最終話 彩
無意識に僕は階段を駆けのぼっていた
理由とか、そんなものはよくわからない
ただ、駆け出したい衝動が僕を突き動かしただけのかもしれない
階段を駆けのぼる僕の足音だけが反響して、静まり返るビルの中に響いた
もうどうだってよかった
ただ、足が動いた
ドクドクと流れる脈が、耳元まで聴こえるようになった頃、僕はいつかの屋上に辿り着いていた
息切れした呼吸をゆっくりと戻す
その時はじめて気がついた
月明かりの中に、母さんが僕を見て立っていた
「ど、う して……?」
途切れ途切れになる声を紡いでも、戸惑いは隠しきれなかった
なんで母さんがここにいるんだ、この場所は
僕が自殺しようとした場所
命を投げ出そうと決めた場所
もう二度と、ここに戻ることは無いと思っていた
最期の場所だったのに
目の前にいる母さんは、ゆっくりと僕に近づいて、笑った
「誠がどう思っても、誠は母さんの息子だから」
「何言ってるの、母さん?」
「もう、母さんは戻ってこれない から。だから、誠は父さんと一緒に二人で……」
「母さん?母さんっ?」
「もう大丈夫、だから。誠が抱え込むことなんて何もない、の」
「返事してよ!母さん!」
「ごめんね、誠」
「―――――――っ!」
俺が話し掛けようとした瞬間に、母さんの身体が前に倒れた
呼び掛けても反応が無い
それどころか、母さんの瞳は僕を写していなかった
耳は、聴こえているのかもわからない
喋り続ける母さんの口の動きは止まらない
身体がやけに冷たかった
それでも、母さんは何か喋り続けてた
―――――声は、その口から出てなかったけれど
「もう、話さなくていいよ!母さん!」
どんどん冷たくなってく
僕の手であたためても全然温かくならない
だめだ、もう
「母さん、死なないで……っ!まだ、だめだ、こんなの!」
僕、まだ何も言ってないじゃないか
独りで全部話して先に逝っちゃうなんて狡いよ、
「狡いよ、母さん 僕、母さんが本当の母さんじゃなくてもよかったのに!」
ずっと、傍にいたじゃないか
なんで、僕を置いていくの
家族だよ、血なんか別にどうだっていいよ
関係ないよ
僕が気にしてた訳ないじゃないか
だから、もうどっかいかないでよ
「母さん、」
僕が呼んだ時、母さんは笑ってた
「ありがとう」
それだけ、最期に聴こえた母さんの言葉
その瞬間、母さんの姿は消えていた
僕は無意識に呟いた
ありがとう、
溢れ出した涙は、止まることなく流れ続けた
気が付くと、僕の後ろには、少年が立っていた
「時間がきたよ、誠くん」
いつものシニカルな笑顔で、少年は笑った
人を馬鹿にしたような顔は、真っ直ぐに僕を見てただそう言った
「―――――母さんに、僕の想いは伝わってた?」
少し驚いたような少年の顔を見ながら、僕はそれだけ言った
少しだけ、ほっとしていた
母さんの荷が少しでも軽くなっていたならそれでよかった
最期に笑った顔が見れてよかった
最期の言葉が、あたたかいものでよかった
僕の涙を見ながら、少年は微笑んだ
その顔は少しだけ、母さんを思わせる
「最期に笑ってたでしょ。誠くんが思ってることは、あの人も思ってたことなんじゃない?」
「そう、かな」
戸惑いながら言った僕の返事に、少年は不思議そうな顔をしてから
「そうだよ」
親子でしょ?
と、言って笑った
少年の顔は、とても優しかった
これで、もう何も無い
思い残すことも、言葉も何もかも
僕は深く深呼吸をして、少年に向き直った
「それで、僕はこれからどうなるの?」
多分、というか言わなくても僕が死んでしまうことは確実だった
屋上から身を投げたのだ
それに、このビルはうんと高い
落ちて生きていられる確率なんて、常識じゃありえなかった
僕の言葉に、少年が笑ってこたえた
「それはさ、誠くんが選ぶんだよ!」
「え?」
少年が、不意に親指と人さし指をパチンと鳴らした
途端、目の前が暗闇に染まる
「ちょっ!なんだよこれっ!?」
身体が落ちていくような感覚
吹き上げられる下からの風は、屋上から飛び下りた時に酷似していた
―――――落ちる
その言葉は、死ぬという意味を持って、僕の中に存在していた
このまま落ちて、終わるのか?僕は、
何もしていない、そのまま
このまま僕という存在は終わっていくのか?
