでいる。
「ねぇ志紀。その大判焼き屋ってどのあたり?あたし、カスタードクリームがいいなぁ」
「一個だけだからね」
「けち~」
「私の小遣いじゃこれが精いっぱいなの。でもあそこはねカスタードよりもあんことカスタードを混ぜた奴が」
セーラー服の後ろの首辺りからぞわりと生暖かい空気が入り込んできた。周りのやや冷たい気温とは明らかに異なる空気で、体が石像になったかのようだ。それに以前のストーカーとは明らかにことなる一直線な視線でなく私の視界から見えていない方向全てから見られているような感覚もあった。
ふっと振り返っても誰もいない。けど、未だに背中の生暖かさと背後にある視線は変わらずだ。
「どうしたの?」
「な、なんでもない。ほら急ごうあそこを曲がった先。あそこに大判焼き屋があるの」
誰かに見られている感覚から逃れるために、少し先を行っていた悠乃を過ぎてT字路に入ろうとした。だが、体が途中で動かなくなった。
なに? なんなのこれ? 片足が宙に浮いている状態のまま一分たりとも自分の意志で動かすことができなかった。これは金縛りというもの!? 全身に汗が浮き出る。何かヤバい。頭でなく体が危機を訴えているそんな危険信号を放っていた。
浮いている片足に力を込めると少し足が下に下がる。
――抜け出せる。そのまま力をこめ続けて足の先が地に着き始める。早く早くと心臓の鼓動が早まり高鳴る音が体中に響いてくる。
だが、足がかかとの部分まで降り立った瞬間、体が吹き飛ばされた。
まるで誰かに横から押されたかのようで、私の体はそのまま電柱にぶつかってしまい、後頭部がぶつかった振動と衝撃で揺さぶられた。さらに、鈍い痛みがさっき打った後頭部から伝わりその部分に触れてみるとぷっくりときなこもちのような弾力のあるものがあり、指の腹で触ると鈍痛が起きてくる。
痛みに耐えて片目をつぶると、脇から白の物体が波のような水たまりの飛沫を上げて滑り込んできた。白の物体――ワゴン車はT字路を私の横から走り去り、そのままそばのマンションのゴミ集積所に突っ込んでいく。
ガラスの砕ける音と金属が鳴り合う音の後に爆発音が轟き合うのが辺りに広がる。その音が終わると、車からプッーというクラクションが代わりに支配する。
車のボンネット部分は完全にひしゃげてフロントガラスと一体化していて、黒いエンジン回りの部分が外に飛び出している。ガラスも中の様子が見えないほどに円形状に割れ運転手がどうなっているのかわからない。もしかしたら死んでいるのかもしれない。
目の前の事故に私たち二人が呆然と見ていると、マンションの住人と思わしきゴミ袋を持った女性の甲高い悲鳴で我に返った。
「事故なんて初めて見たわ。志紀あと少し違ってたら巻き込まれていたかもね」
悠乃が何気なくつぶやいたその言葉で、私は察してしまった。
――こっくりさんが私を殺しに来ている。
「もう嫌」
教室の自分の机に突っ伏して小さくつぶやいて不満を吐出させた。ひと月以上経っても怪現象は置き続け、そのたびに私の生命の危機にさらされるような出来事が目と鼻の先で発生している。お払いもしたが役に立たずその時もらった清めの塩を三つほどポケットの中にしまっている。
けどこれが活用される日はきっと来ないだろう。相手はストーカー以上に私の背後に回り込んで私を襲ってくる。いやストーカーの方がましか、こっくりさんは私を殺しに来ているのだから。
いつ襲われるかわからず。外にはあまり出歩かず、壁にそって歩いたりと傍から見れば奇怪な行動をしている。けどあいつに殺されないようにするためにもこうするしかなかった。おまけに眠れてなく、今朝鏡を見たら、目の下にクマができて半分目が開いている状態も相まって死人のようでひどい顔になっていた。
「お~い、大丈夫? 顔色悪いよ~保健室行く?」
私のぐったりとした様子に見かねたのか悠乃が声をかけに来たけど、その能天気そうに開けっ広げな口元に普段なら何も思わないのに、無性に腹が立って悠乃の手を払いのけた。
「触んないでよ! ストーカーでも最悪なのに、こっくりさんまでつきまとわれているなんて!」
突然爆発したことに悠乃はたじろいだ。
「こっくりさんて、志紀あなた最近変よ。執拗に後ろを見たり壁に沿って移動したりとか」
「本当だって! 私ストーカーじゃないって、こっくりさんにつきまとわれているの! この間だってこっくりさんが私を……」
「落ち着いてよ志紀、それって他の人がやったいたずらの結果でしょ」
…………いたずら? 何を言っているのだろうか悠乃は?
