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愛し愛され

作者: 竹仲法順

     *

 朝起き出すと、昨夜横で眠っていた一巳(かずみ)がいない。あたしが不思議に思いキッチンの方へ目をやると、彼は朝一のモーニングコーヒーを淹れて飲んでいるようだ。電機ポットでお湯を沸かし、気付けの一杯を口にしている。両目とも視力がよく、裸眼でも十分見えるので、一巳の行動がここからでも窺える。起き抜けのコーヒーは美味しいらしい。起き上がり、キッチンへ向かって歩く。さすがに昨夜ベッドの上で体を重ね合っていたので、愛情は確かめ合えていた。何も言うことはない。それだけ互いにシンパシーがあるのだ。心のうちが分かってしまうという。キッチンに入っていくと、一巳が用意よくコーヒーを一杯淹れてくれていた。インスタントのようだが、彼は貧乏性で安物しか買わない。ドリップ式にも抵抗があるようだった。コーヒーをカップ一杯飲むと眠気が吹き飛ぶ。そして新しい朝が始まるのだ。互いに顔に脂が浮いているのは分かっていた。先にあたしが洗顔フォームの置いてある洗面所へと向かう。桃の香りの洗顔料で安物だ。量販店などに行けば一本が二百円ちょっとぐらいで売っている代物である。別に気に掛けていなかった。顔の脂が落とせれば、安くても構わないからである。指先に一センチほどちょこっと取り、顔に塗って洗ってから、ジャブジャブと水で流す。就寝中に付いていた脂が残らず落ちた。キッチンに戻ると、一巳が、

「パン焼いたから食べてて。あとコーヒーは自分で淹れてね」

 と言い、洗面所へと向かった。一日が始まるときは互いに準備が大事である。彼も洗面して髭を剃り落とし、スタイリング剤を付けて整髪するようだ。確かに三十代前半の青年男性の一巳は単なる一会社員だが、貧乏しているようでも逆にいろんなものを買ったりする。コーヒーも洗顔フォームも安物だったが、休日同棲しているあたしから見れば、相当いろんなものを買い込んでいるようだ。別に不自然じゃない。彼ぐらいの年齢ならそういったことは当たり前だからである。給料はそんなに取っていなくても、同じ会社員のあたしよりは多く取っているはずだ。一巳は都内にある一流半ぐらいの私立大学の文学部を卒業した後、院に進学し、修士まで行って企業に勤めていた。院卒は使いにくいと言うが、彼の場合逆である。基本的な能力がとても高いので、順当に出世している。もう営業部第一課の課長代理職にあった。あたしは別の大学を卒業し、今の会社に勤務している。洗面所で顔を洗って髭も剃り、支度を整えた一巳がキッチンへと入ってきて、

「君も普段ずっと仕事だろ?疲れないか?」

 と訊いてきた。

「うん、まあ。……でもあなたとは愛し愛されだから。きついけど休みの日が来るのを目標に頑張ってるわよ」

「そう……」

 彼は言葉尻を曖昧にして、コーヒーの入ったカップに口を付ける。横顔には疲れが滲んでいたのだが、別にそう気にしてないようだ。一巳はいつもクールである。やはり年齢相応に男性らしさを求めたがる人間で、滅多に心の内を打ち明けることはない。まあ、あたしに対してはいくらでもモノを言うのだが……。

     *

「最近、社内で定期的に機密の企画会議が開かれてるんだ。俺も当然課の課長代理として参加してる」

「機密の企画会議?どういうこと?」

「簡単だよ。今度社の製品開発部が試作したサンプル品に関して意見を出し合い、話し合うんだ。何も特別なことじゃない。こういったことは幹部間で話し合うのが通例で、俺もそこに出席する権利がある。隠し立てするような会議だけど、あくまで機密で開くんだ。後で社の一部の社員に詳細を伝えてる。何が話し合われたかを、な」

