きっかけ
『一九〇〇年四月一六日 大西洋沖ニテ我々英国ノ戦艦ガ行方不明ノ模様』
月曜日の朝目覚めたルーカスが新聞を開くと大きな見出しが目に飛び込んできた。
「またか……」
ここ数ヶ月間、船舶の事故や消失が後を経たない。その被害は軍の戦艦や潜水艇だけでなく民間の漁船や客船にも及んでいる。しかも奇妙なことにそれらは全てフロリダとバミューダ諸島、プエルトリコを結ぶ大西洋の海域、通称『バミューダトライアングル』で起きているのだ。噂によると米国を始めその海域を通る他の国の船でも同じように事故が相次いでいるという。何かあるのだろうかと思考を巡らせるがこれといった答えも思い浮かばない。
ふと壁にかかっている時計に目をやるとその針はちょうど八時を指していた。
「遅刻だ」
パンを口に詰め込みバッグを手に勢いよく飛び出していく。学校までは十分と少し。走ればなんとか間に合う距離だ。
ゴーン、ゴーン。教室のドアを開けたと同時にチャイムが鳴り響く。
「ルーカス遅いぞ」
「毎日ギリギリだね」
同級生や先生と挨拶を交わし自分の席につく。僕の席は窓際の二列目。果てしなく広がる水平線が見えるこの席を僕は何気に気に入っているのだ。いつかこの広い大海原へ出てみたい。席に座るたび密かにそんな夢を抱いている。
「おはよう、ルーカス」
「あ、おはようエレノア」
「今日はちゃんと朝ごはん食べたの?」
「走りながらパンを食べたよ」
「もう、しっかり食べなよ」
エレノアとは七歳の時からの知り合いで付き合いはもう十年にもなる。何の縁か同じ学校に通い席も近く、いつも何かとお互い気にかけている。今日もいつもと同じように世間話を弾ませる…はずだった。
「ねえ、今朝の新聞読んだ?」
「船が行方不明になったっていう記事のこと?」
「そう」
「不気味な話だよね」
「私の知り合いが海洋調査団の団員なんだけど今度大西洋沖に調査に行くんだって」
「羨ましいな。僕もいつか行ってみたい」
「そう言うと思った」
「どういうこと?」
「船長さんにルーカスのことを話してみたらもしよかったら一緒に来ないかって」
「本当に?僕が参加してもいいの?」
「ええ。今日の夕方調査船のお披露目が港であるんだって。だから行ってみたら?」
「そうしてみるよ」
冷静に普段通りを装って話していたが興奮は抑えられなかった。そのおかげかいつもは長く苦痛を感じる学校も一瞬で終わったような気がした。
学校が終わると僕は一目散に港へ駆け出した。なんだか今日は走ってばかりだ。
船着場へ行くとそこには大きな蒸気船が停泊していた。船体は黒く塗られた鉄製で中央では太く大きな煙突が絶えず煙を吐き出している。大迫力なその姿を目の当たりにした僕は呆気に取られ言葉を発することができなかった。隣に人が立っていたこともさえも声をかけられるまで気づけなかったのだ。
「君がルーカスくんかね?」
不意に声をかけられる。見上げるとそこには体つきの良い髭を生やした男の人が立っていた。
「はい。ルーカス・クラークです。あなたは?」
「ふむ、私はこの船の船長を務めるヘンリーという者だ」
(……船長?)
動揺と混乱で頭が整理できない。
「君のことはエレノアから聞いているよ。海へ出るのが夢なんだろう?」
「ええ、まあ」
「改めて直接言おう、私たちの調査に加わらないかい?」
「本当に僕なんかが調査団に加わってもいいんですか?」
「未来のことを考えるとね、若い研究者が必要なんだよ。まあ、君でないといけない理由は他にもあるのだがここで言っても仕方のないことだ」
「なるほど……」
「どうかね、一緒に来てくれるかな?」
「ぜひ、行かせてください」
「よし、では出航は一週間後。それまでに荷物を整えておくんだ」
そう言って船長は去って行った。その後ろ姿が見えなくなるまで僕は立ち尽くしていた。そしてようやく船に乗るという実感が湧いた。目の前には大海原が広がっている。一週間後。僕は改めて水平線の先を見つめた。
家に帰るとさっそく準備に取り掛かった。とはいえ、初めての船旅だ。何から手をつければ良いかわからない。ひとまず着替えと食料、それにカメラを詰め込んでいく。余計なものは持って行かないほうが良いとヘンリーさんには言われたが余計かもしれないものを持っていきたくなるのが旅というものだ。小さい頃から集めている新聞の切り抜きや大西洋について書かれた本。気づけば荷物は随分と多くなっていた。中には亡くなった祖父の形見のペンダントもある。
祖父はよく海洋調査の話をしてくれた。幼い日に聞いたその話に魅了され僕の心はいつの間にか海の虜になっていたのだ。




