第25章 暇な時間に少子化についての考えてみた
AIと少子化について議論しながら、あれこれ考えていた。
……いや、なんで少子化について考えているんだ、という話なんですが。
暇だったんです。
暇な、りくで申し訳ない……。
まあ、せっかくなので、今回はそのとき考えていたことをまとめてみようと思う。
最初に言っておくと、これは「少子化の原因はこれだ!」と断定する話ではない。社会学者でもなければ、少子化を研究しているわけでもないので、そんなことを言えるほどの材料は持っていない。
ただ、「結婚するか」「子供を持つか」という問題を、一人の人間が自分の人生について考えるとしたら、どんなことを考えるだろう、と考えていった結果、
「もしかすると、現代人の意思決定には、こういう構造も入り込んでいるんじゃないか?」
という仮説にたどり着いた。
なので、今回はその話である。
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■「自由になった」ことで、逆に考えなければならなくなった?
まず、俺が気になったのは「自由」という部分だった。
昔は、今よりも「結婚して子供を持つ」という人生が、社会の中で当然のものとして扱われていたのではないかと思う。もちろん、昔の人間が全員そう考えていたわけではないし、「昔はみんな幸せだった」とか、「昔のほうが子供を持つ価値が高かった」なんて単純な話をしたいわけでもない。
ただ、現代では「結婚する」「結婚しない」「子供を持つ」「子供を持たない」という複数の生き方が、以前よりも明確に「選択肢」として成立している。
そして、ここで俺は、ちょっと変なことを考えた。
選択肢になったこと自体が、結構大きな変化なんじゃないか?
だって、選べるなら「なぜ選ぶのか」を考えることになる。
「結婚するのが普通だから結婚する」なら、そこで思考は止められる。でも、「結婚してもしなくてもいい」となったら、「じゃあ、自分はなぜ結婚するんだ?」という問いが出てくる。
子供も同じで、「子供を持つのが普通」なら、持つ理由を毎回考える必要はない。でも、「持ってもいいし、持たなくてもいい」となれば、「じゃあ、自分はなぜ子供を持つんだ?」と考えることになる。
俺は、ここが意外と重要なんじゃないかと思った。
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■「子供を持つ自由」には、「子供を持たない自由」も含まれる
もちろん、子供を持つことにはいろいろなコストがある。
金銭的な負担はもちろん、時間も使うし、仕事との調整も必要になる。自分の予定も自由に決められなくなる場面が増えるし、将来のことを考える必要もある。何より、子供に対して長期的な責任を負うことになる。
しかも、子供は自分とは別の人間だ。
ここ、結構重要だと思う。
親が子供に何かを教えたり、危険なことをしないように制限したりすることもある一方で、子供が生まれれば親の生活そのものも変わる。予定を変更することもあるし、お金の使い道も変わるし、仕事の選択にも影響するかもしれない。
つまり子供を持つということは、単純に「自分の人生に新しい存在が増える」というだけではなく、自分とは別の人間と、自分の人生をかなり深く結びつけることでもある。
「誰にも干渉されたくない」「自分の人生は自分で決めたい」という感覚を大切にする人からすれば、これはかなり大きな選択になる。
そこで、
「自分は、そこまでして子供を持つ必要があるのか?」
という疑問が出てくる。
もちろん、これは「子供が嫌い」という話ではないし、子供を持つことが悪いという話でもない。
むしろ、選べるようになったからこそ、選ぶ理由を考えるようになったのではないかという話である。
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■そして、「選ばない」は少なくとも今すぐには実行しなくてもいい
ここで、もう一つ気になることがある。
結婚する場合、基本的には何か行動を起こさなければならない。相手を探したり、出会ったり、交際したり、予定を合わせたり、場合によっては自分のことを知ってもらったり、相手のことを知ったりする必要がある。結婚した後も、生活そのものを二人で調整していくことになる。
子供を持つなら、そこからさらに長期的な責任が発生する。
ところが、
「今は結婚しない」
なら、とりあえず何もしなくても成立する。
「今は子供を持たない」も同じである。
もちろん、長期的に考えれば「何もしない」ことにもコストはあるだろう。将来になって後悔する可能性だってあるし、一人で生活することによる問題が出てくる可能性もある。