 一巳がそう言って淹れていたコーヒーを呷り、キッチンの中をぐるぐると回る。大抵彼はモノを考えるとき、部屋の中を歩き回る奇癖があった。特に新商品に関して考えるときなどは、エスプレッソのコーヒーを淹れて完全に目を覚まし、時折メモ帳に気になったことに関してメモを取りながら室内を回っていた。ゆっくりとアイディアを練り続ける。休みの日でも社で販売する予定の新商品に関して頭が一杯のようだ。

「一巳、DVDレコーダーに録ってた映画とかある?」

 と訊くと、彼が、

「ああ、あるよ。休日だし、気分転換に見たいね。心に栄養が欲しいのが本音だし」

 と返す。あたしもずっと一巳の部屋に出入りしているので勝手は知っている。普段は職場でずっと仕事なのだが、帰宅すれば自分の時間がある。それにここに来るときはゆっくりしている。忙しさはすっかり忘れてしまって。彼がメモ帳をテーブルの上に置き、リビングにある地デジのテレビを付けて、DVDレコーダーを作動させ、録っていた番組を再生させた。一巳は主にテレビドラマでも刑事モノなどを見ている。ミステリーやサスペンスが好きらしい。あたしも趣味が似通っていた。彼とは好みなどに関しても意見が合う。あたし自身、テレビというものは常に見続けていたのだが、さすがにそのクールにオンエアーされているドラマなどを録ってから見ていた。それでいいのである。そう言えば、昔レンタルビデオ店などがあったが、今はネットでレンタルできて宅配などがされているので、その手の店はほぼないに等しい。おまけにあたしの場合、ネットで頼むこともまずないのだし、見たい番組は大抵テレビで放送されていてそれを予約してレコーダーに録る。二人でコーヒーを飲みながら番組を見ていた。ソファーに凭れてゆっくりと。コーヒーが冷めると淹れ直す。その繰り返しで二時間ドラマなどはすぐに見終わっていた。テレビを消してBGMに癒しの効果があるクラシック音楽を掛ける。いつもは職場に詰めっぱなしで自分の時間は帰宅後だけだ。だから休日は一巳のマンションに来てリラックスする。もちろん会社にいる嫌なヤツの悪口などはたくさん出るのだった。話の半分は愚痴である。だけどそれでよかった。互いに愚痴が零れ合うのは、サラリーマン同士で大いにあることなので……。

     *

「缶ビールで乾杯ね」

「ああ。……君も飲むんだよね?」

「うん。でも飲み過ぎないようにしてる。アルコールって体に悪いから」

「それは俺も知ってるよ。だから仕事後の飲み会には一切行かないんだ。俺は割り切ってるからね。会社に行くのは仕事をするってことだけでね」

「それがいいと思うわ。あたしもそんなところあるし」

 互いに笑顔が出る。一巳が表情を和らげてくれるから、一緒にいられて楽しいのだ。週末だけだとしても元気が出ていた。疲れた心身をほぐすには実に笑顔が効果的である。どんなに高いドリンク剤や栄養剤よりも人間の笑った顔の方が断然いい。プラスの作用が十分あるのだし、何せ一番の元気の源である。酒は程々にしていた。ビールもウイスキーも最低限にしている。アルコールを取りすぎると、まずいということは分かっていたので。疲れた体や心にせめてちょっとだけ栄養を注ぎ足すだけだと思えばいい。ビールを三百五十ミリリットル入りのレギュラー缶一本きっちり飲めば、後は止めておく。ビールを切らしていたときはウイスキーで水割りを一杯作る。冬場で冷え込むから、足元を温めてなるだけ熱が逃げないようにしていた。リビングには暖房が入れてある。ひとまず寒さで風邪を引くことはなかった。互いに心が通じ合っていたのだし、一緒にいて楽しいのだから……。

 ささやかな幸福が続くのは感じ取れていた。お互い特別な言葉は一言も要らないと思っている。ただ「愛してる」とだけ言えれば、それで済むのだった。慌しい歩調で人生を進むことなく。そしてまさに<愛し愛され>という言葉通り、互いを大事にしているのがあたしたちだ。おそらく人間だけじゃなくて、全ての動物に当てはまるだろう。この素朴なまでの愛の感情が。たとえ、お互い会ったとき愚痴を漏らし合いながらでも……。

                              (了)


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