【競演】紡ぐ手
競演特別企画「元旦ショートショート2015」に参加させて頂きました。
お題は「再出発」です。
ふわりと勿体つけながら首元をくすぐる雪のように。
時には、脳天を突き破るようなスコールのように。
イメージは唐突に降ってくる。
僕にとってそれは、色であり感触であり形だ。
そのあやふやなイメージの塊一つ一つに名前を付ける。それは色彩であったり、素材であったり、ラインだ。
そうやって出来上がったものがデザインになる。
A4画用紙に殴り描いた二次元のデザイン画は、それ一枚じゃまだ未完成で価値がない。幼稚園児の落書きと同じだ。
水彩色鉛筆にコピックを重ねて、素材の質感と色柄を詳細に出していく。オーガンジーの張りのある光沢。ラビットファーのふんわりとした質感。ゴブラン織のアンティーク調の柄。
それが出来たら今度はデザイン画にイメージした素材のサンプルを貼り付けていく。でも、これには骨が折れる。購買部に入っている生地屋で済むこともあるし、延々と問屋街を練り歩くこともある。でもここが勝負のしどころだ。いかにイメージ通りの素材を見つけることが出来るかが、作品の良し悪しを決める。
ここまで来て、僕はふと我に返った。
こんなことしてどうなる?
今更こんなことをしたところで無意味じゃないか。
書き上げたデザイン画を放り出してローテーブルに突っ伏した。
すぐ脇にはつい一週間前に入社試験を受けた企業からの内定書。
希望していたアパレル業とは程遠い運送業。
はあ。
大きくため息をつく。
こんなご時世だ。国内のアパレル業が衰退していることぐらい分かっている。海外生産にシフトしていっている時代に、英語も話せないデザイナー志望の一介の学生が、希望した職を得られるほど世の中は甘くない。
求められている数に対して志望数がどう見積もっても溢れている。それに実際のところMDと呼ばれるマーチャンダイザーなんて花形の仕事は服飾学部の寡黙な技術者よりも、経済学部の口達者な方が就業率が高い。
そんな訳だから、周りはみんなIT企業や事務職の畑違いな企業に職を決めている。アパレルを目指しても、僕らに残されている道は即戦力になる抜きん出た才覚を持つデザイナーやパターンナーになるか、もしくは契約社員のショップ店員になるのが精一杯。
夢に見たきらびやかな世界は程遠くて、僕には届きそうにもない。
内定承諾書の提出期限が刻々と迫っていた。
このまま運送業に就職して僕は果たしてやっていけるのか? 夢に敗れて淡々と生活していくことが恐ろしく退屈なような気がして気がして仕方ない。けれど今の時代、正社員として雇ってくれるところを蹴るのはもったいないような気もする。
現実逃避するようにデザイン画は毎日増え続けていく。
三次元に具現化される予定のないイメージたちが画用紙を苦しそうに叩いている。
ここから出して、と。
僕は「ごめん」と呟いてファイルを閉じた。
せっかく僕の元に舞い降りてきてくれたのに。こんなことは言いたくないけれど、君たちが降りてくる場所が悪かったんだ。僕の頭の中になんて落ちてこなければ良かったのに。
いっそ、何も描けなければ潔く諦めることが出来たのに。それなのに、イメージは僕の中に落ちてくる。描きたい衝動に駆られる。パターンを引く衝動に駆られる。縫製したい衝動に駆られる。
けれど、そんなことはもう意味がない。
それはただの自己満足でしかないからだ。誰も求めていないものを作ったところで、意味はない。
夢と現実の狭間で僕は悩む。
次第に周囲が騒がしくなる。
近々開催される学部ファッションショーが迫っていた。
デザイン制作、モデル、舞台装置、音響。関わる全てが学生の手で行われる伝統あるファッションショー。そして、四年生である僕たちにとって最後の学校行事。これが終わったら、卒論をいそいそと書いて卒業を待つだけだ。
僕たちに残された最後の華やかな舞台。
これは最後に見る優しい夢なのだろうか。
それとも現実を見据えるための試練なのだろうか。
どちらにせよ、僕たちは目の前のことに夢中だった。
学部の四年生全員が一丸となって一つのランウェイを作り上げる。
それはいわば一つの物語りだ。
一人一人の哲学と美学と感性が寄り集まってイメージを紡ぐ。統一感のないばらばらの思想が、少しずつ形を取っていく。それが大きな波になり、ランウェイを埋め尽くす。
デザインも素材も妥協しない。求める色がないなら、生地がないなら、自分たちで作ればいい。
どうしてそこまでこだわるかって?