そんなの、
「………なんだよ、これ」
僕が望んだのは、こんな最期じゃない
こんな最期を望んだわけじゃない
あの日記の少年のように意味が欲しかった
輝いたモノが欲しかったんだ
でも僕は間違ってた
本当に欲しかったのはそうじゃない、
欲しかったのは、強い自分だ
あの日記の少年のように、強く生きたかった
強く輝いたように見えたのは、彼の死がちゃんと生き抜いたものだったからだ
死ぬことが綺麗思えたのは、彼が自分を生きたから
―――――僕はまだ、生き抜いてない
まだ誰にも、言ってないことだってある
触ってもいないことが、まだたくさん残ってる
僕はつまらないんじゃない
ただ、他人から評価されるだけじゃない
それだけじゃない
僕の幸せはこれからやってくる
そういうことだってある
母さんが残してくれたのは、僕に伝えたかったのは、
僕が作れる幸せだってちゃんとあるってことだ
大丈夫、生きるよ全部
僕もまた、誰かにありがとうって言ってもらえるような
そんな人になるから………
その瞬間、ガクンと世界が揺れた気がした
「………、」
ここは、何処だろう?
僕が瞳を開けると、真っ白な天井が見えた
隣には父さんが、俯くようにして寝ている
微かにピッピッピッという音が、僕の心臓に合わせて鳴っているのがわかった
身体に力はあまり入らない
微かに動かせた右手を、父さんに触れさせてみた
起きて、父さん
僕の言葉が聴こえたのか、父さんの眼が薄らと開いた
次の瞬間、僕を見て驚いたような顔をする
「――――――、誠!」
父さんはそのまま僕を抱き締めた
痛いよ、と言うよりも早く父さんが泣き出した
僕は初めて、父さんが泣く所を見た気がして、ふと気が付くと微笑んでいる自分がいることに気付いた
僕は、路上で頭から血を流している所を発見されたらしい
三日ほど眠っていたそうだ
意識が回復したのは、驚くくらい稀なことらしい
僕にはその自覚が無く、病院に居ることがいまいちしっくりこなかった
ただ、父さんに聞いても、看護婦さんに聞いても皆口を揃えて言うのだ
僕が飛び下りたビルなんてどこにも無い、――――――と
いくら僕が自殺しようと思った、と説明しても、信じてもらえなかった
僕は、前方不注意の車に衝突されたのだと言われるだけだった
どうやらその様子を、同級生が見ていたらしく、その子の通報で、僕は一命を取り留めたのだそうだ
では、僕はいつあの少年と会って、
いつあのビルにのぼったのだろう
屋上で見た母さんは、本当に夢だったのだろうか?
いや、違う
きっと僕に、何かをくれたのだ
期間限定、と言った方が分かりやすいだろうか?
人生を教えてくれたような気がする
きっとあの少年が、僕の命を蘇らせてくれたんじゃないか
そんなことを思いながら、病室のベットの上で笑った
「父さん、今度二人のお墓参りにいこうよ」
驚いたような顔をした父さんの顔を見て、僕はまた笑った
伝えたい言葉があるんだ
――――――「ありがとう」
ここまで読んで下さってありがとうございます
なんとなく、といういつものスタンスで始まった
要は自分の我侭でスタートさせたものだったので、完結させることができて嬉しく思っています
お目汚しが大半だったと思います
申し訳ありません
死ぬという言葉は時に酷です
ですが、終わりが在るから輝けるとか、そういうことでもないんじゃないかなぁって思います
嫌なことは、いつか消えます
どんなに苦しいことがあっても、それはいつか全て無くなります
一生着いてまわることがあったとしても、それを打ち消すような出会いが必ず来るんです
どんなに嫌なことがあったとしても、自分から死ぬようなことはあっちゃいけません
それは絶対です
自分から手を伸ばせば、欲しいものは思ったよりもすぐに近くにあるということが見えてくるやもしれません
この話は、死を考えたあと、生に向かっていくような話になればいいなぁと思って書き進めました
至らない点の方が遥かに多いと思いますが、皆様の心に少しでも残ったらなと思います
強くなくていい
弱いままでいいから、その先に何か自分の答えを見つけられますように
というのは、自分の願いでもあるわけですが(笑)
ではまた別の作品でお会いできたらいいなと思います
ありがとうございました