悠乃は「まぁ座って話そう」と促して私を宥めさせようとする。
「いやこっくりさんの結果なんて、迷信じゃない。みんなもそれを知ったうえでやっているし、ちょっと指に力を入れて誘導させてからかったりとかしているし。私も結構十円玉をわざと動かして変な答えに動かしたりしているから、どうせそいつのいたずらに」
「…………ひとりよ。ひとりでこっくりさんやったの」
私が一人でこっくりさんをやったことや、十円玉がひとりでに動いたを包み隠さず話すと、悠乃の顔はだんだんと、まるで異常者を見るような眼に変化した。そして私の手を取り教室の外へと連れていかれた。
「やっぱり変よ志紀、私保健室に連れていってあげるから」
「何よ! 私、何かしたっての!?」
ぴしゃんと悠乃が建付けの悪い教室のドアを思いっきり引いて閉めて私の顔を見ようとするが、黒い瞳は何かを警戒しているようで右に左にへと動いている。
「……こっくりさんは一人でやってはいけないって知っているの?」
知らないと私は首を横に振って答える。
悠乃の口はまるでそこにだけ冷気が当たったかのようにすっかり青くなって、ぶるぶると唇が震えている。そしてぶつぶつと自分に言い聞かせるようにつぶやき始める。けどそのつぶやきは、私の耳に聞こえるほどの大きさだ。
「ありえないわ。だって、本当にそうなら志紀は憑りつかれて……ううんそんなはずはない。そうよ気のせい、気のせいだって」
「じゃあ、この一月に私の周りで起きているのは何よ! 車に轢かれそうになる。人とぶつかって大けが負いそうになるとか」
「偶然に決まってるじゃない!! ストーカーとかならまだしも幽霊とかおかしいから! ありえないって! いるわけないじゃん!」
悠乃は私がこっくりさんに取りつかれていることを否定してくる。けどそれは認めたくない、そんなことあってはいけない、わかってはいけないと目を背ける様子だ。
わかっていない。全然わかっていない! こんなことが本当に偶然だと思う? ここ最近、次から次へと私がほんの少し遅れたら危ない目に合っていたことばかり起きているのに、それが偶然の一言で片づけられる? そっちの方があり得ないから!
「もう知らない!」
「志紀! どこ行くの!? まだ授業あるよ!」
自分の通学カバンを教室に忘れるほど私は頭が回っていない。私の周りには誰も理解者はいない。もううんざりだ!