だから、「結婚しないほうが得」と言いたいわけではない。
俺が気になっているのは、もっと単純な部分だ。
少なくとも短期的には、「選ばない」という選択の実行コストが低い。
しかも、「今はしない」は、決断そのものを未来へ先送りできる。
「今年はいいかな」
「もう少し後で考えよう」
「今は仕事が忙しいし」
ということが成立する。
「一生結婚しない」と決断する必要すらない。
この「今は選ばない」という選択が、意外と強いんじゃないかと思った。
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■「結婚しない」は、特別な理由がなくても成立する
さらに考えてみると、昔なら「なぜ結婚しないの?」と周囲から聞かれること自体が、結婚への圧力として働いていた可能性がある。
もちろん、それが良かったと言いたいわけではない。
結婚するかどうかを周囲から強制されるのは、個人の自由という意味では問題があるだろう。
ただ、現代では、
「自分の人生なんだから、結婚しなくてもいいじゃん」
という説明が普通に成立する。
これも自由の一つだと思う。
そして、ここでまた妙なことに気づく。
「結婚しない」という選択には、特別な理由が必要なくなっているのではないか。
「別にしなくてもいいじゃん」で話が終わる。
一方で、「結婚する」という選択をするなら、「なぜ結婚するのか」「なぜこの相手なのか」「結婚後の生活はどうするのか」と、いろいろ考えることになる。
つまり、結婚する側には積極的な意思決定が必要なのに、結婚しない側は「今はしない」で先送りできる。
この非対称性が、個人の意思決定に影響しているのではないか。
俺は、そこが今回の話の一番面白いところだと思っている。
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■「コスパ」は、お金だけの話じゃない
ここでいう「コスパ」という言葉も、単純な金銭計算の話ではない。
結婚や子育てを考えるとき、人間はおそらく、お金だけではなく、時間、自由、仕事、キャリア、責任、生活上の制約、相手との調整、将来のリスクなど、いろいろなものをまとめて考える。
さらに言えば、「この選択をするかどうかを考えること」自体にも負担がある。
つまり、
「自分の自由を使ってまで、それを選ぶ理由って何なんだ?」
という問いである。
自由な社会では、こういう問いを本人が考えることになる。
誰かが「それが普通だから」と決めてくれない以上、自分で決めなければならない。
……自由って、思ったより面倒くさいな。
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■しかも、現代には一人で得られる満足が大量にある
さらに、現代では一人でも楽しめるものが大量にある。
ゲーム、動画、SNS、漫画、映画、旅行、趣味、さまざまな娯楽、それに性的コンテンツまである。
もちろん、
「ゲームがあるから結婚しなくなった」
とか、
「性的コンテンツが少子化の原因だ」
なんて単純な話をしたいわけではない。
そうではなくて、昔と比べて、「誰かと関係を築かなければ、暇も寂しさも性欲も解消できない」という状況ではなくなっているという話である。
性欲についても、「性欲がある」からといって、必ず「相手を探す」必要があるわけではないし、「相手を探す」から必ず「恋愛」になり、そこから「結婚」につながるわけでもない。
そう考えると、「パートナーが必要だ」という切迫感そのものが弱くなる可能性はある。
これも、少子化の直接原因だと断定するつもりはない。
ただ、個人が「一人でも別にいいか」と判断しやすくなる環境の一つとして考えることはできるんじゃないか、と思っている。
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■じゃあ、相手はどうやって探すんだ?
ここでもう一つ、俺が気になったことがある。
昔ながらの「紹介」ってあるじゃないか。
「あの人、結婚相手を探しているらしいよ」
「あそこの娘さんも、そろそろ結婚を考えているらしいよ」
みたいな話である。
本人が「結婚したい」と周囲に伝えていれば、それを知った人が別の人を紹介することもある。
昔の仲人なんかは、ある意味ではそういう「人と人をつなぐ作業」を代わりにやっていたとも考えられる。
ところが現代では、マッチングサービスなどを使って、自分で相手を探すことができる。
これは便利だ。
便利なんだけど……。
写真を載せる。
年齢を書く。
職業を書く。
年収を書く。
趣味を書く。
性格を書く。
結婚観を書く。
自己紹介を書く。
そして、知らない人にメッセージを送る。
……これ、結構な自己PRじゃない?
