風邪
『…今さ、何時か知ってる?』
「悪い、緊急だ。良いか?」
ものすごく不機嫌とわかる声で静かに聞かれると、正直切りたくなる衝動に駆られる。
ところが仕事と言うと、理解ある同居人はすぐさま態度を和らげた。
『…どうしたの?』
「公園にいた少年をさ、家がわかるまでうちに置くことになったんだ。こんな時間だしわざわざ起こすのは悪いかと思ったけど、やっぱり勝手に連れこんだら不愉快だろうと思ってさ。大丈夫か?」
『私が無理なんて言う訳ないでしょ。ここはしょうたの家なんだから。』
「ありがとう。大好きだよ。」
『っ!?』
動揺してどもりまくるゆりを無視して電話を切る。
恐らくゆりは五分は気づかない。
携帯の表示には午前3時とあった。
「余裕で電車ないな。」
そのまま携帯でタクシーを呼んで、着替えて眠ってしまった少年を抱いて乗り込んだ。
「おかえり。」
ゆりがドアを開けてしょうたを中に入れる。
「その子が…?」
「そう。」
眠っている少年は目を閉じたままぴくりともしない。
リビングに向かうしょうたの後ろを、首を伸ばして懐を覗き込むゆりが続く。
「きれいな子ねぇ!外国人?」
「さぁ?聞いても何のことだかさっぱり。日本国籍でないことは確かだよ。余分に布団てあったかな。」
「うーん、どうかな。私の布団貸そうか?」
「いや、俺の布団に寝かすから大丈夫だよ。」
少年を布団に寝かせその顔をじっと見た。
「大丈夫かしらこの子。具合悪いんじゃない?熱は…あら、あるある。」
「ほんとか?まずいかもしんない。」
「そうなの?」
「ほぼ寝たきりみたいな生活を送っているらしい。体が弱いんだろうな。」
「あら…とりあえずタオル濡らしてくる。」
まるで死んでいるようだと思った。
目元にかかる前髪をそっと撫でると僅かに目を開いて、またすぐに閉じた。
「リラックスしてるみたいだな。良かった。しばらく面倒をみることになった。よろしく頼む。」
しょうたは眠る少年に優しく微笑んだ。
日が昇り、カーテンの隙間から陽が差し込む。
しょうたは非番で、ゆりは大学での講義がなく、二人とも予定が無かった。
そのためしょうたは寝坊する気満々だったのだが。
「しょうた!しょうた!ねぇ、しょうたってば!」
「何だよ…ゆり。」
ゆりがゆさゆさと地べたに直接寝ていたしょうたの体を揺らした。
「少年の様子がおかしいの。病院連れて行ってあげた方がいいんじゃないかと思って。」
すっかり目の覚めてしまったしょうたは、ゆりをちらりと見てうーん、と唸った。
「…連れて行っても、診てもらえない可能性が高いぞ。」
「は?なんで。」
「言ったろ。戸籍が無いんだって。」
「あぁ…あぁ!?え、どうすんのよ。」
「うーん。それを今考えてる。」
コネが無い訳ではない。
ただそいつになんと説明するかだ。
と。
「……ア…ル…?っけほけほっ…」
寝室からかすれた声がして、少年がしきりに誰かを呼んでいた。
「ア、ル…こほこほ…水を…どこ…?」
台所で冷たいお茶をコップに注いで持っていくと、戸口に立ったしょうたを不安そうに見て困ったように首をすくめた。
「…だ、れ?」
「お茶、いるか?」
少年はじっとして何も言わなかったがそばに寄って体を起こした。
背中が汗でじっとりしている。
「…んっ…こくっ…こくっ…」
コップはすぐに空になった。
「あり、がとう。」
「いんや。体、拭かなきゃな。ちょっと待っとけ。」
「…ま、待って」
立とうと腰に力を入れたしょうたの服の裾をつかんで、泣きそうな顔でいやいやと首を左右に振った。
「ここに、いて。」
「…いいよ、いるから。よく寝て治せ。」
「うん」
辛そうではあったが案外あっさりとして、寝込むことに慣れているんだなと変な感心を覚えた。
「ゆり!」
「んーなにー?」
「悪いんだけど、濡らしたタオル持ってきてくんない?」
「らーじゃ。………ほい」
「あんがと」
心細げに掴まれたままの指が外れないよう少年の体をそっと動かしシャツを脱がせた。
ふくらんだりしぼんだり、大きく上下する胸は痛々しく骨が出っ張っていて、背筋に冷たい何かを当てられたような恐怖にしょうたはごくりと唾を飲み込んだ。
「かわいそう。病気して長いのかな。」
いつの間にそばにいたゆりが、覗き込ませている顔を歪めた。
「病院、連れて行ってあげたいな。」
「……連れて行くか。」
「え、駄目元で?」
「いや、一つ当てがある。なんて言って診てもらうかが悩ましいんだけど…ま、それは着いてから適当に考えるか。」
「適当にって…しょうたらし。」
「だーろ?助けんのに理屈考えてたらいつまでも助けられないからな。とりあえず動かないと。」
「私も行くよ〜」
「おう」