負け犬の遠吠え
文化祭。それは悪しき伝統。青春の瞞し。彼等のステージ。僕等の墓場。
それが今日、開かれる。その序章、終わりの始まりとして、ここ、体育館で開会式が行われる。
それぞれのクラスが自作したTシャツ。所謂クラTを着た生徒がひしめき合っている。クラTの裏にはそれぞれ愛称の刺繍がある。
「世界の西沢」「ギリギリ類人猿」「カンポセラード森」「狼に育てられた蟹」「山口には早すぎた山田」
ふざけた名前がひしめく中に、ちらほらと「長山」「篠沢」「柏原」とただの苗字の刺繍が紛れ込んでいる。何だかやりきれない。俺も同じであったことに気づいて苦虫を数匹噛み潰した。
様々なTシャツの色が仄暗い体育館でぐらぐらと蠢いている様はまるで闇鍋のようだ。むせ返るような粘り気のある臭いも、闇鍋を想起させる。
その鍋の中、話し相手もいない俺はただ突っ立っていた。そもそも友達がいない。何で来てしまったのかと後悔しながら、天井の梁に引っ掛かったバレーボールをぼうっと眺めていた。
文化祭と言うからには文化系が活躍すべきである。何故体育祭同様、体育会系が牛耳るのか。
我等文化系が日の目を浴びてもいいんじゃないか。俺達だって青春を謳歌したい。有り体に言えば女と仲良くなりたい。モテたい。
いや、そもそも俺は文化系なんだろうか。帰宅部は文化系なのか? むしろ自転車漕いでるから体育会系?
もういい。やめよう。阿呆らしい。どうにもならぬ。
ああ、俺はずっとこのままなのか。友人も作れず、恋人なんてもっての外で、何も成さずに腐っていくだけなのか。
自分の終わっていく生活を感じてニヒルに笑った。そうやって孤独をちみちみ嘗めて自分に酔っていたら、目の前に立つ女子生徒の背中のブラジャーがうっすら透けているのが見えた。もう何もかもがどうでもよくなった。
そのブラジャーで堅牢且つ荘厳な桃色妄想摩天楼をとんてんかんてん建設していると、スピーカーから大音量の音楽が流れた。がらがらと盛大な音を立てて我の摩天楼が崩壊する。ステージの幕が上がった。床に設置された照明がそこを照らし出す。司会の男子生徒が威勢よくステージを駆け上がった。
そう、文化祭が始まってしまったのだ。膝が爆笑して、立っているのが精一杯。しかし、よくよく考えたら立っている以外にすることは何もない。問題無かった。
ステージの前に集まった生徒達から割れんばかりの拍手とヒステリックなまでの歓声が沸き起こる。
司会から文化祭の開始が告げられ、更に拍手が大きくなる。
司会が所々軽妙なギャグでウケを取りながら進行していく。俺は斜に構えて生徒の後ろの方に立ちながら感心した。やはり俺達にこういうことは出来ない。適材適所。これ重要。ちなみに俺の適所は、集合写真の三列目の右端か、鍵のかかった屋上のドアの前の薄暗い踊り場である。
「それでは次は軽音楽部の演奏です! しばしお待ちください!」
司会がステージから退場するとまた幕が降りた。動悸が激しくなる。
軽音楽部だと? 早すぎる。まだ心の準備が出来ていない。
あたふたする俺を差し置いて案外すんなり準備が済んだらしい。司会がバンド名を紹介して、するすると無慈悲に幕が上がる。
そこには三人の男子生徒。ボーカルはマッシュルームヘアーにギターを引っ提げている。
ひええ。かっこいい。ギターが余りに似合いすぎている。股から生まれ出時には既にギター持っていたんじゃないかしらん。
女子から黄色い声が沸く。殺意が沸いた。
ボーカルが小洒落たことを言ってから演奏が始まった。生徒の興奮が凄まじい。
爽やかな曲を歌っている。コンビニに売っている青春を歌にしたみたいだ。斜に構えた俺には響かぬ。だが早く終われ。どうということは無いがとにかく早くしろ。
爆竹をステージに放り込む想像をしていたらいつの間にか演奏が終わっていた。
盛大な拍手の中、幕が降りる。まだもう一組あるらしい。司会が、バンド名ではなく一人の生徒の名前を紹介した。知っている名だった。今度はすぐに幕が上がった。
ステージにはアコースティックギターを持った男子生徒が一人で立っていた。ぼさぼさの黒髪に、低い背丈。
俺と同じ負け犬君。教室でいつも一人、小説を読んでいた。気取ってんな、と思ったのを覚えている。
そいつが俺達を睨みつけている。何も言わない。落窪んだ目が、獲物を吟味するかのようにゆっくりと滑っていく。俺と目が合った、ような気がした。
生徒達からさっきと比べて明らかに疎らな拍手が起こる。それでも拍手をしてあげるなんて案外皆さんいいヤツ。
彼が一瞬唇の端を吊り上げた。
突然、ギターの弦が切れるほど激しく掻きむしる。盛り上がっていた生徒達の顔に不安の影が走った。彼が叫んだ。最早歌っていない。歌詞は全く聴き取れない。喚き散らしている。その間中、ギターはずっと狂ったみたいに爆音をアンプ越しに吐き出していた。サビもくそもない。空間が引き裂かれた挙句、逆さになった。彼は他でもない彼の為だけに、全部をぶち壊した。全員をぶん殴っていた。
長い、長い演奏の後、派手なハウリングを残して、汗だくの彼は項垂れた。引っ掻いたような不快な高音が体育館を跳ね回る。演奏が終わったのだ。
生徒は少し前の興奮が嘘のように完全に白けていた。呆れと軽蔑と困惑。全員がぽかんとしていた。その耳鳴りみたいな静寂の中、彼が、ギターを高く、誇らしげに片手で掲げた。ステージの照明をギターがギラリと艶めかしく反射した。
俺は、拍手をしてみた。不気味な静寂の中で恥ずかしいからぺちぺちやった。霞んでいる彼の姿をしっかりみようと目を見開いたらほんのちょっぴり涙が出た。
妄想の幕がふやけて、現実が顔を出す。ギターを持った冴えない彼がぼやけて溶ける。
気付けばステージ上で司会が文化祭を取り仕切っていた。
彼の姿はもうどこにもない。俺の妄想が終わって、彼等の現実が始まっていた。
俺の妄想は無意味なものだった。何も産まず、空しさだけが心に浮かんでいた。
それでも俺はこれでまた生きられると思った。これを続けていけばどこかに行けるような気さえした。
薄暗い体育館の底で、何も出来ない俺の唇の端が吊り上がっていることに気が付いた。