月夜の闘い
食事を終え、シャワーなどを浴び多少の娯楽をたしなんだ後、明かりを消した家の屋根の上に一人の影が佇んでいた。
泥棒という線も有り得るが、そもそもこの家の周囲には認識阻害の術式結界が張られているのでまず違う。
となるとここの住人である二人しかいない。
下からつぐみのものと思われる寝息を感じ、澪次は安心しながらも空に浮かびたたずむ満月を見上げていた。
「──綺麗だな」
宙に朧気に浮かぶ月を、澪次は感慨深く、そして儚げに眺める。
「思い出せないけど…吸血種になる前は、こんなふうにして見ることも無かったんだろうね──」
彼には吸血種になる前の記憶が無い。
大火災に巻き込まれ、《楽》という感情と共にそれまでの記憶を焼き尽くされてしまったからだ。
だがこれほどまでに月を綺麗だと感じたこと――それは吸血種になるまでは無かった──そんな確信があった。
「――――ん?」
何かに気づいて澪次は眉を顰める。
月は静かであってこそその美しさを際だたせる。だが先程からなんだ。
この鉄と鉄の激突しあうような戟鉄音は──。
此度の月夜にこんな雑音は相応しく無い。
「聞いた感じでは刃物の衝突音のようだけど……。何にせよこんな街中で殺し合いとは風情が無い──」
折角の月夜を台無しにされた事に怒りを秘め、澪次は屋根からふわりと飛び降りる。
そして地に足が着くや、人の身では有り得ない――吸血種たる速度で疾走した。
いくら人気の少ない夜間だとはいえ、認識阻害を張らずにでの戦闘行為はいただけない。
彼は瞳を閉じ、意識を己の中へ埋没させる。
「──|Utopia is the origin hope all dreams《原初より空想は万象を織り成す》」
自己暗示と何ら変わりのない短く簡素な詠唱──。
言葉が紡がれるのと同時に、その手には身の丈程の刀身を持つ刀が具現化していた。
曰く空想魔術――。
そも吸血鬼は空想により、至って普通に自らの武器を生み出していたそうだが、澪次はそれが出来ない。故に裏の人間が扱うと言われている魔術と空想の論理を織り交ぜてそれを可能にさせているのだ。
それを背中に付けられている鞘に納めると、そのまま音響の元へと疾走していった。
「──ぐっ!」
暗闇の中、赤い瞳をギラつかせながら影狼秀久は苦悶の声をあげる。
周囲は闇で覆われ、相手の正確な位置取りが極めて難しく、こうして音と気配に頼らなければいけない状態なのだ。
数メートル先から、三本のナイフが溶け込むように闇から襲いかかり秀久はそれらを剣で全て捌く。
彼は苛ついていた。
この程度なら速度を維持し、避わしながら相手へと肉薄する事が出来るというのにそれが出来ない。
背後には怯えながら秀久と敵の闘いを見つめる穂之香がいるため、避ける事が出来ないのだ。
「しつこいってんだよ!!」
同じように飛んできたナイフを二本捌き、一本を飛んできた方向――敵のいる位置へ弾き飛ばす。だが相手がずっと不動なんて事はあり得ないので、それは目標を見失ったようにそのまま暗闇へと消えていった。
一息ついたのも束の間、本能のまま咄嗟に振りかぶった剣は、隙を狙って肉迫してきた相手の剣と激突する。
「よく反応した──」
「これぐらいでいい気になってんじゃねぇよ!」
「ふっ。それもそうだな。――だがこれならどうかな?」
二人の周囲を迂回するように通り過ぎる風切り音。まさか、と秀久は視線だけを移すがその瞳は驚愕に見開かれた。
一振りのナイフが回転しながら二人を過ぎ去っていた。
「……まさかお前」
「前方には儂がおるが、さて──。後ろのお嬢さんを無事守りきれるかな?」
秀久は動かない。いや動けない。
我が身を傷つける覚悟で助けようと思っても、目の前の老人は鍔競り合っている剣をしっかりと固めている為、それを許してくれない。
当の穂之香は、過去に何かあったのかそれともそんな勇気が持てないのかそのナイフを迎撃しようとしなかった。
歯噛みする。
情けない……まさか──。
まさか穂之香に水をぶつけれて力を三割ぐらい削られた直後にこんな奴と出くわすなんて――。
──それでいいのか秀久よ。
そんな事を後悔してもナイフが止まってくれるわけがなく、そのまま彼女に肉迫する。
「──やっぱり暗殺者のような人って捻くれてるよね」
どこからともなく飛んできた一本の刀に射抜かれた。
同時に暗闇だったこの地一帯が明かりを見せ始める。秀久が見上げた屋根の上には一つの人影が。
「――で、折角の月夜を台無しにしてくれたのはどっち?」
「アイツ」
流れるように老人を指差す秀久。
いや、確かに襲撃してきたのは老人ですが。
この慣れた反応はいかがなものか。
(……この人、罪をなすりつけ慣れてる)
そう思った澪次は悪くはない。
そして老人の方に振り向いた澪次は、まるで反吐を見るように顔をしかめた。
「怨霊……いや、どちらかというとゾンビのようだね」
「ほう。先程ここを照らし出した満月といい、そういう坊主は吸血鬼じゃな?──して何のようじゃ」
そう尋ねながら老人はナイフを澪次に投擲する。
そのまま突き刺さるかと思われたそれは一振りの日本刀に捌かれた。身の丈程もある刀身、それは──。
「……備中青江。珍しい物持ってんな」
秀久は興味深そうにその刀を眺めるが、澪次は無視。彼、ちょっと落ち込んだ。
「今すぐ冥界に帰ってください。世界は一度死んだ身が留まるという矛盾を許しはしない」
「それは言い換えれば、坊主達が抑止力ということかな?──なら全員殺せば儂は自由。いや実に簡単な理だ」
愉快そうに唇を歪めると同時に、地から死霊の類が次々と沸いて出てきた。
ここは墓地の中だったのだ。
「──不快だ」
これはこの地に眠る住民への冒涜だ。
それを楽しそうに、何の罪悪感もなく飄々と目覚めさせているのには耐え難い怒りが湧き上がる。
「……そこの運の無さそうなお兄さん。ここは協力して倒そう」
「──その前にお前を締めてやろうか」
何か悪いこと言ったのだろうか?
殺気をぶつける相手が僕に変わったような気がする。
まあ、何はともあれあの死霊達からは悲しみの霊怨しか感じられない。それこそあの老人と違って。
澪次は静かに物干し竿を構える。
老人は一つ誤算をしている。
理性が無く動きが鈍い死霊など、この刀と極端に相性が悪い。間合いに入れば一度に多数を殺せるくらいに──。
「元いた地に戻って安らかに眠ってください」
そう言うと四、五人ほどの死霊を一息に両断し、更に踏み込んで刀を振るい出す。
一方、老人は秀久によって瞬く間に殺されていた。穂之香が人質の役目を果たさなくなった以上、暗殺者が剣士に勝てる道理はない。
「|Utopia is the origin hope all dreams《思いは形を変える》」
呟いた瞬間刀身が更に伸び、波のように揺らめいて辺り一帯を排除した。
こうして戦いが終わり、三人が合間見えた。