「相手を探したい」という意思を、自分から外に出さなければならないわけだ。
もちろん、マッチングサービスによって出会いやすくなった人もいるだろうし、昔の紹介制度より自由になった部分も大きいだろう。
ただ一方で、「自分から相手を探していると表明することが苦手な人」にとっては、必ずしも簡単になったとは限らないのではないか、とも思う。
ただし、ここはまだ仮説である。
「昔より人々が周囲に結婚相手を探していると伝えなくなった」と言えるだけのデータを、俺はまだ確認できていない。
なので、この部分については保留しておく。
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■ここで「個人」と「社会」を分けて考える
ここまでの話をすると、
「じゃあ、日本の少子化は自由主義が原因なんだ!」
と言いたくなるかもしれない。
……いや、待て。
そこまでの話はしていない。
というか、そんなデータはない。
日本全体の出生率を考えるなら、所得、雇用、住宅、教育費、男女の役割、結婚年齢、子育て環境、社会保障、地域コミュニティ、文化など、いろいろな要因を考える必要がある。
今回俺が考えているのは、もっと小さい話だ。
「一人の人間が、結婚や出産について考えたとき、頭の中では何が起きているんだろう?」
という話である。
もし、
「自由に選べるなら、なんで自分がこのコストを負うんだ?」
という考え方が、多くの人の中に存在するとしたら。
もし、
「今は選ばなくてもいいじゃん」
という選択が、かなり簡単にできるとしたら。
そして、一人で楽しめるものが増えたことで、
「別に急いで相手を探さなくてもいいか」
と思う人が増えていたとしたら。
それが社会全体では、どんな結果になるんだろう。
……というところまでなら、考えてもいいんじゃないかと思う。
ただし、「実際にどのくらいの人がそう考えているのか」「出生率にどの程度影響しているのか」については、現時点では分からない。
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■ところが、イスラエルという国がある
ここでAIと話していて出てきたのが、イスラエルだった。
イスラエルは先進国でありながら出生率が高い。
……あれ?
「自由になった社会では少子化する」という話なら、ここで引っかかる。
だから、俺の考えていることは、
「自由になれば必ず少子化する」
という話ではない。
むしろ、
自由になれば、「子供を持たない」という選択も成立する。
でも、それとは別に、
「子供を持つこと」に強い価値を感じる社会なら、自由に選べる状況でも子供を持つ人は多くなるかもしれない。
家族観だったり、共同体だったり、宗教だったり、文化だったり、社会的な支援だったり、いろいろなものが関係してくるのだろう。
つまり、自由というものは「何を選ぶか」まで決めてくれるわけではない。
自由は、選択肢を増やすだけなのかもしれない。
「子供を持つ」という選択肢もある。
「子供を持たない」という選択肢もある。
そのうえで、どちらを選ぶのかは、その人が置かれている環境や価値観によって変わる。
そう考えると、イスラエルは俺の考えを否定するというより、「自由だけでは説明できない」ということを教えてくれる反例なのかもしれない。
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■結局、何が言いたいのか
ここまで長々と考えてきたけれど、俺が言いたいことは、そこまで難しくない。
昔は、「結婚して子供を持つ」という人生が、今よりも強く「普通」として存在していた。
現代では、「結婚する」「結婚しない」「子供を持つ」「子供を持たない」を、自分で選ぶ。
そして、選べるようになったら、
「じゃあ、なんで俺はこれを選ぶんだ?」
と考える。
そこで、お金、時間、自由、仕事、責任、リスク、他人との調整……いろいろなコストが見えてくる。
一方で、
「今は選ばない」
なら、少なくとも今すぐ行動しなくてもいい。
先送りもできる。
しかも、一人で楽しめるものはたくさんある。
そうすると、
「まあ、今はいいか」
となる人がいても、別におかしくないんじゃないか。
……というのが、今回俺が考えたことだ。
これが本当に少子化につながっているのかは、分からない。
どれくらいの人が同じように考えているのかも分からない。
もしかしたら、全然関係ないのかもしれない。
ただ、
「自由になったから、何でも好きにできるようになった」
というだけではなく、
「自由になったからこそ、自分で選んで、自分で理由を考えなければならなくなった」
という面はあるんじゃないか。
そして人間って、
「今すぐ動かなければならない選択」より、
「とりあえず今は何もしなくてもいい選択」
を後回しにしやすいんじゃないだろうか。
……まあ。
暇な人間が、暇な時間に考えただけなので。
本当にそうなのかは、知らんけど。




