第九話 界
鼓動がゆっくり、僕の中を駆け巡って心臓まで戻って来た
頭が真っ白で、何も考えられないほどに何も無い
僕は今、何て言われたんだろう
意味がわからない。今、僕は、何てイワレタノ?
『本当のお母さんじゃないのよ』
目の前で泣いているこの女の人は今、僕に――――――――?
繰り返される、リフレインする思考の中ではっきりと母さん―――――いや、目の前の女の人の声がした。まだその声には涙が霞んで聴こえた。けれど、しっかり僕を見てた
瞳の力に迷いはなかったのが余計に僕を何処かに突き落とした
「ごめんなさい誠、でもお母さんは、そりゃ血が繋がってるわけじゃないから・・・・正式な家族の関係があるとは言えないけど・・・・・・・あなたの母親だから」
今まで育ててきて、でもお父さんと離れてもあなたの育児を投げ出そうって考えたことはなかったの。お父さんにもう愛情がなくても、自分の子供じゃなくても、誠のことは愛してるわよ。ずっと、隠してきてごめんなさい。そこまで言ってから、母さんは頭を下げた
何言ってるんだろう、この人は。何の変哲もない疑問が渦巻きだすのに、僕はただ呆然と立ち尽くしているだけだった。何もできないで、そのまま。
暫くして、僕が続きを促さなくても母さんは説明を始めた。状況が上手く飲み込めない僕には有り難い話だったのかもしれないけど、聞きたくなかった。言わないで欲しかった、なのに、口が動かない。『止めてくれ』って一言言えばこの人はきっと納得して、僕の言ったことを受け入れてくれると思う。けれど、思ったように声が出ない。上手く口が動かない。言わないで、そんな説明いらないから、もうこれ以上――――――――
本当は聞きたくない
「こんな日にこんなこと言うのもおかしいと思うんだけど、誠ももう高校生だし・・・お母さんがもっと早く言えれば良かったんだけどお父さんと話し合って、もう少し待ってみようって」
言わないでくれ、もう何も聞きたくないから。そう思うくせに、僕は上手く伝えられないでそのまま俯いた
「それで、なんなの」
こんな言葉しか言い出せない自分の口が憎らしくてしかたなかった。おどおどとした声がすぐに耳に届くのに、もうなんの反応も返したくない。今僕はどうしたら一番いいのかわからないのに、もうこれ以上解らないことを増やさないでくれ
「あ、あのね、誠。混乱する気持ちもわかるけど、誠のお母さんはもう亡くなってるの。あなたを産んだ時に・・・・」
僕が聞かされていた周囲の反対を押し切って結婚したというのは実の僕の母親だったらしい。そして僕が生まれたと同時に亡くなって、すぐに今の母さんと父さんは一緒になった。父さんと母さんは僕に本当のことを言えなくてここまで引っ張ってきたわけだ。
なんだか酷く裏切られた気分だ、もう何も言わなくていいから
僕の前から消えてよ、
「だったらなんでそういうこともっと早く言わないの?」
「え?」
僕は真っ直ぐに母さんを見ていた。きっとその瞬間の目つきは相当酷かったと思う。あんな驚いた母さんは、今まで見たことが無かったから
「ま、誠?」
「嘘ついてたんでしょ、ずっと、僕に」
そんなわけじゃない、という無言の訴えが僕の瞳に突き刺さる。悲しそうな両瞳が僕のことを映してた
「そういうことじゃないか、だったらどうしてもっと早く伝えようとかしなかったの?」
「それは・・・・っ!」
口を開きかけた母さんの声を上から覆いかぶさるようにしてかき消した
「他に方法はいくらでもあったんじゃないの?それに、伝え方も。粗方この墓は僕の本当の母さんの墓で、あんたは懺悔しにここに毎回僕を連れて来てたわけだ」
その瞬間、僕の頬を思い切り叩く音がした。同時に頬に激痛が走って、半開きになっていた口の中が血の味に染まった。ハッとしたような母さんの顔が、ゆるゆると自己嫌悪しているような顔に変わっていく。きっと僕に手をあげるつもりなんてなかったんだろう。高ぶった感情を堪え切れなくなって、僕にそのままぶつけたんだ。別に説明されなくても解る。冷めたような気分が僕の中に蔓延した。大人だって子供と変わらない。嫌なことを言われれば仕返ししたくなるし、融通が利かなくなれば機嫌が悪くなる。全部理屈っぽいだけで、結局根本的な所はなにも変わらないんだ。機嫌が悪くなれば人に当たるし、何か不都合があれば自分より立場の低い子供に当たって。最悪だ。そんなの。
僕の口から少量の血が流れる。きっと頬は腫れてるのかもしれない。僕がそっと頬を触った途端、ごめんなさいという声が聞こえた
「でもっあの、お母さん、そんなつもりじゃなくて、誠のことを傷つけたくなくて、それで・・・・」
もうどうでもよかった。何も言わなくてよかった
「もう、いいよ。そんな死んでから言われたって困るから」
「え?」
僕は無意識のうちに駆け出していた。気が付くと、随分と後ろの方で声がした。でも振り返らなかった
「誠!」
誰もいなくてよかった、この世界ではあの人から逃げ切れれば僕はずっと独りでいられる
一人でいられる
駆け出した足は止まらなかった。ただ、全速力で走り出してた
行く当てなんて何もなかった。何処にもなかったそんな場所
でも今自分の瞳から流れ出しているものが本当は嘘だって思いたかったんだ
痛いって
助けてって
心の何処かが叫んでた