早く帰りたい一心で足を早めていつもの通学路のアスファルトを一歩ずつ踏みつけるように壁沿いに歩いていく。通学路と書かれた街灯を超えたあたりで白のバンが壁からせり上がったかのように路駐している。あの車と壁の間を入るのは逃げ道を塞いでしまいかねない。むしろあの車がこっくりさんの手で横転させて私を押しつぶしてしまうかも。
そのままバンを背に通学路を一歩ずつ警戒しながら歩いていく。そして車の後部座席のあたりに来たときだった。ガラッと背後のドアが突如として開き、私の体が何かによって羽交い絞めされた。
「――!?」
「声を出すな」
それは野太く低い男の声だった。口元には汗と体臭の臭さが染みついた手のひらが覆われて鼻が曲がりそう。突然のことで一瞬頭がパニックになったけど必死で車のボディーにしがみつき、車の中に引きづりこまれないように抵抗する。
だが、所詮女のそれも子供の力では男の力に勝てず、ずるずると引きずり込まれていき親指が離れ、手のひらの部分も車の中に入ってくる。車の中はまるで永遠に出てこられない暗闇の中に引きずり込まれるようだった。
「一か月も待ったんだ。安心してね子猫ちゃん、ただ可愛がってあげるだけだからさ」
背中越しに腐った卵のような息混じりに太い声で子猫ちゃんと私のことを呼ぶなんて気持ち悪い! けどこのままじゃ私――嫌だ。いやだ。いやだ! いやだ!!
「た……すて」
微かに男の手の間から声がこぼれて助けを求めたが、そんなか細い声では誰も来るはずもなく道路には人影一つもない。そしてつかんでいた手がだんだんと力が入らず指の第一関節がわずかに引っ掛かっているだけに過ぎなかった。
ああもうだめだ。このひと月こっくりさんをやってから全然いいことなくて不幸の連続、最後の最後でこんなことになるなら悠乃に謝りたかったな。
もう抵抗しても無駄だと最後につかんでいた指の力を緩め、暗くかび臭い車内の中にへと男の手によって引きずり込まれていく。
突然、体が前に吹き飛ばされてアスファルトの地面が空にあった。
暗い車内に閉じ込められそうになったと思ったらいつの間にか外に出て、体が逆さまになって世界が反転していると頭が混乱している。さっきまで男がいたバンも電柱も落下することなく上にあり、反対にすがすがしいほど空っぽな空が下にある。けど私の体は空の方に落ちなくてアスファルトの方に落ちていくというどっちが上でどっちが下か頭が正常に判断できない。
不思議にも、土よりも固いアスファルトの地面に背中から叩きつけられたというのに背中に痛みはない。ようやく臭い手で止められていた呼吸を再開させて息を大きく吸い込む。
呼吸をしたことで、ようやくどうなっているのかと頭を動かすことができ、さっきのバンを見てみると、身の丈二メートルはある狐の影絵のような物体が私を襲った男の首を絞め上げていた。
「ひ、ひいい!! ごめんなさい!! 許してください!!」
さっきの男が大人げなく大粒の涙をこぼして影に謝っていた。すると、その影の顔の部分からぎょろりと黄色い目が出現して上に下に動かすと私を一点に見つめて、男から手を離す。男はわき目もふらずアスファルトの地面を手も交えて逃げていく。
そして残された私と狐の影。その黄色い目は未だに私を凝視していた。黄色い目から放たれる視線を私は感じたことがある。それはあのストーカーのものでなく見えていない範囲からすべてを見つめられている感覚、こっくりさんのものだと。
黒い影から私の頭をつぶせるほどの手がずぅっと伸びてきて、私の頭にのしかかってこようとする。
「来ないでよ!! 私を殺す気でしょ!!」
私の喚き声にこっくりさんがひるむとポケットの中にあった清めの塩を投げつける。すると、こっくりさんの伸びた手が包丁で切ったようにさっくりと削られた。
「今も、私を襲わせて!! 私あんたに何かしたの!? いい加減にしろよ!! 消えろ!!」
