優しい音色の中で
深夜、微かに耳に入るメロディーに秀久は目を覚ます。
隣で寝ている穂之香を起こさないようにそっと部屋を出ると、その音の発生源である屋根へと向かっていった。
梯子を上り扉を開けると、外の夜風がさらりと顔を撫で、そしてメロディーを運んできていた。
―――綺麗だ。
秀久はそう思った。
星空煌めく満月の下、漆黒の髪を夜風にになびかせながら月光に反射させ、オカリナで音を奏でる澪次の姿はそれほど幻想的だったのだ。
その音色は美しく、儚く、そして切ない様々な感情が入り交じった一定の無いものではあったが、秀久には心地よいものだった。
しばらく瞳を閉じて聞き入っていた秀久は、いつの間に終わりを向かえたのか止まった事に気がつき目を開ける。
そこには驚いた様子でこちらを見る澪次の姿があった。
「―――秀久?」
「よっ」
気さくに声をかけると、澪次の側に腰を下ろす。澪次も一旦奏でることをやめ、オカリナを膝の上にそっと置いた。
「どうしたの?こんな夜に」
「それはお前もだろ」
「僕は吸血種だから元々は夜に活動するのが普通なんだよ。けど、君は違うよね」
「……それだ」
そう言って澪次の膝のオカリナに視線を移す。オカリナは月光りに照らされ、淡く発光していた。
「何だか良い音色が聴こえてきてな。それで目を覚ましたってわけだ」
「…そう」
良い音色――そう言ってくれた事に澪次は嬉しげに微笑むと、そのまま満月を眺めだす。
秀久も特に話すこともなくなったのか、同じように満月を眺めだした。
それからしばらくの静けさが続いたが
「……怖いんだ」
満月から目を離さずにぽつりぽつりと言葉を紡ぎだす澪次に、秀久は視線を下ろし彼を見る。
「これから僕は、今までのような日常を過ごしていけなくなるって改めて思うと……とても怖い」
「……澪次」
「でもね」
にこりと微笑むと、膝元のオカリナを指で愛おしく撫でる。
「寂しいとき、悲しいときは何時もこれを奏でるんだ。奏でている時だけは、そんな感情なんか吹き飛んでしまうから」
「貰い物か?」
「うん。大切な人からの、ね。これ、月の石から作られてるんだよ」
「へぇーそいつは凄いな」
何てことの無い――至って普通の会話ではあったが、それは二人の絆の強さを確かに感じさせていた。
「元々僕と秀久達は生まれが違うんだ。秀久は不死鳥…地球の種族、僕は月の種族って言われてる」
「……月」
「うん。吸血鬼や吸血種は自然現象って言われてて、月が地球に干渉することによって出来た生き物だっていう伝承があるんだ」
そう。
だからこそ人間は吸血鬼を恐れている。
他にも秀久のような不死鳥、穂之香のような龍種がいるにもかかわらず、吸血祖といったランクを作ったのも…地球からではない生き物を恐れたからこそだ。
「じゃあつぐみも…」
「うーん。彼女はどうだろうね…。微妙な所だからよく分からない」
氷狼と吸血種が結ばれる事によって生まれた彼女は、月の種族と呼ぶべきか地球の種族と呼ぶべきか、いずれにせよこういった例は人間の歴史には存在してなかったので判断がつかない。
「それほど月の住民は人間にとって忌むべき存在なんだ。彼女…アイルレイムは温厚な吸血種として知れ渡ってるから大丈夫だけど、無銘の僕なんか何時だって命を狙われる」
「確かに…人間からしたら吸血鬼と吸血種の区別なんかつかないだろうな」
「うん、だからね。悪いことは言わないから僕とは関わらない方がいい。関わったが最後、君も穂之香さんもつぐみも日常に戻れなくなる」
苦渋の入り交じった声で、突き放すように秀久に忠告する澪次。
それは彼の優しさによるものであって、これ以上は迷惑をかけられない。そんな事を思っての事であった。
だが秀久はそんな彼の葛藤に気づいていたため、澪次の髪をわしわしとなではじめる。
「生憎とそれは出来ない相談だ。お前を放っておくわけにはいかねえし、どちらにせよ俺は既に厄介事には巻き込まれてるさ。お前が介入してきた時だって俺と穂之香は襲撃されてただろ」
「……そうだね」
これ以上何を言っても無駄だと思ったのか、それとも他に何か考えてるのか、澪次はオカリナを口にあて静かに音色を奏で始める。
閉じられた瞼の端から幾度も流れ落ちる涙は、覚悟を決めながらも…それでも迷いは晴れなく辛い――本人は気づかないけどもそんな苦しげな表情をしていた。
「じゃあこう考えれば少しは楽になるんじゃないのか」
「―――」
聞いているのか聴こえていないのか、音色を奏で続ける澪次に秀久は言葉を続ける。
「アイルレイムって蒼月の姫の事だろ?じゃあ護衛の二人も当然吸血祖の一人。同じく護衛であるお前はその二人に肩を並べられたんだと」
「………くす」
至って真面目に話す秀久の言葉に、澪次はオカリナを口から話すとくすくすと笑いだした。
「くすくす。力は天変地異の差があるけど…そうだね。確かにそうだ。知名度ではもう彼女達と大差ない」
「予想していたのとはちょっと違う捉え方だが、まあ幾分調子を取り戻せたようで結果オーライだな。―――――ってちょっと待て。お前今『彼女達』って言わなかったか?」
澪次の元気が戻ってきたことに安心しつつ、その言葉のなかに聞き逃せない単語が混じっていたことに秀久は思わず聞き返した。
「そうだよ。アルシアの護衛の二人は二人とも女性なんだから。まあ一匹は犬なんだけどね」
「はぁぁあああーー!!??」
――満月の夜に狼の驚声が響き渡った。
「……本当に強いのか?」
「うん。一人は通常時のアルシアより強いくらい」
澪次はもう開き直ってるからいいが、話を聞く事に次第に男としてのプライドが崩されていく秀久だった。
「今晩はありがとね。秀久のお陰で幾分か勇気が出たよ」
「それはよかった。そろそろ寝ようぜ。いくら澪次が夜行性だって言っても昼間も寝てないんだからよ」
実際、二人とも昼間は食料調達の釣りをしていたのだ。
それに加え、カグツチといった少女によって告げられた情報にショックを受けた澪次。――肉体的にも精神的にも疲労がたまっていてもおかしくはない。
「……そうだね。でもその前にもう一回奏でてもいいかな」
「ん」
オカリナを口にあて、こちらを見る澪次に秀久は軽く頷く。それを見て嬉しそうに微笑むと、音色を奏で始めた。
静かな夜に似合う…満月の夜に似合う綺麗で幻想的な音色は澄み渡るように響く。
「なあ澪次」
「ん?」
「これからも俺と穂之香をよろしくな」
「――うん。こちらこそよろしくね」
月光りの明るい屋根の上、少年達はオカリナの音色のなかで満月を見上げていた。