理想の為に
満月が照らすある森林地の奥深くに、現世には似つかわしくない古城が聳えていた。
その城壁の高さは悠に20メートルを超えていて、普通なら森の外からでもその姿を視認出来るほどだ。
それだのに、この森は異常すぎるほど静かで人一人さえ古城を見に来ることはなかった。
……いや、出来なかったのだ。
古城から半径2500メートルの外円を、認識阻害、侵入遮断の重複結界が覆っていたら当然だろう。
それを誇示するかのように、その古城は月光に照らされ銀色に輝きながら自らを主張していた。
深夜に入る頃、黒髪に血を思わせる真紅の瞳を優しげに灯している少年――夜瀬澪次は、広い厨房で洋風の料理を拵え、広く奥深い廊下を歩いていく。
そう、ここは古城の中なのだ。
澪次は突き当たりの扉を数回叩く。
「姫、夕食の用意が整いました」
「……入りなさい、レイジ」
部屋に入り、洋式のベッドに腰掛ける彼女を見やると、澪次はそのままそこへ足を運んでいく。
そして、彼女の前に夕食を並べんとする澪次は、ふと視線を感じてその手を止めた。
顔を上げると、主でもあり大切な存在でもある少女(見た目だが)は不機嫌そうに澪次を睨んでいた。
「どうかなさいました?」
「……その話し方」
「は?」
「ですから、私とレイジだけの時はその話し方は止めなさい」
「そっか」
それもそうかと澪次は頷く。
全てを並べ終えると、真剣な表情をして彼女に向き直る。
「吸血鬼になって今まで世界を見てきたけど……相変わらず人間と人外はお互いを敵視し続けている。改めてアルシアだけが異端なんだなって認識したよ」
「異端とは酷いわね…」
『アルシア』と澪次だけが愛称で呼んでいる少女――アイルレイム・フューノシアは彼と同じく吸血鬼ではあるが、その中でも極めて純血種の部類に入る。
アイルレイム・フューノシア――古代から世界に伝説が語り継がれていて、『吸血姫』、『漆黒の姫君』、『純潔の姫』など様々に呼ばれている。
その中でも最も有名なのは蒼月の・姫君。
まるで単語のような響きがあるが、もともと彼女の名にはそんな意味は込められていない。
これは後から人間によってつけられた名称であり、蒼い月の夜に現れる姫――そんな伝説が原典なのだ。
「やっぱり……行くのね」
アルシアは澪次の様子を見て顔に暗い影を灯す。
「ああ。こんな状況を知ってしまったら、君に貰ったこの力を……誰かを救うために使いたい」
「そう…。貴方がそう決めたのならもう止めないし、当然私も一緒に行くわ。ですけどすぐには無理。騎士達を召集してからね」
彼女が姫であるように、彼女を護衛する騎士達も当然存在する。
今は、それぞれの国へ帰ってはいるが、忠誠心の強い二人なため、呼ばれればすぐに駆けつけてくれるだろう。
話も済んだのか、澪次は背を向け歩き出そうとした所でアルシアが呼び止める。
「…レイジ、一つだけ忠告よ。万が一、17祖に出会ってしまったらだけど……その時は戦おうとはせず逃げなさい。分かってるとは思うけど、他の祖達は私とは違う。全てが残酷なのよ」
「分かった。…僕だってあんなのと戦おうだなんて思ってない。だから、出来るだけ早めに来てね」
「善処するわ」
その言葉を聞くと、今度こそ澪次は理想の為に古城を後にした。
一人の少女が……泣きそうな顔で歩き続けている。
暗く深い森の中を恐る恐る歩いていたのだ。
どうやら道に迷い、この森に迷い混んでしまったらしい。
「うぅ……怖いよぅ。道に迷うのはまだ良かったんだけど、よりにもよってこんな所に入ってしまうなんて…」
少女は一歩踏み出すたびに左右をキョロキョロと見渡す。
誰が見ても相当な怖がりなのだと分かるだろう。
「それよりこの森ってなんなの?入ったとたんに出口の気配が消えてしまったし、まるで人為的な何かが動いてるようなプギャ!?」
その時、少女はまるで目に見えない壁にぶつかったかのように悲鳴を上げる。
「何これ……結界?」
じゃあやっぱりこの森は、対侵入用に誰かが施したもの!
と言うことは今ので察知された!?