清めの塩が有効だとわかると無我夢中で残りの塩を罵詈雑言と共にこっくりさんに投げつけて、今までの鬱憤を洗いざらいぶちまける。
だんだんと黒い体が崩れ、小さくなっていくと相手も危機を感じたのか反対側の手を私に向かって伸ばしてきた。
「来るな、来るな! 来るな!!」
もう一つ塩を投げる。こんどは少量であったがそれでも手を半分ほど削り取れた。ついにこれ以上は参ったのかこっくりさんの影はすうぅと消えていった。
一度に怖いことが起きたことにその場にへたり込む私。ちょっと自分の服を見ると、腹部のあたりがあのストーカーにつかまれてカッターシャツのすそが外に出てしわできていた。しかもスカートには先ほどの清めの塩を撒いたときにこぼした塩の粒子が乗っかっていて一粒一粒正確に見えている。これがさっきまで起きていたことなんてまるで夢。
けどこの悪夢は現実に起きたことだと思いなおすと背筋が凍った。
そばから通りがかってきた人の呼びかけに、敏感になっていた体が身の危険と判断して、わき目もふらず走り出した。
必死に電子キーの番号を入れて、家に帰ってただいまもお母さんがいるかどうかも確認せず、自分の部屋に入って鍵をかけ、しわくちゃのままの制服を着替えもせず布団をかぶり静かに潜む。
お願いお願い、もう来ないでもう来ないで。どうして私がこんな目に……………
とにかくただ今日という日が夢であってほしかった。たとえこの体が無事だったとしても、友達から信用されてもらえず、誘拐されそうになって、あの黄色い目に直視されて、あの大きな手に握りつぶされそうになってと心も体も恐怖で怯え切っていた。今日という日が消えてしまえばいいと私は布と綿の中で願っていた。
「コーン」
狐? こんな町中に狐なんて。
だがその鳴き声は部屋の中から聞こえていた。狐の鳴き声を確かめようと恐る恐る布団を上げると、ぎょっとした。
狐の声はこっくりさんのものだった。こっくりさんの影は外で見た姿とは思えないほど弱々しく小さくなり半分ラグビーボールのような形でフローリングの床にへばりついていた。ただ二本の三角な耳とひょっこりと伸びたマズルだけが残っていた。
ついに私の家にも上がり込んできたのかと、ポケットをあさるところりとスマートフォンがポケットから落ちてしまう。そうだった、もう清めの塩はあれで終わっていたんだった!
のっそりとこっくりさんの塊がベッドの上に上がり込んできて、後ずさりして壁に当たる。だが、こっくりさんの様子はと言うと、見るからに弱々しく動いていて二本の耳の部分が半分垂れている。そして私のスマートフォンの上にその影が覆いかぶさる。
すると、起動ボタンを押したようでスマートフォンの光がこっくりさんを照らし出されるとあっという間に消えてしまった。………自滅した?
どうもこっくりさんの行動が腑に落ちず、私は汚物に触れるかのようにスマートフォンを寄せて映し出された画面を見る。そこには、ネットニュースでストーカーが逮捕された記事だった。だがその場所と言うのがなんとこの近所であるということで私の目を向かせた。
『ストーカー逮捕! 本日二時ごろ○○県××市△町にて男が通行人の通報により逮捕された。通行人が女子高校生を車に連れ込むのに失敗した瞬間を目撃し、警察に通報して逮捕された。襲われた生徒はすぐ現場から離れたようであったが、その際カバン一つも持っていないとあり強盗の余罪あると見て調べを進めている。また逮捕された際、男は泣き叫びながら「影が、影が殺しに来る」と錯乱状態で逮捕されたとの――』
記事の内容からして女子高生とは私のことだった。さらに読み進めていくと、男は一か月前からストーカー行為を行っているとの文もあり、あの男がずっと前から私に視線を送って張り付いていたストーカーだとわかった。
――影が殺しに来る。
このストーカーの言葉、こっくりさんのことだ。こっくりさんがストーカーを撃退した………?