それは、僕たちの最後の物語でもあるからだ。青春で終わってしまう最後の一ページに跡を残すように僕たちはがむしゃらに手を動かす。
土日も長期休暇もない。僕はただひたすら服を作ることに夢中だった。
頭の中にしかなかったものが、色と形を伴って具現化していく。
これほど楽しいことはない。これほど充実した瞬間はない。
それなのに。
釦の色が問いかける。糸の質感が囁いている。
これでいいのか、と。
僕はまだ迷っていた。どうしたらいいかなんて簡単に出せるものならこんなに未練たらしく一生懸命になっていない。
ただひとつ分かることは、これが僕の最後の物語だということ。それをお座成りにすることは出来なかった。
いよいよファッションショー当日がやってきた。
全員くたくただ。揃いで買ったつなぎはよれている。それでも誰もが気合だけで立っているような状態だった。
僕はフィッターとして裏方に回る。
開園のメロディーが流れるけれど、誰もそんなものには構っていられない。
舞台裏は戦争だ。
モデルも半裸状態で殺気立っている。一人でも出番を間違えようものなら大失敗に繋がるからだ。
誰もが息を潜めて粛々とショーを進行させている。
僕たちは歯車だった。誰一人として欠けることの出来ない重要な歯車。その歯車が僕たちの四年間の集大成を学部の歴史の中に刻み込んでいる。
音響がラストのシーンを知らせている。
「じゃ、行ってくる」
担当のモデルが軽く手を上げてランウェイの端に立った。
手の開いたフィッター達が舞台裾に集まってくる。
そのとき、
「これはファンタジーよ。あなたたちは物語の紡ぎ手として確かな哲学を持っていないといけない。これは素晴らしい物語だわ」
教授が隣で呟いたのがはっきりと聞こえた。
モデルとフィッターの囁き声と音響がこだまする中で、僕はその言葉を聞いた。
戦後にフランスへ留学したという八十過ぎの教授が僕にだけ聞こえる声ではっきりと囁いた。
「あなたはいい物を持っているんだから、それを大切にしなさい」
僕のデザインした衣装がスポットライトを浴びながらランウェイを歩いている。
誰もが息を飲んで大トリのモデルの帰りを待っていた。
待っていた?
違うな。待っているわけじゃない。
あえて言うなら、僕たちに残された時間を肌で感じていたという方が相応しい。
充実感と高揚感に浸されて、僕らはこの瞬間を体に刻み付ける。
スピーカーからは音響がガンガンと溢れ、目まぐるしく色を変えるライトが空を照らす。ひっきりなしに湧き出るイメージが頭の中で渦巻いて次第に形をとっていく。
描きたい! 縫いたい!
衝動が体を突き破りそうだった。
きっと、その場にいた誰もが、そう思っていたに違いない。
この舞台はイメージが生まれ出る場所なんだ。
形になることはわずかなのだろうけれど、ここで受けたインスピレーションがどこかの誰かに伝わって、少しずつ感染していく。
僕はその、始まりの場所に立っている。
そう思うと涙が溢れた。
胸が詰まった。
涙で滲んだ視界がさらにきらきらと輝きだしたから。自分たちが作り上げた物語がこんなに美しいものだと、僕は今まで知らずにいた。
最後に、この場所を見ることが出来て本当に良かった。
僕たちはこれから別々の道へ進む。それぞれのまったく違う物語が始まっていく。その中で、今この瞬間は確かな時間なんだと誰もが感じていた。
このきらびやかな時間を現実を生きる糧とするために。
そして、迷宮の中を惑う僕の元に光が差し込んだ。
*
僕は内定承諾書にサインをした。
運送業で正社員として働くことを決めたのだ。
けれど、ファッションの道を諦めるわけじゃない。
働きながら服飾専門学校の夜間部に通うことにした。
そこで何が得られるかまだ分からない。
けれど、僕はまだイメージを物語る紡ぎ手として広い世界の片隅に立っていたいと望んだ。
もう一度、あの始まりの場所に立つために。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
個人的にですが、小説を書くことと服を縫うことは似ていると思ってこの作品を書きました。
密かなテーマとして、「イメージの湧き出るところ」があったります。
イメージが下りてくるのは人それぞれだと思うので一概にこうとは言えないのですが、今回の主人公についてはショーがイメージの湧き出るところだったようです。
このテーマでまた作品を書いてみたいな、と思っています。