慌てて周囲に視線を巡らせ、やって来るであろう何かに警戒する。
―――その時だった。
今の今まで光というものが無かった森を、そうなるのが必然であったかのように満月が現れ照らし出す。
あまりに不可解な現象にぼうっと満月を眺めていた少女は、ふと視線を感じ視線を下ろす。
月光に照らされた森の中の、一際大きい空間。
そこに少年が立っていた。
一言で言うならば、それは黒。漆黒の髪に、黒の袴を着た漆黒の少年。 だがその肌は衣服とは反対に透き通るように白く、瞳は血のように紅い。
年の頃は十代半ばといったところか。
「認識阻害の結界を張ってたはずなんだけどな。……何故ここにいる?」
明確な死の気配を纏った視線が少女に突き刺さる。
少女の頬に、一筋の冷や汗が垂れる。
(返答次第では殺される)
それだけは理解した。
ならばこそここは正直に理由を話さなければならないのだと言うことも。
「…道に迷っちゃって」
「は?」
少女の言葉に少年は目を白黒させた。
その意味を理解しかねているのか、彼は困惑したような様子を見せる。
(あ、この人悪い人じゃないかもしれない)
それが少年を見た少女の印象だった。
「……はぁ。無意識に入ってこられたんじゃ認識阻害の意味がないか。うん、ついてきな。森の外まで連れていってあげる」
思わぬ欠点を見つけてしまった彼は、ため息を吐きながら頭を押さえた。
そしてこの少女がここに迷い混んだのも、出口の気配を消す認識阻害の結界を張った自分に責任があると思い、彼女についてくるように促す。
「あ、ありがとう。えと…」
「夜瀬澪次だよ」
「え?」
確かに名前が分からずどう呼んでいいか迷っていた少女ではあったが、あっさりと教えてくれた澪次に困惑する。
「名前も言わないんじゃどう呼び合うか分からないだろ。それで。君の名前は」
先程の死の気配を纏った瞳は完全に消え去り、今は反転して優しげな色を灯している。
にこにこと微笑みながらこちらを見る澪次に、顔を紅くしながらも少女は答えた。
「狼崎つぐみ」
「つぐみちゃんね、よろしく」
何故かムッと不機嫌になるつぐみ。
澪次はその理由が分からず戸惑いを覚える。
「……どうして『ちゃん』をつけるの?」
「ど、どうしてって…」
「私これでも17だよ」
「え?」
胸の発育は凄まじいものの、小学生くらいの身長で童顔。
だけど17歳――つまり澪次と同い年。
「マジで!?」
「マジだもん!身長は関係ないんだからっ!」
今度は違う意味で泣き顔になり、しばらく対応に困る澪次だった。
「氷狼の先祖がえり……ね」
森の外へと歩いている間、つぐみから話を聞いていた澪次は彼女の正体を聞いて納得したように頷く。
姿は人間だが、纏う雰囲気が彼にはちょっと違うように感じられたのだ。
「って言われてるだけなの。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。私には分からないんだ」
「いや、少なくとも普通の人間では無いことは確かだよ。それが氷狼かどうかは僕にも分からないけど」
「そう……」
その言葉を聞いて、つぐみの顔に影が差した。
「夜瀬君は怖くないの? 人間じゃないかもしれない私が」
「澪次でいいよ。皆にもそう言ってるから。それと僕が君を怖がる理由なんてどこにあるのさ。人外が人間じゃないかもしれない君を怖がる意味がない」
「え、人…外?」
そこでつぐみは澪次を見てやっとその事実に気づいた。
彼の肌は冬の雪のように白く、血のように紅い瞳。
ある伝説からこのような容姿を持つものにつぐみは心当たりがあった。
「……吸血鬼…」
「うっ…当たりではあるんだけど、吸血種って言って欲しいな。確かに吸血衝動は起こるけど、『彼ら』みたいに残酷じゃない」
仲間である筈の吸血鬼に嫌な思い入れがあるのか、澪次はちょっと不機嫌そうに視線を反らす。
そんな彼に気づいているのかいないのか、つぐみはじっと見つめていた。
吸血鬼とは言い伝えの中でも極めて残酷な人外の部類に入り、彼らの手によって滅ぼされた街があると聞いている。
(レイ君のような吸血鬼もいるなんて思いもしなかった)
何故かレイ君の名で定着させてしまっているが、とにかくそれほど意外なのだ。
いや、他にも温厚な吸血鬼は一派いるとは聞いているが、まさかとつぐみは首を振る。
その時、森の奥の方から人工的な明かりが見え隠れし始めた。街の外灯が点々と続いているのが見える。
「着いたよ」
「うん、ありがとう」
「礼なんていいよ。……それより一つ聞いてもいいかな」
「なに?」
「君は…どうして一人でこんな所に来てたの?」
つぐみは押し黙った。
こんな事を言ってはいけないのかもしれない。
言ったらそんな話は馬鹿げていると笑われるかもしれないからだ。
言わないに越したことは無いが、何よりつぐみは、親切にしてくれた彼に誤魔化すなんて事の方が許せなかった。
「人も、人外も…皆が仲良くなれるような世界にしたくて、旅をしてたの」
恐らくそんなのは夢物語だろう。
世界はそんな形にしてくれるほど甘くはなく、争いは確実に増して来ている。
お伽噺……そんなことは分かっているのだが、完全にでなくてもいい…少しでも世界を変えたいという気持ちが、彼女の背中を押していた。
「……気が変わった。この辺りで別れようと思ってたけど……君と一緒に行くことにするよ」
「え!」
その事に驚きを隠せないつぐみ。
驚いているのは澪次とて同じなのだ。
(……まさかこんなにも早くに会えるなんてな)
自分と同じ目的を持つ者とは、何時かは会うことになるだろうとは思っていたけど、まさかこんな展開でだとは予想だにしなかった。
そしてこの少女の想いの強さを知り、何時までかは分からないが一緒にいて、その結末を見届けようと思ったのだ。
街へと足を進みだした自分を、しばらく呆然と見続け、その意味に気づいたつぐみが慌てて追いかけてくるのを感じていた澪次の口元は嬉しそうに緩んでいた。
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