その時、私は思い違いしていたのではないかと気づいた。ストーカーも、金縛りになったのも、教室で尻餅をついたのもすべてこっくりさんが私を守ってくれたのだと。行動はかなり乱暴だと思う、けどそれ以上の危機をあの影は私を守ってくれた。あと数歩での危機をこっくりさんはいつも守ってくれた。
こっくりさんが『いいえ』に導いたのは、私を守りたいから帰りたくなかったんだ。けどどうして私を守ってくれるのか理由がわからない、けどやらなければいけないことがある。
布団を放り出して勉強机の上にあった使いさしのノートの一ページを引きちぎり、文字と数字を記入する。そして十円玉を鳥居のとこに置く。
「こっくりさん、こっくりさんどうぞおいでください。もしおいでになられましたら、『はい』へお進みください」
一分、二分、三分が経過した。けど十円玉は動かない。
「こっくりさん、こっくりさんどうぞおいでください。もしおいでになられましたら、『はい』へお進みください」
四分、五分、六分やはり十円玉は動かない。
「こっくりさん、こっくりさんどうぞおいでください! もうおいででしたら、『はい』へお進みください! いつも私を守ってくれてありがとうございます! だから出てきて!」
三回目になってからは涙交じりに呪文を唱える。けど、なんど呪文を唱えても、懇願しても十円玉は動かず、赤い鳥居がこぼれた涙でインクが滲み、形が崩れていく。
「ごめんなさい、こっくりさん」
「志紀~、昨日はごめんね。本当にストーカーがいるなんて」
一体どうしたことだろう。あの悠乃が昨日とはうって代わってまるでご機嫌取りをする猫のように顔を私の頬こすりつけてきた。正直暑苦しいし厚かましい。
「昨日テレビでストーカーが捕まったテレビにあって。あの時間でカバンがない女子高生って志紀だとわかって、ストーカー本当のことだったんだんだよね。それでノイローゼになったんだよね。ホントごめんね!」
いや、ストーカーもそうだけどこっくりさんもいるんだけどな。けどそれを言っても信じてくれないか。
けど、そんなことはもうどうでもよかった。こっくりさんにどうやってお礼を言えばいいか、謝ればいいかあれから一晩経ってもこっくりさんは降りてこなかった。
「ねえ悠乃、こっくりさんてさ、どうやったらひとりでに動くのかな」
「突然なに志紀? う~ん、噂程度なんだけど、なんか四の時間になったら僅かに動くとか聞いたけど、私四時四十四分の時やってみたけど全く動かなかったし」
四の数字? 私はあの放課後の時のことを思い出す。そうだ、あの時四の時つまり時計の数字の四の時に動いたんだった。もしかしたらその時間にまで待てば………
「あとこっくりさんは新しい相手探しては呪い殺すから、一人にはとどまり続かないんだって」
なんと希望を打ち砕くありがたいアドバイス、もう私にはこっくりさんを呼び出すことができないのだと。目が潤み始める。
………待てよ、私はできない。けど悠乃は今まで本物のこっくりさんを呼んでいない?
「今日は何でも志紀のお願いを聞くからさ」
今何でもって言った? よし、こうなりゃその望み通りにしてやろうと心の中の悪い感情が何も知らない悠乃を誘わせようと微笑んできた。そして悠乃の耳元に寄ってあることを囁く。
「今日の夕方ね――」
前と同じように赤い夕焼けが差し込んでくる教室、行う机の位置も同じ。違うのは私と悠乃を除いて二人っきりというだけ。ひとつの机の前に対面して座り、こっくりさんの儀式を行う。
「いや~大判焼き十個ぐらいおごらされると思ってたのにこんなことでいいの?」
「うん、これで大歓迎。悠乃は指を置くだけでね」
後ろを向くと、長針は三の数字の所に来ている。前と同じ、この時間だ。私と悠乃は同時にこっくりさんを呼ぶ呪文を唱え始める。
「「こっくりさん、こっくりさんどうぞおいでください。もしおいでになられましたら、『はい』へお進みください」」
十円玉は動かない。動きがないことに悠乃は早速飽きてきて鼻歌を鳴らし始めた。
後ろをちらりと振り返って、時計の針を見るともう四の所に重なろうとしている。もう一度紙の上に視線を戻すと、十円玉が小さく揺れ始めていた。そしてあの人同じようにすぅーっと『はい』の所に移動した。
こっくりさんだ。こっくりさんが戻ってきた!
