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紗千香ちゃんの様子がおかしい。
「あ、お、おはようございます!」
朝、顔を合わせたら分かり易く目を逸らされた。
「……おはよう。あのさ、昨日って」
「すみません!今日早出なので先に行きますね!」
挨拶もそこそこに俺から逃げるように飛び出して行った。
「……何かやったな……」
起きた時、ソファーに寝ていたから嫌な予感はしていた。
「はぁぁ~」と壁に背中を預け、溜息を吐きながらその場にしゃがみこんだ。
あの感じは少なくともキスぐらいはしている反応だった。何がイラつくって、その場面を覚えていない自分に腹が立つ。
あの子はどんな顔でキスをした?顔を蕩けさせて俺を欲しがった?
「一番大事なところを覚えていないなんて……」
この歳で一回りも違う子に本気になるとは思わなかった。
第一印象は小さくて可愛らしくて子ウサギの様だと思った。俺の事を慕ってくれるのは目に見えて分かっていたが、特別な想いは沸かなかった。
いざ声を当ててみると、あの子の声は華やかではないが人を惹きつける声色をしていた。全身の毛が逆立つような感覚なんて初めてで、あの子の声に聴き惚れた。
もっと聴きたい。そう思ってしまった。
まあ、そこからは、自分に憧れていると言う彼女の気持ちを最大限に利用させてもらった。少し卑怯な手だとは思ったが、彼女を傍に置けるなら構わない。
毎日違う表情を見せてくれる彼女を見ているのが楽しくて、気付けば年甲斐もなく恋をしている事に気が付いた。
相手は一回りも離れているのだから諦めるように自分自身に言い聞かせたが無理だった。
俺にすら見せた事のないような可愛らしい服に身を包み、合コンに行くと聞いた時には、その場で欲望のままに自分のものにしてしおうかと思った。他の男の為に着飾った姿なんて見たくなかった。
余裕の無さに笑えてくる。
「……丁度いいタイミングか」
自分の気持ちを彼女に伝えよう。自惚れでなければ、彼女も自分と同じ気持ちだろう。
そうあって欲しいと願いながら、窓の外を見あげた。
***
いつものようにスタジオへ入った仲佐が目にしたのは……
「あ、仲佐さん。今日から新キャストで入る堺香里さんです」
「昨夜ぶり」
意味深な言葉を放ちながら手を差し出す香里に、周りは一気に騒がしくなった。その中には紗千香の姿もある。最悪のタイミングに仲佐は香里を睨みつけた。
「なんでお前がここに居るんだ」
「なんでって、呼ばれたからに決まってるじゃない」
平然とした態度で言い返えし、台本を見ろと自分の名が書かれている部分を指さした。そこには樹の元カノ役として香里の名が書かれていた。
「それならそうと昨日言えばよかっただろ!?」
「サプライズって言葉知らないの?」
言い合う二人のやり取りを見ていた周りは様々な憶測が飛び交っていた。
「やっぱりあの二人って付き合ってたんだ……」
「確か同期なんだよね。前から付き合ってる噂あるもんなぁ」
「監督も分かってて役に押したのかね」
コソコソと話す会話が紗千香の耳にも嫌でも入ってくる。
(昨日って……あの香水の……?)
昨夜の甘い香りのする香水の匂いが思い出される。二人が付き合っているって噂は知っていたが、所詮は噂だし、何となくそれはないなと変な自信があって気にしていなかった。だけど、こうして目にしちゃうと疑惑が確証だと認めざるを得なくなる。
(あんなにも感情を出してる仲佐さん見たことない)
私に見せるのはいつも優しい仲佐さんばかりで、こうして自分を出している所は見たことがない。
「紗千香ちゃん、大丈夫?」
「え?」
声をかけくれたのは那奈さん。
「顔、真っ青よ?」
「あ……大丈夫です!」
必死に笑顔を作り返事を返すが、上手く笑えているか分からない。那奈さんは心配でまだ何か言いたげな様子だったが、すぐに本番が始まり話すことが出来なかった。
『樹の彼女って貴女?……ふ~ん。こんなの何処がいいのかしら』
いざ始まると、香里さんの凄さがよく分かる。スッと役に入り込み、完全に自分の物にしている。
『あんたみたいな子が樹の周りをウロチョロしてたら邪魔なの。分からない?彼には不釣り合いなの』
『おい、いい加減にしろよ』
『本当の事じゃない。私は貴方の事を思って言ってるのよ?』
仲佐さんとの掛け合いも完璧。
役の言葉だと分かっているのに、私自身が言われているような気持になる。
「いや~、良かったよ」
監督からの評価も絶大。私とは大違い……
(駄目だ。どんどん卑屈になってくる)
チラッと仲佐に視線を向けると、香里が腕を組みながら楽し気に話してる。そんな二人を囲み、揶揄う言葉が飛び交っている。
(帰ろ……)
今は一人になりたい。
紗千香はそっと気配を消してスタジオを出た。