「おーやっと動いたね。それで何を聞くの志紀? あっ、もしかして好きな人とか!? なーんて」
「こっくりさん、こっくりさん私と一緒にいたのはどうしてですか?」
十円玉が、五十音の文字の所へと動く。そして二つの文字の上に重なった。それは『す』と『き』だった。
そんな単純な理由で? 思わず心の中で乾いた笑いが出てきてしまった。なんて下手で不器用で力任せな愛情表現なんだろう。そんなストレートな答えが返ってくるとは思ってなく、思わず頬が熱くなって教室に入ってくる夕日の色と重なる。
「やだ~、志紀ったら。そんな遠回しで告白して。でも私その気はないんだけどなぁ~」
目の前の友人は何か勘違いをしているようだ。ちゃんと言わないとこっくりさんがかわいそうだ。
「違うよ、こっくりさんに言っているの。だからこれはこっくりさんからの答えよ」
悠乃の目が点になり、思考が停止したようだった。すぅーと十円玉が鳥居の所に戻ると、わなわなと口元が歪みながら口を開く。
「なに言ってるの志紀、あなたが動かしているのでしょ?」
私ではない、私は何も力を入れていない。だから首を横に振った。
「冗談言わないでよ。だ、だって私も力入れてないもの」
悠乃が口角泡を飛ばし、落ちたつばが紙に吸われる。そんな様を見ても私はただ黙って悠乃の顔を見続けている。そして悠乃が十円玉から指を外そうとしているのを止める。
「だめ。こっくりさんの決まり事忘れているの? 終わるまで指を離してはいけないって、でないと悠乃……………」
最後をわざと何も言わなかったことに、悠乃の肩は力が抜けだらんとし、顔からだんだん血の気が引いて赤い夕陽が真っ白なカンバスのような悠乃の顔半分色を塗る。まあ、悠乃が考えていることはたぶん外れるだろうけど。
次の質問に移ると、十円玉はこっくりさんの意志によって動き始める。
だが、悠乃の目には興味というのがこもっていない、ただ早く終わってほしいという思いがあからさまに見えていた。無理もない、悠乃は流行に乗っかるだけで本当のオカルト好きではないから、今まで偽物のこっくりさんを操っていたいたのだからこんなことが起きるとどうしようもないのは当然のことだった。
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおもどりください」
「こっくりさんこっくりさんどうぞおもどりください」
私と悠乃の声がかみ合わない。どうも早く終わらせたくて悠乃は早口で言い終わらせたようだ。けどそれはできないだろうな。だって、私がそうさせないもの。
十円玉がゆっくりとカーリングの玉のように紙の上をすぅーっと移動する。そして文字の上にピタリと止まる。
『いいえ』
そこに止まったとき、悠乃は白から青にへと顔の色を変え、手がわなわな震えていた。ようやく十円玉を指から放すと私の手を取る。
「ど、ど、どうしよう。私たち、の、呪い殺され」
あまりの動揺に悠乃は言葉がつまりしっかりと話せない。おまけに悠乃の手はぐっしゃりと汗で濡れてたぶんこっくりさんの結果よりも気持ち悪い。
「大丈夫だって」
「ででで、でも!」
悠乃はもう恐怖に感極まり、もう口が震えてそこから声が出なくなってしまっていた。あまりにも不憫だからポンと悠乃の肩に手を置いた。
「大丈夫。こっくりさんはそんなことしないから」
もし今、悠乃がこっくりさんに憑きまとわれているだとしたらそれはとても幸運だと思う、そのストーカーはとっても親切で臆病だから。きっと怖ろしくないと思う。だよねこっくりさん。
すると、悠乃の背中からもう憑りついていたこっくりさんの黄色い目が開き、狐のような長い鼻の影を上下に動かした。




